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A.G.O.  作者: エシナ
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3-8 彼らは運命を共有する

 弥鷹達は、鉄格子の向こう側、白い壁を食い入るように見つめていた。

 茅斗も枕という物理的障害物と厳重な心の遮蔽物により天敵ユーグベルを視界に入れぬよう尽力しながら、その場所へと視線を注いでいる。

 現在でこそただの壁でしかないその場所には、つい先程まで、ライラの操る使い魔が捉えた映像が映し出されていた。

 映像の内容は、華奈達6人が変に豪華な屋敷へと突入し、その地下にて精霊や敵らしき男と対峙し、何故かライラと共闘することになり、ライラが彼女達と精霊の元を去るまでのもの。

「し、CG?」

 正気を取り戻しつつある愛花がぼそりと呟く。

 これまでも使い魔が捉える盗撮映像にて頻繁に華奈達の様子を見ていた弥鷹達であったが、彼女達が戦う姿を捉えたものを見たのはこれが初。

 愛花の呟き通り。これまで常識として認識していた人間の動きとかけ離れたその戦いぶりは、つい最近まで学生として日常生活を共にし、ラーメンについて語り合っていた友人達が繰り広げたものとは即座には信じ難かった。

「いや、ワイヤーアクションだろ」

 ようやく思考が回復してきた弥鷹は、愛花の呟きに対して遅いうえに苦しい突っ込みを入れる。

 それもこれも、いつであったかシャスタが説明してくれた、精霊の加護の力というやつなのだろうか。

 便利だな、と、彼は一瞬思ったが、きっと実際に力を手にした華奈達が一番戸惑っているだろうと思い直した。

 それにしても、だ。

「実に見事な救出劇だったね、タカ君」

 可哀想なものを見るような視線を彼に向けて、綾瀬が言った。

 確かに弥鷹はそれについて考えていたが、哀れみを受ける謂れは無い筈である。

 だが。

 ライラが放った魔力の剣。それが華奈を切り裂こうとした瞬間。

 目にも留まらぬ速度で横から突進してきて華奈を抱え、無理矢理方向転換して凶刃から救った黒い騎士。

 パルス=グランドルというその名は、以前にシャスタから聞いた。

 現状のように現実離れした事象や、世界の命運など絡んではいない。ちっぽけな。けれど、沢山の危機に、弥鷹は華奈とふたりで対峙してきた。そして、ふたりで乗り越えてきた。

 だから、あんな風に彼女を救い出す役目は、自分が負いたかった。

 そんな思考が過ぎり、どうしても友人の窮地を救ってくれた謝意を素直に向けることが出来ない。

 心が狭い。しっかりしろ。

 そう己に言い聞かせることで、弥鷹が葛藤から覚醒すると、いつの間にか哀れみの視線は3人分に増えていた。

 ここで言い返せば更に酷い目に遭うということを学習していた弥鷹は、無心になり3人を視界へ入れないことでやり過ごす。

 娯楽に飢えた奴らの餌食になんてならない。思考なんて読まれてない。目を合わせるな。風景だと思え。貞操の危機に陥っている茅斗先輩に比べたら、俺なんて全然ましだ。


 弥鷹が悟りを開いていると、突如、場の空気が変わる。

 それまで相変わらず穏やかな表情で彼らのやりとりを見ていたシャスタが、緊迫した表情で立ち上がったのだ。

 ユーグベルも、机に足を投げ出す体勢は変わらないままだが、微かに柳眉を顰めて通路奥……階段の方を見る。

 普段のシャスタからは想像もつかないような気迫。

 弥鷹達4人を庇うようにして立ち、ユーグベルと同じ方向へと視線を向ける彼の背中から、びりびりとこぼれ落ちるそれは。

 紛れもなく、殺気。

 綾瀬は垣間見たことの無いシャスタの気迫に動揺していたが、それも初めのみ。すぐに別のものに……得体の知れない恐怖に、神経を塗り潰される。

 青ざめ震える綾瀬が近くに居た茅斗の服の裾を掴むと、彼は己の腕を広げ、綾瀬を恐怖から庇おうとしてくれた。

 気丈な愛花ですら冷や汗を流し、隠そうとはしているが、震えている。

 全員が注視する中、ゆっくりと階段を降り、姿を現したのは。

 弥鷹達が初めて見る、魔族らしき男だった。

 ライラやユーグベルすら上回る整った造形。魔族特有の先の尖った耳。透けるような長い銀髪。切れ長の、血色の瞳。

 一見すれば綾瀬が騒ぎ出しそうな外貌のその男は、しかし、あらゆる挙措を許さない。

 全ては、男が全身から。特に、光を宿さないその瞳から放つ、見るもの全てを嘲侮するかのような冷たい気配の所為であった。

 一瞥されただけで、神経が凍傷になりそうな錯覚さえ覚える。

 男は申し訳程度に口端で笑うが、弥鷹達の症状は一向に改善されなかった。

「何をしに、来たのですか」

 ともすれば全員が呑まれていたかも知れない冷ややかな空気を破ったのは、シャスタ。

 見たこともない険阻な視線と共に、彼は、迸る殺気の全てをその男へと叩き付けている。ライラやユーグベルが初めて弥鷹達の前へと姿を現した時も、ここまでの気迫では無かったように思う。

 だが、全身全霊で男を拒絶するシャスタの気概など、男は意にも介していない様子であった。

「様子を見に来ただけで、随分なことだ」

「貴方の思惑通り、何の身動きすら出来ない状況です。それ以上何を知る必要があるのです」

「精霊が幾らか解放されたな。貴様の部下だろう?」

「外界の状況など知る術も無い私の口から、確定の言葉が出るとでも?」

「口だけは減らぬようで、何より。そもそも貴様に許された抵抗はそれのみ。甘んじて受けよう」

 魔族の男とシャスタの、絶対零度の応酬が続けられる。

 少しでもシャスタに応戦する為、弥鷹は精一杯男を睨み付けた。

 と、光を宿さぬ血色の瞳と、視線が交差する。

 男の目的を察知したシャスタは、殺気は緩めぬままに奥歯を噛み締めた。


 気付かれていない筈など無い。恐らくは、それが、弥鷹達がこれまで生かされていた理由だ。

 だが、出来ることならば……彼らには、これ以上巻き込まれないでいて欲しかった。


 シャスタが魔族の男と弥鷹との視線を遮ろうとした瞬間、弥鷹の身体がふわりと宙に浮き、男の方へと引き寄せられて鉄格子に叩き付けられる。

「三鴨!」

「「!!」」

「ヤタカっ!!」

 低い呻き声を上げる弥鷹にシャスタは駆け寄ろうとするが、魔族の男の掌が彼へと向けられたことにより、遮られた。

 実際は、掌が捉える対象はシャスタではなく……彼の後ろに居る、3人の人間であることは明白だ。シャスタが動けば、男は躊躇なく3人の命を奪うだろう。

 今度は悔しさを隠そうともせずに、シャスタは美しい顔を歪めた。

「くっ……そ……!」

 強烈で不自然な引力に襲われながらも、弥鷹は己の身体を鉄格子から引き剥がそうともがく。

「思わぬところに逸材がいたものだ」

 男が光を宿さぬ瞳で弥鷹を一瞥し、それだけを言うと、唐突に牢屋の鉄格子扉が開いて弥鷹だけが通路へと放り出された。

 阻止などする間もなく、扉は次の瞬間には耳障りな音を立てて閉じられる。

 浮遊感が消えて肩から床へと衝突した弥鷹は、顔を歪め、痛む肩を押さえながら身体を起こし……ふと、己の身に降りかかった変化に気付いた。


 忘れていたものを思い出すかのように湧き上がる、力。

 扱ったことなど無い。けれど、それは確実に己のものだという確信が、何故かある。

 先程まで見ていた華奈達の戦いが、動きが、脳裏を過ぎった。

 華奈達も、きっと。この世界へ来て初めて力を自覚した時は、こんな感覚であったに違いあるまい。


 俺は、強い加護を受けている。

 ――――戦える。


 弥鷹は魔族の男を睨み付けたまま勢い良く身体を起こすと、彼を視界に捉えたまま後方へ跳躍し、ユーグベルの剣を奪った。

 足を投げ出したままの机に立て掛けていたその剣を奪われても、ユーグベルは微動だにしない。

 剣を鞘から抜き去ると、弥鷹は鞘を放り投げ、両刃のその剣の柄を両手で握り締めて脇に構え、低く腰を落とした。

 緊張の冷や汗が彼の頬を伝い落ち、一滴、顎から零れる。

 その雫が床へと落ちるのよりも先に、弥鷹は全力で床を蹴り、一瞬にして男の背後を奪った。

 たった一度の跳躍で埋められた、十数メートルもの距離。

 まるで華奈達の戦いの映像を見ているかのような感覚。人間離れした弥鷹の動きに、茅斗、綾瀬、愛花は驚愕に目を見開く。

 勢いのままに、弥鷹は男の胴めがけて剣を振り抜いた。

 ……しかし。

 全霊を込めた筈の刃は、男には届かない。

 あと僅か、という中途半端な位置で、刃はぴたりと止まっていた。と同時に、弥鷹の身体も、何者かに押さえ付けられているかの如く、不自然に停止している。

 僅かばかりも自由にならぬ己の身体に焦燥感がせり上がり、弥鷹はがむしゃらに、兎に角抵抗を試みた。だがそんな行為など虚しく、彼はうつ伏せに床へと叩き付けられる。

 衝撃で剣を取り落とし、身体を起こすことも叶わず、彼は呻いた。

「勝てる、とでも思ったのか」

 侮蔑を含んだ魔族の男の視線が、言葉が。

 床へと縫い付けられた弥鷹の背に落とされる。

「愚かなる者が。勘違いをされては困るな。逸材、と言ったのは、あくまで我々の主復活への贄としてに過ぎない。多少の力があるからとて……刃を振りかざすこともしない、鍔での中途半端な抵抗など、我々には掠りすらしないことを知れ」


(畜生……!!)

 戦えると。

 少しは抵抗出来ると思った。脱出の突破口くらいは開けると。

 だが男は身動きのひとつすらせず、自分が床を舐めているのが現実だ。

 叫びたい程に悔しくとも、あまりの拘束感に声も出せない。掌に、床に、爪を立てることも出来ない。

 何も出来ない彼の代わりに泣きそうになっている綾瀬を、慰めてやることすら出来はしない。


 彼らの心境などには何の感慨も浮かばない魔族の男は、牢の中には一瞥もくれず、その場を離れる。

 と、彼と入れ替わりに、赤黒い翼を持つ人型の魔物が階段の方から現れた。

 魔物は床に伏せた弥鷹を肩へと担ぎ上げると、魔族の男の後を追うようにして、連れ去って行く。

 魔術で拘束されているのだろう。弥鷹の表情は苦しげに歪められていたが、抵抗らしい抵抗もせず、声すら上げることなく、魔物と共にシャスタ達の視界から消えていった。


 彼らの足音が聞こえなくなり、得体の知れない恐怖じみた気配から神経が解放される。綾瀬はふさふさの絨毯の上にへたり込んで両の瞳からぼろぼろと涙をこぼした。

 何も出来なかった。

 ……何も。

 悔しさと自責の念だけが、残された者達を支配する。

「や……だ、ねえ、タカ君、どうなっちゃうの……?」

 階段の方を見たまま、震える声で、綾瀬が呟いた。

 誰も答えない。答えたくなどない。

 そんな中、ユーグベルだけが静寂を破って立ち上がり、取り落とされた己の剣と放られた鞘を床から拾い上げながら、言った。

「その男から、聞いているだろう。この世界で、精霊の加護を得る者達の身に何が起きているのかを」

 彼らは魔術具を集めている。

 精霊の加護を得る者達の……

「……血を」

 その言葉をぽつりと口にして、綾瀬はいよいよ声を上げて泣き崩れた。

 血を奪われた者達の、最悪の事態が起きた場合の末路をも知るが故に。

 即座に、愛花が綾瀬の身体を抱きとめ、綾瀬もまた、愛花の身体にきつくしがみ付く。

 そうしながらも痩せ我慢に震える愛花の肩に、しゃくり上げる綾瀬の背にそっと手を添えて、茅斗もまた、何かに耐えるかのように眉を寄せ、きつく瞳を閉じた。

 3人を背に立ち尽くし、無力感に苛まれながら、シャスタは怒らせた視線をユーグベルへと向ける。

 そうすることしか、出来ない。

 ユーグベルは剣を鞘へと収めて元の位置へ立て掛け、椅子に座り直した。

「殺されはしない。知っているだろう」

 そんな事は判っているが、守ることの出来なかった悔しさを払拭することなど出来はしない。

 弥鷹にまで、終焉の時の運命を己と共にすることを、強いる結果となってしまったのだ。





 石造りの長く薄暗い通路を、銀の髪の魔族と赤黒い翼を持つ魔物は言葉もなく進んでいく。

 魔物の肩に担がれ、抵抗を試み続けながら運ばれる弥鷹は、通路を進むにつれて不快な臭いが徐々に強くなっていくのを感じていた。

 自分が何の為に連れ去られたのかを考えれば、その臭いの源が何であるのか、容易に想像がつく。

 突然現れた、明るく開けた空間。

 空間の白い床を埋め尽くす、巨大な円陣。

 未完成で、だがその円陣を描く黒っぽいもの総てが、集められた人々の血なのだろう。

 想像以上の忌まわしさに全身が粟立ち、弥鷹は顔を歪めた。

「なん……だ、これは……!」

 搾り出すようにして声を上げると、魔族の男が微かに振り返り、すぐに視線を戻す。

「人にとっては充分に強力な拘束を施している筈だが。声を出せるとは、大したものだ」

 さも感心したかのように男が言い終えるのとほぼ同時、彼らの足は円陣の一角で止まった。

 弥鷹を担いでいた魔物がその場所へと跪き、立てた己の膝の上に、彼の身体を横たえる。

 視界間近へと迫った床に描かれる理解不能な紋様達は、他の場所より若干緑色を含んだ黒のように思えた。

 ひやり。

 そんなどうでも良いことを考えているうちに、魔物の手に握られた銀剣の刃が、弥鷹の首筋へと宛がわれる。

 刃の冷たさに恐怖を抱く間すら無く、銀剣は弥鷹の首筋を切り裂いた。

「つっ……あ……っっ!!」

 鋭い痛みが。

 熱が走る。

 切り裂かれた場所に心臓があるかのように脈打ち、脈動にに合わせて溢れ出す鮮血が、銀剣を伝って床へと落ちてゆく。

 血が落ちると床は鈍く光り、血はまるで意志を持つかのように蠢いて紋様を描き足しながら広がっていった。

 身じろぎすら出来ずにただ耐えるしかない状態のまま、弥鷹はその光景を見た。

 自分の身体を流れていたものが繰り広げているなどとは、とてもではないが信じ難い。

 戦慄するほどの、醜悪さ。

「くっそ、冗談、じゃ、ね……」

 拒絶感。喪失感。敗北感。焦燥感。絶望感。

 血が失われることで空いた隙間に、負の感情ばかりがねじ込まれていくような錯覚を覚えながら。

 弥鷹は、着々と流れ出ていく血と共に、意識を失っていった。



-*-*-*-*-*-*-



『常闇の地。ひとびとが、メルビナとよぶ場所』

 告げたのは、幼い面立ちの地の支配者、クラッド。

 場所は、ヘザーベアネスの一角にある宿屋の一室である。


 街へと戻った華奈達は、気を失ったロドリグを連れて酒場へと向かった。

 望まれぬ支配者の陥落に、酒場へ居合わせた者達は歓喜し口々に礼を言いながら、街中へと朗報を知らせる為に走ってゆく。

 親父さん達も初めはただ驚愕していたが、やがて深々と頭を下げ、謝意を述べてきた。

 その際に、ロドリグの身柄を彼らへと引き渡す。

 目覚めたロドリグがどうするのかも、いつ目覚めるのかも判らない。

 けれどその時にどうするのかは、やはり、この地で共に生きる者達の決めるべきこと。

 意を伝えると、親父さんもウエイトレスのお姉さんも複雑そうな表情を見せたが、判った、とだけ言って了承してくれた。

 親父さんは礼を申し出たが、華奈達に……特に深冬にとって今必要なのは休息。

 落ち着いて休める場所を希望し、紹介されたのがこの場所という訳だ。


 深冬が横になるベッドの傍らに環が腰を降ろし、ベッド上の足元の辺りに華奈が正座で陣取り、騎士達は各々壁へと寄り掛かるなどして立ちながら、彼らは精霊の言葉を受け止める。

 フラットが荷物から地図を取り出し、室内付けのテーブルの上へと広げた。

 地名が記憶に無かったための行動であったが、成る程、これまで訪れた大きな都市とは違い、ひっそりと隠されるかのような場所のようだ。地図上には、他の場所よりも随分小さい文字でその名が記されている。

 水の都から南西へと進みこの街へ来たが、更に南下した場所だった。行程は、目測でおよそ一週間ほどか。

「ミフユの体調が回復したら、出発しよう」

「ご、ごめんね。出発遅らせちゃって……」

 申し訳なさそうにそう言う深冬に、ひとり無愛想な者を除いて全員が笑い掛けた。

「あれだけ頑張ってくれ人を、誰も咎めたりはしませんよ。その間に、僕達で必要な物資の補給などを済ませてしまいましょう」

「はいはい、あたし買い出しやるよー」

「たまちゃん、お財布はお願いね」

「了解したわ」

「深冬。あたしの存在と発言を無視しないでいただきたい」

「ハルちゃんは変な食材とか変な道具とか買いたがるから駄目」

「そんなばかな」

「随分と信頼が厚いようで何よりだな」

「そこの黒いの。いずれその鬱陶しい前髪を女物のカチューシャで上げさせてやるから覚悟しておけ」

「あらあら」

 最早慣れてはいるものの、どんな会話でも口論のきっかけとなってしまう華奈とパルスに、数名苦笑する。

 そんな彼らを微笑ましそうに眺めていた精霊クラッドは、深冬の傍らへと寄り添うスプライトを見た。

『水のものよ』

『ああ、手を貸そう』

 2柱の精霊は部屋の中央まで進み出ると、向かい合って胸元で手を組み、互いの額を合わせるようにして首を傾け、目を閉じる。

 祈りのような、その光景。

 華奈達が精霊を注視していると、精霊を中心に、魔力の波紋が広がった。

 目視できる程に色づいたその魔力は、街へと、周囲の土地へと広がり、穏やかに浸透していく。

 ゆったりと、撫でるように。いとおしむように。

 街の人々の歓声がそこここから聞こえた気がして、窓際に立っていたカイリは、窓を開けて外を見た。

 枯れて生命力の失われていた大地には活力と潤いが戻ると共に、所々から瑞々しい新緑の草が芽吹き。ただの窪みだと思っていた場所からは清水が湧き、幾つもの小さなオアシスを生み出す。

 大きな通りに面した宿の二階であるその部屋の窓からは、再生していく街と人々の様子が良く判った。

 その様子を目の当たりにして、何人かは笑みを零す。

 いずれは失われた人々をも取り戻して、本当の意味での再生を迎えさせるのだと。意志を固めながら。


 と、窓際へと寄ってきて「良かった良かった」などと頷きながら年寄り臭く呟いていた華奈が、突然、ぴたりとその動きを止めた。

 華奈だけではない。ベッドから半身を起こしたまま、ベッド脇へと腰を降ろしたまま。街の様子を嬉しんでいた深冬と環も、表情からぴたりと笑みを消す。

 数秒、停止してから華奈は室内を振り返り、3人は、不安と驚愕が入り混じったような複雑な表情で、顔を見合わせた。

「どうした?」

 フラットが問うが、彼女達は首を傾げ、各々考え込むかのような仕草をする。

「判らない、けど、何か、一瞬嫌な感じがしたというか……」

 騎士達は周囲の気配を探るが、魔のものや敵意の気配は感じられなかった。

 曖昧に答えた華奈は、もう一度窓の外を……再生する街や歓喜する人々ではなく、もっと先のどこか遠くを見る。

 一瞬だけ感じた、漠然とした不快感。

 すぐに抜け落ちる細い棘が刺さった時のような、微かな痛みと、疼き。

 何と表現したら良いのか判らない。その正体も。けれど、囚われの者達の身に、何かあったとでも言うのだろうかと。

 自然、そんな思考に彼女達は行き着く。

「……タカ……?」

 微かに眉を顰めてぽつりと呟いた華奈の背に、室内の者全員の視線が集まった。



-*-*-*-*-*-*-



 一体どれほどの時間が経ったのか。

 白い絨毯の敷かれた牢屋には、声を発しようとする者は誰一人として居ない。

 つい先程までは綾瀬のしゃくり上げる声だけが微かに響いていたが、今は俯いた彼女に寄り添う愛花と茅斗が、背や頭を撫でてやっているだけだ。

 シャスタは立ち尽くしたまま。

 ユーグベルも、机へと足を投げ出す体勢に戻り瞳を伏せたまま、沈黙を貫いていた。

 そんな場へ、再び、恐怖と足音が近付いてくる。

 全員が注視する中、階段からは、先程の魔族の男が人型の魔物を引き連れて降りてきた。

 魔物の肩には、ぴくりとも動かぬ弥鷹が担がれている。

 魔族の男は階段から降りた辺りで足を止めたが、弥鷹を担いだ魔物は、そのまま白い通路を進んできた。

 牢の中の者達が視線でその姿を追っていると、魔物は牢の出入り口を開け放ち、中へと弥鷹を放り投げる。

 出入り口が閉まることになど目もくれず、シャスタ達は一斉に弥鷹の許へと駆け寄った。

「先輩……!」

「タカ君! タカく……」

 びくり。

 弥鷹を揺り起こそうとした綾瀬の身体が驚愕に震え、思わず手を引いてしまった彼女の顔は、一瞬で蒼白になる。

 ぐったりとして動かぬ弥鷹の首筋に深く刻まれた、一本の傷跡。

 傷跡の周囲に。彼の首に、頬に、服に飛び散った赤黒い血飛沫。

 死人のように血の気が失せた顔色の中、それだけが生々しく、彼女達の瞳に嫌でも映り込む。

 その場で殺されることはないと、聞いてはいる。傷だって一応は塞がっているが。震える手で触れれば冷たい彼の体温に、本当に生きているのかどうか疑わしくすら思え……綾瀬の腫れた目に、再び涙が滲んだ。

 彼を囲むように床へと膝をついた誰もが、言葉も無い。


 当然と言えば当然だが、綾瀬達は、こんなに弱りきった弥鷹を見ることなど初めてだった。

 彼の敗北を、目の当たりにすることも。

 付き合いの長い彼女達は、華奈と弥鷹の喧嘩現場を目撃することも少なくなかった。

 素人目で見ても、彼らは強い。

 2人して生傷を作ってくることもしょっちゅうであったが、こんな風に生気を失うほどの姿を晒すなど。敗北するなど。脳裏を掠める程度の想像すら出来ぬ事象。

 そのくらい、彼女達にとって弥鷹は強く、活力に満ちた存在であるというのに。


 だが、弥鷹は動いた。

 床へと放られた衝撃で目覚めたとでも言うのか。苦しげに眉を寄せ、苦痛の呻き声を漏らし……床へと這いつくばりながら、立ち去ろうとする魔物を、銀髪の魔族を、焦点の定まらぬ目で射抜いた。

「許さ、ねえぞ」

 声を搾り出すようにして、彼は呟く。

 階段へと足を掛ける寸前であった魔族の男は、振り向きはしないまま、足を止めた。

「こんな、事を、華奈達にもしやがったら……俺は、絶対に……お前らを許さねえ……!!」


 舐めさせられた屈辱。味わわされた負の感情。

 それは、大切な人の身に降り掛かって良いものなどでは決して無い。


 精一杯の気迫は、声は、届いているのかいないのか。

 知りようもないが、魔族の男と魔物は、振り向くことは無いまま牢を後にした。

 その後ろ姿をじっと射抜いていた弥鷹は、彼らの気配が感じられなくなってから、ようやく意識を手放す。

 彼の衰弱する姿を、敗北を目の当たりにすることも初めてならば。

 こんなにも激しい彼の怒りを肌で感じることも、初めてのこと。

 今度は弥鷹の気迫に気圧されて言葉を失っていた綾瀬達は、慌てて彼を介抱し始めた。

 彼が活力を失わないというのなら、自分達だって気を弱らせてなどいられないのだ。綾瀬と愛花は、彼を寝かせる場所やタオルなどを手早く準備する。

 茅斗と共に気を失った弥鷹を運びながら、シャスタは弥鷹へと深い関心を寄せた。

 己を追ってきてくれた友人達にも決して引けを取らない、内在する彼の強さに。

 失わせてはならない。決して。

 シャスタは人知れず、唇を噛み締める。

 そんな彼らの様子を、足を投げ出した格好のままで、ユーグベルはただ静かに見据えていた。

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