Memory.17
六月下旬
梅雨の雨も段々と降らなくなってきたらしい。着々と準備を進めている夏の暑さに、人々も葛藤の準備をしている。
照りつける日光で汗が額に滲む。裕人は汗を腕で拭いながら歩いていた。
「おうおう、着いたぜ」
「おー、いいねいいね。ザ・釣りって感じ!」
「二人とも、はしゃぎすぎだよ」
はしゃいでいる中田と心奈に、冷静に南口が言った。
今日は中田の叔父さんに、釣りに連れてきてもらったのだ。
本来は裕人と中田だけだったのだが、一件を話して「えー!ずるい、私も行きたい!」と急に申し出てきた心奈と、「心奈が行くなら、私も行ってみようかなぁ」と、完全にノリだけで付いてきた南口も一緒に同行した。
今日はそのために朝の六時起きで、叔父さんの車で一時間かけて海へとやってきた。
「ふぁー…眠い」
楽しそうに話している三人と違って、裕人は退屈そうに大あくびをした。
「眠そうだねぇ、ヒロ君。眠れなかったの?」
防波堤の先端まで歩いて行く二人を見送った南口が問うた。
「ん。いや、寝られなかった訳じゃないんだけど、やっぱり朝早いと体がついてこないなぁって」
「そっか。なら、ストレッチでもしてみたら?意外とスッキリするよ」
「ストレッチ、ね。適当にしとくかぁ」
部活前の準備運動と同じ動きを軽く行う。まだ動かしきっていない体の関節たちがゴキゴキと唸った。
「っていうか、南口。お前随分と麦わら帽子似合うな」
真っ白なワンピースを身にまとい、麦わら帽子を被った南口は、まるで絵画に写る美しい女性のようだった。
「ありがと、お気に入りなんだ。私の叔父さんからのプレゼントでね」
「そうなんだ」
「ヒロー!玲奈ー!なーにやってんの、こっちこっち!」
一方で、緑柄のTシャツにハーフパンツというポップな服装の心奈が、裕人達に向かって、防波堤の先端から手を振っていた。
「ったく、何をあんなにはしゃいでるんだ?あいつ」
裕人は呆れながらぼやいた。
「分かんないけど、ヒロ君と一緒にいられるのが嬉しいんじゃない?」
「ああ?俺と?」
「私、あんなに嬉しそうにはしゃぐ心奈は、ヒロ君と仲良くなるまで見たことなかったよ。心奈はヒロ君がきっと、大好きなんだね」
微笑みながら歩きだした南口の後ろ姿は、映画のワンシーンかのような一面だった。
「なっ、や、やめろよ。そんなことないって」
「うふふ、心奈が待ってるよ。行こう」
さっさと歩いて行ってしまう南口に、ため息一つ吐きながら、「はいはい」と裕人は後を追った。
防波堤から、ゆらゆらと波を打つ海をボーっと見ていた。
思わずはしゃいでみたのはいいものの、やはりあのことが頭から離れずにいた。
「どうした?暗い顔して。考え事か?」
ふと、隣に座って釣り竿に餌を付けている中田が問うた。
「えっ?私、そんな顔してたかな?」
「ああ、いかにも世界滅亡が目の前って感じの顔してたぞ」
「それはちょっと言いすぎだけど…」
心奈は一つため息を吐いた。
「まぁ、中田君には話していいか…」
心奈は小声でボソッと呟くと、一つ息を吸って話し始めた。
「あのね、ヒロには内緒にしてほしいんだけど…」
チラッと横目で裕人を見る。彼は奥で南口と話しながら、釣り竿の準備をしていた。なるべくポイントを離れて釣れるのを待ったほうがいいと、中田の申し出だ。
「始業式の日にね。私の机に『今日から三か月の間に彼から離れなければ、貴女は呪われる』って書かれた、ノートの切れ端が入ってたの」
「なんだ?それ。誰かの悪戯かなんかじゃねぇの?」
興味が無さそうに、中田が答えた。
「最初は私もそう思ったよ。でもね?実は私、去年の九月頃から、嫌がらせを受けてたんだ」
「嫌がらせ?誰に?」
心奈は首を振った。
「分かんないの。誰がやってるのか全然。でも、始業式の日から、ピタリと嫌がらせが無くなったんだ」
「よかったじゃねぇか。一件落着だろ」
「違うの。もしかしたら、今のこの三か月の間が、その紙に書いてある『彼』って人と離れられる期間じゃないかなって」
「つまり、三ヶ月時間をやるから、その間に縁を切れって言ってるんじゃないかってことか?」
「そういうこと。だって、ずっと嫌がらせが続いてたのに、急に無くなったんだよ?不自然じゃない?」
「クラス替えでできなくなったって可能性もあるだろ」
「それは、そうなんだけど…」
否定できない意見に、心奈は言葉を失ってしまった。それで片づけてしまえば終わりなのだが、どうにも心奈は引っかかっていた。
「それで?四月から三ヶ月ってことは…七日だから、七夕までか。なんか胡散臭い日にちだな」
「うん。それもあって、ちょっと怖いなぁって思ってて」
七夕の日がタイムリミットというのも、なんだか変に考えられて作られたようで気持ちが悪い。
「で、そいつが言う『彼』っていうのは…やっぱりあいつか?」
中田が彼を見た。南口と楽しそうに会話をしているあの裕人が、紙が言う『彼』である可能性は高いと思われる。
「…嫌だよ。ヒロと離れるなんて」
心奈は言った。
「ヒロは私の大事な友達なんだよ?どうして離れなくちゃいけないの?分かんないよ…」
「明月…」
ダメだ。彼を見ていると、思わず泣き出してしまいそうだ。彼から目を離して、海を見つめた。気ままに波打つ海を見て、平然を装った。
「よっぽど好きなんだな、あいつのこと」
中田が言った。
「…うん、好きだよ。ヒロは私の一番の友達だから」
「友達って…そういう意味ではないんだがな…」
不機嫌そうに中田は言うと、釣り竿を海へを投げた。
「なぁ、付き合いたいとか思わねぇのか?あいつと」
「付き合う?何に?」
「何って、その…裕人の恋人になりたいってことだよ」
「恋人かぁ。私、分かんないなぁ。好きってこと。友達としてヒロは大好きだけど、恋人としてはまだ全然」
「はぁ、ったく。そんなんだから変わんねぇんだよなぁ。…でもまぁ、それも一つの愛ってやつか」
中田は釣り竿を置いて立ち上がると、裕人達を向いた。
「話を戻すとだ。七夕がもうすぐで不安になってたってことだな」
「あ、うん。そういうこと」
「まぁ裕人には内緒にしておいてやるし、何かあったら、俺と南口も協力するからよ。お前は、裕人と手繋いで仲良く魚が釣れるのを待ってりゃいいんだよ」
「手繋いでって…」
「おい、和樹!リールの巻き方どうやんだっけ?」
裕人が大声で中田を呼んだ。どうやら向こうの二人は、釣り竿の準備に苦戦しているようだった。
「要するに、心配するなってことだ。あ、竿が動いたら言ってくれよ。ったく、前来たとき教えただろうよ…」
そう言うと、舌打ちをしながら、中田は行ってしまった。
ため息を一つ吐きながら、心奈は海を眺めた。
日光が彼女を照りつける。今日は一日、いい天気になりそうだ。
「ねぇ、ヒロ…。お姉ちゃん、大丈夫かな?」
脳裏に浮かぶ彼へ、心奈は静かに問いかけた。




