最終章 幸せ者の後悔
「佐藤さんですか? 佐藤さんなら、文化祭が終わってすぐに転校しましたけど……。
えっ!? 先輩、聞いてなかったんですか!? てっきり、仲良かったから聞いてるとばかり思ってました」
文化祭が終わった次の週、俺ときよみんが当番のはずの昼休みに図書室に来てみるとそこには別の後輩がいてそんなことを言われた。
思わず声を出して驚いてしまった。
あまりにも急過ぎるし、なんの別れも告げていなかったのがあとになって悔やまれた。
話によると、きよみんは文化祭二日目に学校を休み翌日の学校にギプスをはめた右手を下げて登校してきたらしい。
本人は階段から落ちて右手の手首と小指の付け根を骨折したと言っていたらしいが、俺はあの時俺の顔を殴ったのが原因だとすぐに気がついた。
そしてその日唐突に転校することをクラスに告げて翌日からはもう学校に来なかったらしい。
クラスメイトからしても急過ぎる別れだったのだ。
心の中がモヤモヤする。
きよみんからは色んなことを教えてもらったし、俺の人生を語る上で絶対に欠かせない人物の一人だ。
だからこそ最後にきちんと謝罪してしっかりと別れを告げたかった。
俺はきよみんの連絡先を知らない。
だからネットが発達したこのご時世でも俺はきよみんとコンタクトを取ることはできないのだ。
とてももどかしい。
俺はきよみんとの唐突な別れに未だにモヤモヤした気持ちが晴れないまま、その夜は上手く寝付けずにベッドの中でスマホをいじっていた。
何気なくTwitterのダイレクトメッセージ欄を開くと、キキというフォロワーと先週やりとりした文面が表示された。
そういえば彼女(?)はちゃんと想い人に想いを告げることが出来たのだろうか?
あれから一切連絡が途絶えているのが気になるが、まあこちらから再びメッセージを送る必要もないだろう。
俺は画面をスクロールし、キキとのやりとりを何気なく眺めていると気になる会話が目に留まった。
スマホを操作する指も、思わず停止してしまう。
【秋茄子】
確かにそういうアクションを起こせば、めったに今まで通りの関係を続けることは出来ないと思うけど、やっぱり後悔すると思うんだ。
【秋茄子】
男なんて星の数ほどいるんだし、こんなとこでクヨクヨしてるなんて勿体無いだろ。
高一なんてまだまだこれからじゃないか。これを機に恋愛に慣れちまえよ
『秋茄子』というのは俺のハンドルネームだ。
Twitterのアカウントを作った日の夜に俺の嫌いな茄子が食卓に出たから当てつけのようにハンドルネームにしただけだ。
とまあそんなことはどうでもいい。
問題は俺が発信したこの文面。
日付を見るとちょうど一週間前、先週の水曜日になっている。
しかし俺はこの文言をつい最近聞いた気がする。
俺はそれを思い出そうとすると、するりと一つの記憶が脳裏に蘇った。
そう。
あの時だ。
きよみんが俺をぶん殴ったあの時、確かこの文面と同じ事を言っていた気がする。
そしてその時、きよみんはその言葉を友達から聞いたと言っていた。
でもよく考えてみたら、きよみんには友達と呼べる友達がいなかったはずだ。
もしかして。
そう思うと変な妄想が止まらなくなる。
根拠のない思考が頭に溢れ、変な自信が湧いてきた。
こうなると俺の行動は早い。
俺はスマホを操作して、キキになんの脈絡もない文章を送ることにする。
まあ違ったら違ったで誤魔化せばいいからな。
【秋茄子】
きよみん?
結構、緊張する。
まるで好きな相手に告白するメールを送るみたいな妙な緊張が、スマホを操作する指先を震えさせる。
【キキ】
?
思っていたよりも早く返信がきた。
どうやら俺の想像は外れたらしい。
まあ当たり前か。
【秋茄子】
あ、ごめん。送る相手間違えたw
【キキ】
なるほど(笑)そういうことよくありますよね。
【キキ】
ああそうだ、ちょうどいいから秋茄子さんにご挨拶しておきます。
【秋茄子】
ん? どうしたの?
【キキ】
実は、ちょっとネット上でトラブルに巻き込まれてしまいまして……。
【キキ】
私、このアカウント削除することしました。
多分もうTwitterは使わないと思うので、お別れのご挨拶をと思いまして!
【秋茄子】
えっ!? 唐突だね。
【秋茄子】
まあ、でもそっか。
それなら仕方ないよね。
ちょっと寂しいけど
【キキ】
そんな寂しがらないでください(笑)。
【キキ】
気が向いたらまた帰ってくるかもしれませんし、その時はまた色々とお世話になるかもしれませんので、よろしくお願いしますね
俺はTwitterを始めて結構長い。
定期的に絡むフォロワーもいるし、時折相談に乗るフォロワーもいる。
もちろん今までキキのように唐突にネットを去ったフォロワーも何人もいた。
だから慣れっこだ。
しかしネット上の別れというのは、現実の別れよりも寂しいものだ。
ネット越しの相手は素性が分からない。
だから別れてしまえばもう完全にコンタクトを取ることは出来なくなってしまうのだから。
…………、って、今の俺ときよみんも変わらないか。
【秋茄子】
いやーでもやっぱり寂しいわぁ。絶対また戻ってきてよ!
【秋茄子】
キキちゃんだって、俺と話せないと寂しいでしょ?
あ、ついきよみんと絡むノリでメッセージを送ってしまった。
ちょっと恥ずかしいな。
【キキ】
えぇ~(笑)。たしかに寂しいですけど、秋茄子さんなら大丈夫ですよ。
彼女さんとお幸せにしててください
おおよかった。
なんか、このノリでもいける人みたいだな。
お別れが少しだけ寂しくなる。
【秋茄子】
あっれー? 俺最初に恋愛経験皆無って言ったはずなんだけどな~~~~
【キキ】
あ、まだ彼女さんいなかったんですか。
てっきりもう誰かと付き合ってるのかと思いましたよ。
【秋茄子】
ないない。だから今のうちだよ?
【秋茄子】
アカウントを消す前に、愛の告白があるなら聞くけど?
うわぁ、流石に悪ノリしすぎたな。
昔ネット恋愛に逃げた時みたいだ。
気持ち悪い。
【キキ】
バカ言わないでください。
私が先輩に告白するなんて百万年経ってもあり得ませんから。
…………………………………………………………………………。
俺の思考が停止した。
それと同時に俺の中で大変な焦りが湧いて出てきた。
早く、早くなにかを言わなければいけない。
何かを打って早く会話を続けなければ。
しかし一文字目を打ち込んだところで、もうそれが遅かったことに気がつく。
俺の手の中で熱くなったスマホの画面には、たった一文が表示されていた。
このアカウントは、存在していません。
その後の話をしよう。
俺は凛奈に自分の気持ちは打ち明けなかった。
俺はすでに何度も彼女を傷つけてしまっているし、今なお俺に好意を抱いているのはあの田辺未来のせいだと分かったから。
時間が経って俺を忘れ、新たな幸せを掴んでくれることを祈りながら俺は遠くから見守ることにした。
結果的に俺と凛奈は卒業までまともに会話をしなかった。
元々クラスが違うこともあったが。
そして裕也とも俺はあれ以来まともに言葉を交わしていない。
というのも裕也は卒業間近までずっと入院していたからだ。
車椅子で受験会場に行って大学受験を成功させ、卒業式の日には松葉杖をつきながらスーツを着ていた。
その痛々しい姿を見るたびに、俺は目を背けてしまったのを今でも鮮明に覚えている。
卒業後はそれぞれ別の進路に進み、連絡を取り合うこともなくなった。
裕也は某難関大学の理工学部へ進学。
凛奈はアクセサリーデザイナーを目指して寮のある地方の短期大学へ進学。
俺は予定通り四年制の工業系大学の情報学部へ進学した。
各々違う道へと進み、その先では互いに知る由もない新たな出逢いを当たり前のように果たしていった。
田辺未来もあの公園以来一切姿を見せなくなった。
まあでも一つ前に見た時は小学校高学年くらいのときだったから、俺が社会人になってからまたひょっこりと現れないとも限らないが。
そしてきよみんとは、未だに連絡手段がない。
あのキキというハンドルネームのフォロワーは間違いなくきよみんだったみたいだが、すでにアカウントは削除されていて今もなお復帰したという連絡はない。
だが俺はそれでもただ待ち続けている。
彼女とは話したいことが山のようにあるから。
唯一の『理解者』になってくれたことに対する感謝に、不甲斐ない俺のせいで右手を骨折させてしまったことへの謝罪とか色々。
そして未だに俺の部屋の本棚に並んでいる、二冊のライトノベルをちゃんとこの手で返すために。
以上が、田辺良悟という男の全てである。
自分で張った変な意地で自縄自縛に陥り、恋愛に対して極めて奥手で何か困難が立ちふさがればすぐに言い訳をして自らの情けなさを正当化する。
実に見ていて不愉快で救いようのない男だと、読者諸君も感じたことだろう。
だがしかし、こういった恋愛価値観は確かに存在するのだ。
彼氏彼女が欲しいなら好きな人を作って告白して付き合えばいいじゃないか。
そう言ってきた知人が何人もいた。
しかし、そうではないのだ。
田辺良悟にとって恋愛は、一時の幸福感を満たすためだけの娯楽ではない。
命を賭して、その後の一生を費やして成し遂げるべきものなのだ。
だが世の大半の人間はそうは思っていない。
好きになったら付き合って、デートをして、セックスをして、嫌いになったら別れて、また新しい人を見つけて……。
田辺良悟にとって、恋愛とはそんな軽々しいものではない。
たとえ異性を好きになっても、告白して成功する確率はどれくらいあるのだろうか?
そもそも自分なんかを相手にしてくれるのだろうか?
もし付き合ったとして、デートはどこにすればいいんだ?
自分に気の利いた話はできるのか?
自分の行動が、相手を不幸にしてしまわないか?
自分以外の男を好きになってしまわないか?
飽きられてしまわないか?
捨てられてしまわないか?
そんなどうしようもない不安で常に胸がいっぱいなのだ。
だからそれを正当化するために、彼は様々な言い訳で心に強固な要塞を築く。
よってもう彼はたとえ恋をしようとも、自分から積極的になることはないだろう。
なぜなら、怖いからだ。
相手に拒絶されたらどうする?
それで今の関係が瓦解してしまったらどうする?
そんな恐怖が、田辺の心を掴んで離さない。
やってみなきゃ分からないだろ?
そう言われたことも多々ある。
だがそれは「次がある」と考えてる人間の言葉だ。
田辺良悟にとって、恋愛に次はないのだ。
告白したその瞬間に全てが決まり、そして全てが終わるのだから。
おそらく田辺良悟がもし誰かと結ばれることがあるとすれば、それは相手から強い好意を寄せられたときだろう。
相手から求められ、相手から愛され、相手から依存されることが出来れば、田辺はそれを言い訳にできる。
その瞬間だけ、今までの自分の言葉を払拭することができるのだ。
だから田辺良悟は今も待ち続けている。
恋心を抱いたあの子が、自分を愛してくれるのを。
完