1.
約二ヶ月前 一月下旬
年も明けて、学校生活も始まると、三年生はすぐに自由登校となった。静寂する彼らの教室からは多少の寂しさが漂い、あれだけ賑やかであったお昼の売店も、売れ残りが見え始めているところを見ると、本当に居なくなったんだなぁと、少しだけしんみりする。
そうはいうものの、特にこれといって尊敬していたり、親しかった先輩がいたわけでもない。それでも、今まで騒がしかった校内が、シーンという無音を発することが慣れなくて、それを伝って寂しいという感覚に陥るのだろう。これは、人間の本質的な感覚の一つなのだろうか? 慣れというものは、怖いものだ。
まだまだ冬の寒さ真っ盛りの今日も、嫌々とそんな高校へ登校する為に、マフラーとセーターは欠かせない必需品である。
そんなことを考えながら、毎日を送っている最中。どうにも思うことがある。果たして、いつからだろうか。
毎日を平凡に過ごしているはずなのに、心にドロドロとした泥のようなものがへばり付いているような感覚だ。決して、非凡を求めているわけでもない。と言うより、俺は面倒ごとが大嫌いだ。平々凡々、ごく普通の生活を送れている自分は、当然幸せ者だとも思っている。それに、楽しいことが無いわけでもない。だが、どうしても心から、純粋に楽しめることが無いのだ。これだけ恵まれているのに、如何せん不愉快だ。
あの時は、高校生になれば。大人になれば、変わるだろうと思っていた。だが、結局は何も変わらない。「自分は成長したんだ」と、自覚しようとすればするほど虚しくなる。大人になるだなんて、年齢で決められるものではない。実際に、「昔は三十代がおっさんに見えたなぁ。でも自分達がいざ三十代になってみると、そこまでおっさんっていう自覚はないよね」と、三十代の叔父さん達が、テレビのトーク番組で話していたのを見たことがある。つまりはきっと、年齢が積み重なったところで、大半は大人に成り切れていない子供なのだ。
高校生はよく、大人と子供の境目と言われる。だが結局、大人になり切れていない子供ばっかりだ。無論自分もその類に含まれるだろう。大人にやらされることが、ほんのちょっと難しくなっただけの子供だ。結局何も変わりはしない。
変わりたいとは思う。自分を変えたいとは思うのだが、勇気というものがない。それこそ、大人になれば自然に出てくるものだと思っていた。
だが実際はどうだ? ただただ平凡に毎日を生き、特に達成感も無いままの特徴の無い毎日だ。本当に、こんな人生でいいのだろうか? 後悔をしない生き方なのだろうか? どれだけ考えても、その答えは出てこない。当然だ。俺の人生は、まだまだこれからなのだから。これからだからこそ、「不安」という二文字が、頭から離れない。一体自分がこれから、どういった人生を歩んでいくのか。全く想像すらつかないのだ。
そんな「大人に成り切れていない」俺にも、高校に入って少しだけ、変わったことがあった。それは……。
「あぁ!? だから何度も言ってんだろ! ミガネちゃんは、眼鏡かけてウジウジしてるカグラとは違うんだよ!」
うるさい。あまりにも不愉快だ。右耳から入ってくる怒鳴り声に、俺は怒りを覚える。しかし、その不快な怒鳴り声は増す一方だ。
「んだと!? カグラちゃんはな! 帝国が攻めてきた時に、たった一人で八万の敵軍隊を蹴散らした英雄なんだぞ!? ミガネなんて、ただ強技ぶっ放してるだけのお荷物だろ!」
そんなカグラちゃんと同じく、眼鏡をかけている彼が反発する。ダメだこいつら、熱くなってやがる。
「お前、ミガネちゃん舐めてんだろ? 『シューティングスター・エクスプロージョン』は、防衛軍一の威力だぞ?帝国幹部のワン、ツーを、一撃で仕留めたし。カグラなんか、チマチマ弓で一人一人射貫いてるだけじゃねぇかよ」
「それが良いんだろ!? あの人見知りのカグラちゃんが、一人で頑張ってるって思うと、応援したくなるもんだろ!」
「あのー……。少し静かにしてもらえますか? 眠いんです、俺」
もう我慢ならない。机に突っ伏して二人の会話を嫌々聞いていたが、どうにもケンカ内容がくだらなさすぎる。俺は、二人の会話に割って入った。
「あぁ? 裕人。お前どっちの味方だよ?」
片や、強技で敵を蹴散らす荒くれ者、ミガネ派である宇佐美悠介がこちらに問うた。
髪はボサボサ、ワイシャツの第二ボタンを開けて、細身でちょっぴりヤンキー風味が漂っている彼とは、中学時代からの仲だ。元から仲が良かったわけではないが、ある出来事がきっかけで彼とは仲良くなった。
「いやどっちの味方って聞かれてもよ。俺そのアニメほとんど知らねぇし。ミガネとカグラとシーナくらいしか知らん」
「嘘、マジで? ホント、裕人ってアニメ見ないのな。お前、いつも何してんの? 寝てんの?」
片や、百発百中の弓の使い手、カグラ派の石明真が俺に問う。三人の中では一番背が低く(因みに。俺、宇佐美、石明の順だ)、眼鏡をかけていかにもマジメそうな雰囲気を醸し出しているが、実際は全然そんなことはなく、実はムッツリスケベな野郎である。そんな石明とは、高校で出会って仲良くなった。
「いつも? 大体ネットサーフィンか動画見てるだけだな。アニメはまだしも、テレビなんて見やしないし。ゲームもほとんどしないしな」
「つまんねぇ生活してんなぁおい。休みの日もずっとそれか?」
「特に遊ぶ奴もいねぇしなぁ。外に出る理由もねぇし、休みの日はずっと部屋に篭ってるな、言われてみれば」
宇佐美が俺の前の席。椅子ではなく机に座る。特に忠告する気はないが、そこ。女子の席なんだけど。しかも、極度の潔癖症で有名な彼女の。……まぁ、いいか。知らない。見てない。
「流石、省エネ主義だな」
「それは褒めてるのか貶してるのか?」
「まぁ、褒めては無い」
「あっそ」
「ちょっと、悠介!」
ふと、急に教室のドアが開くと、途端にどデカい聞き慣れた声が聞こえた。瞬間、俺達三人、特に宇佐美がビックリして石のように固まる。
「あんた、昨日の数学のワーク、提出してないんやって? 先生から聞いたよ!」
その声の主が、段々こちらに近づいてくる。どうやら、ターゲットは宇佐美のようだ。
「なっ!? おま、わざわざ確認して……!?」
「あんた、ちゃんと提出日に出すってあの時言ったやろ? あの言葉どこいったん?」
彼の目の前にたどり着く。おぉ…、相変わらず、彼女の怒る姿は怖い。
彼女は佐口璃子。少しぽっちゃり体型であり、顔は目立って童顔で、ミディアムショートと呼ばれるような髪型をした、本校書道部のエース。同じく自分とは中学時代からの仲であり、何かの縁なのか、彼女も同じクラスである。
彼女は宇佐美との幼馴染で、小学生の時にこっちに越してきたらしい。生まれは関西なのだという。昔はなるべく関西弁を出さないようにしていたようだが、最近は「これもウチの個性やんね」と言って、徐々に関西弁を日常でもそれなりに出すようにしているとか。因みに、宇佐美の情報である。
一応、宇佐美と璃子は付き合っているという間柄らしいが、本当に「付き合っている」という言葉が適切なのかは、日常での二人の関係を見る限り不明である。
「い、いやぁ……。その、な? やろうとは思ったんだよ。でも寝ちまってさ。あ、でもあとちょっとなんだぜ?ホントに。ホントホント」
「悠介。五十歩百歩って言葉知っとるか?」
彼女が宇佐美の胸倉を掴む。もはやここまで来ると、俺らには救いようがない。彼がこちらに目線でヘルプを求めているが、自業自得だ。彼には犠牲になってもらおう。
「ほら! さっさと先生のところ行くよ!」
「な、何で今から行くんだよ!? 後でもいいだろ後でも!」
「何言うとるん! 今連れてくるって言っちゃったんや。今行かなくていつ行くの!?」
「そんなの、俺の知ったこっちゃない!」
「あ、それから、放課後にわざわざ時間取ってもらったからな? 先生の前で今日は補習やで?」
「は!? 勝手に予定入れんなバカ! それに何もわざわざ、先生の前で補習しなくてもいいだろ!?」
「そしたらあんた、いつの間にか逃げて帰っとるやん! 前に一度やられたから、もうその手には乗らんで!?」
「何言ってんだ! あれはだな!……」
宇佐美が必死に抵抗をしているものの、ズリズリと胸倉を掴まれながら、気が付けば二人はもう教室のドアの前だ。やはり、体の大きい彼女の力は計り知れない。
そういえば彼女は昔、柔道だったか、空手だったかをやってたと聞いた事があるような……。あまり重要ではないことは記憶しない俺の脳内メモリーは、どうやら曖昧に記憶を書き記してしまったようだ。
「またやってんなぁ」
ため息を吐きながら呟く。もう、これも慣れたもんだから仕方がないが、いい加減見飽きたものだ。
二人はよくああやって、ケンカが始まってしまう。それは時、場所問わずだ。お互いに気が強いという事もあるのだろうが、宇佐美曰く「ケンカが俺たちの取り柄だからな」と、前に誇っていた。一体何があったのかは定かでは無いか、きっと幼い頃から二人はああなのだろう。ケンカするほど何とやらとは言うものの、この言葉が本当かどうかが謎であるのもまた事実である。
「好きだなぁ、あいつら。ケンカするの」
いつの間にか俺の隣の席に座った、石明が頬杖を突きながらぼやく。もはやこうなってしまっては、俺達にはどうすることも出来ないのだ。ただただ、二人のケンカを眺める事しかできない。
「どっちかがああなったら、もう止まらねぇからな。昔からだよ、ホント」
――ホントもう、何でみんな、そんなにケンカする気力があるんだか……。
キーンコーンカーンコーン……。
そんな、教室内で目立って口喧嘩を繰り広げている二人をまるで裂くように、昼休み終了のチャイムが鳴った。