5.
―なんでこんな奴が隣に…。
次の日。隣に座る嫌な顔を横目で見る。相変わらず、憎たらしい表情だ。愛想良くしていれば、それなりにいい顔をしているというのに。
「西村ー?ここ、お前な?」
「…へ?あ、はい!」
「よし。じゃあ、三番は…」
数学の先生に、問題の答えを黒板に書くように指示をされた。やばい、考え事をしていて、全く手を付けていない。
焦って急ぎ、西村はノートと向き合い始めた。
「…お前、解いてないのか?」
ふと、隣の眼鏡面。間宮健二が小声で話しかけてきた。その表情は、相変わらずの仏頂面である。
―何よ。バカにでもする気なの?
「うるさい。考え事してたの、ほっといてよ」
「…四エックス三条の二だ」
「へ?」
「聞こえなかったか?四エックス三条の二だ。これくらいの積分もさっさと解けないのか」
「むぅ…!いいよ!自分で解くから!」
余計なお世話だ。きっと、適当な数字を言ったに違いない。彼の助言を無視して、自力で問題を解く。
―っ!本当に、四エックス三条の二だ。
驚いて思わず彼を見る。彼は教科書の裏に小説本を隠し、ひっそりと本を読んでいる。
本当に、彼が答えを教えてくれたのか?何故だ?思わず考えが混乱した。
「西村?まだかー?」
「あっ、はい!今書きます!」
先生に呼ばれて、西村は急いで前の黒板へと歩いた。
授業が終わり、しばしの休息。教科書をしまい、西村は机に突っ伏した。香苗が来るかとも思ったが、彼女は他の友人と楽しそうに話をしていた。
最近は、噂の話のせいでまともに他の友人と会話ができていない。いちいちあの話をされることが嫌なのだ。だったら、なるべく話さないほうが気が楽だ。どうせなら、ずっと一人でいたとしても問題ない。
―…それじゃあまるで心奈だな。
クスッと一人で笑った。
心奈とは、幼い頃からの西村の親友である。この間まで孤独を望んでいたが、友人のおかげで彼女はやり直す決心ができた。
ふと、腕の間の小さな隙間から隣を見た。相変わらず、黙々と彼は本を読んでいる。
「…本、好きなんだね」
ふと、気持ちが口から出てしまった。
―しまっ…何言ってんの、私!
言ってしまったことに、後から後悔する。彼はこちらをチラッと横目で見ると、再び本に視線を戻した。
「…ああ」
会話が途切れる。相変わらず歯切れが悪い奴だ。一度話してしまったら、これだけでは気持ちが悪い。
顔を上げると、何か適当な話題が無いか、西村は考え出した。
「…なに、読んでるの?」
「知ってどうする?」
「いや…別にどうもしないけど。やっぱりあんただから二次元系かなーって」
「…ん」
彼は素早くブックカバーを外すと、本の表紙を西村に見せた。
「怪奇探偵正村誠一郎…?何これ、ミステリー?」
「ああ」
彼は慣れた手つきでブックカバーを元に戻すと、再び黙り込んでしまった。
「…ちょっと?何か一言くらい付け加えてもいいんじゃないの?」
「どういうことだ?」
「だから、その…あらすじとか、どんな事件とか…」
「知って何になる?話すだけ時間の無駄だ」
「…あっそ。聞いた私がバカでしたよ」
「ふん」
―ああやだ。やっぱり話続けなきゃよかった。
西村は再び突っ伏すると、腕の中で大きくため息を吐いた。
こんな調子が、夏まで続くとなると気が重い。やっぱり、やっていけるかが心配である。
―そういえば…。
彼が読んでいる小説が、アニメ系じゃない?ただの気まぐれだろうか?
再び腕の中から彼を覗き見る。
「…まだ何か用か?」
「ああ、いや…あんたもそういうやつ読むんだと思って」
「そうか」
「…ミステリー、好きなの?」
「ああ」
「ふーん、そうなんだ…」
―はぁ。
毎日こんな会話をしていたら、きっと疲れるだろう。これからの生活が思いやられる。
西村は席を立つと、気分転換に廊下の窓から、次の授業の時間まで、ボーっと空を見上げていた。
―そうだった。ノートを買わないと、もう無いんだった。
放課後。友人の誘いを断り、西村は一人で駅の文房具屋に立ち寄った。ついでに予備のペンなども買い、それなりの買い物を済ませた。
文房具屋を出て、隣にある本屋の前に出る。
ふと、本屋の壁に大きく貼られた、ポスターに目がいった。
―あれ?これ、どこかで見たような…。
怪奇探偵正村誠一郎…。あっ、これって!
でかでかと渋めの叔父さんが、ポスターの中心でこちらを振り向く絵が描かれている。これは初めて見る人には、インパクトは大きい。右端には、「最新刊五巻がとうとう発売!一巻から五巻まで、好評発売中!」と書かれている。
「ふぅん…」
そのポスターを見るなり、西村の足は自然と、本屋へと入っていった。
店の中央に、「今大注目の小説!」と、何冊もの小説本が並べられている。その中で一つ、先程のポスターに書いてあった、あの本が置かれていた。
―小説はあんまり読まないけど…面白いのかな?
なんとなく一巻を手に取り、適当にパラパラとめくってみる。始まりはヒロインであろう高校生の女の子が語り手で、日常的な学校生活からスタートする。何枚かめくると、友人が突然倒れて、それから謎の言葉を唸るようになったらしい。怪奇なのだから、幽霊とかそんなものが多く扱われているのだろう。
適当に飛ばし飛ばしに読んでみると、ちょっとずつ興味が湧いてくる。続きが気になりだし、居ても立っても居られない。
「買おう…かな?」
パタンと本を閉じると、本の裏の値段を確認する。うん、この値段ならまだ買える。
数十秒ほど棚の前で考えたのちに、西村は振り向き、本を持って歩きだそうとした。
「うわっ!?ビックリした!」
ふと、振り向いた途端に西村が声をあげた。
「なんだよ。俺が立っているとそんなに驚くのか?」
西村の後ろに、あの眼鏡面の健二が立っていた。
「あ、いや。そういう訳じゃなくて…」
―せめて声くらいかけなさいよ!ビックリするじゃない!
心の中で、西村は嫌いな彼に叫んだ。
「…お前、本読むのか?」
健二が、西村の手に持つ本を見て言った。
「ああいや、その…ちょこっと見てみたら、面白そうだなぁって…」
本を持つ手を後ろに隠す。そんな事したところで、とっくにバレているのだが。
「…そうか」
表情一つ変えずに言うと、彼は西村の横を通り、最新刊である五巻を手に取った。
「…貸すか?」
「へ?」
「一巻。嫌なら別に、買ってくれて構わないんだが」
「な、何よそれ」
「どうするんだ?」
彼がこちらを向いた。この顔を見ていると、本当に彼には感情があるのかと疑いたくなる。
「それは、その…貸してくれるっていうなら、ちょっとは読んでみたいかなぁって…」
「そうか」
彼はカバン手に取ると、何やら中身を漁っている。
「ん」
短く呟くと、彼はこちらにブックカバーがついた本を一冊、手渡した。彼の見た目によらず本の状態は綺麗で、またまだ新品そのものだ。
「え、本当に?」
まさか本当に貸してくれるとは思ってもいなかったために、声を出して驚いてしまった。
「なんだ?読まないのか?」
不服そうに、彼が手を引っ込める。
「よ、読むよ!借りるよ!」
しぶしぶ彼から本を受け取り、表紙を確認する。本当に、あの本の一巻であった。
「でも…いいの?」
「なんだ。嫌だったら返してもらうぞ」
「い、嫌じゃないよ!でも…私なんかに、いいのかなぁって」
すると彼は、急に思いつめた表情を浮かべた。一体何を考えているのか。西村には全く解らない。
―こいつのこんな顔…初めて見るな。
彼はそっぽを向きながら、小さく呟いた。
「お前だから、いいんだ」
「…へ?」
「じゃあな。読み終わったら、返せよ」
「え…あ、ちょっと!」
ぶっきらぼうに言うと、彼はさっさと歩き去ってしまった。
―あいつ…さっきなんて言ったの?私だからいい?
彼の残した意味ありげな言葉に、西村は動揺を隠せずにいた。




