4-3 影を狩る
気が乗らなさそうな者を若干一名含みながらも、6人全員でステージ前の座席に着く。
すると、ホール全体が薄暗くなり、ステージ上にのみスポットライトのような光が当てられた。観客など華奈達しか居ないというのに、何とも無駄に凝った演出である。
人形劇用の舞台の裏に、黒子のような衣裳を纏った神官数名が滑り込んだ。彼らが各々の担当する人形を手にした気配が伝わると、法被を脱ぎ白い神官服姿に戻った老人神官が、鎮痛な面持ちで舞台の傍らへ立つ。
何処からか哀しげな音楽まで流れてきて、老人神官の語りを皮切りに、人形劇は幕を開けた。
――劇の内容を要約すれば。
常闇の街メルビナ。
聖の精霊の加護を最大に賜る神子アマリエを中心に、加護を受ける数名の高位神官が存在し、参拝に訪れる人々からの収入により細々とした糧を得て存続する、しめやかな場所。
淡光花の魅せる光景を楽しむ為にと足を運ぶ者もあり、街の者達は、質素ながら穏やかな暮らしを送っていた。
だが。
ある日唐突に、永く続いていた平穏な日々は失われる。
銀色の魔族と恐ろしい魔物が現れ、神殿へと押し入ってきたのだ。
神官達は抗うが、魔族を退けるには到底至らない。
そのうえあろうことか、魔族は神子アマリエと高位神官達の身柄を要求してきた。
神官達は無論拒否するが、神官達と街の者達を人質に取られたことにより、神子アマリエと高位神官達は魔族に従うことしか出来ず……
そうして、街の中心であった存在は姿を消すこととなった。
しかも、街の災厄はそれだけでは終わらない。
これまで煌々とした輝きを湛えてきた淡光花のその光が、徐々に弱まっていったのだ。
淡光花の輝きは、魔のものを退ける。そのため、これまでは安全に深い森を抜けメルビナへと辿り着くことが出来た参拝者達であったが、魔のものが徘徊するようになり、容易に街へと近づくことが叶わなくなった。
神子と高位神官を失い、淡光花の……精霊の加護も弱まり、参拝者も失い、参拝場所の一つであった神聖なる洞穴も、何者かによりその入口を塞がれ……
もはやメルビナは、破滅へと歩みを進めているとしか思えぬ状況へと陥っているのであった。
「嗚呼、魔族に攫われた神子様の運命は!! そしてメルビナの明日は!! 未来は暗い闇に閉ざされているのですじゃあああああぁぁぁ!!」
苦しげに身悶えながら老人神官が叫ぶと、スポットライトが落とされる。そうして白熱した人形劇は終わり、ホール全体が元の明るさを取り戻した。
華奈と深冬は劇の内容というよりは老人の語りと演技に気圧されて神妙な拍手を送り、環は素直に賞賛した様子で拍手を送る。フラットとカイリは顔を若干引きつらせながら苦笑し、パルスに至っては眠たそうに明後日の方向を向いていた。
女性達は、「ありがとう、ありがとうですじゃ!!」などと額に汗する老人神官と握手を交わしながら黒子達を労い、財務大臣の深冬が神官のひとりに観劇料を支払う。
正直に言えば、予想のつく情報を得るにしては長い時間と高額な料金を浪費してしまったが……収入の途絶えた街人達、その生活の足しになるのであれば仕方ないかと、フラットは割り切ることにした。
それにしても、だ。
話中に出てきた、何者かによって入口を塞がれた洞穴。
精霊が封じられているとすれば、今のところその場所が最も怪しい。
「話のついでにお教え頂きたいのですが……その、神聖なる洞穴というのは、どちらに?」
「おお、参拝の洞穴に興味がおありですかな?」
黒子神官達と会話が盛り上がっている女性陣の様子をうんうんと頷きながら見守っていた老人神官は、フラットの問いに意識を向けて振り返る。
「ええ。精霊に縁のある場所を訪ね回る旅をしているものですから」
「そうですか……常闇の森を抜けてくるのも難儀じゃったでしょうに、本当によくぞ参られ……はっ!?」
会話の途中だというのに、老人はつぶらな瞳を唐突にカッ!! と見開いて、ぶるぶると震え始めた。
思わずフラットが数歩引くと。
「洞穴を肝試しスポットとして開放すれば、街に新たなる息吹が……!!??」
老人神官は、雷に打たれたかのようなエフェクトを背負いながらそんなことをのたまった。
そんなばかな。
どんだけ商売魂逞しいんだと思いつつ、さしもの華奈達も心の中でツッコミを入れる。
あらあら、と、環だけがいつもの穏やかな表情でクスリと笑った。
「肝試しスポット路線は、しばらく保留にした方が良いと思いますよ。そんなこと、すぐに出来なくなりますから」
何かの確信を持っての言なのだろうと、華奈達はすぐに理解する。
しかし、環の言葉の意味を容易に咀嚼出来なかった老人神官達は、訝しげに首を傾げ顔を見合わせた。
「それは一体、どういう……」
老人神官の、環達に対する問い掛けの言葉が、不自然に途切れる。当の彼女達が険しい表情を作り、神殿の外へと意識を向けたからだ。
瞬時に緊迫した空気に神官達が狼狽えていると。
彼女達は、神官達が目にしたことも無いような速力で、神殿の外へと飛び出して行った。
華奈達が飛び出したのは、神殿の外……街の中へと侵入する、不穏な気配を感じたからである。それは、メルビナへの道中の森でも遭遇した、闇そのものであるかのような異質な魔物。その気配であった。
しかも、気配の数は少なくない。
神殿の敷地を抜けた途端に街の方向から悲鳴が聞こえ、混乱が伝わってきた。何人かが舌打ちし、表情を引き締める。
多方向から感じられる気配。察するに、戦力を分けた方が手早く収束出来るであろう。
疾走しながらの目配せでそう確認し合った彼らは、三手に分かれることにした。
「ミフユ、こっちへ」
「はいっ!」
「今度は危険な真似しないでくださいよ、そこの黒いの!」
「それはこちらの台詞だ」
「パルス、ハルナさんも……程々に」
「あらあら。本当に息ぴったりね」
フラットに深冬。
華奈にパルス。
カイリに環。
戦力的なバランスを考慮した構成で、彼らは三方向へと散る。
騎士達にとっては一人が一人を守る意味も兼ねての構成であるが、単純に戦力としても、騎士達はこの女性達を信頼しているのであった。
「ひっ……!?」
非日常の恐怖に晒された女性は、息を呑むかのような細い悲鳴を上げる。
飛び跳ねながら己へと向かって来る、明らかなる害意を持った黒い影。不気味な赤い双眸に見据えられ、逃げなければという本能の警告とは裏腹に、彼女の足は竦む。
と、彼女に飛び掛かる為の最後の跳躍を終えた直後。黒い魔物の胴体が分断され、粒子となって掻き消えていった。
上手く動けないながら、地へ伏せることで魔物の襲撃から逃れようとした街人の女性。彼女は倒れ込みながら、魔物を屠ったのが槍状の武器による一閃であったことと、己を助けたその人物が、既に幾らか離れた場所に居る別の魔物を屠っていることを認識する。
倒れた衝撃で奔る痛みに顔を顰めた女性が、それでも何とか上半身を起こすと、魔物を屠ったのとは別の人物が彼女へと走り寄り傍らへとしゃがみ込んだ。
「肘、見せてください」
「えっ!? あ……」
走り寄ってきた小柄な少女は、街人の女性の腕をそっと掴み、肘へと手を翳す。
倒れた際に傷を負ったのだろう。鈍い痛みに女性は顔を歪めるが、少女が手を翳した場所に青い光が灯り、傷が塞がり痛みが引いていくにつれ、その表情は驚嘆を含むものへと変貌していった。
「よしっ、もう痛みは無いですか?」
「は、はい……あっ、ありがとう、ございます」
「いいえ、大したこと無くて良かったです! あっ、屋外はまだ少し危険なので、出来れば家の中とかに避難していてくださいね!」
言うや否や少女は立ち上がり、疾駆しながら魔物を屠っていく者の背を追うようにして、街人の女性の前を立ち去ってしまう。
碌なお礼も伝えることの叶わなかった女性は、呆然としたまま、少女達の走り去った方向へと伸ばした右手を所在無さ気に彷徨わせた。
家の周囲を、黒い影が飛び回っている。
そのことに気付いた幼い兄妹は、四角くくり抜かれた窓に防災用の木板をはめ込み、家の鍵を掛け、なるべく出入り口から遠いところで身を寄せ合いうずくまっていた。
そうしているうちに、恐ろしいものが遠くへ行ってくれれば良い、と。兄は必死で泣き声を抑える妹を背に庇いながら考えるが、そんなささやかな願いは届かず。恐ろしいものが、窓の木板に対して体当たりを始めた。このままではすぐにでも木板が破壊され、屋内への侵入を許してしまうだろう。
気丈な兄も恐怖で顔を引きつらせ、妹を包み込むように抱きしめて身を縮めた……が、その瞬間、唐突に体当たりの音が止んだ。
「っああ酷い! ずるい! この人でなしいいぃ!!」
「人聞きの悪いことを往来で叫ぶな。どっちが倒しても同じだろうが」
代わりに何だかよく判らない口論らしきものが聞こえてくる。
背筋をざわめかせる醜悪な気配が消えたこともあり、兄は、恐る恐る木板を外して外の様子を窺い……黒い影の襲撃以上に信じ難い光景を目にすることとなった。
たった一回の跳躍で建物の屋根よりも高く飛び、上空から襲撃してきた魔物を斬り伏せる黒マントの男。武器は恐らく剣であったと思うが、所作が早すぎてそれが本当に剣であったのか、幼い少年には良く判らない。
更には、あろうことか家の壁を足場にして地面と平行に走り、前方から飛び出してきた魔物に凄まじい回し蹴りを喰らわせて倒したうえ、軽々と着地する女。
「同じなものか! 精神的な爽快感が全くちが……ってあぁっ! また!」
「……ふん」
「いっらああぁぁ! 腹立った! こうなったらどっちが多く倒せるか勝負だこの野郎!!」
「せいぜい吠え面かかないようにすることだな」
上等だああああぁぁぁぁ!! などという叫びと共に。信じられない身のこなしの二人組は、よく判らない口論を繰り広げながら走り去った。街を脅威にさらす黒い影を、刈り取りながら。
少年は縦横無尽に駆け抜けてゆくその後ろ姿を、ぽかんと口を開けたまま見送った。
目前に迫った黒い影が、横合いから疾風の如く飛び込んできた別の影によって駆逐され、光の粒子となって掻き消える。
街の住民である中年の男は、街中至る所にある遺跡の残骸……折れた円柱に背を預け座り込んだ状態で、その光景と遭遇した。
魔物が街に潜入してくる時点で非日常だが、それが一瞬で屠られるなど殊更非日常である。魔物が滅び溶けゆく光を初めて目にした男は、しかし何処かで見た覚えがあると首を傾げ、精霊の祝福が見せる淡光花の光景に良く似ていることに思い至った。
尤も、その光景は神子であるアマリエが行方不明になったことにより、見られなくなってしまったが……
と、そこまで考えたところで、男は思考を中断して目を瞠る。
(あ、アマリエ、様……!?)
疾風の如き影と入れ違いに、己の目の前に現れた人物。座り込む己を気遣わしげに覗き込んだその女性が、失踪したこの街の象徴と重なって見えたのだ。
「大丈夫ですか?」
ふわりと首を傾げる彼女は、身に纏う穏やかな雰囲気も、その仕草も、本当に神子アマリエと良く似ている。別な人物だと本心では判っていても、この街に加護が、救いが戻ったのだと。男はそう思わずに居られなかった。
だが、アマリエ似のその女性は、唐突に底冷えのするような気配を纏い、何かを振りかぶって背後の地面へと叩き付ける。
ズガン!!
という凄まじい破壊音が一帯に響き、女性が何かを叩き付けた地面は、隕石が墜落したかの如く陥没していた。
衝撃で飛び散った地面の土が、男の顔にべちべちと飛んでくる。
よくよく彼女の得物を見れば、それは、棒の付いた巨大な鉄球……のようなモノ。どちらにせよ儚げな雰囲気の女性が扱える代物とは思えず、驚愕の許容量を軽く超越した男は、大口を開けたまま硬直した。
「あらあら。突然だと力加減が難しいわね」
光の粒子が立ち上る陥没跡から鉄球を持ち上げつつ、女性は穏やかな口調でぼやく。
そこへ若干の冷や汗と共に苦笑を浮かべた若い男が現れ、陥没した地面へと手を翳した。その一帯は光を帯び、周囲へ飛び散った土が、瞬く間に元の場所へと戻ってゆく。光が収まると、陥没した地面は元の姿を取り戻していた。
眼鏡を掛けた若い男は苦笑を浮かべたまま立ち上がり、街の入口の方向へと駆けてゆく。巨大鉄球を携えた神子似の女性も、その後へと続いた。
大口を開けたままの街人の男は、ようやく硬直が解けてきた首を精一杯動かして、二人が走り去った方向を見る。
ズガン!!
少し離れた場所から先程と同じ破壊音が響き、油断していた街人の男は、思い切り全身をそびやかした。