オレンジ色のカーネーション
ソラに話しておけば、よかったんだろうか……
知らなかった。カーネーションが花壇で植えるのに適さないなんて。
普通は植木鉢に植えて育てるものなんだって。
だから。
でも。
こんな光景は、あんまりじゃないか。
ソラの中庭。
春が訪れたそこに咲き乱れる花があった。
白いはずの花。
白い花を咲かせると聞いていた花は。
一面をオレンジに染めていた。
何が問題か。
ソラを照らす陽光にも似たオレンジ色は、美しくはあった。
オレンジは、暖かい色だ。
けれどもこのオレンジは、全てを、食らいつくした。
ソラが育て上げてきた花を、全て。
ああ……
あああっ……!
あああああっ……!
最初は一輪、咲いただけだったんだ。
おかしいな、とは思ったんだ。白の純血種だったはずだから、他の色が咲くなんて。
でも俺は思っただけで、大したことじゃないとその疑問を棚に上げてしまったんだ。
花が咲いたことが嬉しくて。
どうしようもなかった。
ソラに打ち明けた。彼女なら、どうにかできるかもしれないと思って。
けれど、打つ手なしだった。
「でも、話してくれてありがとう、ハルト。私、調べてみるよ」
育てた花が枯らされて辛いはずなのに。
彼女は辛いはずなのに、笑顔で俺に[ありがとう]なんて言うのだ。
それから、宣言どおり、調査を始めた。
元々備えられた高性能知性のために、早々と結論は導き出された。
「土の中に、今まではなかった成分が混ざっていたの」
オレンジが埋め尽くす庭で、彼女は説明した。
「その成分は人間には害はないけれど、他の花たちにとっては毒だったみたい。そしてそれを作ったのは……ハルトが植えた、その花」
花が、殺したのだ。
「突然変異、だよ。花が生きるために変容する。世界ではよくあることだから」
気にしないで、と優しい声が言う。
無理だ。
俺のせいだと、思わずにはいられない……!
俺が、何も知らないで種を蒔いたから、ただ、笑顔が見たいって、それだけの理由で種を蒔いたから……!
ソラの花を枯らしてしまった……!!
「ねえ、ハルト。泣かないで。貴方が私のために泣いてくれるのは、とても嬉しい。でも」
続いた言葉に俺は凍りついた。
「でも、それが高性能知性体である私に対する同情なら、やめて」
冷たい雨。
冷たい雨が頬を伝う。幾度となく、俺を濡らす。
違う。
違うよ、ソラトロテ。
俺は、君が好きなんだ。
好きだと伝えたかっただけなんだ。
全部、空回りして。
君を助けたのは、同情なんかじゃない。
君と暮らしたのは、同情なんかじゃない。
花を、植えたのは、同情なんかじゃ、ない……
君が、好きだ……
だからなんだよ。
だから……なのに……
言わないでくれよ……
君が、君の口で高性能知性体《人間じゃない》なんて、言わないでくれよ……っ!!
ソラは、悲しげに微笑んだ。
「悲しいね、ハルト」
陽光とオレンジで白金に輝く髪をたなびかせ、彼女は呟くように言った。
「私、貴方とは違うんだ……」
やめて、くれ……
雨が降っているんじゃないのか? どうして晴れている。
どうしてオレンジ色のカーネーションが陽光にきらめいているんだ……!!
「泣かないで、ハルト」
彼女はもう一度そう言って、立ち去った。
「待って……」
追いかけた俺の声は妙に弱々しかった。
でもソラは聞き取って、立ち止まってくれた。
「ソラ、君……自分が高性能知性体だって、誰に聞いた?」
知ってほしくなかった。自分が人間《普通》じゃないなんて。……思ってほしくなかったのに。
「……切崎さんだよ」
躊躇い気味にソラが答える。
「切崎……!」
殺意が芽生えた。
あいつ、ソラにそのことは話さないでおこうと自分で言っていたくせに。
ソラが普通に暮らせるようにって手を尽くしていたくせに。
なんで言うんだよ!!
なんでソラにこんな顔させるんだ。
「いいんだよ」
ソラは笑う。
「私、ハルトと会えて、幸せだから」
笑っているのに、泣きそうな顔。
「花のことも、気にしてないよ。ハルトのせいじゃないもの」
優しい、柔らかな声が言う。けれど、俺の中の暗雲は晴れない。
空はこんなにも明るいというのに。
オレンジのカーネーションは、中庭を埋め尽くすだけでは飽き足らず、俺が緊急措置として設置した支柱や塀をも埋め尽くし、このままでは家にまで侵入しそうな気配すらあった。
俺は一つ花を手に取り、伸びに伸びた最早蔦と言っても差し支えないであろう茎を辿り、根元から引き抜いた。
意外とあっさり抜けた。思ったより、深くは根づいていないようだ。
これなら、と俺はどんどん引き抜いていく。花の匂いと土の匂いしか感じなくなる。普段なら長時間嗅いでいると不愉快なはずの匂いが、何故だか全く気にならなかった。
ソラが切崎から聞いたのは、自分が人間じゃないことだけ。彼女を作った怪しい組織のことや、彼女が人殺しの道具として作られたことは知らないらしい。
「僕はそこまで残酷な人間じゃありませんよ」
あの後、電話口で問い詰めた俺に苦笑気味で切崎は答えた。
「彼女の方から訊いてきたんです。人より飲み込みが早すぎること、明らかに異貌である容姿……そして貴方があまりに大事に扱うこと。 これらが彼女に[自分は普通の人と違うのではないか]という疑問を呼び起こしたようですよ」
なんだ、俺のせいか。そう思って苦笑した。
同時に悲しかった。
俺がソラを大事にするのは、ソラが普通の人じゃないからなんて理由ではないのに。
ーー伝わらないな。
オレンジ色と土色にまみれながら、俺は思った。
花に頼ろうとしたのがいけなかったのだろうか。花なんかに頼らずとも、普通に話せる。わかり合える。
それなのに、気恥ずかしいからと、思いを花に託そうとした。それがいけなかったのだろうか。そう思わずにはいられない。
だって、それが全ての発端だ。
「……でも、言える気がしないな」
疲れた。
少し重い体を、引っこ抜いた花たちの上に横たえる。土まみれになるのも、むせるような花の匂いがつくのも構わずに。
「……君のことが、好きだ」
彼女の略称と同じ音の青い空間を見上げ、呟く。
「……ソラ……」
君のことが、好きだ。
今度は心の中で。
口に出していないのに、何か恥ずかしかった。……そういえばさっきの、誰も聞いていないよな?
そんな思考がよぎったが、今はいいや。……少し花摘みにはりきりすぎたのか、俺はどっと疲れを感じ、オレンジの中に埋もれて眠った。