第六話:廃農園での戦い
ビズリーの廃農園の入口に俺は立っていた。
農園だけに遮る建物は少なく、でたらめに生えた雑草が見渡す限り続いている。
廃業する前の農園だったなら、短く刈られた草を食む牛がいるのどかな光景だったはずだ。だが、今は荒れ地となっていた。
風が静かに吹いて草のこすれる音が聞こえるのみ。静かなところだ。
横にはナミが耳をすまして周囲に注意を払っている。
ナミの耳は遠くの小声でも聞こえる能力を持っているため、耳をピンと伸ばし、辺りを注意深く見回していた。
「あそこの小屋から男の声が聞こえるど。男は何か叫んでいるみたい。内容はわからないけど、混乱してるっぽいよ」
そう言いながら、ナミは廃農園の中央にある小屋の方を指差した。
「そうか、さすがだな。俺には何も聞こえてこないが……」
「えへへ、あたいの聴力を舐めないでおくれ。獣人の中でも兎人族の長耳は特別いいんだど」
自慢の耳を褒めてやると、フニュっと破顔したナミは、俺に片目をつぶって見せた。
俺には聞こえないが、確実にナミは遠くの音を聞き取っている。
このナミの能力には、これまで何度も助けられている。
ポンポンとナミの頭を叩いてやると、目を細めたナミはふんぞり返って大きな胸を張った。
「そうだど。いつも助けているんだからもう少し報酬も多くして欲しいど」
「この件が片付いたら、アンダルシアで好きなだけ食わしてやる」
「ホントな! 約束だど!」
あいかわらず、食い意地が張ってやがる。
俺は、ナミの肩をポンと叩き、顔を見合わせてお互いの無事を願った。
農園はすでに作物はなく、雑草が生えて荒れ放題で柵もところどころ朽ちて倒れていた。もともと住んでいた者が死んだか、借金が返せなくなって逃げたかどちらかだろう。
見通しの良い場所に、朽ち始めた小屋。
ジョーがこの空き家をねぐらに使っているのも、この場所が見渡す限り視界をさえぎるような物がないからだろう。
「ナミは、ここで待っていてくれ。俺だけで行く」
こいつには、やってもらわなければならない役目がある。
どんな小さな物音でも聞き漏らすことのないナミには、遠くで監視や援護をしてもらう。
「わかった。兄貴のことだから心配はしないけど、何かあったら助けるど」
「頼んだ。不容易に近づくな。どんなヤツがいるのかわからんからな」
そう答えると、ナミは近くの木の裏に隠れた。器用に耳だけ出している。
後ろから見たらどんな格好になっているのか気になるが、今はそれどころではない。
小屋に向かってしばらく歩く。特に周囲を警戒していたが、雑草もせいぜい膝までの高さしかないため人が隠れられる遮蔽物はない。
相手からこちらが丸見えなように、こちらからも相手が丸見えだ。条件は同じ。
俺は、一気に小屋まで走った。
確かに、小屋の中には人がいるようだ。俺は、ズボンから剣を取り出しておく。
東地区で絡んできた男たちはジョーに恐怖を感じていたようだった。
どれほどの強さの男なのかわからない。慎重になるのに越したことはない。
ソロでダンジョンに入ることを思えば、そこまで慎重になる必要はないのかもしれないが用心するに越したことがない。
俺は軽く息をはいて気を落ち着かせた。
小屋の窓ガラスは白茶色に変色していて、室内を確認することができない。
そのまま入口の方に回る。耳をすますと、中から男のすすり泣きが聞こえてきた。泣いてるのか?
俺は、入口に手を掛けると、一気に開き中へ飛び込んだ。
そこには、東地区で果物を道路にぶちまけていたレオンがいた。
その腕には、レオンの女を抱いている。
レオンは俺がいきなりドアを開けたため、一瞬目を丸くして驚くとマリンをかばうようにして俺に背を向けた。
「何をしている?」
「…… マ、マリンが何者かに…… 」
レオンは涙を流して、必死に彼女を揺さぶり、ひたいに手をやり、頬をさすっている。
俺は、ちょっと見せてみろとレオンの傍に行くとマリンの手首をとって血液が流れるときに脈打つ場所に手を当てた。
「血管が脈打っている。大丈夫だ、気を失っているだけのようだ。外傷はないのか?」
「はい、おそらく。血が出ているところもアザもありません」
「よし、無理に揺すらずに静かに寝かせておけ」
短く返事をしたレオンは、抱き上げていたマリンを床の上に仰向けにし、衣服を整えた。
どんな時でも女に対して丁寧に扱うことができている男のようだ。
「なぜこの小屋にお前たちがいるんだ。他に男はいなかったか?」
「実は、昨日の夜遅くに男が訪ねてきて、昼前にこの小屋にマリンを派遣して欲しいと…… 仕事の依頼でした」
涙を袖口で拭ったレオンは、心配そうにマリンの首筋に手を当てて言った。
男が訪ねてきたということは、ジョーか。しかしなぜだ?
「娼婦は自室でするのが決まりなのではないのか?」
「いえ、時々ですがお金持ちの方からは、お客さんの自宅に女を派遣して欲しいと言う依頼はあるのです」
金持ちなら奴隷の中でも見てくれのよさそうな女を囲っていることが多い。
だが、奴隷は高価だ。大金持ちでない限りは、性処理に娼婦を呼ぶことは確かにある。
「それがなぜ、こんなことになっているんだ?」
「二人でこの小屋にきて、マリンだけが小屋に入ったのです。わたしはそこの柵のところで待っていました」
「小屋には誰かいたのか?」
「いえ、わかりません。ただ、昼前になってもマリンが出てこないので、気になって入ってみたのです。そうしたら、マリンが倒れていて……。そうしたらあなたがここに来たってわけです」
レオンとマリンがこの小屋におびき出された。なんのためだ。ここがジョーのアジトなら、真っ先にレオンを始末してマリンを自分の女にしようとするだろう。
だが、マリンを眠らせレオンは無傷だ。
俺は、起こっている状況が理解できずに、しばらく考え込んだ。ジョーは何がしたいんだ。
その時、空気が大きく振動した。棚にあった皿がカチャカチャと音を立て、窓ガラスが振動して音を鳴らす。
レオンが耳に手を当てている。空気の振動がさらに大きくなって耳の奥がツンと鈍痛が走った。
俺は、地揺らしを想定したが、建物が震える音の中に、わずかに詠唱の声が聞こえた。
重力魔法だ!
俺たちを小屋ごと押しつぶそうとしている、と思った瞬間に詠唱が止まった。
「レオン、マリンを連れてすぐに出ろ。ここは危ない! 早く!」
「はい」
レオンはマリンを抱き上げ、俺の後ろをついて小屋を出た。
重力魔法を使えるということは上級魔術師だ。術の途中で止まったのはナミが対処してくれたからだろう。
どんな小声でも詠唱が聞こえたら、ナミの弓が魔術師を射殺すはずだ。
そのために、遠くに隠れさせていた。
ナミがいた木をチラッと見たがすでに姿がない。さすが早い、隠れたのか。
農園の柵の前で、腕を押さえて膝をついている男がいた。
黒いフード付きのローブを着ている。
顔は見えないが、刺さった矢を抜いたのか血が腕を伝って指先から滴り落ちている。
ローブを纏った男の後ろから、一人の男が現れた。手を叩き、満面の笑みを浮かべている。気色の悪さは、目が笑っていないからだと気付いたとき男は言った。
「潰されずに逃げたのは、さすがセイヤ・サルバトーレ。だが、お前はこの場で死ぬんだな!」
俺のことを知っているようだが、見覚えのない男だ。
この男に恨まれているのは顔を見たらわかる。笑ってはいるが、殺意が男から感じられた。ヤツの性格が悪いのが顔にありありと出ている。
「俺を殺す気のようだな。だが、お前は俺のことを知ってるようだが、俺はお前を知らない」
「ああ、よく知ってるとも。恨んでも恨みきれん、ここで死にやがれ!」
そう言うと、男は地面に魔法の呪文紙を叩きつけた。
すると、雑草まみれの大地があちらこちらで隆起していく。
おびただしい数の生気のない手が地面から出て、次に頭、そして上半身と、地面からおびただしい人間が湧き出てきた。
瞬く間に人の形をした何かが地面を覆い尽くした。
人の形をした何かは、腕をだらんとぶら下げているが、体のあちらこちらが蝕まれたように欠けているのが見えた。生ける屍だ。
「なるほど闇の力を手にしたのか。だがこんなレベルの低いモンスターなら束になってかかってきても俺は倒せないぞ」
「強がるな、ボケっ! この数のアンデッドを倒すのはいくらお前でも無理だろうよ。それにこっちには人質もいるだ」
男は高笑いして、後ろのローブ姿の野郎に手をあげて合図を送る。
腕に傷を負っていたはずの先ほどの魔術師がナミを後ろから羽交い締めにしている。
いつのまに? ナミの姿が見えないと思ったら捕まっていたのか。
だが、ナミもだてに俺の相棒をしているわけではない。
足をバタバタさせて抵抗しているフリをしているが、ナミに怯えた様子はない。
どの程度の魔術師か知らないが、俺ならいつでも倒せる。しばらくナミを抱きかかえていてもらおう。
なにせアンデッドがウジャウジャと湧いてきているのだ。
まずはそっちを片付けるとするか。
体のあちこちに土や草を付けたアンデッドが、三体同時に俺に襲いかかる。
手には剣を持っているが、錆び付いた泥だらけのうす汚い剣だ。
ところどころ、刃こぼれまで見える。
単調な動きのアンデッドも、何匹も固まって攻めてくると、さすがにやっかいだ。
疲れて倒れた頃に、この男は俺を殺そうとするだろう。
アンデッドが、それぞれ剣を振りかぶり俺めがけて一斉に駆けて来る。
アンデッドの攻めを左右に避けながら、確実に心臓部分に剣を突き立てる。
アンデッドの核は胸の中心にある。
三体同時に横に剣を払うと、一瞬の遅延もなくアンデッドの胸の位置で上下に切り離した。ボロボロの衣装のやつもいれば、防具を着たヤツもいる。アンデッドの皮膚はただれ、筋肉なんてないに等しいが、素早く剣を振り下ろして来る。
それを、剣でなぎ払い、突き、確実に仕留めていった。
次に襲ってくる敵も、その次も、その次の次も、胸の位置で滑らかに剣を振り、切断していく。
さらに、俺の前には、横に数百体のアンデッドが地面から這い出て来ると、そいつらもそれぞれ手に剣を持っていた。
一気に片付けるとするか……
俺は腰を落として、ズボンから剣鞘を横に構える。
この魔剣ガーリアンは刀身が見えない剣、しかも長さが自在に伸びる。そのことを知っている者はほとんどいない。
俺は、一気に横に薙ぐ。剣先は約500メルチは伸びているだろう。
ただの一閃でその場にいるアンデッドを胸の位置で上下に切り分けた。
アンデッドは、積み重なるように膝から崩れ落ち、胸から上が派手に音を立てて地面に叩きつけられている。
そして、倒れたアンデッドは黒い煙を吐きながら消滅していった。
その光景を見た男は、狼狽えて叫ぶ。
「…… な、なんだ、どうなっている! 」
男が慌てるのも無理はない。こいつには、俺が剣鞘を振るっただけに見えたはずだ。
「どうだ、一気にカタがついたぞ。まだやるか?」
「クッソ! …… お、女がどうなってもいいのか!」
魔術師が男にナミを渡すと、男は素早く腕をナミの首に回して締め上げた。
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長さの単位:1メルチ=1メートル
1/10メルチ=10センチ
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1/10ガメル(鉄貨)=10円
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