貴方の声で
目覚めて、最初に目にしたのは、灰色の男の子だった。
髪は黒というには薄く、銀というにはくすんでいる、灰色。二つの瞳も同じ色で、肌はあまり血の気がなくて、青白いそれも灰色に見える。そんな男の子。
彼は私の名前を呼んでいた。ソラトロテ、と。
声は灰色ではなかった。
彼の声は朝焼けの日差しのような……オレンジ色の声だった。
彼はハルトと呼ばれていた。本当の名前は違うらしいけれど、私にもハルトと呼んでほしいと彼は言った。
ハルトは、とても優しい。
私をソラと呼んでくれる。あったかいオレンジ色の声で。
それだけで、私は幸せだったから、他に何もいらなかった。
ハルトが一緒なら、それで充分。
ハルトの友達に、切崎さんっていう真っ黒な人がいる。髪も目も真っ黒で、でも、肌だけは真っ白。切崎さん自身も黒が好きみたいで、服も持ち物もみんな黒いものばかりだ。
切崎さんはハルトにはちょっと意地悪だ。からかって楽しんでいる。ハルトが面白いからだって言うけれど。でも、悪い人じゃない。私が知りたいことをちゃんと教えてくれる。……ハルトには聞けないことも。
私は人間じゃない。
それを教えてくれたのは、切崎さんだった。
「ハルトさんは知らせたくないでしょうけどね……でも、ソラさん、彼は貴女が」
そのとき、切崎さんは言葉を飲み込んだ。そして、こう言い直した。
「ハルトさんを嫌わないでくださいね」
はっきりとは言わなかったけれど、切崎さんが言いたいことはわかった。
なんとなく、わかっていた。ーーハルトは私に誰よりも優しい。
特別なんだ……って。
それは私も同じだったから、私は切崎さんに訊いた。
いつも優しいハルトに、何かお礼できないかなって。
「そうですねぇ……ああ、そういえば、もうすぐバレンタインです。そのとき贈り物をしてみては?」
バレンタインがわからず、訊き返すと、それは好きな人やお世話になっている人にチョコレートを贈る日だと言っていた。
ハルトは好きだし、お世話にもなっている。だから、切崎さんのその提案を実行することにした。
「でも、ハルト、私が作ったので喜ぶかな……」
「喜びますよ! 決まってるじゃないですか。ソラさんが作るんですから」
切崎さんはそう言って笑いかけてくれた。
ちょっと、頑張ってみよう。
私はたくさん勉強した。チョコレートに関係のあることだけだけど。
自信のない私のために、切崎さんも来てくれて、私はフォンダンショコラを二人に作った。
二人とも、喜んでくれた。
ハルトが驚きながら、笑ってくれたのが、とても嬉しかった。
私は一つだけ、ハルトに我が儘を言っていた。
花を育てるために、庭がほしい、と。
これも、切崎さんからの提案があってのことだった。
花も贈られれば、嬉しいものだと。
私は花が好きだし、花の勉強をしているうちに覚えた[花言葉]や[花贈り]にも興味があった。
本当はバレンタインと一緒に花贈りもしたかったけれど、寒い時期に咲く花は上手く育てられず、素直に他の季節に咲く花を育てることにした。
私は他に鉢植えでピンクのカーネーションを育てた。花言葉は[愛してる]。私はその意味がよくわからず、切崎さんに訊いた。すると、それは[大好き]という意味だと教えてくれた。
それなら、花贈りに最適だと思って、育てることにした。
ハルトのこと、大好きだから。
バレンタインが無事に終わって、何日か経ったある日、ハルトが私に庭を貸してほしいと言ってきた。別に私に訊かなくても、元々はハルトの庭なんだから、使っていいのに。私はそう思いつつ、いいよと答えた。
まさか、あんなことになるなんて思っていなかった。
ハルトが育てた花はオレンジ色の花を咲かせた。オレンジ色のカーネーションだ。
でも、花贈りにはあまり良くない花だ。ハルトは知っているのだろうか。オレンジ色の花言葉は[軽蔑]だ。人に贈るような言葉じゃない。
ハルトを見ると、首を傾げていた。何も言わないので、いいのかな、と私も気にしなかった。
そもそも、カーネーションは鉢植え向きの花だ。庭の花壇で育てるのはどうなんだろう、とも思っていたけれど……ハルトにも何か考えがあるのかもしれない。
私がハルトに何も言わなかったから、こうなった。
ハルトが、オレンジ色で埋め尽くされた庭に絶句する姿を見ることになった。
気づいたんだから、言えばよかったんだ。鉢植えの方がいいって。
何の花を育てているのか、訊けばよかった。
「ごめん、ソラ。ごめん……」
ハルトは何度も謝った。
ハルトは悪くないのに。
咲く間もなく、ソラの花をカーネーションの養分にしてしまった、と。
庭を滅茶苦茶にしてしまった、と。
やめて、やめて。謝らないで。
ハルトは悪くないんだから。
大丈夫、花ならまた植えればいい。だからーー
ハルトはそれから、辛そうだった。
ずっと、花のことを気にして……無茶をした。
オレンジ色のカーネーションを刈ろうと、一心不乱に抜いて、その毒性に倒れた。
「ハルト、ハルト!!」
ハルトが目を開けない。ずっと、目を開けない。
このまま、永遠に目を開けなかったら……
嫌っ、嫌っ……! そんなの、絶対に嫌。
「名前を呼び続けてください」
切崎さんがそう言ってくれた。
「ソラさんになら、きっと彼は答えるから」
オレンジ色のあの声が聞きたかった。
あの声に呼んでほしかった。
ソラ……って。
「おはよう、ソラ」
嬉しかった。
目覚めて、最初に私の名を呼んでくれたから。
「ハルト!」
私も、力いっぱいハルトの名を呼んだ。




