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第六話:名高き術


 血を流しすぎた。意識が徐々に薄れて行くのがわかる。すでに、手に力が入らない。

 俺の首に喰らい付いた頭を両手で掴み離そうとするが、噛み付かれた激痛で、思い切って離す事ができない。

 俺は、なんとか噛み付いた顎を開けさせようと、両手で女の耳下の窪みに指を突き刺すと一気に下に引いた。

 ガコッ! という音と共に顎が外れ、大きく口を開いた状態の頭が床に転がる。


「くっ……痛えな!」


 俺は頭に血が上り、噛みついた頭を蹴り上げると天井に激しくぶつかったあと、床に叩きつけられ二回弾んだ。

 上を向いた女の顔は、ベッドの上で倒れていた赤い髪の女ではなかった。目は窪み落ち、頬はこけ、髪はまだらに禿げている。まだ二十歳ほどの年齢だと思った女は、今は首から上のミイラとなっていた。

 屍人(ゾンビ)か? 確かに若い女だったはず。どこかで入れ替わったとは思えない……幻覚を見せられていたのか……

 

「どうなってやがる」


 俺は独り言ち、転がる頭の髪を掴み持ち上げた。口は限界まで開いて、口角から血が滴り落ちる。それを見た俺は、噛まれた首に強烈な鈍痛が襲い膝を折る。倒れるわけにはいかない。

 俺は、片膝を床に着いた状態で、必死に右手を壁に押し当て体を支えた。

 寝転がりたい気分だが、まだ犯人がいる可能性はある。一度寝転がると起き上がれなくなるだろう。もし、敵が襲ってきたら、勝ち目はない。

 俺は、階段の踊り場から一階を見たが、自警団の応援部隊は来ていなかった。

《あいつら戻りが遅いな》


 残る力を振り絞り、立ち上がると壁にもたれかかり、ポケットからハイポーションの瓶を取り出した。

 綺麗な琥珀色の液体は呪文紙の明かりを受けて、光輝き、ガラスを通った光が、束となり壁を照らす。

 体力は回復したが、首の怪我は治らない。ハイポーションでも傷は癒えない。だが、今自分の皮膚を縫い合わせることはできなかった。何しろ首だ、見る事ができない。

 ポケットから布を取り出すと首筋に当て、首から流れ出る血を止めるために圧迫する。

 喉仏の左横の肉が削がれているようだ。熱い痛みが心臓の鼓動に合わせて、脈打つのが感じられた。

 俺は、遠のく意識の中で複数の足音が聞こえて来た。自警団の応援が来たか……

 《俺のことはいいから、犯人を探せ》

 あまりの激痛に声を出す事ができなかった。そして、血が失われていくのを感じながら何も考える事ができなくなった。



 額に冷たいものを置かれた感触があり、俺の意識は覚醒した。生きているのか……


「目が覚めたみたいね。あなたって強いって聞いていたけど、大した事ないのね」


 奥様は、俺の額に手を当てたまま、ニコリと微笑む。この女の膝枕だと気づいた俺は、しばらく状況が掴めないでいた。

 女の足の温もりが首の後ろを癒してくれる。ここはどこだ……

 目だけを動かし、周囲を確認する。まだ、廃墟の中だ。いくつかの足音が聞こえる。


「……なぜ、ここへ来た。助けてくれたのか」


 俺は、上体を起こすと奥様に聞いた。


「別に、助けに来たわけじゃないわ。あなたが戻らないから探しに来たの。そろそろ眠る時間だわ」


 女は、ウフッと笑うと立ち上がり、メリーに何やら耳打ちをした。

 俺は、首の傷を確認するために触って見たが、傷がなくなっていた。回復魔法を誰かがかけたのだ。

 油断していたとはいえ、死を覚悟するほどやられるとは思いもしなかった。

 たとえ、相手が女でも油断してはいけなかった。


 俺は、立ち上がると首と肩を回して体の動きを確認した。体の動きに問題ない。もう一度、首筋を撫でてみるが傷跡は跡形もなかった。

 ふと、下を見ると女たちが一階に下りたところで、俺を待っていた。


 一階に下りた俺は、周囲を確認したが自警団はすでにいなかった。

 カウンター裏の小部屋を覗くと、すでに倒れていた隊員もいない。

 引き上げたのか……それにしても早い。俺がどれくらい眠っていたのかわからないが、現場の確認まで終わらせたということか。


「サルバトーレ様、こちらへ」


 メリーに宿へ戻るよう促したが、犯人を探す必要があったため、少し見て回ると告げた。メリーは、気をつけてと一言残し、お辞儀をしてから廃墟を出た。

 見た目はおどおどしていそうなおとなしそうな召使い(メイド)だが、意外と淡々と事務的に事を進める女だ。


 結局、その日は犯人につながる情報はなかった。

 俺は廃墟を出て俺たちが宿泊している宿屋へと向かった。

 今回は、奇跡的に命が助かった。今までも瀕死の重傷を負ったことがあるが、今日ほど悔しかったことはない。

 完全に女を前に油断していた自分を恥じた。見た目が女なら警戒を解いてしまう自分の弱さを、痛いほど思い知った。



 宿に戻ると、宿屋の主人が助かってよかったですと声をかけてきた。俺もそう思う。だが、屈辱的な気持ちがぶり返すため、そこに触れないで欲しい。

 部屋に入ると、下着姿の女二人が酒を飲んでいた。立ち上がったメリーは水色の上下の下着、ソファに横座りしている奥様は真っ赤な上下だ。やっと戻ってきたと奥様は舌なめずりをする。


「さっきは、怪我を治してくれて助かった」


 奥様は、俺が礼を言うと、フンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。手間をかけさせやがって、と言わんばかりだ。この屈辱的な気持ちは久しぶりだった。


 二年前、スティーンハン国を捨て、カールトン国に入った時、魔族の村でマーリンと出会った。

 その頃、俺は氷竜(アイスドラゴン)を倒したものの、愛する女をこの戦いで失った。彼女を守れなかった自分が許せなくて、スティーンハン国王からの勇者の称号の授与を断った。

 傷心の俺は、魔族の村で官能的で美しいマーリンに出会った。なぜか、マーリンは俺を気に入った。

 マーリンは泊まるところがないのなら、うちに泊まりなよと声をかけてくれた。それから三月ほどマーリンの家に寝泊まりし、女の扱い方、守り方を教えられた。マーリンは、俺を性奴隷のごとく夜伽(よとぎ)をさせながらも、一つ一つ性技を教えてくれた。

 今まで女に対して、男と同じように扱うことが女を尊重することだと考え、女だからと特別扱いして優しくしてやることは恥だと考えていた。だが、マーリンはそれが間違いだと気づかせてくれた。

 また、自己中心的な性行為をしてきたことを痛いほど思い知らされ、徹底的に叩きのめされた。

 女のことを俺は、何一つわかってはいなかった。

 マーリンは、女の気持ちがわからない男はダメ、男は女を幸せにしなければ男に生まれてきた価値はないと、繰り返し教えてきた。俺の力、技は女のためにあるのだと……


「ぼんやりして、どうしたの? いつまでそこに突っ立っているのかしら」


 女の言葉で現実に引き戻された。

 俺は、つい弱気になり過去を思い出してしまったようだ。


 奥様は、酒の入ったカップをテーブルに置くと、皿にある葡萄を一粒つまみ口に入れた。艶かしいと形容するしかないほど妖艶な女の口元に目が釘付けになった。

 メリーが、俺の腕を取りソファに誘う。


「あなた、首を噛まれたと思ってるんでしょう?」

「ああ、女に首を噛み切られるところだった…… ん? どういうことだ?」


 奥様は、葡萄を一粒摘み上げると俺の口元に押し付けた。俺が口を開けると、葡萄を舌の上に乗せるようにそっと押し込む。女の人差し指が、俺の唇を撫でると、ツーと下に滑り、顎先を通って喉元で離れた。


「あなたは階段の踊り場で、壁に持たれたまま意識を失っていたわ。でも、あなたは怪我なんてしていなかった。確かに首から血を流していたわ。でも、この子が首を拭いたら傷はなかった……」


 俺がメリーの方を見ると、そばで立っていたメリーは、頷いた。


「傷がなかった? …… なぜだ?」

「知らないわよ。あなたが、うわ言のように噛まれた、首を噛まれたって、泣くように私に言ったの。私は、あなたの傷なんて治していないわ。ただ、膝枕をしてあなたを落ち着かせてあげただけよ」


 俺は、女に噛み付かれ、死に物狂いで首を切り落とし顎を外して難を逃れたはずだ。あの焼けるような痛みが幻覚や妄想では、決してない。

 だが、確かに不審な点もあった。あの部屋に入る前に、香りがした。連れ去られた女の香りだと思って気に求めていなかったが…… あの時か?


「何か思い出したようね。もういいかしら……そろそろお風呂に入りたいの」

「先に入っていてくれ。俺は安全を確認してから入る」


 奥様が回復魔法で傷を治してくれたとばかり思っていたが、そうではなかった。だが、幻視を見せられていたとして首から血が出ていたというのはどういうことだ。わからない、わからないが、どちらにしても俺の油断が招いた結果だ。

 俺は、窓の木扉を閉めて鍵をかけ、入口のドアを施錠した後、脱衣場に行く。小さく畳まれた下着が二組、棚の上に置かれていた。赤と水色。ドロワーズではなくショーツという布面積が少ない下着は、最近王都の方で流行っているのだとキャサリンが言っていたのを思い出す。

 つい、弱気になって情婦のことを思い出してしまったようだ。俺は、気合いを入れるため頬を手のひらで数回叩くと浴室へと入った。



 ベッドから抜け出し、俺は煙管に火をつけて深く煙を吸った。胸いっぱいに吸い込むと、ゆっくりと吐き出す。白い煙は渦のように左右に回転しながら、霧散していく。

 気が滅入っている。俺の心が晴れない理由。それは、首の傷だ。

 俺は、カップの酒を一気に(あお)り、煙管の火玉を葡萄が盛られていた皿に落とす。微かにジュッと音がする。


 精神に入り込み幻視を見せる暗黒魔法……「名高き術(アルス・ノトリア)」を使える魔術師が、この大陸にいるとは思えない。思い当たるのは……ヴァンパイア。

 ヴァンパイアなら上位暗黒魔法を使うのもわかる。闇の神々の寵愛を受けた古代種族。魔族と同格、それ以上の存在。生者の生き血を吸い、吸われたものは眷属となるといわれている。

 俺は、ヴァンパイアに噛まれた可能性がある。幻覚を見せられ首を噛まれたと思っていたが、実際に噛まれていたとしたら、首筋の血は説明がつく。


 俺は、ポケットから一本の小さな小瓶を取り出した。『状態回復ポーション』だ。あらゆる自分の状態を正常な状態に戻すことができる。非常に高価なため、普段使うことはない。

 手のひらに収まるほどの小瓶は、赤い光を放っていた。城が建つほどの金が必要だと言われる最高ランクの状態回復ポーションを、惜しげもなく一気に飲み干した。

 眷属化を避けるには、この方法が一番手っ取り早い。


 しばらくすると、体の中の血管という血管が脈打つのを感じた。体全体が熱を帯び、呼吸が苦しくなる。だが、徐々に脈動は落ち着き、呼吸が楽になっていった。

 やはりヴァンパイアに噛まれていたか……

 

<つづく>


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