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5.

 それから、一時間程が経って――。

「いやぁ、助かったよ西村」

 映画館のホールを出て、明るい場所へと出る。結局、サイン会の場所は別館三階にある、映画館のシアターホールで行われた。どおりで、デパートの中を探しても人だかりすら見つからなかったわけだ。そして何より、サイン会の会場への入場には、当選した人の入場券が必要だということ。これを聞いた時は、本当に驚いた。流石に諦めて帰ろうかと考えたが、本当に偶々、西村が一人分の入場券を持っているという奇跡に巡り合った。

 一体全体、どういう神様の気まぐれか。彼女と再会しただけでも幸運だったというのに、それ以上の偶然が起こってしまっては、恐怖すら覚えてしまうじゃないか。本当に、こんな偶然が自らに起こってしまうとは、もちろん思いもしてなかった。当然、彼女だって同じだろう。

「ううん、助かったのはこっちのほうだよ。ペアチケットが無駄にならなくて済んだし」

 西村は小さく首を振ると、こちらを向いて微笑んだ。

「あぁ……。それもそうだ。あとで、あいつに文句言っとかねぇと」

「あはは……。何の情報も無しに、ここまで来たんだっけ?」

「そうなんだよ。ただただ無理やり、サインを貰ってきてくれって言われて、何も知らずにここまで一人で来たってわけ。入場券がいるだなんて、一言も聞いてねぇよ」

「じゃあ、本当に偶然に偶然が重なったってことなんだね。何だろう、なんだか変な話だけど、嬉しいな」

「っはは、まぁ。それもそうだな、こうして再会できたわけだし。結局はどうあれ、あいつに頼まれなきゃこうならなかったんだ。ある意味感謝しないとな」

「私も、友達に感謝しないと。ん、いや、私の場合は感謝するって言うのはおかしいか……。いや、でも、もう一人分はどうしようかなってずっと迷ってたんだよ」

「それはまた」

「ふふっ、だから、ヒロ君に会えてホントに良かった!」

 彼女が首を傾げて、満面の笑みで微笑む。さりげないその仕草に、数年ぶりにドキリと胸が高鳴る自分がいた。

「あ、ヒロ君。この後、時間ある? よかったら、もう少し話そうよ」

 ふと、彼女が俺に問うた。

「ん? あぁ、いいよ。どこ行こうか」

「じゃあね……あ、あそこにしよっかな。付いてきて!」

 そう彼女は言うと、ゆっくりと歩き始めた。その後ろを、俺も付いていく。

「でもヒロ君、だいぶ変わったよね? 性格とか、雰囲気とか」

「あ? そうか?」

 ちょうどこの階に止まっていた、エレベーターの中に入る。彼女は地下一階のボタンを押すと、そのまま続けて閉のボタンを押した。ドアが閉まり、中に二人きりになる。……少しだけ、緊張が走った。

「うん。昔はほら、少し可愛さがあったというか、思わずこっちが、助けてあげたいなって思えるような。そんな雰囲気だったでしょ?」

「はぁ、可愛さですか」

「うん。だいぶ男の子らしくなったって言うのかな? 今のヒロ君なら、何でも困ってたら助けてくれそうだよね」

「おいおい、一言目はいいとして。何でも出来るわけじゃねぇぞ?」

「ふふっ、ほら。そういうところ。昔だったら『え、そうかなぁ……?』って、きっと返してくると思うよ。そんな、照れてる所も可愛かったりしたんだけど」

「ふん、どうせ男は歳を取れば、おっさん臭くなりますよ……」

「いいんじゃないかな、例えおじさんみたいでも。ヒロ君は、ヒロ君なんだし。カッコいいのは、昔と一緒だよ」

「なっ……、何だよ、突然」

「あ、ほら! 照れた! やっぱりそういう所は変わらないや」

「うるせぇよ……」

 どう対応すれば分からずに戸惑っている俺を見て、西村はクスクスと笑っている。正直、こういう対処は苦手だ。女性にあれこれ言われるのは、幾つ言われても慣れない。それに、以前にも増して女性と関わらなくなったここ数年のせいで、尚更余計にだ。それよか、異性に『カッコいい』と言われたことだなんて、彼女を含めて数人にしか言われたことが無い。当然高校でもモテるわけがないし、バレンタインデーなんて母親に一つと、璃子に友チョコとして一つ、ありがたく頂くだけの行事である。それでも、本当に彼女が自分を想ってくれている事は感謝なのだが、それを弱みにして拗らせるのは、ぜひ止めて頂きたいものだ。

「っていうか、西村。引っ越してから、大丈夫だったのか?」

 エレベーターを出て、再び隣り合わせで歩き始める。話題を変えようと、路線を変えて彼女に問うた。

 西村とは、小学生時代の友人だ。特別仲が良かったわけでは無いのだが、ある意味掛け替えの無い存在とも言える。彼女は小学校を卒業すると同時に、家の用事で引っ越してしまった。そのため、それ以来会うことも無く、これからもきっと、会うことは無いだろうとも思っていた矢先の今回の出来事だったのだ。

「うん、何とかね。最初は苦労したけど……。ヒロ君が応援してくれたおかげで、友達も出来たし。それにね、やりたいことも出来たんだ」

「やりたいこと?」

「うん。あ、でも。先に中に入ってからにしようか。着いたよ」

 西村が一つの店の前で立ち止まり、手を後ろにして振り向いた。さりげない仕草に目が行ってしまう俺もどうかと思うが、その一つ一つがあどけない。

「……ん、あ、そうか」

「んー? どうしたの? 何かあった?」

 一瞬反応が遅れた俺を見て、彼女が小さく首を傾げる。

「あ、いや。何でもねぇよ」

「ふーん?」

 そりゃあ、「お前を見てた」だなんて言えるわけも無く。適当に視線を逸らして誤魔化す。特に追及されることも無く、ホッとしたのもつかの間、「じゃ、行こっか」と西村が先導する形で、俺達は店内へと入った。

 どうやらここはカフェらしく、見る限り圧倒的に女性客のほうが多く見えた。しかし、この店内の装飾に、俺は一言。いや、幾つか文句を言いたい。

 中は案外薄暗く、オレンジ色のライトが店内を照らし、ダーク系の色をした木の外装が施されている。一歩間違えれば、ラーメン屋と間違われても文句はあるまい。それにどうしてか、入り口付近には謎のひな壇が飾ってあった。いやいや、ひな祭りまではまだ一ヶ月と少し先だ。どう見たって気が早い。それよか、もしかしたら年中飾っているのだろうか? とにかく、和製英語、という言葉が似合うような、どこかカフェを履き違えているような感じだ。

 と、色々と心の中で文句を吐いてはみたのの、意外と店内に客は多く、それなりに繁盛している様子を見て取ると、それらを全てひっくり返して、日本らしいカフェと言い換えてしまえば妥当か。落ち着いた雰囲気が漂う店内は、意外と居心地は悪くない。

 一番奥の席に、西村と向かい合って座るなり、年齢六十代くらいの叔父さんに、それぞれコーヒーとココアを頼む。見た目に寄らず、きびきびと中に入っていった様子を見ると、あれでもまだまだ現役のようだ。取り敢えず、色々文句を言ってごめんなさい、おじさん。

「で、何だったっけ? やりたいこと?」

「あ、うん。そうそう。やりたいこと」

 彼女は言葉を復唱すると、そのまま続けて話の続きを喋り始めた。

「確か、中学二年生の一月か、二月だったかな。学年でそれぞれ、自分達が行ってみたいと思う高校に見学しに行く機会があって。それで私、今通ってる高校に行ったんだ。特に何かをやりたいとか、部活に入りたいとか。そういうのは全く考えてなかったんだけどね。単純に、私よりもはるかに成績が良かった友達と、興味本位で一緒に行っただけ。でもね、校内を一通り見学し終わってから最後に、体育館で部活紹介の時間になって。その一番最後に、ジャズバンドのグループの演奏があったの」

「ジャズバンド?」

「うん。まぁ、音楽の演奏グループって言えばいいのかな。ロックバンドだとか、そういうのと同じだよ」

「へぇ、じゃあ。ジャズを演奏するバンドと」

「そうそう。でね、その演奏を聴いたわけなんだけど。気がついたらいつの間にか、その演奏に惹かれててね。こんな演奏が出来るなんて、凄いなぁ。高校生って、こんな演奏が出来るんだって。中学生のくせに、そんなこと考えちゃって。一通り終わった後に、改めて一人でジャズバンドの練習を見に行ったの。私以外の見学者はいなくてさ、凄く可愛がってもらっちゃって。その時の先輩達が、とっても良い人達でね。私が入学する頃には卒業しちゃうけど、応援してるよって言われちゃってさ。あの時先輩に言われたのがきっかけで、今の高校に入ろうって思ったの」

「で、入学が出来たと」

「うん。私なんかじゃ、合格するのは難しいって、担任の先生からも、みんなからも言われてて。でも先輩にも応援されてるし、何よりあのバンドに入って、一緒に仲間と演奏したいって思ったから。必死に頑張ったよ。勉強もそうだけど、それと一緒に、アルトサックスが演奏できるように、そっちも毎日練習したんだ。初めはまともに楽譜も読めなくてさ。私、ピアノとか楽器の習いごととか、全然したこと無かったから……」

「そっか……。頑張ったんだな」

 ――努力の量が、誰かさんとは大違いだなぁ。あれ、その誰かさんって誰だろうか。……いかにも、私がその誰かさんである。

「うん。おかげで、今はメンバーのみんなと一緒に、大会とかも出てたりするんだ。あ、去年の大会に私も出たんだよ? それに、入賞も出来たんだ」

「入賞? マジで? 音楽の大会とか、よく分からないけど、入賞って、相当厳しいんじゃないの? テレビとかでも偶に見るし」

「そうだね……。でも、大会にメンバーとして出たって言っても、ほとんど先輩達がメインパートだったから。私達後輩は、バックの演奏だったから、ほとんど先輩達が凄いってことになるよね」

「いやいや、例え裏方だって、裏があってからこその表って言うだろ? 西村達だって、凄いってことだよ」

「えっ……そう、かな?」

「ああ。……まぁ、聴いたこと無い奴が何言ってんだって話だけどね」

「あ、ううん! そんなこと無いよ! その……ありがとう。そう言ってくれて」

「ん、おう」

 ちょうど話の一区切りがついたタイミングで、先程の叔父さんがトレイにコーヒーとココアを持って来てくれた。彼はそれぞれのカップを置くと、小さくお辞儀をして中へと戻っていった。

「それで、ヒロ君は今何かしてるの?」

「ん。ああ、一応フットサルやってる」

「フットサル? サッカーみたいなやつだっけ?」

「まぁ、そうだな。色々と用語だったりルールだったりは違うけど、結局は似たようなもんだな」

「へぇ、そうなんだ。ヒロ君のことだから、きっと凄いんだろうなぁ」

 マズい。女の子の「~だろうなぁ」が出てしまった。ここは正直に真実を語るべきか、見栄を張って嘘をついて誤魔化すべきか……。

 いや、どうせ嘘をついたところで後々バレてしまうだろう。というか、バレる。うん。もう逃げも隠れもしないです。

「いや……、そんなことも無くてだな…。今、ウチの部員三人しかいないんだよね」

「え、三人?」

「そうなんだよなぁ。去年の夏に先輩が引退して、とうとう三人になってしまったというか、部員が入ってくれないというか」

「それじゃあ、その……。試合とか、出来ないってこと?」

「いや、一応三人からは出来なくはない。でも最大人数は五人だからな。当然、やるだけ無駄ってもので。全く試合なんてやらなくなったな」

「そうだよね? えー、勿体無い。ヒロ君がいれば、絶対強いチームなのに」

「ヒロ君がいれば」彼女が呟いたこの言葉が、異様に胸に突き刺さった。嬉しくもあり、悲しくもあり……。なんと表現すればいいのか分からない、複雑な痛みだ。

「いや、まぁ、どうなのかは知らねぇけど。でも結局、このままじゃ今年の一年次第だな、存続は」

「そっかぁ……。誰か入ってくれればいいね」

「そうだなぁ……」

 どうしようもない形で、再び会話の流れが途切れる。お互いに、タイミングを見計らったようにそれぞれ手元に置かれた飲み物を一口運んだ。

「あ、そうだ! ヒロ君、心奈ここなとはどうしてるの?」

「あっ?」

 唐突な質問に、思わず手に持っているカップを落としそうになった。危うく、大惨事にならなくてホッとする。

 ――あぁ、そういえば……。

 正直に真実を語るべきか、嘘をついて誤魔化すべきか。再び迷い始める。

 この件に関しては、さっきとはまるで違う。彼女自身を、傷つけかねない。かくいう俺だって、この話だけは、触れたくもないし、触れられたくは無かった。

 せっかく、数年ぶりに彼女とこうして再会できたのだ。今は、せっかくの再会を安易に壊したくなどない。

「あー、えっと……。あいつとは、だな。まぁ前に色々あって、今はあんまり連絡取ってねぇんだよな、うん」

 口下手だが、どうにか頭をフル回転させた結果に口から出た、最大限の俺の嘘だった。

「あれ? そうなの?」

 驚きと疑問が入り混じったような表情で、西村が問う。

「あ、あぁ。あ、でも心配することは無いぞ? 特に何かがあったとか、そういう訳わけじゃないからよ。ちゃんと、それなりに仲はいいと思う。…うん」

「そう? なら、いいんだけど」

 大層不満げな様子であったが、それでも彼女は何かを察し取ったのか、それ以上の追及はしてこなかった。果たしてこれは幸運と捉えるべきか、命拾いをしたと捉えるべきなのか。申し訳ない気持ちが胸を締め付けたが、今はそれだけで十分だった。

 それからしばらく、彼女と二人きりの時間をのんびりと過ごした。久しぶりに会ったということもあり、お互いに会話の熱が冷めることも無く、あっという間に時間が過ぎていった。

「うわぁ、寒い。もう暗くなっちゃったね」

 忘れた頃にようやく、彼女と一緒に外に出る。スマートフォンで時間を確認すると、もうすぐ夜の八時になりそうな頃だった。

「そうだな」

「でも、ここでお別れかぁ。せっかく久々に会えたのに、何か寂しいなぁ」

「そうだけど、連絡先も交換したんだ。会おうと思えば、また会えるだろ?」

「……そうだね、また今度。二人で会おうね」

 二人で、というワードが耳に突っかかったが、そこはあまり気にしないでおこう。

「ああ、そうだな」

「……それじゃあ、私はバスだから。ヒロ君は自転車?」

「そ、だからバス停とは反対側だな」

「そっか。それじゃあ……またね、ヒロ君。また今度」

「ああ、また。今度な」

 彼女はこちらに手を振ると、そのまま前を向いて歩いて行ってしまった。

 何だろうか、この。どう言葉で言い表せばいいのか分からない変な感情は。久々に、こんな感情を抱いた。俺も、この感情をまだ忘れていなかったのかと思うと、ついおかしくて笑ってしまう。

 彼女の後姿をしばらく目に焼き付けると、俺も同じくして、自転車を停めてある駐輪場へと向かい始めた。

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