4-5 光の気配の行く先
ゴシャアアァァッ!!
…………と。
豪快な音と共に、これまた豪快に、階段を塞いでいた石柱群は夜の森めがけてふっ飛ばされた。
たった一撃、一瞬の出来事である。
華奈達は相変わらずの破壊力に心底恐怖しながら、障害物にすらならなかった石柱群に憐みを覚えることを禁じ得なかった。
そんな中、環様は、というと。
黒々と輝く凶悪な得物を携えつつ、さあ行きましょう、とばかりに、出来上がった地下への入口の前で微笑んでいらっしゃる。何とも神々しい御姿だった。
まあ、これで街が元に戻った後に参拝なども出来るであろうと。
良い方向へと意識を切り替えた華奈達は、薄暗い地下へ足を踏み入れた。
念のためにとランプに火を灯したフラットと、先導する環が先頭を歩く。
その後ろに華奈と深冬が並んで続き、殿はパルスとカイリが務めた。
白い石造りの階段を、しばらく降りる。
降りきってみれば、それなりの長さの階段だっただけはあるのか天井が高く、通路の幅も、ゆうに五人は並んで歩ける程度の広さがあった。
とはいえ陣形を崩すことはせず、六人は慎重に足を進めていく。
人工であろう白い石壁の通路をそうして少し進むと、四方の壁が、地質が剥き出しになったものへと変わっていった。薄青く、硬質なものだ。
入口付近は参拝者が歩きやすいよう、整備されていたのだろう。
しかし、地質が剥き出しになっても歩きにくいということは無い。地面は平らであるし、光を放つ照明用の石がぽつりぽつりと現れ始め、ランプの助けが要らなくなっただけ楽になった程だった。
「あっ、淡光花だ」
歩きながら、華奈が前方を指差す。
地質が剥き出しになってからは、頭上ばかりでなく、壁際の道端に咲く淡光花が足元をも照らしてくれていた。
視界に十本足らずが咲いている程度ではあるが、それでも充分な照明となっている。
成程、しばらく進んだというのに魔物の気配が無いのはこのためか、と。フラットは思い至る。
淡光花が魔のものを退けるという老人神官の言葉を、彼は思い出していた。尤も、それで警戒を怠るなどということは決して無かったが。
これまでを鑑みるに、精霊の封印場所に対し、魔族が何の罠も仕掛けていないなどということはあるまい。
むしろ、何処までを平穏に進むことが出来るのか。
「壁画が……」
フラットがそんなことを考えながら前方に集中していると、ふと、隣を歩く環が呟いた。
環は足を止め、淡光花と頭上の発光する石に照らされた岩壁に、ほっそりとした指を這わせている。
他の面々も一旦足を止め、壁いっぱいに描かれたそれらを見上げた。
「本当だ。祈る人々と、淡光花? と……」
「祈りの先に居るのは……精霊、なのかしらね」
いつ頃描かれたものなのか。
所々が掠れてしまっている壁画は、しかし、絵の内容を読み取ることは可能である。
迫りくる闇と黒い魔物。
闇に呑まれ逃げ惑う人々。
辿り着いた漆黒の森の中、救いを求め祈りを捧げる人々。
祈る人々を囲む沢山の淡光花。
淡光花から立ち昇る光の粒。
それら全てを包み込むかのように両手を広げ、微笑みを浮かべる女性。
メルビナの街の歴史を描いたものであるのか……それは、どこか恐ろしさを感じさせる、美しい絵だった。
壁画の纏う不思議な魅力に、もう少し見ていたい気持ちにさせられながらも。六人は目配せをし合って先へと進む。
そうして、何となく口を開く者も無く、靴音だけを響かせながら数分の距離を歩いた頃。
華奈達は、少しだけ開けた場所へと辿り着いた。
二、三十名ほどの人間が入れそうな……彼女達の感覚で言えば、学校の教室程度の広さがある半球形の空間だ。
これまでの通路と同様、壁面に沿ってぽつりぽつりと淡光花が咲き、側面には意味の読み取れない紋様が幾つか描かれ、正面には壁を直接掘り込んだ祭壇と女性の像がある。優しげに微笑む女性の像は、途中の壁画にも描かれていた精霊らしき女性とよく似ていた。
ここは、参拝に訪れた者達が祈りを捧げる場所なのだろう。
しかしながら、参拝に来た訳ではない華奈達には、ちょっとした問題が勃発していた。
「まさかの行き止まり……?」
ぺたぺたと壁を触りながら、華奈が呟く。
迷いなく足を進めてはきたものの、ここに来て、道が途切れてしまったのだ。
他の者達も壁や祭壇を調べ始める中、環は、空間の中心に立って精霊の気配を探ってみる。
未だ、触れられはしない。
けれどもそう遠くない場所に感じる、温かな光のようなもの。
目を閉じれば、声が聞こえた。
壁を隔てた先の木々の葉擦れのように、ささやか過ぎて、はっきりとは聞き取れない声だ。
けれども、身の内に語り掛けてくるその声の主が、環を呼び寄せようとしているのが判る。
そして、その大いなる存在が、確かにこの先に在るのだと。確信を持って断言することが出来る。
ならば何故道が途切れてしまったのか。その答えは、思いのほかすぐに導き出された。
「皆さん、ちょっとこちらへ」
祭壇から少し右側の壁の前で、カイリが全員へ呼び掛ける。
呼ばれて彼が示す壁を注意深く観察し……あっ、と、深冬が何かに気付いた。
ヘザーベアネスの屋敷で似たような状況に遭遇した環も、気付く。
明らかにこの先から呼ばれていて……それを妨害しようとする何かが、ここにあるのだということに。
あの時、地の精霊に呼び掛けられていたカイリも、同じ心境だったのだろう。今は、呼ばれずとも精霊を宿す影響で魔力的な仕掛けなどに敏感になっており、深冬も同じ理由で気付いたといったところか。
「ここに、恐らく隠蔽の効果がある魔術が掛けられています。ヘザーベアネスでも、類似した魔術を使って精霊の御許へと続く道が隠されていました」
「解除することは?」
「恐らく可能でしょう。しかし……」
フラットの問いに答えたカイリが言葉を濁したが、何を言いたいのかは全員が理解していた。
解除をきっかけに、屋敷中に魔物が溢れかえった前回を思い出す。
同じかどうかの断定は出来ないが、自分達にとって歓迎出来ないことが起こるであろうことは、想像に難くない。
それでも。
「タマキさん、以前より強力なもののようですが、いけますか?」
「……ん、大丈夫そう、かな」
「タマちゃん、やっちゃって!」
例え明らかに罠が待ち構えていようとも、彼らの中に撤退の文字は無かった。
環が違和感のある壁の前に進み出て、そっと右手を差し出す。
指先が触れると、波紋が広がるかのように壁が揺れた。次いで、人の背丈ほどの直径がある複雑な紋様の円陣が浮かび上がり、環の指先が触れた場所から光が消失してゆき、やがて消える。
次の瞬間、魔物が死にゆく時のような魔素の光を撒き散らし、目の前の壁が消えた。
ゆったりと揺らめきながら多量の魔素が消えてゆく、幻想的ですらある光景。その先に現れたのは、奥へと続く通路だった。広い通路は短く、通路の先に、更に広大な空間があるのが見える。
すぐさま魔物が湧き出して襲ってくる、ということは無かったものの、やはり魔族達の仕掛けた罠であったのだということを、六人は確信した。
慎重に通路を抜けた先の、祭壇と像がある部屋よりも何倍もの広さのある空間。
その中空に円陣が現れ、いつか見たガーネット色の髪の魔族が、六人の前へ降り立ったのだ。
静かに向けられる視線。
冷えた敵意。
ダンジョンにボスが居るのはまぁ、自然の摂理だよね。などと頭の隅で考えながら、華奈も皆に倣い、臨戦態勢へ入る。
視界には魔族の女ひとりのみ。
だが、六人と相対しても冷静な女が、勝算も無く姿を現したということはあるまい。
それでも、華奈達の中に撤退の文字は無かった。
――例え、何が起ころうとも。
-*-*-*-*-*-*-
木剣の打ち合う音が、牢屋内へと響く。
打ち合うは二名。
責める側は自在に態勢を変え、剣筋を変え、相手を翻弄するかのように。護る側はその自在な剣筋に翻弄されながらも、必死で防ぎきろうともがくように。
いつになく長く続いているな、と、見物人達が思い始めた頃に勝負は着いた。
護る側が木剣を弾き飛ばされ、一瞬意識を奪われたその隙に、足を掛けられ仰向けに転ばされる。そうして首元へ剣先を突き付けられれば、両手を挙げて降参するしか無かった。
「俺の勝ち、ですね」
「はぁ……三鴨、俺は喧嘩初心者なんだから、手加減してくれよ」
「してますよ、手加減」
「…………」
剣を突き付けるは弥鷹。降参するのは茅斗。
少し離れた位置で見物するのは、椅子に腰を降ろしたシャスタと、たらいを前にしてしゃがみ込んでいる彩瀬と愛花である。
血を抜かれて以降、しっかりと食事と休息を取って颯爽と体力を回復した弥鷹は、すぐさまシャスタから剣の稽古を受け始めた。
喧嘩の時に武器は使わない主義であった弥鷹は初めこそ戸惑ったものの、元々立ち回りの基盤があるだけのことはあり、めきめきと剣の扱いも上達。今やシャスタが内心で賞賛を送るほどである。
自分もただでは居られないからと、弥鷹と同時に剣の扱いを教わり始めた茅斗。彼も、弥鷹の自在な打ち込みにだいぶ耐えられるようになってきており、上々な成果と言えた。
実力差があるため今のところ防戦一方ではあるが、隙を見て攻撃に移ることが出来るようになるのもそう遠くはないだろうと、シャスタは見ている。
ちなみにこれが弥鷹対シャスタになった場合、攻勢が逆転する。
喧嘩慣れした弥鷹を以てして尚、剣を持ったシャスタに敵うことは無かった。むしろ無手ですら勝負にならず、軽々とあしらわれてしまったのである。その立ち回りの華麗さたるや、初めて見た時に彩瀬が感動の涙を流した程だった。
弥鷹は茅斗を助け起こして、小さく息を吐く。
目指す先はまだまだ遠い。
だいぶ剣を扱い慣れてきたという自覚はあるものの、例え牢屋の外に出て精霊の加護の力が加わったとて、まだシャスタに剣先を掠らせることすら出来ないだろう。
勿論、鉄格子の先に居るユーグベルにも、あれ以来姿を見せない銀髪の魔族にも。
……華奈と共に居る、黒衣の騎士にも。
弾き飛ばされた木剣を拾いに行く茅斗をぼんやりと視界に捉えながら、弥鷹は木剣の柄を握りしめる。
次はシャスタに相手をしてもらおうと振り返り、愛花の吐き出した盛大なため息によって、口に出そうとしていたその言葉を阻止された。
「少年漫画ばりの修行に励むのは結構なんですけどね。汗臭い洗濯物ばっかり増えて、こっちも大変なんですよ。夜更かしできないお子様体質の彩瀬先輩がおねむな時間帯ですし、少し休憩でもしたらどうですか」
洗いとすすぎに分かれて洗濯物をやっつけていた愛花達。見れば、すすぎ担当であった彩瀬の横に洗い終わった洗濯物が溜まり、肝心の彩瀬はというと、座り込んだままこっくりこっくりと舟をこいでいる。
昼も夜もなく常に一定の明かりが灯されている地下牢では、時間の経過が判りにくい。ゆえに、彩瀬のこの体質のお陰で夜の訪れを知ることも少なくなかった。
ふと思い返してみれば、本当に一体何時間稽古をしていたのか……
シャスタと交互とはいえ、茅斗もよく体力馬鹿な自分に付き合ってくれていたものだと弥鷹は思う。
「ほら、ちょうど良く華奈先輩達が映りましたよ。突っ立っていられても邪魔ですから、見るなら座って見てください」
そう言って愛花は、てきぱきと汚れたたらいの水を替えに行った。
相変わらず口は悪いが、それが弥鷹達を気遣って言われた言葉であることに気付けないほど、彼らの付き合いは浅くない。
弥鷹はふと肩の力を抜いて、彩瀬の斜め後ろ辺りに腰を降ろした。
座った途端、体を動かしたことによる倦怠感が広がっていく。身体の方は随分と疲れていたことを自覚して、弥鷹は自分自身に苦笑を零した。
鉄格子の外側に目を向ける。
正面の壁には、あれ以来ユーグベルがここで見ることにしたらしい華奈達の監視映像が映し出されていた。
相変わらず、離れた上空から撮影したかのような映像。それでも、灯りの少ない深夜、華奈達がどこぞの建物の上から飛び降り、深冬に追い回されながらも何処かへ向かった様子は判る。
深夜なのに元気な奴らだな、と、弥鷹が自分のことは棚に上げて呆れていると、木剣を回収し終えた茅斗が近付いてきて同じように座り込んだ。
弥鷹を盾にしてユーグベルの視界から逃れるような位置取りであるが……長時間稽古に付き合わせてしまった手前、弥鷹は甘んじて受けることにする。
当のユーグベルはというと、鉄格子の外側、いつもの場所に優雅に足を組んで座り、監視映像に目を向けていた。
ちなみに弥鷹達に稽古用の木剣を用意してくれたのは、言わずもがなユーグベルである。
弥鷹達が強くなることは、彼らにとっては歓迎出来ないことだろうに……
弥鷹達があまりにも煩く要求した所為か、はたまた多少強くなったところで取るに足らないとでも思われているのか。その真意は判らない。
後者の可能性の方が高いけどな……などと考えながら、弥鷹がユーグベルに遣っていた視線を映像へ戻す。
と、たらいの水を替え終えた愛花が元の位置に戻ってきた。舟をこぐ彩瀬と優雅に椅子に腰を降ろすシャスタの間である。
洗濯の手伝いを申し出るシャスタをぴしゃりと制して、愛花はすすぎに取り掛かりながら映像を見始めた。
視点が更に上空へと昇りながら、深夜の道を進む華奈達を追い掛ける。
彼女達を追いながら移動していく、街の俯瞰映像。
暗闇の中、街を護るかのように至るところに咲いている、光を放つ花。ほの白い優しい光は、風などに花が揺られれば鱗粉のように細やかに散り、微かに色を変えながら空気へと溶けてゆく。
弥鷹達が華奈達の姿を追うのを忘れて見入るほど、それは幻想的な光景だった。
尤も、若干一名は「光る花……もしや淡光花……男達の舞台……!?」などという、別ベクトルの感動の仕方をしているが。
「美しい街ですね」
ぽつりと零されたシャスタの言葉に、弥鷹達も同意する。
「あの花、間近で見てみたいな」
「ほう、見たいのか? 拘束と首輪付きでなら連れていってやらんことも無いぞ?」
「……イイエジョウダンデス……」
「遠慮することはない。人の世の光景とて、お前と共に見ればさぞ美しいだろう」
「……イイエケッコウデス……」
ククッ、と、茅斗の呟きに反応したユーグベルが面白そうに笑う。
片言とはいえ言葉のやり取りが出来る程度には耐性の付いた茅斗だが、弥鷹の陰で限界まで身体を縮め、顔を真っ青にして震えていた。
かわいそうに……とはほんの少しだけ思いつつ、弥鷹は我関せずと映像に集中する。
「ですが本当に、一度は間近で見てみたいですね。ね? マナさん?」
「ん? あぁ、そうですね?」
頭上からシャスタに話を振られた愛花が、まぁ興味はありますと返した。
顔を上げた愛花と視線が合うと、シャスタは穏やかに笑う。彩瀬が直視すれば卒倒しかねないほどに眩しい笑顔であったが、間違ってもそんなことにはならない愛花は、ただ不思議そうに首を傾げた。
と、映像から轟音が聞こえ、全員が視線を向ける。
ちょうど、環様が石柱群を木端微塵にした場面であった。
「ふへっ!?」
轟音が効いたのか、彩瀬が意識を取り戻す。皆が映像にくぎ付けとなりどん引きする中、彩瀬はきょろきょろと恥ずかしげに周囲を確認してから、洗濯作業を再開した。
「彩瀬先輩、お子様体質なんですから、眠いなら無理をしなくても良いんですよ」
「だっ、大丈夫だよ! 最後までやれるよ!」
「そうは言いつつもほら、ヨダレが……」
「えっ!? 嘘っ……って、付いてないじゃない! もおおおぉぉぉ!」
どん引きしながらもいじることを忘れない愛花に、彩瀬が可愛らしく憤る。
そんな中、映像の華奈達は洞窟のような場所をどんどん先へと進んでいった。
一旦は行き止まりで足を止めるも、見事に隠し通路を発見し、更に奥へと。進んだ先の広い空間で、華奈達はライラと対峙した。
前回退いたくせに懲りないな、と、たった一人で六人の前に立つ魔族に対して、弥鷹は思う。
監視役が一定の場所に張り付いたのか、映像は、高い場所から空間全体を見渡すアングルに固定された。空間は広いが、屋外から撮影したものよりはだいぶ近い場所で、華奈達を捉える。
相変わらず音声は遠く、はっきりと内容の聞き取れない会話を交わした後、華奈達対ライラの戦いの火蓋は切って落とされた。
先手を仕掛けようとする騎士達の攻撃を見事に遮り、距離を取って両手をかざすライラ。
彼女の足許、地面に描かれる大きな陣が二つ。空間の壁という壁に描かれる無数の陣。壁の陣からは有象無象の魔物達が這い出し、足元の陣からは、美しくもある獣型の大きな魔物がそれぞれ姿を現す。
戦いは乱戦の様相を見せた。
華奈達は有象無象を見事に殲滅してゆき、巨大な二体の魔物の攻撃をかわし、隙を見て騎士達がライラにも攻撃を仕掛ける。しかし、ライラとてヴィレイスの片腕を担う者。そう易々と攻撃を喰らいはしない。
ライラの予想以上の強さに歯噛みしながら。
騎士達の立ち回りをひとつも逃さないようにと集中しながら。
相変わらず人外の動きをする部活仲間達に圧倒されながら。
怪我をしないで勝てますようにと祈りながら。
各人が思い思いの考えを抱き映像を注視する中で――それは、起きた。