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リスタート

曲を書き上げた翌日、苑子は伊地知と山田を自宅アパートに呼び出していた。

「なんだよ、急に呼び出して」

私の正面、いつもの丸テーブルの前に座る伊地知は、表情を変えない。その隣に座る山田も、私の意図がわからないのか、こちらに注目している。

私はそんな二人も見て、今日のために準備してきた紙を用意する。

私は衝動に任せてとある一曲を書き上げ、それから、伊地知と山田の二人を自宅アパートに呼び出していたのだ。

「今日は二人に、提案があって」

「提案?」

伊地知と山田が同時に首を傾げる。

「そう、提案。まず、これを見てもらえる?」

私は言いながら、ここ数日の間に書き上げたTAB譜とドラムスコア、歌詞を二人の前に持っていく。彼らは目を丸くして、それを手に取った。

「これ、苑子が書いたの?」

「そう。ここ最近、ちょっと気が向いたから書いてみた」

「すごいね、提案っていうのは、これを僕らでやろうって話?」

山田の表情が、思いのほか朗らかで安心する。

「そうだね。ちょうど文化祭でのライブもあるし、いいかなと思って。どう? 文化祭で、私と一緒にやってくれないかな?」

そう言って、私は山田と伊地知を交互に見た。そこで私は、少し緊張を覚える。私が昨日打ち立てた誓いは、彼らの協力なしに成し遂げることができないからだ。

「いいね、やろう。いつまでも動かないままじゃ、貴充も怒るだろうしね。ボーカルは、苑子がやる感じかな?」

「一応、そのつもりでいたけど、山ちゃんは大丈夫?」

「もちろんだよ。文化祭まであまり時間はないけど、やれるだけやってみようよ」

山田が笑顔を見せたので、私は一安心する。しかし他方で、伊地知の視線はなお、ドラムスコアに向けられたままだった。

「ありがとう、山ちゃん。タカシはどうかな?」

ドラムスコアをじっと見つめる伊地知に、そう問いかける。すると彼は、スコアからゆっくりと顔を上げて、私と視線を合わせた。

「苑子、ありがとうな」

伊地知がしみじみと言うので、私は驚いてしまう。表情も先ほどドラムスコアを眺めている時とは一転、穏やかなものに変わっていた。

「ありがとうって、どういう意味?」

「いや、苑子のおかげで、今久しぶりにドラム叩く気になれたからな。志村がいなくなってから全然叩けてなかったけど、やっぱり俺はドラムが好きだって、スコア見て、再認識ができた」

伊地知の視線は、まっすぐこちらに向けられていた。その視線に迷いはなく、私はそこで、思わず安堵のため息をついてしまう。ふうっと、息が漏れる。

「二人とも、ありがとう。でもあともう一つ、お願いを聞いてもらっていいかな?」

私がそう言うと、伊地知と山田の視線が一斉にこちらに集まってきた。

「みんなで、『No photos』をやりたい」

その言葉を受けてもなお、山田と伊地知の視線は私に向けられたままだった。感慨深そうな伊地知と、人の良さそうな笑みを浮かべる山田。その表情はそれぞれ違っていても、考えていることはおそらく一緒であるように思えた。私は、そんな彼らの返事をじっと待つ。

「当然だ。俺らがやってやらないで、誰がこの曲をやるんだよ」

伊地知がそう言って、相好を崩す。私と山田も、それに笑顔で応じた。

「それもそうだね。僕も同感だよ」

「オッケー、二人ともさすがだよ」

私のその言葉に、伊地知と山田は笑顔で応じてくれる。私はそれに、安心する。彼らもまた、私と同じ思いでいてくれていたことが、わかったからだ。


「拝啓 私らが愛してたギタリスト」


私の手元にあった紙に書かれたそんな歌詞を見て、自分で気恥ずかしくなってしまう。今回の歌詞は夜の間に一気に書いたものだから、志村に負けず劣らず率直な感情が表れている。これを山田や伊地知に見せたのかと思うと、少し恥ずかしいが、この際それは良いだろう。三人でバンドができるのなら、それは本望だ。

「まあ、見ててよ。天国の愛すべきギタリスト」

ほんの小さな声でそう言い、Bメロのワンフレーズを、そっと指でなぞった。



一限の大講堂に、その大きさに見合う人の数は見られなかった。前の方の席はガラ空きで、後ろの方の席もぽつぽつと埋まっている程度。真面目に出席しているこちらがあほらしくなってくるような出席状況だ。この大講堂で行われる授業は受講人数こそ多いものの、出席しなくても容易に単位が取得できてしまうため、ほとんどの学生が出席していないのだ。授業を担当する還暦過ぎの教授がすかすかの講堂を見て、白い立派な眉をひそめるのは、毎週の恒例だった。

そんな講堂にて私は、前から三列目に座る、「真面目な女性」の姿を見つけた。私は、その女性がいる席へ向かい、その隣に座る。

彼女の座っていた三人掛けの席には誰一人おらず、真ん中の席に二人ぶんの荷物を置くことができた。

「おはよう、葵」

私が挨拶をすると、「真面目な女性」たる葵はふっとはにかんだ。彼女に会うのは志村の事故以来初めてだったから、かなり久しぶりに会ったような感じがする。葵もそのあたりのことは気にしているのか、いつもより表情がよそよそしいような気がした。

「おはよう、久しぶりだね」

「そうだね。一週間以上会ってなかったかな?」

「そっか。もう、そんなに経つんだね」

そう言った葵の表情が、妙に辛気臭くなる。

「どうしたの? しみじみしちゃって」

私がそう指摘すると、彼女は少しだけ口を開け、驚いたような表情を見せた。そんな葵に、私は笑いかける。すると彼女も、小さく息を吐いてから、微笑んでくれた。

「いや、なんでもないよ。夏休み明けてから、もう一ヶ月半も経ったんだなって、そう思っただけ」

「そっか。もう、文化祭まで一ヶ月切ってるんだもんね」

私たちはそう言って、真ん中の席に置かれた二本のギターケースに目をやる。そうしてゆっくりと目を合わせ、笑い合った。

「山田君に聞いたよ。「No photos」、文化祭のライブに参加することにしたんだってね」

「そう。やっぱり、私たちは音楽が好きだからさ。今やらないで後で後悔するのは、嫌だなと思って」

「そっか、安心したよ」

葵の表情が楽しげで、それが私にはちょっと嬉しかった。

「いつまでもギター弾いてなかったら、「USG」のみんなにも申し訳立たないしね。まあ、葵もぼちぼち期待しててよ」

「わかった、楽しみにしてるよ」

葵の笑顔に、先ほどのような辛気臭さは感じられなかった。私が思いのほか大丈夫そうで、安心してくれたのかもしれない。

「最近、「USG」の方はどうなの? ちょいちょい麗からギター関連のメールはもらってるけど」

私がそう言うと、葵は満足気に深く頷いた。

「結構良い感じだよ。聡子も最近はやる気あるし、麗もかなりがんばってるよ。苑子がいた時のサボり癖が嘘みたいにね」

「へえ、あの麗がね」

私が「USG」にいた頃、麗の練習ペースかなりマイペースだった。透き通った可愛らしい声質は良いのだが、歌詞は覚えてこないし、カラオケで良いから少しは歌っておけと助言しても、一向にその気配はなかった。

「なんか、人って変われるんだね」

私は、思わずそう漏らしていた。脳裏には、「USG」にいた頃の、優柔不断な自分の影がちらついてもいる。

「麗もやればできる子なんだなって、見直したよ」

葵も、心なしか清々しい表情をしている。彼女の胸を覆っていた悩みが晴れたからかもしれない。

キンコンカンコン、とチャイムが鳴った。それと同時に、のそのそと白髪で小柄な教授が講堂に入ってくる。教授は教室を見まわし、寂しそうに眉を下げた。

「TAB譜」、「ドラムスコア」という単語が出てきましたが、どちらも要は譜面です。

「TAB譜」はギターとベースの譜面で、どこを抑えるのかが書かれています。

「ドラムスコア」はドラムの譜面です。ドラムセットのどの部分を叩くのかが書かれています。

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