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しみったれた午前四時

「ロックでしゃらくせえ世の中を変えてやろうと思ってたんだ!」と志村が嘯いた。それから右手に持っていたビールの35缶をコツンと置いて「今はちげえけどな!」と上ずった声で喚き、私が大学入学と同時に買った丸テーブルに、うなだれる。だいぶ酔ってきたな、と思った。

「まあ、僕らはよくやってると思うよ」と志村の隣、私の正面に座る山田が、志村の背中を揺すって宥めた。志村を中心とするバンド「No photos」で安定したベースプレイを披露する彼は、酔った志村の介抱も安定している。こと酔った志村に関しては、彼に任せておけば大丈夫だろうという安心感がある。私は残り少なくなってきたテーブルのスナック菓子をつまみ、そんなことを考えながら、炭酸の抜けた缶酎ハイで流し込む。そうして、この面々を呼んで宅飲みをするといつもこうなるな、とぼんやり思った。

正面に座る志村は、依然テーブルに突っ伏してぶつぶつと何かを言っていた。それを介抱する山田は、志村の近くに置かれているお菓子や缶を速やかにどけていて、彼は酔った志村の対処が本当によくわかっているなと感心する。

「おらあ! タカシも食ってばっかいないでなんか言えや! 俺の音楽は、しみったれた日本のヒットチャートをひっくり返せるかってんだ!」

不意に体を起こすなり、志村はそう喚き散らした。それを聞き、私の隣で黙々とカップ麺をすすっていた伊地知がその箸を止める。「No photos」でドラムを担当する彼は、やれやれといった様子で頭を掻き、小さく「重症だな」と呟いた。

「俺は、お前の音楽とその熱意に惚れて、一緒にバンドをやることを決めた。今でも、お前の音楽なら世界を変えられると思ってる。俺の目に狂いはなかったと思わせてくれよ」

伊地知はさらりと言い切り、志村を素っ頓狂な顔にさせたところで、ペットボトルの水を紙コップに注いだ。それを差し出し、志村をぴっと指差す。

「志村、これ飲んで落ち着け。うるさくて飯に集中できん」

言われるがまま、志村はコップを手に取って水を飲んだ。そうして一つ息を吐き、しばらくの後、「悪い、酔い覚めたわ」と静かに呟く。酔いやすく覚めやすいのが志村の特徴だ。だからこれも、ある意味いつも通りの光景だった。

「すまん、ちょっと一服」

志村は言って立ち上がり、部屋の外へ出て行った。その足取りには不思議とおかしなところはなく、今まで酔いは演技なのではないか、と半分疑ってしまうほどだった。

「まったく、勝手な奴」

志村がいなくなると、伊地知はまた麺をすすり始め、山田は眠くなってしまったのか、俯いて肩を揺らしていた。これもいつも通りの光景だ。志村の介抱に疲れて眠ってしまう山田と、割り勘であるのを良いことに食い意地を張る伊地知。

なんとなく私の家に集まり、宴もたけなわになると、私たちは決まってこうなるのだ。現在時刻は四時前。もう少しでお開きだな、と思った。

「私も、ちょっと外行って来るわ」

立ち上がってそう言うと、伊地知の腑抜けた返事が聞こえた。



私たちは同じ大学の軽音サークルに所属する友人同士で、出会ってから一年半近くが経つ。

志村とはサークルに入って間もなく行われた新歓で「好きなバンドが同じ」という理由で意気投合し、彼とバンドを組んでいる山田や伊地知とも、自然に親交を深めていった。今日のように、私の住むアパートに集まって飲み会をすることも、最近は昔より多くなっている。

「ごめんな、喚き散らして」

アパートの通路の柵に軽く肘を置き、煙を吐きながら、志村は静かに言った。その視線は、朝日がぼんやりと覗き始めた空に向けられており、彼の正確な表情は判断できなかった。

「酒癖悪いんだから、飲みすぎんなっつの」

「悪いな。お前らと集まると、どうも酒が進んじゃうんだよ」

「まったく、摂生を覚えなさいよ。あんな酔い方ばっかしてると、山ちゃんもタカシも愛想つかしちゃうよ」

私がぽつりと言うと、志村はこちらを向いた。

「大丈夫だよ、あいつらは。良いやつだし」

そう言って志村がにこりと笑うので、私は呆れてしまう。そうして、次飲んだ時もこの男は、悪酔いをするのだろうなと確信する。

「呆れた」

「ごめん、悪かったって。次からはちゃんと気をつけるから」

部屋のドアに寄りかかって座る私に目線を合わせ、志村はそう言った。それから、腰を屈めて私の頭にぽんと手を乗せ、タバコを咥えてゆっくりと立ち上がる。私は少しどきっとする。頭に乗った彼の手の感触が、思いのほか優しかったのだ。

「現実は甘くないなあ、まったくよ」

通路の柵に肘を置き、志村は相変わらずタバコを吸っていた。

私はタバコを吸わないので、彼の吸っている銘柄がなんなのか、よくわからない。だけれど、彼が疲れたときにタバコを吸うのだということは、なんとなくわかっていた。山田の話によれば志村は、歌詞が浮かんで来ない時、決まってタバコを吸うのだという。煙と一緒に、鬱憤も吐き出そうとしているのかもしれない。私は勝手に、そう解釈している。

持っていた缶を傾け、缶酎ハイを飲み干した。レモン風味のアルコール飲料が、喉から体に流れる。私がそこで「ごめんよ肝臓」と思った。最近は飲み会が多いから、肝臓には相当な負担を強いているような気がする。

志村が煙を吐く。タバコ特有の鼻をつくにおいがした。

「タバコ臭かったら、戻っててもかまわねえよ」

「別に気い使わなくていいって。私、副流煙吸いたいし」

「なんだよそれ」

「なんだっていいじゃん、別に」

回っていない頭でそう返事をすると、志村はまた、視線を空に戻した。白んだ空にはかすかに太陽が覗き、いよいよ夜明けの空気が漂っている。まぶたが重い。頭がふわふわする。徹夜をしたツケだ。

「なあ苑子」

「何?」

「お前、音楽やってて楽しいか?」

視線を空から移さないまま、志村は私にそう問いかけた。それを受け、答えを探し、その間、私は無意識に空き缶を握り潰していて、それに自分でも驚く。

「志村は?」

「質問を質問で返すかね? 俺は楽しいよ。楽しくなかったら、こんな非生産的なこと、やんねえよ」

そう言って志村は、ふっと煙を吐いた。そうして手元の35缶に、とんとんと灰を落とす。そこでまた、もわっとタバコのにおいが立ち込めた。そのにおいが、鼻を刺す。私は思わず鼻をつまんだ。

「苑子、俺らが元々四人組だったのって、覚えてるか?」

「覚えてるよ。もう遥か昔の話だけど」

「たかが一年半前の話だろ? 最近の話だよ」

「されど一年半前の話だよ。遥か昔の話だって」

遥か昔、もとい最近、南と西という二人のメンバーが、志村のバンドにいた。しかしその彼らは、志村や伊地知とそりが合わず、わずか数週間で脱退した。それ以降「No photos」は、志村、伊地知、そして脱退にあたって加入した山田による、スリーピースバンドになったのだった。

「最近、ツインギターもいいなって思うんだよ。あと、女性ボーカルのコーラスも欲しい。音に厚みが欲しいんだ」

志村はタバコを35缶に捨て、こちらを向いた。その顔は私の答えを待っているようで、戸惑う。私はすでに潰れた缶を、強く握った。尖ったアルミが、指に食い込む感覚がする。

「じゃあ、南君に土下座したら良いんじゃない? 女性ボーカルは、うちのバンドの麗を貸すよ」

もう一度空き缶を強く握り、俯きながら、私はそう答えた。否、答えてしまった。正直になれない。「私がギター弾いてコーラスもやってるよ」と言いたいのに、そうは答えられなかった。私は視線を落とし、少し湿ったコンクリートをじっと見つめる。

「つれねえな」

志村はドアノブに手をかけた。そこで私は立ち上がり、ドアから通路の柵へ、座る場所を変えた。志村は何も言わず、私の部屋へ戻っていく。志村の開けたドアが閉まる音は、思いのほか大きかった。

志村が戻った後、私は一人、志村がそうしたように柵に寄りかかり、思考を放棄してぼんやりと空を眺めた。空の隅で出番を伺う太陽はうじうじとして、なかなか顔を出してはくれない。夜明けを待つ空は相変わらず白んでいて、あたりは依然薄暗かった。

ふと、携帯を確認する。今日の練習は何時からだっけ、とメールボックスを開く。そこに表示されたバンドメンバーの葵からのメールによれば、「午後一時スタジオ集合」とのことだった。今日の練習は一ヶ月ぶりでそれなりに重要ではあるのだが、その前日の夜から、徹夜をしている。私は自らを不躾であると卑下し、携帯をポケットにしまった。それから、午後一時かとげんなりする。私は一体、あと何時間寝られるのだろうか。

私の頭の中に、「午後一時」という言葉の語感が重くのしかかる。

早いな、と思う。もう少し寝かせてくれ、とも思った。

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