5
やけに仕事が滞る。
ロシュバルトは最近感じていたことを、ふと部下に漏らした。
今日までの案件がいくつ終わっていないことか。今まではこんなことはなかった。
すると部下の一人であるアーネストが苦い顔をしながら答えた。
「それは、急病になる者が増えたからでしょう。」
どういうことだ、と聞くと救護室に行けばわかるという。
救護室──そこから連想する事は一つ。
確か内務省に入って3カ月。
あの新人が何かしたにちがいない。
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救護室にいくと意外にも人は少なかった。ベッドには数人寝ていて、いつも通りの光景だ。
「ここ数日の利用者をみせてくれ。」
一応確認しようとイリアに声をかけると、彼女はにこにこと愛想よくロシュバルトに冊子を渡してきた。
「次官様、おいでになるのをずっとまっていました。」
この子も自分を狙っているのか。
イリアが言った言葉に少し失望しながらも、こういった事に慣れきっているロシュバルトは軽く微笑んでページをめくる。
そこに書かれていたことにロシュバルトは目をむいた。
「…イリア嬢、これはどういうことだ?なぜこんなに急病で寮に早退する者をだす?
…そうか、これが原因か。君のおかげで仕事の計画がめちゃくちゃだ。どういうつもりか、説明してもらおう。」
事が飲み込めたロシュバルトはイリアに聞いた。自然と怒りの色が声ににじんだ。
「もちろんです。ずっと次官様を待っていたのですから。」
「君、まさか私に会うためにした、なんて言うなよ。」
それまでにっこり微笑んでいたイリアの表情がすっと無くなった。
「そんな馬鹿な事をするわけないでしょう。冗談をいう余裕がおありで何よりです。もっと忙しくして差し上げましょうか?」
馬鹿にしたような目で見るイリアに腹が立ったが彼女が自分に対して、先ほどの失言以外にも何か怒っていることを感じた。
「説明の前に。次官様の一日の労働時間が15時間というのは正しいですか?」
いきなり話がずれたことに困惑しつつ、頷いた。
「ああ、正しい。国の定めた基準を大きく越えているが。
全く、その法律を定めたのはこの内務省だというのに、その次官が守っていないとは笑い物だ。」
「そうですね。お疲れさまです。では、内務省に勤めている方の勤務時間はご存知ですか?」
「たしか私と同じであろう?」
その言葉にイリアの目は更に冷たくなった。
「いいえ、彼らの平均勤務時間は一日20時間です。因みに次官様の勤務時間は食事の時間や休憩時間を差し引くと、実質13時間です。
おわかりですか?何故私が皆さんを早退させる理由が。
次官様の時間に合わせて、休んでいただきました。」
言葉を失うロシュバルトにイリアは更に続けた。
「次官様は侯爵家の方です。皆さんと全く同じとはいきません。ただ、それを把握していないのはどうなのでしょうね。
長官を蹴落とすと仰っても、その前に勤めている方が先に駄目になってしまいますよ。
調べたところ、一年に内務省の20%は自主退社しています。
ちゃんと労働基準を守る必要があると思いまして皆さんに休養してもらいました。」
「……。」
「ご理解いただけましたでしょうか。」
「……わかった。よく、わかった。
.…仕事があるので失礼する。」
ばん、とひどく大きな音を立てて軋みながら閉められた扉をながめ、イリアは小さく溜め息をついた。
「これで長官が蹴落とされても、私の救護室勤務は決定ね。」
職場のNo.1とNo.2に嫌われてやりにくくなるだろうな、と思いながらもイリアは後悔はしていなかった。
扉を閉める前に見えた、次官のなんとも言えない酷い顔を思い出した。職場環境がよくなるのはまだまだ先かも知れないな、ともう一度溜め息をついた。
○○○○○○○○
「イリア!!次官に何言ったんだよ?あのあとロシュバルト次官の荒れたこと荒れたこと。」
アーネストから苦情が入ったのはちょうどイリアが昼食を食べようとしていた時だった。
「なにって…労働基準に関してちょっと話し合っただけよ。」
具体的に話していくと、アーネストの顔はどんどん青くなっていった。
「い、イリア。あんた本当に何言ってんだよ!それは暗黙の了解なの!侯爵家の人に俺たちと同じ条件で働けなんて言うなよ。しかも次官だそ?」
「でも、長官を蹴落とそうとしている方よ?そんな方が現場の
実情を知らないのはおかしくない?トップに立つ人間が変わっても問題点を知らなければ変わっても意味がないわ。」
「確かにそうかもしれないが、って、何で長官の失脚させる話知っているんだ?」
「次官様が初めて会ったときに教えてくれたわ。一年待てって。」
(……それを話してもらったってことは、次官にかなり気に入られてたってことか。もったいないことしたな、イリア。)
「で、進んでいるの?」
「いや、証拠が見つからない。不正をしているのは確かなんだが。長官もなかなか用心深い。」
「…そう。わかったわ。
ああ、そういえばお昼にこれ食べない?」
イリアの手には丸いパンが握られていた。
アーネストは何となく見覚えのあるそれを受け取った。
「…うまい!…あ、これよく下官か最近食べてるやつじゃないか。もしかしてイリアが作ってるのか?」
「そうよ。あんまり数は作れないけどね。ご飯を食べる時間もない人が多いから…。」
「へえ、あんた何でもできるんだな。」
「夜会に行かされていた時期に、お母様に花嫁修行の一つとして無理やりやらされたの。」
「結局嫁げなかったけどな。行き後れのイリアちゃん」
からかうアーネストに苛立ったイリアは椅子に座っているアーネストを叩いた。
「うるさいわね、食べ終わったら早く帰りなさいよ。」
「いてて。でも俺も婚期逃しそうだよ。こんな忙しい職場じゃ。そうなったら、子供を産める内にイリアを貰ってやろう。」
なおもふざけるアーネストに、イリアは冷たい視線を送った。
「そこまでして子供はいらないわ。それにあなた、女の子に不自由はしてないでしょ?」
「知ってたか。でもほんとに忙しすぎて女の子と遊べないんだよね。…それを思えばイリアが次官にああ言ってくれてありがたいかも!」
何を馬鹿なことを、と思いつつなんだかんだいってこの男とは気が合うのだ。
不思議なことに。
滞りました。すいません(^◇^;)