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弾きたい

家に帰った苑子は、さっそくCD-Rを聴こうとしていた。

PCにイヤホンを指すなんて、一体いつ以来だろうか、と思った。最近、というかここ数年は、携帯やミュージックプレーヤーに音楽を入れて聴いているから、PCにイヤホンを刺して音楽を聴くということもほとんどんなくなっていた。少なくともこっちに来てからはないだろう。初めてちゃんと音楽を聴き始めた高校時代も、さほどやっていなかったかもしれない。私はPCに刺さったイヤホンを耳にはめながら、文明の利器とその進歩に思いを馳せていた。

私は自宅アパートにて、将充さんから受け取ったCD‐Rを聴こうとしていた。今一度、彼の決意を聞いておきたかったのだ。マウスを操作し、「No photos 本収録」という名前のデータをクリックする。

曲が、志村のギターからスタートした。録音環境が悪いのか若干ノイズが混じってはいるが、バンドの演奏ははっきりと聞こえる。私は耳をすませた。

私はケースに同封されていた歌詞のメモ書きを見ながら、曲を追う。走り書きで記された志村の文字は正直読みにくかったが、その荒々しい文字が彼の音楽への衝動を体現しているようにも見え、悪い気はしなかった。

私は歌詞に目を通す。志村の思いを汲み取ろうと、目を凝らす。


今日は明日昨日になって

明日は明後日昨日になる

時計の針はカチコチめまぐるしく回り

賽は振られ続ける


今日は明日にはなくなって

明日は明後日にはなくなる

時計の針はコチカチ戻りはしない

僕は今何ができる


※現実は存外甘くないぜ

焦燥感 将来 タバコ吸って

しみったれた朝四時に

日が昇るのを見た


今日には今日の光があるから

写真には写らない光があるから

シャッター切る間もねえぜ

一秒後 過去になるそのセツナ


※繰り返し


今日には今日の光があるから

写真には写らない光があるから

Shut up いつかの自分

今を生き抜く覚悟はできてるぜ


改めて見返してみても、良い悪いは別として、志村の率直な感情が反映された歌詞であるように思えた。

自分の中にある、「今しかない」という焦燥感、夢破れた将充さんに限界を重ねた過去の自分への叱責、そして、限られた今を生き抜こうという決意の表明。志村がこの歌詞をいつ書いたのかは定かではないが、彼がその当時抱いていた肌感覚が、彼自身の言語感覚でそのまま表現されているように思えた。

サウンド面は、志村の好きなフレーズをふんだんに盛り込んだ、ギター主体のオルタナティブ・ロックという感じだった。リズム隊の二人も志村を立てようとしているのか、技術を感じさせる割には主張が弱く、志村の金属的なギターサウンドと太い声が強調される格好となっている。「No photos」のいつもの音だった。爽やかながら男臭い。そんな表現がぴったり当てはまるような、そんな音だ。

今まで私は、そんな「No photos」の音を散々聴いてきた。しかしそれも、今では懐かしくさえ思えてきてしまう。

そしてそう思うと同時に、もうこの編成での「No photos」の音楽は聴けないのだなと思い、感傷的になってしまった。志村のギターサウンドも、鼻にかかった中音域も、掠れた高音も、もう、二度と生で聴くことは適わないのだ。

ふと気がつくと、鼻の奥がつんと痛くなるのを感じていた。鼻の奥を、優しく針で突かれるような感覚だ。

涙が出そうになるたび、私はいつもこの痛みを催す。鼻の奥が痛くなって、目頭が熱くなって、じわりと涙が滲んでくるのだ。

私はこの感覚が、嫌いだった。自分が感傷的になっているのを、なじられているように思えてしまうのだ。

ついに、涙があふれていくのを感じた。目頭が熱い。息もつまっている。伊地知と泣いたあの時と、似た感覚だった。

いくら泣いても志村が戻って来ないのは、痛いほどわかっている。泣いてばかりでは前に進めないことも、わかっている。

それでも、いや、そうだからこそ、悲しいのだ。志村はもうここにはいなくて、二度と会うことができない。それを思い知ってしまったから、涙が溢れてくるのだ。目から溢れた涙が、頰を濡らしていく感覚があった。

涙は止めどなくあふれていく。志村はもういないという事実が胸に押し寄せてくるたび、つらくなって、涙が止まらない。

しかしふとした瞬間に、その涙は止まった。TVイエローのレスポール・ジュニアが、壁に寄りかかってひっそり佇んでいたのだ。

電気をつけ忘れ、薄暗くなっていた部屋にて、その黄色いをボディに湛えるそれは、いやに眩しく、逞しく、私の目に映る。そこで私の涙は、ぴたりと止んだ。

私は少し力を入れて立ち上がり、レスポール・ジュニアを手に取って、そっと肩にかける。するとその重みが、ずんと肩にのしかかってきた。

嗚呼、ギターを弾きたい。私は部屋に立ち尽くしながら、そう思った。マーシャル・アンプにレスポール・ジュニアを繋ぎ、指を目一杯使って、自分の思う最高の音を全力で鳴らしてみたい。私はそんな衝動に駆られ、胸が躍った。確かにこの世に、志村はもういない。だけれど、私はギターを弾くことができる。ギターを弾いて、歌って、志村の生き様を残していくことはできるのだ。

私はそんな思いを抱きつつ、レスポール・ジュニアをそっとスタンドに置いた。とあることを思い立ったのだ。私はその目的のため、かばんからシャーペンとルーズリーフを取り出す。

自分が今抱いている衝動を、歌詞にしたいと思ったのだ。


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