大人は子に、子は大人に
俺は今、土木工事のアルバイトをしている。アルバイトとはいってもすでに8年がたち、かなりのベテランだ。
8年間、穴を掘っては埋め、掘っては埋めの繰り返しの日々を何も言わずにただただ毎日送っていた。
時給はほかのアルバイト仲間よりも高い。
自分でいうのもなんだが、経験を積んできたので、穴を掘ることに関しては、超一流なのだ。
今日も大男がすっぽり埋まるようなサイズの代物を黙々と掘っている。そろそろ、俺の隣にいる新人がシャベルを放り投げそうだ。そのような事は、今ではすっかり立派なアイツもコイツも新人の頃にしたものであった。しかし、この新人からは何か別のものを感じる。そんなことを考えていると、その新人はシャベルを静かに置き、俺にこう尋ねた。
「先輩、この工事は、何をしているのですか」
この突然の問いは、単純に何をつくっているのかを聞くためだけの言葉ではないように感じた。
俺は、はっとした。この新人の言うとおりである。俺たちはいったい、何の工事をしているのであろうか。
穴を掘って一週間もしたら、もう埋めてしまう。
考えてみるとこの工事は、何の意味があるのであろうか。俺は、何の役に立っているのだ。高校を出て都会に出てきてまで、何をしているのだ。社会と常識の土に埋もれ、高校のころに思い描いていた希望も微生物に分解されてなくなってしまっているような気がした。
新人の少年のような何気ない質問に、俺はなぜか、額だけではなく目からも汗が流れてきたのだった。新人の心は、蝉が鳴くような今日の太陽なんかよりもずっと猛暑であり、シロップの無いかき氷と変わらず透き通るように真っ白に映った。
俺は、今日でこのアルバイトをやめることにした。ここの現場監督に俺の決意を言わねばならない。納得してもらえるであろうか。そもそも、この決意をどう言えば良いのだ。下手に伝えてしまえば、現場監督どころかあの新人でさえも説得できない。そうなれば、たちまち俺の決意は冷めてしまうだろう。結局今日は伝えられずに明かりのついていない小さな家についてしまった。
まあ大丈夫であろう、いつもは外が暑苦しくて寝られないのだが、今日は頭の中があつくるしくて寝られないのだから。
気が付くとまた俺は大穴を意味も分からず埋めていた。このままでは、今の決意も高校の頃の決意と同じように埋もれてしまうことぐらいわかっている。しかし、抜け出すことができない。やはり俺はただの大人に退化してしまっているらしい。
子どもになりたい。小学生がかき氷を夢中でほおばる姿は、俺にとって輝かしく見えた。何故俺は、何の疑問も抱かずに生きていく大人に憧れていたのだろうか。夢も希望も冒険も捨て、生きていくことは、幸せなのだろうか。汗水たらして土と遊んでいるいい大人たちの中で俺はそう思った。
やがて昼食の時間となり、俺は弁当箱をあけた。しかし、箸はあまり進まず、昼食の時間は考え込みながら無くなっていった。一段目の米が半分になったところで、俺は昼食時間がほぼ残っていないことに気が付き、急いで持ち場に戻り穴を埋め始めた。そろそろ思考回路の長旅を終えなければならない。そして、このアルバイトをやめて・・・。
ここまで考えたところで俺は重大なことに気が付いた。俺はこのアルバイトをやめて夢を追う。しかし、ここの仲間は俺のような決意をする者などでないのではないだろうか。せめてここの仲間だけでも子どもの心を取り戻してやらないと、俺は気が済まなくなった。
――――――――― そうなると、アルバイトをやめるのは、もう少し後になるであろう。しばしの間、この活動を進めていこうと思った。その前に、ひとつ気になる事がある。
この工事は何をしているのであろうか。まず、その謎を解き明かさなければ何も始まりそうにない。
しかたなく、現場監督に聞く。すると監督は呆れたように重い口を開いた。
「何を言っている、これは工事じゃない。ボーリング調査だ」
――――――――― ん? これは工事ではない?
俺は言うべき言葉がみつからなかった。
我に返り気が付くと、太陽が真っ赤に変わっていた。
辺りを見渡せば赤いトンボが、耳をすませば虫の声が聞こえていた。風が冷たい。
夏の暑さが過ぎるとともに、子どもの心が消えていた。
子どもは大人になるものだ。しかし、あの新人だけは疑問を抱きながら日々生活を送っているように見える。
大人は子に、子は大人になってほしい。ちっぽけな頭の中から始まった俺の願いは、俺たちの人生を夏空の太陽のように輝かしいものにするだろう。
子どもの心がない者にこんなことを訴えても仕方がない。
俺は再び穴を掘り始めた。
(完)