1.
「久々ね…真田君」
前田来実は、チロリと舌を出して不気味に笑った。
昔よりもより艶めかしく育った彼女の身体は、そこら辺の事情も知らない男なら、すぐに食いつきそうなほど良い身体つきをしていた。
「な、なんでお前がいるんだよ!縁は切ったはずだろ!」
突然の再開に、俺は腹の底から怒りがこみ上げた。
―こいつのせいで…俺は!あいつは!!
本当なら、今すぐにでもぶん殴りたい。だが、今それをしてしまうと、俺も同罪になってしまう。グッと拳を握り堪えた。
「そうね…一度は切ったわ。でも、事情が変わったの。ここじゃ場が悪いわ。少し移動しましょう」
彼女はくるりと背を向けると、一人で歩きだした。
「待てよ!俺はお前と話す気は無い!」
「あら?いいのかしら。とっても大事な話よ?聞いておいたほうが、身のためだと思うのだけれど」
「ぐぅ…!」
どうせまた、何か悪い話だ。だが、従っておかないと何が起こるか分からない。
グッと怒りを抑えて、俺は彼女の後を付いた。
「で、お前まさか西村と共犯ではないよな?」
一応、最悪の状態では無いことを、彼女に確認する。
「西村?…ああ、あの子の元親友ちゃんね。大丈夫よ。彼女は全く関わりが無いわ。寧ろ、私たちが関わりたいくらい面識は無いわ」
「ふん。そうかよ」
ひとまず、西村が言っていた用件ではないことが分かりホッとする。
彼女に連れてこられたのは、公園の近くに立つ、地元でも有名な廃墟だった。
「おいおい、ここに入るのか?」
「ええ。ちょっと臭うけれど、気にしないでちょうだい」
彼女はそう言うと、落ちるのではないかと思うくらい古い、地下への階段を下りていった。足を踏む度に、ギィと嫌な音が鳴る。
―落ちないよな…?
一歩一歩、慎重に踏み出す。なんとか無事に下の階へと下りると、そこは見覚えがある場所だった。
「…ここ、前俺が連れてこられた場所か?ここだったのか」
「そうよ。懐かしいでしょう?適当に、そこら辺に座ってちょうだい」
前田は古びた椅子に座ると、ふぅっと息を吐いた。やっぱりこいつは、行動の一つ一つが艶めかしい。
俺は、倒れていた頑丈そうな木の椅子に座った。
「で、なんだよ。お前が西村と関わりがない以上、俺はあいつを待たせてるんだ」
「そうね。そんなに長い話じゃないわ」
彼女は脚を組むと、ゆっくりと言葉を口にし始めた。
「…夏」
「は?」
「夏まで待ってあげるわ。それまでは、せいぜい楽しめばいいわよ」
「ま、待てよ?どういう意味だ?」
「ふふ…すぐに分かるわ。そしてその後は、また私達と遊びましょう?今度は本気で行くわ」
「本気って…どういう意味だ?」
「…あなたたち二人を、本気で潰しに行く」
彼女は、変わらず笑みを浮かべながら言った。
「二人?二人って…」
「せいぜい幸せを、いっぱい作ってちょうだい。それが、あなたの役目よ」
そう言うと、彼女は立ち上がった。
「それじゃあね。また、夏休み明けに会いましょう」
「お、おい…うわっ?!」
突然、目の前が真っ白になり、耳にキーンとした金属音のような音が聞こえた。
―まさか…フラッシュバンか?
フラッシュバンとは、相手の視力と聴力を、強力な光で短時間の間奪う強力な兵器だ。
だが至近距離で受けると、聴力障害や肉体的障害を受ける場合もある。このため、普通は室内での使用は禁止されている。こういった知識は、昔兵器好きの兄貴から教わったものだ。
おいおい、大丈夫か?っていうか、耳いてぇ…。
だいぶ至近距離で、しかも室内で受けたせいか。聴力が戻るのにだいぶ時間がかかった。
だが、やっとの思いで治り始めると、幸いにも特に違和感はなかった。ありがとう、俺の身体。
当然だが、気がついたころに彼女の姿は無かった。一体どこから逃げたのか。彼女の事だ。どこかに逃げ道でも作っているのだろうが、今は探す気力もない。
それに、俺にこの場所を教えたんだ。ここはもう用済みということなのだろう。
ましてやここは地下だ。壁も岩でできており、外へもあまり響いていないだろう。
「しっかし…」
彼女が何かを投げた様子は無かった。他の誰かが投げたと考えるべきだろう。
っていうか、なんでフラッシュバンなんて持ってるんだ?あれは警察などが使える、無能力武器の一つだ。それを彼女たちは持っている…。
―これは、相当やばいんじゃないか?
気がつくと俺は、額に冷や汗をかいていた。
特に誰に相談できる訳でもない。したところで、信じてくれる保証はない。警察は、何か事件が起こらないと、その重い腰を上げてはくれない。「警戒する」の一言で、高校生の戯言だと一蹴されてしまうだろう。
また、彼女たちに怯えながら過ごす毎日がやってくる。そう思うだけで俺は恐怖を覚えていた。
きっともう、西村は公園に着いているだろう。予想外の珍客に、だいぶ時間がかかってしまった。
俺は走って駅前の公園へと戻った。
ようやく公園に着いたと思うと、俺は目の前の「モノ」に狼狽した。
振り向きざまに見せる、その懐かしい笑顔を見た途端に、俺は驚愕とする。
本来なら、そこにはいないはずの笑顔だったからだ。
その笑顔を見た瞬間、俺の中で二つの感情が生まれた。「嬉しさ」と「恐怖」だ。
想いを断ち切ることなんて、とうの昔に出来たと思っていた。だが、実際はどうもそうではないらしい。
何故だろう。一度は「大切なモノ」であったこの笑顔が、今では「記憶から消し去りたいモノ」にまで成り下がってしまった理由は。
数年ぶりに感じる、体の中を巡る血が歓喜で沸き上がるような感覚と共に、同じく数年ぶりに感じる恐怖に、額には汗が滲み始めた。
その温かくも冷たい笑みは、段々と自分に歩み寄ってくる。
恐ろしさこそあったものの、恐怖で足が動かない。
やがて、そんな俺の目の前に、笑顔が止まる。
笑顔が一言、囁くような小声で告げた。
温かくも、冷たい笑顔で。
「久しぶり」
「…心奈」
明月心奈。彼女は今、俺の目の前に立っていた。




