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A.G.O.  作者: エシナ
Ⅳ.Enfeebled light
32/37

4-7 聖なる光の御許

 あぁ、馬鹿なことをしてしまったと、華奈は自分でも思う。

 皆から怒られるだろうな、たまちゃんに怒られるのがちょっと怖いな、とも思う。

 だが、危ないと思った瞬間には、深冬とパルスを馬から庇うように立ち塞がってしまっていたのだから仕方が無い。

 腹の中心が痛かった。それ以上に、熱いと感じた。


「ハルちゃ……やっ……いやあああああぁぁぁ!!」


 深冬が絶叫した。

 瞬時に、パルスが動く。

 地を駆る低い姿勢を保ったまま跳躍し、剣を一閃。空気すら切り裂く鋭い剣閃は、馬型の巨体の首を斬り飛ばした。

 胴体がぐらりと傾き、斬り飛ばされた首が華奈ごと宙を舞う。パルスは魔物の首を追い掛け、華奈を貫いたままの角だけを根元から切断した。ぐったりとした華奈を空中で受け止め、着地する。


「ハルナ! おい……ハルナっ!」


 慎重に華奈を地面へと降ろしたパルスは、地に膝を突き、華奈の肩に腕を回して上半身を抱き起こした。呼び掛けに応じた華奈がうっすらと目蓋を持ち上げる。普段の活き活きとした輝きを失った瞳には、見たことも無いほどの焦りを滲ませた表情の黒い騎士が映っていた。

 何だか勝ち誇った気分になり、華奈はにへらと笑う。

 そこへ、ぼろぼろと涙を零しながら深冬が駆け込んできた。

 半ば足をもつれさせながら、深冬はパルスの反対側へ、華奈を挟むようにして膝を突く。


「なにっ……なに笑ってるの、もう! 笑いごとじゃないよおおおぉぉ」

「あはは……ごめんごめん」


 掠れた声で華奈が言った。震える指先で、深冬は華奈の頬へ触れる。

 華奈の腹に突き立てられた角が燐光を散らし始めた。魔物が魔素へと還る兆候だ。紫がかった光と共に角が消え去ると、華奈の腹からどぷりと血が溢れ始める。

 瞬時に、手を震えさせながらも、深冬は華奈の傷の蘇生を試みた。

 カイリもその場へと到着し、深冬の隣にしゃがみ込んで震える手の上から同じように手をかざす。

 青の光に、濃い橙の光が絡み付くように混じった。カイリは深冬のように傷を癒すような魔術を持たないが、精霊が封じられているこの場では思うように力を発揮できない中で、少しでも深冬の術を増幅出来ないかとの試みである。カイリの思惑は功を奏し、傷を塞ぐ速度が高まっていく。

 だが無情にも、地面を濡らす赤黒い染みは少しずつ広がっていった。



 魔族の女、ライラは、その光景を視界の隅に収めたままフラットと対峙していた。

 フラットの表情は険しく、彼の周囲が揺らめくような錯覚を抱かせるほどの怒りを携えているのが判る。

 ライラは、腹の底が締め付けられるような感覚を覚えた。理由が思い当たらず、内心で困惑する。それゆえか、側面から迫りくるものの存在に気付くのが遅れた。

 空気を唸らせるような震えに気付き、ライラは咄嗟に後方へと跳躍する。

 次の瞬間、今の今まで己が立っていた場所へと黒い塊が振り下ろされ、轟音と共に地面を抉った。風圧で巻き上げられた石つぶてがライラの肌を傷付け、その身を吹き飛ばそうとする。

 何とか体勢を整えて着地すると、直径十五メートル程のクレーター状に陥没した場所の中心に、小娘のひとりがしゃがみ込んでいた。

 鉄球付きの武器を振り下ろした体勢で少しの間静止していた環は、俯いたまま、ゆらりと立ち上がる。

 瞳孔の開いた目でひたりと見据えられ、ライラの背筋に怖気が奔った。


「どうして避けるの?」


 小首を傾げながら、普段通りの穏やかな声で環が問う。

 万が一喰らえば一瞬で肉塊と化すような恐ろしい攻撃だ。それは避けるだろう。避けない方がおかしい。ライラはそう言ってやりたかったが、錯覚ではなく本当に周囲の空気を揺らめかせるほどの怒気を纏った環に気圧され、口を開くことが出来なかった。

 ゆっくりと武器を構え直した環が地を蹴る。ライラとの距離は一瞬で詰まった。瞬きもせずにライラを見据えたまま、環は再び鉄球を振り下ろす。

 轟音と共に再び地面が抉られ、石つぶてが飛び散った。ライラは今度はそれを魔力の壁で防ぎながら後方へと跳躍するが、己が巻き上げた石つぶてで傷付くことも厭わぬ環がライラへと肉薄し、魔力の壁すら破壊する勢いで三度(みたび)鉄球を振り下ろしてきた。

 風圧でライラの背後の地面が抉れる。ライラは鉄球を防ぐ魔力壁の出力を上げざるを得なかった。

 何とか肉体へ受ける衝撃を殺しきったライラは魔力壁を纏ったまま地面へ叩き付けられてバウンドし、地面を転がったのちすぐさま起き上がって体勢を整える。

 視線の先では環が立ち上がり、ゆっくりとした歩みでライラの方へ向かってきていた。穏やかで可愛らしい容姿の、その瞳孔は開いたままである。

 この小娘は悪鬼か何かかとライラは思った。何百年と生きてきたが、ここまで背筋が寒くなるような経験はそう多く無い。


「タマキ、落ち着け!」

「それは無理よ」


 環の様相に気圧され停止していたフラットが正気を取り戻して叫ぶが、静かに即答された。

 怒りで我を忘れる気持ちは判る。だが、落ち着いて貰わなければならない。華奈を助けられる可能性があるのは、この状況を打開できるのは、環だけなのだから。


「良いから! ハルナが危ない! 精霊の声を聞け!!」


 思わず口調が荒くなる。

 だが、フラットの意図は彼女に届いたようだった。はっとして、環が落ち着きを取り戻していく。



『我が祝福を受ける者よ。我が許へ急いてください。魔のものの愛し子が失われてしまいます』


 脳裏に声が響いた。


『ようやく気が付いたようですね。さあ、早く。愛し子を助けましょう』


 呼び掛けに気付けぬほどに我を忘れていた自分を環は恥じるが、今はそんな場合では無い。声の主の気配を探る。

 気配は、環の側面。この空間への入口から見て正面の壁の奥から感じられた。そこには壁しか無いが、恐らくまた魔族が塞いだのだろうと考える。


「フラットさん、お願いします!」

「あぁ、この場は任せて!」


 環の言葉を汲んだフラットが彼女の元へ駆け付け、立ち位置を入れ替えた。

 環は壁へ向かって走る。

 ライラがその背を追おうとするが、ハルバートの穂先を突き付けられ阻まれた。邪魔はさせない、と、ライラを睨み据えるフラットの目が語る。

 ライラは、はっきりとした苛立ちでその美しい顔を歪めた。


 気配の濃い場所の壁へと辿り着いた環は、壁周辺に何か仕掛けられていないか探ってみる。幸い、罠の気配などは無く、単純に道がふさがれているだけのようだった。これならば力技でいける。

 環はその場から十数歩下がると、壁へ向かって助走を付けながら鉄球を振り下ろした。

 轟音が響いて壁であった場所の岩が飛び散り、細い通路が姿を現す。

 通路へと飛び込んだ環は、ひたすらに走った。



 腹から背に貫通するほどの深い傷は、精霊の力が制限されたこの場では、そう簡単には塞がらない。

 それでも少しずつ塞がっていくが、血が失われていく速度が速かった。


「今なら」


 掠れた声で華奈が言うので、パルスは耳を傾ける。


「今なら、腹の風穴から内臓を引きずり出して“ソーセージでーす”とかいう一発芸が……」

「……っ、馬鹿かお前は! 一発芸のために死ぬ気か!」


 パルスは顔を歪めて怒鳴った。本当に死にかけているというのに、口を開けばこれだ。

 華奈は一瞬だけ煩わしそうに眉根を寄せ、すぐにまた力なく生気の抜け落ちた表情に戻った。


「ごめんて。反省はしてるよ……」

「当たり前だ、馬鹿が……」

「馬鹿って言った方が馬鹿なんですぅー……」

「っ、ハルちゃん、ちょっと黙っててっ!」


 しゃくり上げながら懸命に傷を癒す深冬に言われ、華奈は黙る。そもそも、もはや喋るような体力も残されていない。

 その時、喉の奥からせり上がってくるものを感じ、華奈は顔を横に向けて咳込んだ。口の中いっぱいに鉄錆のような不快な匂いと味が広がり、咳と共に口の端から零れ落ちる。あぁ、血反吐を吐くってこういう感じなんだなと、華奈は思った。


「ごめ、ちょっと、眠るわー……くろい人の、腕まくらってのが……気にくわない、けど……」


 明日は朝早めに起こしてね。

 そう言って目を閉じ、華奈は本当に黙った。

 パルスは華奈の肩を抱く右腕に力を込める。空いている左手で、力なく投げ出された華奈の左手を取り、指を絡めて握った。そうして初めて、自分の手が震えていることに気付く。

 華奈の暖かい血は、彼女を支えるパルスの足を濡らしながら地面へと染み込んでいった。じわじわと広がっていく染みに、恐怖心すら覚える。

 パルスは何かを堪えるように顔をしかめると、目を閉じた華奈の額に自分の額をすり寄せた。


 その時だった。

 深冬とカイリが手をかざす場所。傷を修復するために発動していた魔術の光量が、ぐわりと増したのは。




 人ひとりが通れる程度の長い通路を、環はひたすらに走る。

 通路は薄暗かったが、所々に照明用の鉱石があったり足許に淡光花が生えていたりするので、視界を阻むほどでは無い。

 もうすぐそこまで精霊の気配は近付いているが、環はその距離すらもどかしく感じた。

 道ゆきの中、環は精霊と対話する。


『聖なる力とは、暗闇を照らす仄かな光。燦然と輝く命の煌き。闇に蠢くものどもを寄せ付けぬ、または導く、浄化の光です』

「……はい」


『今の世界には、その力が失われかけています。他の誰のせいでも無い、不甲斐なき我が身の責によって』

「少しですが、現状をこの目で見てきました。けれど、決してあなたのせいとは思いません」


『優しい子。我が愛し子よ。どうか貴女の力を貸してください』

「あなたに比べれば、わたしは小さな存在です。さっきのように、感情に任せて我を失うことだってある。あなたのように、全てを包み込むような光になれる自信も無い。けど、小さいけれど、微力は尽くしたいと思っています」


『貴女には力がある。我が力を宿し世界の流れを正道へと導くための、力がある。自己を過小に扱うのはやめなさい。灯火の尽きかけた魔のものの愛し子を救うことすら、貴女ならば成し遂げられるでしょう』

「……っ、はいっ! 必ず!」


 聖なるものを司る精霊は、穏やかで優しげな声で、環を励ましてくれた。

 温かで、母性すら感じるその存在。

 狭い通路が終わりを迎え、仄かな光で満たされた場所に、環は辿り着く。

 広くはない空間だった。六畳の、環の自宅の部屋程度だ。

 その場所の地面は、群生する淡光花で埋め尽くされていた。淡い光が立ち昇り、空間を照らしている。

 環は立ち昇る光を追うように視線を上げた。空間の天井は高い。精霊は、その半ばほどの壁に半分埋まるようにして、水晶体の中に封じられていた。

 声から感じられた印象そのものの、穏やかで優しげな面持ち。目を伏せたその造形は美しく、少女はとうに過ぎた、けれども年若い女性の姿をしている。

 ゆるやかに波打つ金の髪が淡光花の光に照らされて煌き、その存在の神々しさを象徴するかのようだった。


『さあ、我が身の封を解く方法は簡単です。判りますね?』


 問われた環は、その場に跪いて手を組み、祈りを捧げる。

 何となく、そうしなければならないような気がしたのだ。



「はい。改めて、こちらからもお願いします。あなたの力を貸してください。

 ――――レイリア」





 環が崩した場所。狭い通路から、強烈な光が零れた。

 フラットの妨害により環を追うことが出来なかったライラは、一層その美しい顔を歪める。

 精霊の気配が満ちた。この場所を守護する聖の精霊ばかりでなく、水と地の精霊も、あの忌々しい者共を通して顕現し、力を発揮するだろう。最早、この場所も放棄せざるを得ない。

 腹立たしい。

 心底腹立たしい。

 その腹立たしさはこの場にいる六人だけでなく、他へも向けられていた。

 ライラの足元に円陣が現れる。距離を取っていたフラットは追撃しようと地を蹴るが、得物の刃先が届く前に、円陣の光に包まれたライラは姿を消してしまった。……ご丁寧に、鋭い視線でフラットを睨み付けながら。

 舌打ちしたフラットは、念のため周囲の気配を探る。

 そうして魔族の気配が近くに無いことを確信すると、ようやく構えを解いた。

 ほぼ同時に、狭い通路から環が走り出てくる。環の背後には、無事に解放されたのであろう神々しい精霊が追従していた。

 環が向かう先を見れば、深冬とカイリの背後にもそれぞれの宿す精霊が顕現し、華奈を救うために力を発揮している。

 三柱もの精霊が揃えば、周囲を満たす力の濃度は圧倒的なものとなった。

 その神聖な気配に眩暈すら覚えながら、フラットは環に続いて華奈の元へと駆けていく。


『さあ、援軍がやってきた。ミフユよ、気張るのだ』

「はいっ!」


 深冬の背後に顕現したスプライトが、背後から華奈の傷へ向けて手をかざした。同じようにカイリの背後からも、淡く微笑むクラッドが手を差し伸べる。

 そこへ、少し息を切らせた環が駆け付けた。


「深冬ちゃん、ごめんね! お待たせ!」


 環はすぐさまパルスの横に跪き、華奈の傷へと手をかざす。黄金色にも見える黄色の光が、強く輝く青と橙に絡んだ。

 深く穿たれた傷跡が、みるみるうちに塞がっていく。

 失われた血は戻らないので顔色は悪いままだが、傷口が完全に塞がった華奈は、微かながらも一定間隔に呼吸音を立て始めた。

 深冬が華奈の胸元に耳を当てる。弱々しいが、心音が聞こえてくる。


『命の灯火の消失が、踏みとどまったのを感じます。しばしの休養は必要ですが、もう心配は要らないでしょう』


 穏やかな微笑みを浮かべ、セミロングの金の髪を揺らめかせる精霊レイリアが告げた。

 環がほっと息を吐いて脱力し、カイリも強張っていた全身の力を抜いて額を拭う。深冬の目から、再び涙が溢れ出した。


「うっ……うあああ、ハルちゃあああぁぁん! 良かった、良かったよおおおぉぉ!」


 頬が血で汚れることなど厭わずに、深冬はぐりぐりと華奈の腹に顔を擦り付ける。怪我人に障るからと、環のすぐ後にこの場へ駆け付けたフラットが、深冬の背を軽く叩いた。涙でぐしゃぐしゃの顔を上げた深冬は、鼻を啜りながら、代わりにフラットの腹へとしがみ付いて泣き始める。

 その声を聞きながらしばし呆然としていたパルスは、ようやく手の震えが収まり、握った華奈の手から温もりを受け取っていることを自覚した。

 目の前には、青白い顔をしながらも安定した寝息を立てる華奈の顔がある。


「……良かった、本当に」


 ぽつりと呟いたパルスは眉根を寄せて詰めていた息を吐き出し、華奈の肩口に顔を埋めた。

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