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流れ星

大学生たちの青春群像は淡い希望を纏い、ついに最終章へ突入する。


私が大きくストロークをすると、曲が終わる。

私たちはいつものスタジオで、『No photos』を演奏していた。新しく覚える曲だからできるようになるまでに少し時間がいるかもしれないと思っていたが、よく見ると、志村にしては簡単なコード進行だったので、思ったほどはかからなかった。だから、文化祭前日となった今も、大きな焦りはない。唯一気がかりなのは、本家『No photos』を知る二人が、声を張り上げるように歌う私の歌唱と、丸っこいギターの音を受け入れてくれるか、というところだった。

私がレスポール・ジュニアの弦を震わせ、最後のフレーズを弾き切ると、曲が終わった。今日は、文化祭前最後の音合わせということで、かなり気合を入れ、通しで二曲を演奏した。

演奏を終え、恐る恐るリズム隊二人の方を振り返ると、彼らは二人とも、穏やかに笑っていた。

「良いんじゃねえか?」

演奏が終わり、そんな第一声を発したのは、伊地知だった。それに山田が頷く。私はそんな二人の様子に、ほっと一息ついた。

「良かった。私の声とかギターとか、志村とだいぶ違うからさ、ちょっと不安だったんだよね」

「別に、あいつと違うからってどうということはないだろう。問題なく弾けてたし、歌えてた」

そう言った伊地知の表情は、依然穏やかだ。

「そう言ってもらえるとありがたいよ。なんか、本番もいける気がしてきた」

「今の演奏が本番でできれば、上出来だと思うよ。明々後日は、みんなでベスト尽くせるようにがんばろう」

山田のその一言が、私たちを笑顔にしてくれた。私たちは他のバンドに比べて私たちは動き出しが遅く、当日までに間に合うか不安な部分も少しあった。しかし、こうして当日までに間に合わせることができた。私たちは山田の一言で、それを再認識できたのだ。

「それじゃあ、ベスト尽くせるように、ぱーっといきますか?」

安心しきった私が調子に乗ってそう言うと、伊地知と山田も頷いてくれた。

「行こう。だいぶ前に言った、飯の話もあるしな」

伊地知が鼻息荒く張り切る。そういえば私が喜多に会った日、彼は私たちを食事に誘っていた。

「ああ、あったね」

「ちょうど良いし、今日はどっかお店行こうよ」

「よし、決まりだ。今日は日頃の極貧生活のハメを外してやる」

私たちは意見を一致させ、それから、そろそろと楽器を片づける。今日のスタジオは予約がかなり混み合っているらしく、あまり長い時間が取れなかったのだ。

「撤収したら、どこに行くか考えるぞ」

ドラムセットを片す伊地知が、いつも以上に張り切っている。その表情は本当に楽しげで、そんな彼の姿に私は、人知れず和んでいた。

志村がなくなってから、こんなに楽しげな伊地知は初めて見たかもしれない。



ショーケースが照らす年季の入った食品サンプルが、いかにも昔ながらの雰囲気を漂わせていた。

駅近くの商店街、その裏路地にある洋食店の前にて私は、自分たちの大学近くにもこんな店があったのかと意外に思っていた。

私たちは、山田が進めてくれた洋食屋に来ていた。この近辺にある店といえば、ラーメン屋か、けばけばしい看板の中華料理店だから、落ち着いた雰囲気の洋食屋があるというのは意外だった。

隣にいる伊地知も私と同じように思ったのか、口を「お」の形にして、興味深そうに食品サンプルを眺めている。

「山ちゃん、よくこんな店知ってたね」

「たまたまこの裏路地を通ってる時に見かけて、気になってたんだ」

「へえ。私、駅前はスタジオに行く時くらいしか来ないから、こんな店知らなかったな」

私は自分でそう言って、大学に入ってからあまり外食をしていなかったな、と思った。

「まあ、とりあえず入ろうか。店の前にずっといるのもなんだしね」

山田の一声で、私たちは洋食屋のドアを開けた。からん、と鈴の音が鳴り、次いで、人の良さそうな奥さんの「いらっしゃい」の声がした。

店内は、思いのほか混み合っていた。私たちが店内を見回していると、先ほどの奥さんが二階の席を進めてくれたので、お言葉に甘える。私たちは誰もいない二階の席に座り、一息つく。

「君たちもバンドマンだ」

水とお手拭きを持って来てくれた奥さんが、私の隣に二つ並んだギターケースを見ながら、そう言う。

「そうですけど、どうかしましたか?」

「ごめんね、別に大したことでもないんだけど、最近よくうちにバンドマンが来るからさ。なんかあるのかな、と思って」

奥さんは目尻を寄せて目を細め、神や仏のような慈悲深い笑みを作った。

「そうなんですね。わからないですけど多分、明日の文化祭でライブをやることになっているので、その練習帰りに来る人が多いんだと思います。私たちもそうです」

私が一応の推測を説明すると、奥さんは笑顔のまま、「なるほど」と唸った。

「そういうことだったのね。もし機会があれば、行ってみるわ。がんばってね」

「ありがとうございます」

奥さんは私の言葉に、やはり神仏に似た笑顔を浮かべ、一階へ通じる階段を降りていく。私はその姿を見送りながら、少しおかしく思った。あれだけ慈悲深そうな人が、「喧しさ」の象徴でもあるバンドのライブで盛り上がる姿が想像できなかったのだ。

「今の会話聞いてて思ったんだけどさ、ライブって、もう明日なんだよね」

メニュー表を取りながら、山田しみじみといった様子でそう言った。よく考えてから話す彼には珍しく、その響きは半ば突発的なものに聞えた。

「今更何を言う。そのために、今日まで練習してきたんだろ」

「いや、事実としては認識してたんだ。でも、肌感覚としては、明後日っていう感じがしてなかったんだよ。貴充が亡くなってから今まで、僕にとっては本当にあっという間だったから」

「あっという間、お前はそうだったのか」

伊地知が意外だ、という顔をしている。

「敬はそうでもなかったの?」

「ああ。俺はこの一ヶ月半、クソほど長く感じた。どっかのギタリストが死んで、色々思うところもあったからな」

伊地知がそう言って腕を組むと、山田は表情をふっと暗転させ、申し訳なさそうな表情になる。

私はそんな二人の様子を見ながら、この一ヶ月半に思いを馳せてみた。志村が亡くなり、将充さんからCDを受け取ってから、バンドを再開。目まぐるしく過ぎていったこの一ヶ月半、私の肌感覚は、一体どうだったのだろうか。考えると、その答えは割合すぐに出た。

長く、短い。これが、私の肌感覚だった。

「苑子は、この一ヶ月どうだったよ? 短かった? 長かった?」

伊地知の何気ない視線が、こちらに向く。私はそれを見つめ返し、先ほどの思考を反芻した。

「どっちも、かな?」

「どっちも?」

山田と伊地知が同時に首を傾げた。

「志村がいなくなってからバンド再開するまでは長く感じたけど、再開してからは短かったっていう感じかな。それこそ、再開してからは流れ星が過ぎていくみたいに、びゅーんって」

私がそう言うと、伊地知が何か合致がいったような、すっきりとした表情を見せた。そうして一口水を含み、私に笑顔を向ける。

「志村も、昔そんなようなことを言ってたよ」

「そうなの?」

私より先に、山田がそう言った。

「ああ、一年半前の話だ。バンド組むことが決まって次の日に、あいつは俺たちに「No photos」っていうバンド名を提案してきた。その由来を聞いた時、あいつは俺にこう言ったんだよ」


「流れ星って綺麗だけど、シャッター切ってたら願掛けそこねるだろ? 俺もお前と、そういう音楽をやりてえんだよ」


そう言った伊地知の声が、脳内で志村の声に変換される。彼の声質や言い方まで、忠実に。そして私は、彼の発したクサいセリフから、その生き様を再確認することができた。

彼は、過去でも未来でもない、「今」を見ていたのだ。

そして大学に入った時から、そんな志村の姿勢は、変わることはなかった。誰に言われるでもなく、言うでもなく、志村は自分の胸に意志を灯し、「今」目の前にある音楽を全力で楽しんでいたのだ。

「私も、少しはあいつの意志を継げたのかな」

私がポツリと心の声を漏らすと、伊地知と山田がこちらを見る。その表情は、二人揃って穏やかなものだった。

「それは、明日次第なんじゃないか?」

「ライブをやり遂げたら、僕らは多分、何かを見つけられると思う」

「そうだね。私たちの今を、全力で駆け抜けよう」

 私がそう言うと、山田が私と伊地知を交互に見て、ゆっくりとメニュー表を手に取った。

「とりあえず、注文しようか」

山田がそう言うと、私はふと我に返った。そうして、私たちはふっと笑い声を上げる。昔ながらの洋食屋で何をやっているのだ、と指摘し合う。その時間が、楽しいとさえ感じられる。

そうだ、今はこれで良いないんだ。

メニュー表をめくりながら、私はそう思った。


「ストローク」という単語が出てきました。これは、ギターの奏法の一つで、ギターの全ての弦を一度に全て振動させる奏法です。

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