4.
二千×八年現在 西村が裕人を誘う前日
少女は駅に到着すると、覚えきった道を淡々と歩いていた。
今日は香苗から、友達を一人紹介したいと言われて、彼女のカフェに向かっている。
こんな生活も、思えば先月に美帆の誘いを受けたことが事のきっかけだった。
あれからというものの、だいぶ気持ちが楽になってきた。以前に比べて、あいつの顔を思い出すことは少なくなった。もう、後悔はしていない。
今の友人たちと、また新しくやり直していけばいい。決して今からでも遅くない。そう思えるようになってきた。これも、美帆や香苗のおかげだ。
段々と、毎日の生活に楽しみが増えた。美帆ともそれなりに会話できるようになったし、土日には香苗とも会い、三人で雑談したりしている。今の少女には、充分すぎるほどの毎日であった。
だが、一つだけ心残りがある。
―あの時、玲奈から逃げちゃったなぁ。
数週間前に、偶々旧友である南口玲奈と出くわし、思わず逃げてしまった。
そう、旧友である南口ともう一人。西村陽子を捨てられるかだ。
やはり今になっても、彼女たちとは会わせられる顔がない。特に南口には、二回も騙してしまっている。本当にに申し訳ないとは思う。
だが、怖いのだ。変わってしまった自分を見せることが。
一度してしまった罪からは逃れられない。少女はただひたすら、彼女たちと再会しないことを願い日々を送っていた。
「お、なっち。やっほー」
ふと、横断歩道を渡ったところで何故か香苗と遭遇した。
「あら?どうしたの?」
「うんー。実はさ、卵を切らしちゃってて、買わないといけないんだよね」
「卵?厨房に残ってないの?」
「うん。あれはお店でケーキを作る時に使う専用の卵だから。今日は、私が個人で作るから、家の卵を使わないといけないんだ」
「そうなの。なら、付き合うわ」
「お、気が利くねぇなっち。私も一人で寂しかったんだよぉ。寂しいと死んじゃうからね」
「あんたはウサギじゃないでしょ」
「そう?ピョンピョン!かなピョンだピョン!」
そう言うと、香苗が手を頭に挙げて、ウサギの耳の真似をする。
少しの時間、周囲の雑音だけが耳に入った。
「…聞かなかったことにするわね」
「え、ちょっとおおお!冷たいなぁなっち」
そんなこんなで、二人は近くのスーパーであらかたの買い物を済ませると、香苗のカフェへと戻った。
店内には、一人美帆が椅子に座り、ファッション雑誌を見ていた。
「お、おかえりー」
「おーう美帆、来てたんだ!よく来たねぇ」
いつも通り調子のいい香苗が、美帆に向かっておばさんっぽく言った。
「ところで、今日はもう一人来るのよね?」
少女が問うた。
「それなんだけど、なんだか電車が遅れてるみたいで、あと十分くらい遅れそうってさっき連絡が来てたよ」
美帆がスマートフォンを振りながら言った。
「そっかぁ。んじゃ、私は先にケーキ作り始めてるね」
「うん、頑張ってね」
「おうー任せなさい!」
香苗が手に持つ袋を掲げながら、厨房へと入っていく。香苗がいなくなると、少女は美帆の席の向かいに座った。
「で、もう一人の子は誰の知り合い?」
「誰、というか。私たちの中学校の時の友達。香苗とは、今も同じ高校だよ」
「ふぅん。名前は?」
「それが、香苗に『内緒にしたいから言うな』って言われてるんだよね」
「何よそれ」
とんだサプライズゲストだ。こちらの知っている人物ならまだいいが、全く知らない赤の他人をサプライズとして呼ぶというのは、どうかと思う。
「ところで、ちょっと気になってたんだけど」
「うん?何かしら?」
美帆がファッション雑誌をパタンと閉じ、テーブルの上に置いた。
「こんなこと聞くのも失礼なんだけど。心奈って、他に何人か友達っているの?」
「えっ」
友達。ちょうど今、考えたくもないワードだった。先日の逃げた件にも重なり、最近はそればかり考えてしまっている。
「いない…って言ったら嘘になる。でも、今も友達なのかは分からないわ。そもそも、友達の定義も分からないからね」
「ふむ…じゃあさ。私と香苗は、心奈にとって友達かな?」
「え?それは…そう、なんじゃないかしら」
正直に言うことがちょっぴり恥ずかしくて、少しだけじらした言い方をした。すると美帆は、優しい表情で微笑んだ。
「なら、それでいいんじゃないかな?友達っていうのは、定義とか意味とか、そんなもの要らないと思うんだ。ただ、一緒にいて楽しいって思えたら、もう友達だと思うの」
「一緒にいて楽しい、ね」
少女は、昔の南口や西村と話していた時を思い出した。
確かに、あの時は楽しかったと思う。でも…。
「…でも、逃げちゃったから」
「逃げた?」
「あ、その…」
一瞬話そうかと迷ったが、相手が美帆ということもあって、少女はこの間の出来事を簡単に美帆に話した。
「そっかぁ。でも、心奈の気持ちも、なんとなく分かるなぁ」
「そうかしら?普通の人なら、逃げないと思うのだけれども」
「ううん、やっぱり今の自分を正直見られたくないって人、私にも何人かいるし。そういう人に出くわしたら、逃げるのも無理ないかもね」
「そう…」
意外な返答に、パッとしないまま少女は店の外を見つめた。
ふと、誰かが早歩きでこちらに向かってきているのが見えた。顔はハッキリとは見えないが、服装で女性ということは分かる。
「けれど、やっぱり謝ったほうがいいと思うな。きっとその子は、久々に会った心奈が逃げて混乱してると思うし。機会があったら、正直にあの時はごめんって言ったほうがいいよ」
美帆が優しく微笑んだ。やっぱりこの笑顔は、見ているだけで心が落ち着いてくる。
「そうね…そうするわ…」
その時、店の入り口が開く音がした。
「あ、来たみたい」
美帆が中腰で立ち上がると、その人物に向かって手を振った。
「ごめんごめん、まさか電車が遅れるとは思わなくて」
その声に、少女は違和感を覚えた。
聞き覚えがある気がする。それも、懐かしくて、居心地がいい声だった。
―まさか…。
「紹介するね」
美帆が立ち上がると、その人物に手を挙げて言った。
「西村陽子ちゃん。よろしくしてあげてね」
「え?」
同時に二つの声が上がった。
顔を確認する。それはまさしく、紛れもない幼馴染の彼女だった。
彼女も同様に驚いているようで、口をぽっかりと開けていた。
―とんだ、サプライズゲストね…。
心底少女はため息を吐いた。
「心奈…?」
西村がぽつりと呟く。
「あれ?陽子、まさか知り合い?」
その様子を見た美帆が、西村に問うた。
「え、あ、うん…っていうか、その…えっと…」
彼女は口をもごもごとさせて、言葉が定まっていなかった。
かくいう少女は、一刻も早くこの場から逃げ出したかった。
まだ心の準備ができていない。たった今も、こうして美帆に相談していたばかりじゃないか。
どうしてこうも運命の針とは、残酷なのだろうか?
「…ごめんなさい、陽子。今はまだ、私にはあなたに会わせる顔がないの」
少女はそう早口で言うと、席から立ち上がって、急いで店を飛び出した。
後ろから自分を呼ぶ声が聞こえた。ああ、また同じシチュエーションだ。
どうして自分は、こうも他人を傷つけてしまうんだろう。やはり、誰とも接しないほうが幸せなんじゃないのか?
そのほうが誰も傷つかず、傷つけられることもない。
そうだ。やっぱり、美帆や香苗とも友達になるべきじゃなかったんだ。きっとそうに違いない。
心を新たに決めた少女は、近くの塀を飛び越えて、身をじっと隠した。一応、身体能力だけは自信がある。少女の唯一の救いだ。
果たして、逃げきれたのだろうか?胸の鼓動が早まる。早く時間が過ぎることを一向に願った。
もう十分くらい経っただろうか?流石にもう追ってこないだろう。
今日は、見つからないようにもう帰ろう。少女は立ち上がり、静かに歩きだした時だった。
「みーつけたっ!」
「ふぇ!?」
後ろから背中を叩かれた。
振り向くと、にんまりと笑う西村の姿があった。
「あんた、どうして!?」
「っへへー、私は心奈の親友だよ?かくれんぼの時の心奈が隠れそうな場所くらい分かるよ」
「嘘…」
改めて思い知らされた。幼馴染、親友の凄さというものを。
「ねぇ心奈。久々に会ってかくれんぼもいいけどさ。まずは…」
とっさに西村にギュッと抱き着かれた。顔は見えないが、どうやら泣いているようだった。
「久しぶり」
彼女の体温が伝ってくる。彼女の匂いが懐かしい。昔は彼女の背中にピッタリ収まっていたのに、今では自分のほうが大きいのだから不思議だ。
せっかくあと少しだったのに、ここまでされてしまったら、逃げるものも逃げられないじゃないか。
―これはもう諦めるしかない、か。
フッと苦笑いを浮かべると少女は、彼女の体を優しく抱きしめた。
「…久しぶり」
少女が言うと、西村は涙で顔を真っ赤にしながら笑顔を見せた。




