Memory.23
十二の日
夕方、裕人は歩いていた。
普段は通らない、人気のない路地裏。下手に適当に歩けば、迷ってしまうほど初めて歩く道だ。
理由は簡単だ。彼女、前田来実と会うため。かなり距離は取られているが、誰かに後を付かれているのだ。恐らく、それは彼女だろう。
普段からこうやって後を付かれていたのかと思うと気味が悪い。裕人は、路地の行き止まりに止まると、振り返りこれまで通ってきた道を見通した。
「いつまでコソコソ付いてきてんだよ。出て来いよ」
遠くまで聞こえるように、少し大きく声を張る。すると、三本先の電柱からからヌッと出てきたのは予想通り。彼女、前田来実であった。
うっすらと笑みを浮かべながら、ファッションショーのステージの上を歩くモデルかのようにゆっくりとこちらに近づいてきた。
「真田君にしては、意外とやればできるじゃない?結構身を隠せていたと思っていたけれど、一枚劣っていたみたいね。将来SPにでもなれるんじゃないかしら」
うふふと前田が笑う。
「そんなもんはどうでもいいんだよ。お前の用件は、俺の答えだろ?」
「ええ、その通りよ」
彼女はゆっくりと頷いた。
「でも、その前にゲストを呼んでもいいかしら?」
「は?ゲスト?」
裕人は首を傾げた。
「ええ。あなたが万が一、どちらの選択肢も認めなかった時の為に。どうしても来たいとうるさいこの子を呼んだのよ。私はもっと有能な子に来てほしかったのだけれど」
すると、前田がこの間と同じく、右手を空高く上げた。
―まただ。
この間と同じパターンだ。前は後ろから、一足遅れて振り向いた。今度はそうはいかない。
素早く後ろを振り向く。すると、どこからやってきたのか、見覚えのある二人の男が目に飛び込んできた。
「おっと!」
バスケで鍛えたオフェンス技で、昔と変わらない彼の単調なパンチをかわした。ちぃっ!と彼が舌打ちをする。どうやら、そこらへんの腕は昔から成長していないようだ。
「お前ら、相変わらずだな。鷹也、悟郎」
彼らは、裕人が心奈と出会うきっかけとなった、ヤンキー君の二人組だ。昔よりも数倍増して、ヤンキーをエンジョイしているらしく、彼らの容貌や、漂う臭いでそれは察し取れた。これで同じ中学生なのだから、驚いたものだ。
「久々だな。真田裕人」
相変わらずガタイが良い鷹也が、唾を吐き散らしながら言った。
「で、なんだ?今は前田の言いなりか?粋がってる割にただの駒じゃねぇか。そんな人生楽しいか?」
余裕の裕人が鷹也を煽る。すると彼は、益々怒りが増したようで、ブルブルと肩を震わし始めた。
「るせぇ!テメェなんかに言われる筋はねぇ!俺はな、ただあの時のケリ返しに来ただけだ!」
「あの時…?どの時だ?」
「テメェ!ふざけるのもいい加減にしろ!俺は今、マジだからな?」
「おいおい、マジになってくれるのはいいんだけどよ。時と場を考えて行動してくれよ。ここ住宅街だぞ?下手したら通報もんだ」
「んなこたぁ関係ねぇ!テメェをぶっ飛ばすまで俺は…」
「鷹也!ちょっと黙りなさい。本当に近所迷惑よ。サツでも呼ばれたら、今度はあなたになるわよ?」
裕人の後ろで、呆れたように前田が言った。
「ぐっ!ぅぅう!わかりやしたよ!」
前田に一蹴された鷹也は、歯を食いしばりながら、震える拳を電柱に向けて殴る事で、なんとか落ち着いたようだ。
―…ところで、悟郎のほうは昔も今も全く喋らないけど、普段からそういう奴なのかな?
鷹也の隣で落ち着いたようにファイティングポーズで構えている、悟郎を見た。彼は細身で、刀などを持たせたら凄技でも見せてくれそうな男だった。
「話が逸れたわね。それで、真田君。あなたの答えを聞こうかしら」
前田が言った。
答えなら、昨日の時点で既に決まっていた。裕人は自信たっぷりに答えた。
「俺の答えか。なら、やっぱりどちらもノーだ」
「…ほう?なかなか面白い答えを出してくれるじゃない」
「やっぱり…俺はお前と付き合う気もないし、あいつを傷つけたくもない。だから、この先あいつにどんなことが起きようと、俺が必ず守ってやる。お前たちに、あいつを傷つけさせはしないさ」
裕人が言うと、彼女は可笑しいように笑いだした。
「ふふ…どうやら、私たちは甘く見られているみたいね。悟郎。ついでにそっちのデカいほうもやっちゃっていいわよ。そっちはもう、やっぱりゴミだから」
「…了解」
彼女が悟郎に告げると、鷹也が一気に青ざめたように顔を強張らせた。
「ちょ、姉御!それはないっすよ!」
「あら、お返しのパンチ一つ決められない雑魚に用はないわ」
「なら!なら最後にチャンスをくだせぇ!お願いします!」
鷹也が、地面に額を打ち付けながら土下座をした。何だかよくわからないが、鷹也はヤンキーの中でも、最下位のほうにいるらしい。
「…なら、真田君に一発でも食らわせたら考えてあげるわ。その代わり、あなたも一発食らったら終わりよ」
「っ!は、はい!」
鷹也は彼女に一礼すると、立ち上がり両手の関節をボキボキと鳴らした。
「つーわけだからよ。俺はもうやられるわけにはいかねぇんだ。覚悟しな!」
「お前…ホントに底辺だな」
こちらも飽きれてしまうほどに、敵と上司相手の態度が違いすぎる。こういうタイプは大体、すぐにやられてしまうのがオチだが、果たしてどうだろうか。
「るせぇ!さっさと死ね!」
彼はまたもや単調なパンチを繰り出す。先ほどと同じように裕人は避けると、昔と同じように彼の足を刈った。
「ぐっ!まだだ!」
しかし、彼も昔のようにはいかない。彼の体重は昔の倍以上のようで、裕人の足の力では刈り切れずに、そのまま柔道の受け身で一回転し、その場を逃れた。
「お前、重くなったな」
「ああ!?せめてマッチョになったと言ってくれよ。それよりあれか?テメェの鍛え方がまだまだなんじゃねぇか?」
「ああ、柔道技は専門外なんでな。やっぱり…」
裕人は彼に向かって走り出した。彼は受け身を取り、パンチを繰り出す準備をしている。
彼の目の前まで到達する。彼は体を右に傾けて、こちらが左右に避けると予測したようだ。だが、彼は裕人の専門を知らなかった。
一瞬の隙に裕人は彼の頭を鷲掴みする。
「っ!?嘘だ…がっ!?」
気が付くと、鷹也は地面に頭をぶつけていた。てて…と、彼は弱弱しく呟く。
「単純なんだよ、お前は。上から来ることも予測しておけよな」
裕人はそう言うと、彼の腹に一発、パンチをお見舞いしてやった。意外と彼の腹は固く、一応本当に鍛えてはいるようだった。
「…バスケで鍛えたジャンプでパンチを避け、頭を掴み地面に落とす。良い技だ。俺が見た中でもトリッキー度は上位クラスだな。ダンクシュートが得意な証か」
ふと、電柱に背をつけて見ていた悟郎が口を開いた。その予想は当たっていて、裕人の得意技は中田のパスからのダンクシュートだった。
「ん、そりゃどうも。っていうか、まともにお前と話すのは初めてか?」
「俺は他人と話すのが嫌いなんだ。だが、感情論ではないが拳で語るのは好きだ」
すると、悟郎はこちらに向かいスタスタと歩いてきた。裕人は身構えたものの、彼は裕人を通り越して鷹也のほうに向かった。
「お、おう。悟郎。俺ら、昔からの中だよな?まさか、本気でやるわけないよな?」
「…雑魚に成り下がった奴に興味はない。失せろ」
悟郎はそう言うと、懐から何かを取り出した。それを目にした瞬間、鷹也の顔に威勢が無くなる。
「わ、分かった!帰るからやめてくれ!」
鷹也は急いで立ち上がると、そのまま裕人が歩いてきた道を帰っていってしまった。よく、アニメとかで見る光景である。
「さて、邪魔者は消えたわけだし…真田君。まだ答えは変えても遅くないわよ。そうね、回答期限は、あなたの意識が無くなるまでにしておくわね」
じゃあ、よろしく。と前田は悟郎に告げると、彼女は電柱を背に座った。
悟郎が裕人と向き合う。その目は、まるでドラマの殺人鬼のように冷たかった。
「最後にチャンスをやる。本当に選択肢を選ぶ気は無いんだな?」
悟郎が問うた。
「ああ。無い」
「…残念な奴だな。その回答が、お前もその明月という女も、更に絶望する答えだというのに。明月から恨まれても、俺は知らないからな」
「あいつは大丈夫さ。俺が守るからな」
「なら…」
悟郎が言葉を発した刹那、左腕に強烈な痛みが走った。
「っ!?」
振り向くとそこには、悟郎とそっくりの男が小型のナイフを持ち右手を振っていた。
すると今度は、いつの間にか目の前にまで来ていた悟郎が、裕人のみぞおちを蹴った。
がはっ!と息を詰まらせる。息ができないまま続けて背中、脇腹を蹴られた。止めには地面に打ち付けられ、しばらく口から呼吸ができないほどの状態になった。なんとか鼻から酸素を取り込み、一時を逃れた。
気が付けば、左腕から大量の血が流れていた。どうやら、よっぽど深く切られたらしい。必死に息をする鼻に、鉄の臭いが押し寄せてくる。
「おい、深く切りすぎだ。もっと浅くでいい」
悟郎がもう片方の悟郎に言った。するともう片方の悟郎は、面倒くさそうに頭をボリボリと掻いた。
「いいだろ、別に。浅かろうが深かろうが、傷つけることに変わりはない」
「これは連中との喧嘩じゃない。騒動になったら、仲間たちの立場も危うくなるんだ。次からは気をつけろ」
「へいへい、分かりやしたよ」
悟郎はもう片方の悟郎と話し終えると、裕人の胸倉を勢いよく掴み起き上がらせた。
まだ息がし辛い。吐き気もする。そんな裕人を気にせずに、悟郎は語り掛けた。
「いいか?本当にこれがラストだ。これを、俺がお前の愛する女にもやるハメになるんだ。いや、多分もっと度が高い事になるだろうな。俺は、なるべく女は傷つけたくない。選択肢を選んだほうが、無難だと思うんだが」
「かはっ…わか…げほっ!げほっ!」
言葉を発しようとするが、思うように喉から音が出ない。彼は呆れるように首を振ると、投げ捨てるように裕人を離した。左腕に力が入らない裕人は、そのまま地面に落下して横たわった。
「姉御。もうこれでいいでしょ?多分、もう逃げることはないと思いますけど」
悟郎が、電柱に寄りかかって眠たそうにしていた前田に呼びかけた。
「んー。そうね。私もあんまり痛がってる真田君を見たくはないし、そのくらいにしておいてちょうだい。それじゃあ悟郎、次郎。もう帰っていいわよ。ごくろうさま」
前田が告げると、悟郎と次郎と呼ばれたもう一人の悟郎は彼女に一礼して、去っていった。どうやら、彼らは双子のようだ。あの息の合った連携も、それなら頷ける。
ようやく喉に酸素が通るようになったものの、相変わらず吐き気が凄い。そんな地面に横たわる裕人のそばに、前田がゆっくりと近づいた。
「真田君?私にはね、今三十四人の駒がいるの。あ、さっきの雑魚は抜いた数よ?それが、心奈ちゃんに一斉に襲い掛かったら、どうなると思う?想像してみて?」
前田は、裕人の頭を膝枕の上に乗せると、まるで絵本を読む母親のように楽しそうに語り掛けた。
「それは…げほっ!やばいな」
「でしょう?そう考えたら、私のどっちかの選択肢、選んだほうがいいと思うのよね。私はちゃんと約束は守るわよ?真田君が、私と付き合ってくれるか、あの子の絶望する表情を作ってくれたら、あの子への嫌がらせはやめてあげるし、あなたと関わることも、ついでにやめてあげるわ。どうする?」
左腕の切られた傷がズキズキ痛む。チラッと覗くと、だいぶ肉が見えていた。これは早く決断しないとマズいやつだ。
「…ついでに、この腕の応急手当もしてくれたら、どっちか考える」
「あら、真田君ったらわがままね。いいわよ、してあげるわ」
すると彼女は、こうなることも分かっていたかのように、平然とカバンの中から包帯やらなんやらを取り出した。
彼女の手当の仕方は看護師並みで、止血から最後までしっかり丁寧にしてくれた。本当にこれが看護婦だったら、どれだけ幸せだったか。
「はい、完了よ。でも傷が深いから、開かないようにバスケや激しい運動はしばらく控えるようにしてちょうだい」
「お前…将来看護師にでもなったらどうだ?」
「あら、そんなに満足してくれた?ちょっと嬉しいわ」
前田はいつもの彼女らしくない笑みで、可愛らしく笑った。きっと本来の笑顔はこっちなんだろうなぁと、密かに裕人は思った。
「それで、どうするのかしら?私の彼氏になる?それとも、あの子の絶望した表情を見せてくれる?」
改めて彼女が問うた。
手当されている間、もう裕人はどちらにするかを決めていた。きっとこっちの選択肢のほうが、自分の為でも、周りの友人の為でも、彼女の為でもあると思ったからだ。これだけの力の差を見せられてしまったら、逃げる道はもう選べない。裕人は覚悟を決めた。
「…分かったよ。それなら俺は」
痛む左腕を抑えながら立ち上がる。裕人はゆっくりと口を開いた。
「あいつを…心奈を、絶望させればいいんだな?」
前田は満面の笑みを裕人に見せた。




