ソラトロテ
「ハルト、おはよう」
「おはよう、ソラ」
窓からさんさんと降り注ぐ陽光に輝く彼女の銀糸の髪。眩しいけれど、とても綺麗なそれに俺、百瀬 悠は目を細めて答えた。
二人暮らしには少々広い一軒家。俺はダイニングキッチンで朝食を作っていた。もちろん、今起きてきた彼女のために。
彼女の名はソラトロテ。花が好きな女の子だ。白い肌に様々な光を不思議に返す銀糸の髪、髪と同じ色の瞳。柔らかな微笑みを湛えたその姿はただただ美しい少女にしか見えない。
……けれど、彼女は普通の少女ではない。……人殺しのために作られた[高性能人工知能体]だ。
彼女はそれを知らない。
彼女は起動する前のーーあの組織にいた頃の記憶はない。
今を平和に暮らしている。
それでいい。
俺はひきこもり気味のゲームクリエイターだった。
ちなみに彼女が呼んだハルトという名は俺の通り名だ。[ゆう]という名前の人があまりにも多いため、ゲームで使っていたプレイヤーネームを利用したのだ。
それはさておき。俺には変な友人がいた。切崎という黙っていればそこそこイケメンのしかし喋ると胡散臭い残念ゲーマーだ。
切崎というのも本名じゃないが、彼は本名よりその呼び名をいたく気にいっているため、久しく呼んでいない本名は忘れた。
ゲーマー界でそれなりに名を馳せる切崎だが、それは世を忍ぶ仮の姿。彼は社会の闇を暴く組織の諜報員だったりする。
胡散臭さは多分そのせいだ。
「ハルトさん、ちょっとこれ、見てくださいよ」
切崎がある日、俺にとあるデータを見せた。
ーーそれは、美しい少女の画像だった。眠っているように目は閉じられているが、きっと開かれたその瞳も綺麗なのだろう……そう予感させるような美貌だった。
銀糸の髪は光の反射の都合か、何か鋭さを感じるが、その冷たい輝きも魅力的だ。白すぎる肌に生気を感じられない気がするのが少々気がかりだが、この少女の美しさに変わりはない。
「……綺麗な子だな」
「惚れました?」
「なっ、馬鹿」
俺の反応に切崎はくつくつと笑う。くそっ、いつものことながら、またからかわれた。
「……ところで、その子、誰なんだよ? お前、胡散臭いけど悪趣味ではなかったはずだが」
切り替えるつもりで訊いた。切崎が真面目な表情になる。
そう、こいつは胡散臭いが、女の子の寝顔写真を撮って見せびらかすような悪癖はなかったはずだ。
真面目な……もっと言えば[仕事モード]の顔に変わった切崎を見、俺はびんびん嫌な予感がした。
「実はですね、仕事絡みなんですよ」
やっぱりな。
「今度の任務でその子を助けに行くんです」
「ふーん、そう」
この程度の発言にいちいち突っ込んでいられない。俺の経験則はそう答えを弾き出し、素っ気なく答えた。
しかし、切崎はいつも俺の予想の上をいくとんでも発言をするんだ。
「その任務、手伝ってくれませんか?」
「……はあぁっ!?」
俺は反論した。反論したぞ。一般人を巻き込むな、と。
そんな俺の反論を華麗にスルーしやがった切崎は、画像の少女の素性を話した。
この少女は対超能力者戦闘兵器として開発された高性能人工知能体だと。
超能力者に恐れを抱く連中が、脅威の高い超能力者に殺し屋を送るなんていう時代だ。一般人オブ一般人の俺には全く関わりがない話だが、世も末だなぁ、と思う。
……で、彼女の話に戻るが、彼女は本物の人間をベースにして作られたとか。敵対組織のやつらに殺された、超能力者の少女をベースに……
殺された、少女を……
俺はそこで限界だった。堪忍袋の緒なんて、音つきで簡単に切れたね。
「……わかったよ。その子を助ける」
こんな綺麗な子を、一度殺した上に殺しのための道具にするなんて、とても許せなかった。
危険なんて、どうでもよかった。
こんなに綺麗な子を……
「完全に惚れましたね?」
「うるさい」
からかうのを忘れない切崎はちょっと鬱陶しかったが。
そんなこんなでその救出作戦に参加した俺は色々とひやひやものの場面に出くわしながら、切崎の助けもあり、無事その子を助け出した。
それが、ソラだ。
ソラは起動前で、変な知識ーー超能力者は敵だとか、そういった洗脳の類ーーがなかったため、切崎の属する組織の計らいで普通の生活を送ることになった。
ご覧のとおり、俺と暮らしているわけだが、これは……切崎の計らいだ。
「彼女に一般人としての生活を送らせたいのなら、一般人の元に置くのがいいでしょう」
なんて、提案したのだ。
……まあ、まんざらでもないが。
ん、そこ!! 笑うな!!
そんなわけで、俺とソラは一つ屋根の下、ということになった。
ソラは普通に暮らすのに不自由しない程度の常識を身につけていた。家事だってこなせるし、読み書きも普通にできた。っていうか俺より頭がいい。読書家だし、真面目だ。本当、いい子だ。
彼女は花が好きだ。本を読んで、興味を持ったらしい。
「ハルト、私、花、育てたい……」
あまり自分の欲を出さないソラが唯一言ったのがそれだ。
俺は喜んで中庭を全部彼女に差し出した。
花を育てる彼女は綺麗だ。花に囲まれた彼女はその銀糸に様々な花の色を映し、いっそう綺麗に見える。
水をあげるソラ。土を調べるソラ。陽光に微笑むソラ。花を見つめるソラ。……みんな綺麗だ。
俺はそんなソラを見るのが好きだ。
ソラはいい子だ。
俺が作った料理を美味しいと素直に喜んでくれる。 これが切崎だと、ひきこもりなのに料理スキル高いんですね、なんて皮肉を込めたコメントをする。褒められてんのに、すっげー腹立つ。あいつだから尚更。
「ハルト、今日も美味しい。これ、じゃがいものサラダ?」
「ああ。ポテトサラダだ」
「今度作り方教えて」
「もちろん」
ああ、和むなぁ……
こんな平和な日常とソラの笑顔さえあれば、俺は充分だ。
ある日、ソラがせっせと何かを作っていた。
花の世話を早々と済ませ、部屋にひきこもっていたのだ。
いつもなら中庭で花を愛でるか、花に囲まれて図鑑とにらめっこするかのどちらかである彼女が、自室に、である。
「ソラ、入るぞ」
部屋をノックし、入る。差し入れを持って入ると、ソラはなんだかあたふたしていた。
「何してるんだ?」
「な、なんでもないよ……」
明らかに怪しいなんでもないだったが、なんだか問い詰めるのは可哀想な気がしたので、追及はしない。
ソラのことだ。何かに一所懸命取り組んでいるに違いない。
俺は差し入れに持ってきたクッキーと紅茶を置いて去った。
ところが、部屋を出た直後に閉めた扉が開き、ソラが出てきた。
「ハルト!」
「ん、どうした? ソラ?」
彼女は一瞬躊躇った後、こう言った。
「こ、今度……台所、貸して?」
「おう、わかった」
料理するのか。珍しいな。
少し気になったが、ソラの満面の笑みにほんの少しの引っ掛かりは吹き飛んだのだった。