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3.

同日


「お疲れ様ー」

 バンドリーダーである美沙希みさきの掛け声で、今日のジャズバンドの練習は終わった。

 アルトサックスを膝に乗せて伸びをする。しばらく動かさなかった体を伸ばすこの感覚が気持ちが良い。

「今日、鍵当番陽子だよね?」

 同じくバンドのメンバーである千鶴ちづるが言った。

「あ、うん。分かってるよ」

「それじゃ、よろしくね。また明日」

「またね」

 美沙希と千鶴が、揃って部屋を出て行った。

 西村の所属するジャズバンドは、現在五人で構成される少人数のバンドだ。ピアノ、ドラム、ベース、テナーサックスに、西村が担当しているアルトサックスという構成だ。夏までは先輩も含めて十一人で活動していたのだが、西村たちの後輩は一人もおらず、今年の夏までに三人以上後輩が集まらなければ解散となってしまうのだ。

 部屋に取り残された三人は、各々自分のやりたいことをやっていた。

「そういえばさー陽子ー」

「ん、何?」

 スマホをいじりながら、テナーサックスを担当するゆいが言った。アルトサックスを手入れしていた西村は、彼女を見ずに返事をした。

「なんか聞いたよ?変な噂。あれどうせガセネタでしょ?」

「え?あ、当たり前でしょ?私はあいつと付き合うなんてあり得ないし」

「だよねぇ。マジメで聡明な陽子が、あんな何考えてるか分からない男と付き合うわけないよねぇ」

 ホッとした様子で、結が言った。

「噂なんてほっとけばいいのよ。どうせいつか忘れ去られるから。…ああもう!このナルシストしつこいなぁ。ねぇ結!あんたこいつと同じクラスなんだから、なんか言ってよ!」

 結を挟んだ奥の席に座って、同じくスマホをいじっていた奈緒なおが声を荒げた。

「えぇ、やだよぉ。あの子、一度話し出すと止まらないんだもん」

「そう!まさに今その状況。あーあ、こいつもうブロっていいと思う?」

「うぅん…奈緒が嫌だったらいいんじゃないかなぁ」

 ―大変だなぁ、結も奈緒も。

 つくづく、女とは大変な生き物だと思う。人間関係でも、社会生活でも。

 手入れも終わり、アルトサックスをケースにしまう。ピアノの上に置いてある部屋の鍵を手に持つと、西村は二人に話しかけた。

「ほら、二人とも。鍵閉めるよ」

「はいはーい。今出まーす」

 荷物をまとめて三人は出ると、入り口で西村は二人と別れた。

 一人になった西村は、鍵を職員室へ戻すために一人で廊下を歩いていた。

 夏の大会前以外は、活動日は毎週水曜日の一日だけだ。五月のテスト明けから週六日のハードスケジュールに移行し、更には文化祭とも重なるからこれまた厄介だ。文化祭のオープニング、エンディングでも西村たちのジャズバンドたちの演奏を頼まれているために、練習曲はとても多い。

 なんなら普段から少しづつ多めに練習すればいいと思うのだが、そこは女の理由だ。元々、当バンドには担当の先生がおらず、西村たち個人で組んでいる。その為、活動日、活動時間、活動内容。全てにおいてメンバー内で話し合いをし、学校に提出しているのだ。

 つまり皆、各々できるだけ活動時間は少なくしたいとの理由で、大会前は週一の活動日で落ち着いてしまっている。

 ―はぁ、ホントいつまで噂されるんだろう。

 またさっき、例の噂の話をされた。今日、これで二回目だ。

 一体誰が面白がって噂を広めているのだろうか?思い出すだけで無償に腹が立つ。

 この怒りはどこにぶつければよいのだろう。西村は、つかみどころのない怒りを抱えていた。

「…あっ」

 階段を降りようとしたところで、目の前の階段から一人の男子生徒が上がってきた。

 彼は間宮健二まみやけんじ。西村のクラスメイトで、今まさに、西村の相手として噂されている張本人だ。細身で眼鏡をかけていて、普段から孤独でいる彼からは、人を寄りつけさせない雰囲気がにじみ出ていた。

 彼と一瞬目があったが、気にしない様子でそのまま横を彼は過ぎ去ろうとした。

 そうだ、今は彼と二人きりで話せるいい機会だ。ここはちょっと、問いただしてやろう。

「ちょっと待って!」

 振り向きざまに西村は、彼の腕を掴み壁に引き寄せた。

 普段から感情をあまり見せず、無表情な彼が珍しく、汚い物でも見るような目でこちらを見た。

「なんだ?誰だお前」

「誰って…同じクラスの西村だけど」

「…ああ、いたな。そんな奴」

 棒読み気味に彼は答えた。

「っていうか!この間駅でちょっとだけ話したよね!覚えてない!?」

「駅?…いや、記憶にない。というか、どうでもいい出来事は憶えない主義なんでな」

 驚いた。前は直接名乗らなかったから仕方がないが、まさか顔すら覚えられていなかったとは。

 彼の一匹狼っぷりは、西村の想像を超えていた。

「ほら!この前、駅の本屋を出たところでぶつかっちゃって、買ったばかりの本落としたでしょ?ぶつかったのも、本の入った紙袋を拾ったのも私!」

「…ああ。あったな、そんな事」

「ちゃんと覚えてるじゃない!ただ覚えようとしてないだけじゃないの?」

「だからさっきも言っただろ。どうでもいい事は、憶えないって」

「むぅ…。じゃあ、今あなたが噂されてる噂、知ってる?」

「噂?…いや、知らないな」

 目線を上に向けて考えたようだが、健二は首を傾けて答えた。

「そう、なら言うけど。最近、私があなたと付き合ってるって噂が流れてるの」

「そうか」

「そうか、じゃないでしょう!?何か言いなさいよ!」

「じゃあ仮に俺が何か言ったとして、その噂は消えるのか?」

「そ、それは…」

 確かにその通りだ。彼に何かを言ったところで、この状況が変わるわけじゃない。

「分かったらその手を離せ。あざができる」

「え?あ!ご、ごめん…」

 どうやら、ずっと腕を握ってしまっていたらしい。あざは流石に言いすぎだが、無理に力が入ってしまっていたようだ。

 彼に怒りをぶつけるつもりが、一気に形成が逆転してしまったようだ。もう、次に彼に何を言えばいいか、分からなくなってしまった。

「…話は終わりか?」

 面倒くさそうに彼が言った。

「え?あ、うん…」

 彼は握られていた腕を手で払うと、気怠そうに背を向けた。何も、払わなくてもいいじゃないか。心底で西村はムッとした。

「…一応、言っておく」

「え…?」

「俺とは関わるな。周りから白い目で見られる。噂が更に酷く広まっても、それは俺のせいじゃない。それは理解しておけ」

 彼はそう言うと、ズボンのポケットに手を突っ込んで、立ち去ってしまった。

 西村はその後ろ姿を、ただ呆然と見つめていた。

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