1.美少女がやってきた
♦六月一〇日金曜日 仏滅
「「宿木千歳を出しなさい」
そう高飛車な物言いで、青いスカーフを胸元で巻いた一つ上の先輩から呼び出された。艶のある長い黒髪を肩に流し、すらりとした四肢を惜しげもなく男子高校生という餓えた獣たちのまえにさらす。特別目立つこともなくクラスの中に埋没していたはず僕が、複数の男子生徒と少数の女子の視線により浮き彫りにされる。困惑、戸惑い……そんな僕の内心を知らずに向けられる、数々の嫉妬の目。これだけ注目を浴びてしまえば、逃げられるはずもない。逃げたとしてもご丁寧に僕の居場所を情報提供しそうなやつが出てくるだろう。たとえば僕のルームメイトの宇野とか、宇野とか、宇野とか・・・・・・。
「僕が、宿木ですが、何か用ですか、先輩」
「単刀直入に言うわ。入部しなさい」
目の前に突き出される真っ白な入部届とボールペン。確かに僕はどの部活にもめんどくさいから入っていないし、これから先も入る気がない。そもそも目の前の常識をどこかに置いてきたような女子生徒の名前も知らないし、彼女の部活動も知らない。知らないけれど、部活動名を言われずに入部を強要するこの展開に入学してからここ数か月、嫌なことに非常に、覚えがある。
―――暗部。
奇妙な団体への勧誘。断っても断っても雑草のごとく、生えてくるこの勧誘元のボスが、学校内の最高権力者である学長であることも相まって、それを止めるような良識人は今のところいない。いつも通り、断ろうと唇を開きかけ、
「おい、千歳、琴吹先輩の誘いをまさか断るわけじゃないよな」
友人の宇野の言葉とそれに同調するように激しく首を縦に振るクラスメイトによって、閉じられる。学校のアイドル的存在である彼女のことは、僕も宇野から聞かされて知ってはいた。実物を見るのは初めてだった。早く名前を書けと催促する潤んだ大きな二対の黒い瞳。一年二組の教室全体が今までにない団結力をもって、断れない空気を作り出す。油切れを起こしたロボットのごとくぎこちない動きで受け取る用紙。そこに名前を、名前を……。
「あぁ、自己紹介が遅れたわ。私は二年一組の琴吹叶恵っていうの。よろしくね。千歳」
一年二組出席番号三〇番宿木千歳。先輩は、パーソナルデータが直筆で書かれたその紙をひったくるようにして受け取った。ダメ押しとばかりに僕の名前を呼び捨てにする。教室内に阿鼻叫喚が満ちる。先輩は喜色の顔色で、戦利品の確認をする。
「よろしくお願いします。琴吹叶恵先輩」
先輩の整った人形のような美しいかんばせがやられたとゆがむ。僕は、ほくそ笑むように口角をあげた。
仮入部届
一年二組三〇番宿木千歳
♦六月二十二日水曜日 仏滅
僕の学校には七不思議という奴がある。小学校の頃は当たり前のように身近に会った会談は中学、高校と上がっていくうちにどんどん薄れ、そもそも自分の学校に怪談があったのかさえ知らないものがほとんどだ。それは、学校という閉鎖された小さな世界に押し込められている時間より、睡眠時間が短くなったせいか、はたまたいつでも、どこでも、誰とでも繋がれる便利なネット社会の発達のせいかはわからない。少なくとも僕は通っていた中学校の怪談話なんて聞いたことがない。
だけど、今僕が通っている私立緑園高校には不思議と七不思議が満ち溢れている。いや、七というのはあくまで便宜的な数字だ。実際は両の手では数えきれないほど無数のパターンが存在している。王道のものから、邪道のものまで多種多様だ。山の中にある全寮制の高校。そんな陸の孤島をほうふつさせる密室じみた土地柄のせいか、それともスマホや携帯に使用制限が設けられているせいかもしれない。使用制限がなくとも山の中の成果場所によってつながらないこともある。とにかく、退屈で娯楽が少ないのだ。だから、暇な人間は藪をつつくのだ。
かくいうこの僕も、そんな一人なのかもしれない。学校の裏庭に神社がある成果、そういうオカルトじみた噂は発生しやすい。
「だから、マジなんだって。特別棟で人が消えるのを、見たってやつがいるんだよ」
げほげほっ。炭酸飲料をあおっていた時に、余りにも身に覚えがある話が宇野の口から飛び出し、思わず咳き込む。きらきらと輝かした目とわくわくとした声で語る宇野を一瞥し、頬をかく。この学校に満ち溢れる怪談話の裏話―――とある事情により偽物の七不思議の話をばらまく部活動がある―――なんて、宇野には言えない。口が軽いわけではないが、いまいち口の堅さを信用していない。
「だ、大丈夫か。千歳」
「はぁ……おぉ、もう大丈夫。お前本当にそういう怪談本当に好きだな。いったい、いつもどこから入手してくるんだ」
「ふふふ、じゃじゃーん。最近うちの学校、緑園高校七不思議っていうタグをつけてつぶやくのが流行ってるんだぜ。この学校、異常なほど階段であふれているから、今度新聞部で特集組もうとしているんだ。千歳も何かあったら教えてくれ。ネタの提供はいつでも歓迎だ」
「なぁ、なんでお前の携帯没収されてないんだ」
「これは、二号なのだよ。ふふふ、こんなこともあろうと、あらかじめダミーを先生に渡していたのさ。賢い奴は、あれよ、これよと手を尽くす。法の抜け道を探すのは娯楽の一つじゃ」
両腕からシップの目が痛くなる臭いに顔をしかめながら、腱鞘炎になりかけた腕を軽くさする。
「千歳、昨日はそんなんしてなかったよな。何やったんだ」
「いや、なにちょっとした、学校内活動のせいだ」
ただし、夜の学校内活動なのだが。
「は? どうせ、昨日、あの麗しの先輩とお話して舞い上がってヘマでもしたんじゃないのか。先輩に迷惑かけてないだろうな。なぁ! 先輩は、学校のアイドル。みんなの宝だぜ」
「いやいや、あの人そんな崇高なものじゃないって……むしろ、変人だ」
下の学年の教室のドアを迷わず躊躇わず開け放ち、声高々に人を呼びつけ、拉致った挙句、わけわからん部活動の入部届に名前を書けと脅す人が普通だなんて僕は認めない。絶対に認めない。指を強く握りこむ。あの人の心臓には毛でも生えているに違いない……という心の内を隠すようにあいまいに笑う。
「なんかいったか」
「いいや。そういえば、特別棟の一階から二階の階段の数が代わるっていうのは聞いたことがあるな。確か、一段多くなっているところを踏んだら地獄行きってやつ」
バラ色ではないものの、それなりに退屈で、それなりに楽しい僕の高校生活は、つい先日ものの見事に極彩色に塗りつぶされた。立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、そんな先輩にあっけなく壊されてしまった。
自販機で買ったばかりのペットボトルはひんやりと冷たく心地がいい。ぷしゅと間抜けな音が、騒がしい廊下で鳴る。女の子のソプラノの声が、喧騒の中短く響く。くすんだカスタード色の廊下に、真新しい白い紙が乱雑に広がる。
「ひゃあ」
「ちょっと、どこ見て歩いてるのよ」
「ごめんなさい。ごめんなさい」
首のあたりでゆるく二つ結びにしたジャージの子が、肩をびくびくさせながら必死に散らばったプリントを集めている。それを手伝うわけでなく、ただ見ている―――否、蔑むように見下しクスクスと笑う品のない女生徒たち。開けたばかりのボトルのふたをきつく締め、隣を歩く友人に投げ渡す。
「手伝うよ。なぁ、あんたら手伝う気がないなら、とっとと退いてくんない。紙、拾いにくいんだけど」
散らばった用紙を一枚一枚拾い集める。あと一歩近づくのが遅かったら、そのけばいメイクをした女子生徒の靴跡が、くっきりついていたことだろう。真っ白な体操服の胸元には、学年色の緑色で立花と印字されている。五線の上に黒い玉が、リズムよく並んでいる。ページ番号を確認し、拾い上げたものを手渡す。指先が互いに触れ、ばっと立花がはじかれたように顔をあげる。目が合った。僕はとりあえず、へらりと笑う。血色の悪い青白い顔に、ほのかに血色が宿り、「ごめんなさい」よりもはっきりとした「ありがとう」を口にする。
「どういたしまして。気を付けるんだよ」
「はい」
ぺこりとお辞儀をして、教室の中へその小柄な体が吸い込まれていく。他の子が青色のジャージを羽織っているせいか、くすみのない白い色は不思議と目を引き追ってしまう。ぐっとと背中に重みが加わりよろめく。
「ち~とせ~くん。何、あの子と知り合い? 叶恵先輩だけでなく、他の可愛い子ちゃんにまで手を出して」
「はぁ? 違うって、困っている女の子助けるとか普通だろ?」
男に身を寄せられてもうっとおしいだけだ。肩に回された腕をひっぺがえす前に、自然と離れた宇野が何がツボったのか腹を抱えて笑い出した。
「お前の中では普通かもしれんが、世間一般では普通じゃないだろ。ほら、よく見て見ろよ。みんな、みて見ぬふりしてただろう? 同情的な目を向けてもさ。っていうか、おまえ、どこぞのラノベのヒーローかよ」
歩調が一瞬だけ不自然に乱れる。意識して口角をあげながら、ゆるい口調で喉から言葉を絞り出す。
「いやハーレムとかめんどそうだからいらないよ。だいたい、さっきのだって気分が悪かったからだけだしさ」
「嘘だろ。おまえだって健全な男子高校生なら一度ならず二度三度、ぼっきゅんぼんの美乳の姉ちゃんたちに囲まれたい欲望を持つだろう」
スピーカーからジジジッというひび割れた音に続き、耳慣れたチャイムが顔出す。会話をぶった切られたことに、僕はなぜか安堵した。そういえば、「立花」という文字にどこかで見覚えがあるような気がした。