3.真夜中の神社
叶恵先輩と途中で合流して、急な坂道を十分近くかけて、ようやく上りきる。息を整えながら、寮の方を見てみると、ところどころ光の灯った部屋があるもののほとんどの部屋から明かりが消えていた。さすがに暗部の部活動として幾度とこの坂を上ってきただけあって先輩は始終軽い足取りで登っていた。肩で息をしている自分が、何だか無性に腹立たしくなった。
坂の終着点には、見慣れたはずの学校が、黒い靄に包まれてそこに鎮座していた。視界が霞む。パーカーの袖口で目をこする。何度目を瞬かせても、視界に変化が訪れることはない。こんな奇妙な姿をした学校を見るのはこれで二度目だ。こんな奇妙な姿をした学校を見るのはこれで二度目だ。一度目は二日前。先輩とあったその日の夜に、引きづられるようにしてこの光景を見た。あの時は、ふてくされながら、片耳外したイヤホンからガンガンと音楽を漏らしながら、ただ促されるまま鈴を鳴らし続けていた。僕が耳をふさいでいただけなのだが、僕は暗部について、それが学校公認の正規部活動であることと、顧問が学長であること、それから風紀委員長が眼鏡をくいっと指で押し上げながら口にした「鈴を鳴らすだけの簡単なお仕事」であるということしか知らない。我ながらこのうさんくさい部活動の仮入部をほぼほぼ強制的とはいえ受け入れたなと感心する。
鍵のかかった正門を避けて、生垣とフェンスにそうように歩く。二人分の足音だけが鳴る。正直、ただ歩くだけで退屈だった。
「先輩、この靄なんなんですかねぇ?」
だから、僕は暇つぶしを兼ねて、先輩にいまさらな質問を振ってみた。
「ぶほっ、え、何。げほっ。や、変なとこ入った……君、すごく今更な話じゃないか。てっきり私は君がそのことを知っているのかとおもっていたよ。キミ、先週、まさか何も知らずに祓っていたのかい」
咳き込み、まごつく先輩は、鳩が豆鉄砲を食ったような表情とはまさにこのことを言うのだろう顔をしていた。予想外のオーバーリアクションに、すこしだけ引いたのはここだけの話だ。この靄について、誰一人として自分に説明してこないのは、部活の機密事項か何かだからだと思っていた。仮入部の僕に、離せないことの一つや二つあっても不思議はない。なんせ相手は七不思議にも登場するくらい摩訶不思議な部活動なのだ。だからすべて、暗部だからとか、機密事項だからとかで片づけられてしまうのかなと勝手に自己完結していた。
「まぁ」
「はぁ、君はずいぶんと面白い精神構造をしているわね。いいわ、一度しか説明しないから、よく聞きなさい。この狭間山はね、ちょっと特殊な山なの。はた迷惑な話なんだけど、瘴気とか妖気とかいわれる悪い気が、集まりやすい場所なのよ。もともと、そういう特殊な場所に学長が酔狂にも学校なんて建てたものだから、生徒や教師のストレスや妬み、恨み、嫉みなんて言う負の感情を飲み込んで、瘴気がパワーアップしてしまうのよ。私らみたいな素人でも、可視化できるほどにね」
悩ましげにため息をつく姿は年齢に似合わずたいそう色っぽい。残念ながら艶めいた唇から零れるのが恋人への睦言でなく、毒を吐きながら淡々とオカルト解説だ。自分で聞いておいて何だが、意外に面倒くさそうなわけがある靄に胡乱気な目を向ける。幻覚でもなんでもなくこの目で見えてしまっているのだから、受け入れざる得ない。正直、非科学的な単語がつらつらと出てきて、先輩といると自分の常識が、乳歯みたいにぐらついて今にもぽろりと落ちてしまいそうな不安定な気分を味わう。
「悪い気はそのままそこで生活する生物に影響を少なからず与えるものよ。特に思春期の私らは、精神的に危ういところがあるからね。気を付けないと飲まれるわ。この靄の毒気にあてられて、稀に警察沙汰があるみたいよ。妖気が満ちると学校が荒れるから、それを抑える役割として、表には風紀委員や生徒指導の先生がいるの」
やけに厳しい風紀委員長や、鬼という形容詞が似合いまくる西東の存在にも深い理由があったようだ。もしかしたら、そういう役を演じさせられているだけで本当はすごく優しかったりするのかもしれない。
「暗部って、大変そうですね」
「他人事みたいに言わないでよ。今は君も立派な部員じゃない」
「いえ、まだ仮入部ですし、正直入部するつもりこれっぽっちもありませんから。いい加減ウザったくなってきた入部勧誘をきっぱり断るための体験入部です。どうしてこう諦めが悪いんですか」
「深刻な部員不足なのよ。まったく、伏川くんも部活さぼらずに出てくれればいいのに」
二人して細く長い溜息をこぼす。何となしに、ぽっかりと月が浮かぶ空を見上げる。灰色がかった雲が流れていく。空は果たして本当につながっているのだろうか。学校とそうでない場所が同じ月の光を浴びているようには到底思えない毒々しい雰囲気に、息を詰める。
ようやく見えてきた裏門は正門に比べるとずいぶんとささやかなサイズだ。裏門の直線状に朱塗りの鳥居が木々と調和するようにそこにあった。
「神社?」
「えぇ、そうよ。そうね、千歳はまだ一年生よね。冬休みここで過ごす子とかは、餅つき大会があるから初詣にこの神社に来たりするのよ。あと、テストとか試合前とか神頼みしにくる子も意外にいるわ。あぁ、そういえば今月の末に、ここで茅の輪くぐりができるのよ」
いいことを思い出したという表情をしながら、先輩は鳥居を潜る。
鳥居の向こう側にそびえたつ大きな木。樹齢何百年といわれ、それがたとえ嘘であっても納得してしまうような存在感と年季があった。
真っ赤な鳥居をくぐる。雨に濡れた砂利が月の光を浴びてつやつやと光沢を放っている。灯篭の中に仕込まれた電飾が、ぼぉっと周囲を照らしている。境内の中には、ところどころ蛇の巻き付いた石や、木のうろに天然ものなのか、作られたものなのかはわからないが蛇のオブジェクトがある。灯篭の中に仕込まれた電飾が、ぼぉっと周囲を照らしている。境内と裏門の境にそびえたつ大きな大樹。大きな銀杏の木。樹齢何百年言われ、それがたとえ嘘であっても納得してしまうような存在感と年季があった。
「銀杏の木だよ。いろいろ怪談に使われてはいるものの、秋は本当に見事なものよ。特に月とのコントラストには大人たちが酒を飲みたくなる気持ちがわかるわ」
「未成年の飲酒は法律で禁止されていますよ、先輩。あ、そういえば、先輩。あのジャージ、ちゃんと持ち主の手に戻りましたよ」
「そう。それはよかった。いくら蒸し暑くなってきたといっても雨が降ると少し肌寒いし、体操服だけはきついものがあるものね」
「そうですね……先輩、全然、話が代わるんですけど、妖気があるならやっぱ妖怪みたいな化け物とかも出てきたりするんですか。しないですよね? さすがにそれは、想像の産物上でしか生きられない生き物ですよね?」
「千歳、非常に愉快なことに、この素敵に暗黒に満ちた気が集まりますと、魑魅っていうホラー映画よろしくとばかりに化け物が生まれやがります」
「え」
ふふふと、不気味地を這う笑い声と共に、変なテンションで先輩はとんでもない事実を暴露してくれやがった。先輩今完全に目が座っていましたよね。魑魅魍魎という感じで書くのが面倒くさそうな単語だなと思わず現実逃避に走る。どうせあと数日の付き合いなのだ。よほど運が悪くない限り、化け物になんか出会わないだろう。この知識も、すぐに無用の長物に代わり果てるはずだ。そう自分に言い聞かせることにした。
「魑魅はね、人の心をうまうまと食してくれちゃったり、人をばりばり食べたりしてくれちゃうモノなのよ。ちなみに、暗部では見つけ次第、即応援を呼び、総出で抹殺する対象となっているわ。まぁ、そうほいほい出てきちゃかなわないけどね」
「うげっ。そんなんでてきたらどう対処するんですか。まさか、それも僕らのお仕事ですか……もうやだ、帰りたい」
「何そこで本当に帰ろうとしているの。男でしょ、自分の言葉に責任を持ちなさい。まぁ、早々出てこないはずだから、安心なさい。まぁ……よほど、誰かの心が追い詰められたり、学校の風紀が悪くなっていたなら話が別だけど。年に数回あるかないかのイベントだから、万が一でも当たりを引いたら千歳は、よほど運が悪いってことね。でも、悪いことばかりじゃないのよ。魑魅を退治できれば、報酬は弾むもの」
軽くスキップしながら、先輩はリズミカルに鈴を鳴らす。そんな楽しげな先輩とは裏腹にすっと自分の血の気が下がっていくのを感じる。もしかしたら、当たりを引くかもしれない可能性に背筋がうすら寒くなり、そろりと先輩の目を盗んで帰ろうとくるりと回れ右をする。
「だから、帰ろうとするんじゃないわよっ」
脛に思いっきり蹴りを入れられ蹲る。ずきずきとした痛みと後味の悪いものを思い出し顔をしかめる。
「心が追い詰められるか、風紀が悪くなるって、虐めとかですか」
「そうね。それが多いわ。でも、振られたショックだとか、テストの点が悪かったとかそういうのでどん底まで沈む子もいるわよ。何、千歳。心当たりでもあるの?」
「えぇ、まぁ」
僕は、重たい口を開いて、先輩に立花さんの事の顛末をかいつまんで話した。それを聞いた先輩も急に、顔を青ざめさせ、真剣な表情になってどこかにメールを急いで送り始めた。先輩はもしもに備えての保険だと、笑って言ったが、その笑顔は引きつっていた。