3-3 喧嘩に途中下車は許されない
突如吹き抜けた一陣の風に、乾いた砂が巻き上げられる。
突風かと思いロドリグが風の吹いてきた方向を見ると、明らかに風ではない何かが風よりも速く彼に向かって突っ込んできた。
何であるのかを認識する間も無く彼の目の前まで迫ってきたそれは、彼の顔面に直撃する寸前でぴたりと止まる。
ぶわりと、その衝撃で巻き起こった風が彼の薄い髪を華麗に靡かせた。
得体の知れぬ恐怖と困惑による脂汗を流しながら、ロドリグはようやく、目の前に突きつけられたものが何なのかを認識する。
視界を塞ぐそれは、足だった。
第三世界の言葉で24.5cmと記された、踵のさほど高くないブーツの裏。
硬直していた身体を叱咤してじりじりと後退すると、少しずつ、視界が開けていく。
彼の目に映ったのは、彼の半分程の年端も無いであろう少女だった。
明らかに街の者ではない、長めの黒髪を変わった形の髪留めで一つに束ねたその少女は、回し蹴りの格好を崩さず足を突き付けたまま、威嚇するかのように下から彼を睨み付けている。
疾風の速さの、万が一当たっていたら昏倒などでは済まされないであろう鋭い蹴りを繰り出したのが、まさか、この少女だとでも言うのか。
ロドリグが殊更混乱していると、件の少女がゆっくりと口を開いた。
「何してやがるんですかハゲ様」
ぶつり。
ハゲ……もといロドリグの何かが切れる音が聞こえた。
彼は顔を真っ赤にして少女の足を振り払おうと腕を振る。
しかし、いとも容易くかわされたその腕は虚しく宙を切った。
更なる屈辱による怒りに震えながら、ロドリグは勢いよく後ろを振り返り叫ぶ。
「この女を捕らえろ!」
同行していた四人の取り巻き達は、命を受けてすぐさま動き出す……筈だった。
動ける訳など無い。
少女の仲間達に抗う隙すらなく武器を突き付けられ、動きを封じられていたのだから。
先程親子に対して向けていた悪辣な態度は何処へやら、取り巻き達は突き付けられたものに恐怖し青ざめ、情けない声を上げる者すらいた。
所詮は強者に諂うことしか脳のない役立たず共に舌打ちし、少女の仲間達の射抜くような視線を受けながら、ロドリグは少女に……華奈に向き直る。
真っ直ぐに向けられた敵意の目。
先程の蹴りのような、強い力の込められた視線。
ロドリグの表情が険しさを増した。
気に入らない。
どうせ更なる力を見せつけられれば、街人共のように黙って平伏すしか無くなるというのに。
彼が不遜な考えを抱いていると、いつの間に移動したのか、華奈の後ろで地に蹲ったままの親子に小柄な少女が駆け寄ってきていた。
「大丈夫ですか?」
深冬が跪いて声を掛けると、思わぬ展開に半ば放心していた女性がはっとして父を見る。
「わっ、私は平気ですが、ち、父が……!」
蹲った父親は脂汗を浮かべ、腹を押さえたまま顔を上げることすら出来ずにいた。
医学的な知識など深冬には無いが、内臓の方にまでダメージが行っている可能性が高いと一目で判る。
深冬はロドリグを一瞥し、顔を顰めた。
そうして視線を女性の父親へと戻し、彼が手で押さえる部分にそっと手を翳す。
ほの青い光が深冬の手のひらから溢れた。
女性は光を唖然と見つめる。
女性だけではない。ロドリグや、密やかに彼らの様子を伺っていた街人達さえも、暖かなその光から視線を外せなくなった。
当然のことかも知れない。それは街人達にとって、精霊の加護を得る者にしか許されぬ奇跡の力であったのだから。
数秒、優しく灯っていた光が収まると、女性の父親は苦痛できつく閉じていた目を開き身体を起こす。
一体我が身に何が起こったのかと、父親はおもむろに両手で己の腹を探った。
立ち上がれぬほどに己を蝕んでいた痛みの殆どが消えている。
神でも見るかのような畏敬の視線を向けてくる親子に対して、ただの少女の笑みをふわりと浮かべると、深冬は立ち上がって華奈と共に暴君へと相対した。
二人の少女の視線を正面から受け、放心し掛けていたロドリグは意識を取り戻す。
同時に思考や感情も彼は取り戻した。
多少の奇跡の力を使える者など世界にはごまんと存在するが、己以上の力の使い手などそうはいまい、と、彼は考える。
少女の青い光は珍しい力だが、痛みを消すだけでは己の力になど遠く及ばぬだろう。
この街を支配しているのは、未だ、自分だ。
昏い自信と共に、少女達への敵愾心が涌いてくる。
支配者である自分を無視して勝手に獲物に手を出した者達。力の差を見せ付け、排除せねばなるまい。
ロドリグは口の端を歪に吊り上げる。
華奈のこめかみが不快そうにひくりと動いた。
「いやらしさ全開ですねハゲ様」
ぶつり。
先程よりも明らかに大きな音を立ててロドリグの何かが切れた。
多少はあったらしい冷静さなど一瞬で吹き飛び、彼は頭の先まで真っ赤にしていきり立つ。
「黙れ部外者めが! 礼節も弁えぬ若造の分際で、この街の政治に口を挟むな!」
政治だと? と、何人かが微かに唇から漏らした。
華奈達は一瞬で街の問題を理解する。
このハゲ様が癌だ。以上。
すうっと、取り巻きの一人を拘束するカイリの目が細められた。
「何が政治ですか、馬鹿馬鹿しい。こういうのは支配というのですよ。もう少し言葉の意味を学んでから使った方が恥をかかなくていいと思いますけどね」
「それにわたし達、口は挟んでいないですよ? 足は出しましたけどね」
「全くですよ、お前が黙れハゲ。モロに三下的な台詞吐きやがって。だからハゲるんじゃないの? 大体何よこの行いは。アンタ何様? あぁ~神様か! 頭が輝いていらっしゃいますものねぇ」
今まで温厚な面しか見せなかったカイリの口から飛び出た意外な暴言に便乗し、環と華奈もロドリグを好き勝手煽りまくる。
と、流石に酷いと思ったのか、心優しい深冬は嬉々として更なる罵詈雑言を吐き出そうとしていた華奈の言を慌てて遮った。
「はっ、ハルちゃん! よく見てあげて。あの人、サイドの髪を流して頭皮を隠そうとしているでしょ? バーコードにすらなってないけど、きっと本人は必死なんだよ!? その努力を認めないでハゲ扱いしちゃったら哀れすぎるよ……」
フォローかと思いきや、それは止めの言葉だった。
その証拠に、哀れな人・ロドリグは言葉すら失うほどに激昂してわなわなと震えている。
確かに彼は頭頂部から徐々に毛が薄くなっていくタイプらしく特に頂上から半径7cmゾーンは深刻で、それを隠蔽する為にサイドの毛を流すといういわゆるそういう頭だ。
更に華奈の蹴りの風圧の所為でセットは乱れ、かなり可哀想なことになっている。
などと敵の頭髪について分析している場合などではなく。
「……あのさ、深冬の言葉の攻撃力の方が明らかに高いと思うんですけど」
何テンポか遅れたが、華奈は一応突っ込んでみた。
同意した何人かが真顔で頷く。
フラット辺りはツボに入ったらしく笑いを堪えるのに必死だった。
深冬は何故突っ込まれたか判りませんとばかりに可愛らしく首を傾げる。
その時、ざり、と。
思わず和みかけていた雰囲気を妨げる音が介入した。
思い出したかのように華奈達が音の方を見ると、地面を強く踏み鳴らしていたロドリグが、多少は熱が下がってきたらしい表情でこちらを見ている。
いや……怒りの臨界点を越えて逆に落ち着いたのか。激しく叩き付けられる敵意だけが増していた。
あれだけ煽れば当然か、と華奈は思った。尤も、それでこちらが臆することなど有り得ないのだが。
「この街には統治者が必要だ」
ロドリグは唐突に語り始める。意外にも平静な声だった。
「ヘザーベアネスはかつてより、加護の力を持つ者により統治されてきた。力を持つ者だけが乾いた地を豊かにし、この地に住む者の生を守ることが出来る。
以前の統治者が無責任に姿を消したことにより、豊かだった土地はここまで荒れた。だが、そんな時……精霊の導きにより、私が加護を得た。私にこの地を支配せよとの仰せに他ならない」
先程のように、彼は口の端を吊り上げる。
「その支配者である私が、私の恩恵を受け生かされている者共をどう扱おうとお前達余所者の知ったことでは無いだろう?」
それが、思いあがりであることになど気付かずに。
悪びれもせず当然のことのように言い切る様に、虫唾が走った。
熱が下がってきたという見解は間違いのようだ。光悦と支配者になったつもりの己に浸る勘違い野郎は、重度の熱病に侵されているらしい。
もし本当に街人達が彼を支配者として受け入れているならば。この状況を受け入れているならば。人々はもっと様々なことを諦めている筈だ。
仕方が無い、と。諦めている者達は総じてその想いを抱き、意思を殺して虚ろな日々を送るもの。
……けれど、ここの人々は違った。
酒場の店主は怒り、ウエイトレスは嘆き、女性は父の為に己を犠牲にすることを厭わず――
物陰から事象を見守る人々は、ただ耐えて、耐えて、耐えている。
まだ何かを諦めずにいる証拠だった。
きっと、この目の前の勘違いの力に対抗する術を持たないゆえに、耐えることしか出来ずにいるのだろう。
「どうした、黙り込んで? ようやく力の差を理解出来たか?」
力の差などとうに理解出来ていた。
ロドリグでは華奈達の相手にすらならない。
しかし華奈達は、この野郎を二度と悪い気など起きぬよう叩きのめしてやることを心に決めていた。
「とりあえず、貴方が街の統治者に相応しくないということは理解できましたよ、お陰様で」
辛うじて意識のあった取り巻きの一人を締め上げて気絶させながら、フラットが吐き捨てる。
ロドリグはあからさまに不快そうに顔を歪めた。
「相応しくないと言い切るからには、貴様等には何かこの荒廃という現実を回復させる決定的な手立てがあるということなのだろうな?」
「ええ、ありますよ」
絶対に肯定は出来まいと吐き出されたロドリグの意地の悪い問い。それに、フラットは締め上げた取り巻きを面倒そうに地面へ放り捨てながらあっさりと答えた。
ならば言ってみろと。ロドリグがそう返す前に、フラットの唇がある言葉の形に動く。
音としては紡がれなかったその言葉を正確に読み取ったロドリグの顔色が明らかに変わった。
自信満々だったその表情に、驚愕と焦りの色が滲み出る。
ちらりと、何を言ったのか見えなかった華奈はフラットの方へと視線を移し……見るんじゃなかったと後悔してロドリグへと視線を戻した。
普段は温厚で優しいお兄様な彼が、腹黒く底意地の悪そうな表情を臆面もなく浮かべている。
……こっちが本性系に違いあるまい。
一瞬視界に入った環も面白そうにくすくすと笑っていたことから見ると、恐らくそのことに気付いたのだろう。
知らぬは深冬ばかりなりか。だがそのままの深冬でいて欲しい……
などと華奈が緊張感のないことを考えていると、焦りを悟られていないと思っているらしいロドリグがようやく反論を仕掛けてきた。
「そこまで言うのなら、貴様等がこの状況を打開してみせるがいい。但し、打開できなかった場合は……貴様等全員、私の下で奴隷として一生を過ごして貰おうか!」
「受けて立ちますよ、ハゲ様」
流石にその発言には二、三十発ぶん殴ってやろうと何人かが思う中、華奈が即答する。
「ふん、もし逃げようものなら街の者共がどうなるかくらい判るな? その言葉……忘れるな!」
そう言い捨て数歩後退すると、ロドリグは不愉快な笑い声を上げながら蜃気楼のように掻き消えた。
なるほど、街人達が抗えないだけあって、それなりの力は使えるらしい。恐らく今のは空間を移動する魔法の一種なのだろう。
それにしても何てお約束な悪役っぷりなんだと華奈が思っていると、見捨てられて愕然としている取り巻きをさっくりと気絶させ、パルスが近付いてきた。
「受けて立つな、あんなものは」
隣に立つなり、不機嫌そうに彼は言う。
「何で? 別に負けやしないんだし、いざとなったら実力で黙らせればいいじゃん。フラットが何て言ったのかは判らなかったけど、何か考えもあるんでしょ?」
「それはそうだが……」
と、そこで言葉を切り、パルスは振り返った。
華奈達全員が同じ方向を見る。
そこには未だ畏敬の視線を向けてくる親子と、立派な包丁とフライパンを手にした酒場の店主の姿があった。
何事かと思っていると、店主が口を開く。
「お前ら、まだ飯食ってねぇだろ」
付いてきな、と、店主は首の動きで示唆して酒場の方向へと歩き出す。
華奈達は顔を見合わせてから、彼の後へ続いた。
黙々と誘導する店主に続いて華奈達は来た道を戻り、酒場へと足を踏み入れる。
蝶番の軋む音が響くと、ウエイトレスや客達の視線が一斉に入り口の方へと向けられた。
トレイを握り締めたウエイトレスが、心配そうな表情で店主の方へと駆け寄ってくる。表情はそのまま、彼女は華奈達と店主を交互に見た。
だが、店主が何事かを呟くと、彼女は目を見開いて今度はしっかりと華奈達の方を見る。
半ば立ち尽くす彼女を残し、店主はカウンターの内側の調理場へと向かっていった。
店内中の視線が集まってきていることに気付いた華奈は、何となく居心地が悪くなってぽりぽりとこめかみを掻く。
「あ、あの……お姉さん?」
声を掛けた途端、ウエイトレスの表情が歪んだ。
今にも泣き出しそうな。けれど、安堵と喜びの入り混じった、そんな表情に。
華奈達が慌てると、彼女は深々と頭を下げる。
「街の者を助けて頂き……ありがとうございました」
彼女が言うと同時に、先程来た時は音すら殆ど立てなかった店内の客達からも感謝の声が上がり始めた。
途端、静かだった店内には歓声や拍手の音が溢れ、華奈達を讃える雰囲気で満たされる。
なるほど、自分達の行動は吉と出たようだ。
だがそれは喜ばしいことだと思う反面、自分から勝手に首を突っ込んだだけ、という認識であるため、こんな風に賞賛されても困るというのが正直なところだった。
どうしたものかと困惑していると、頭を下げたままのウエイトレスの前にフラットが跪く。
彼は下から覗き込むようにして、やんわりとウエイトレスに顔を上げさせた。
「街の事情も知らず、私達が勝手にしたことです。そんな風になさらないで下さい」
少し困ったように笑いながら。フラットが言うと、ウエイトレスの頬にさっと朱が差す。
これは落ちたな、と、何人かが思った。
多少クサいけど……と華奈は思うも、流石に騎士で親衛隊を務めるだけあり所作も美しく、様にはなっている。
そのうえ大概の女性が振り向かずにはいられない美麗顔に目の前で笑いかけられたら、落ちるのも無理は無いのかも知れなかった。
「あれって天然かなぁ」
「さあ……職業病?」
「わたしは故意に一票かな」
乙女三人がこっそりと囁き合う。
聞こえてはいたが何のことやらさっぱり不明なパルスとカイリは、不思議そうに首を傾げた。
「おい、いつまで入り口に突っ立ってんだ。料理作り直してやるから座れ!」
華奈達が恋する乙女と化したウエイトレスのお姉さんを生暖かく見守っていると、歓声や拍手の音の中でも一際目立つ店主の厳つい声が飛んでくる。
そういえば腹ごしらえをせずに飛び出してしまったのだということを思い出した途端、急激に空腹感が襲ってきた。
ウエイトレスの先導で元の席へ座ると、作り直してくれたらしい相変わらず美味しそうなパスタ料理が華奈達の目の前に置かれる。
感動しながら華奈が店主を見ると、店主は口の端で微かに笑った。
「俺達の奢りだ。好きなだけ食ってくれ」
「いえ、先程も言ったように私達が勝手にしたことですので、そのような気遣いは」
「良いんだよ。俺達ではどうしようも無かったもんを助けてくれたんだ。感謝の気持ちをどうにかして表したいが、俺達にはこんな事くらいしか出来ねえ。だから、受け取って貰わねえと困る」
フラットの遠慮を制して、ぶっきらぼうに店主は言う。
一時回避しただけで解決したとは言い難い状況なので断るつもりだったが、そう言われては頑なに断る必要もあるまい。フラットは静かに頭を下げ、彼らの厚意を受け取ることにした。
続けて華奈達も謝意を述べると、店主は満足そうに笑って調理を続ける。
暖かいパスタ料理を食べてみると、素朴だがとても美味しかった。
食べ進めながら、華奈達は店内の様子を見る。
そこにはもはや初めて来た時のような張り詰めた空気は無く、客達は時折笑顔を見せながら通称ハゲ様の撤退や縛り上げた後街人達に処遇を任せてきたその部下達について話を弾ませていた。
この雰囲気ならば色々と質問をしても支障が無さそうだと。華奈は、隣に座る深冬が取り分けてくれたパスタの乗った取り皿を受け取りながら、言った。
「ね、親父さん。何であんな奴に好き勝手させておくの?」
ひくりと、店主の目尻が動く。
切り込み過ぎだったかなと思いつつもじっと店主を見据えると、数秒の後、ようやく店主は静かに口を開いた。
「あいつは、力を持っていやがるからな」
「力?」
「この土地には守人がいたって話はしたな。守人は精霊から受ける加護の力を使ってこの土地に恵みを与えてくれる存在だった……が、ひと月ほど前か。突然失踪しちまったんだ」
「失踪……」
思い当たる節が、華奈達にはある。
だが街人達にとっても不安要素でしかないその事実は、この場で口に出す必要の無いことだ。
「それ以来街は急激に枯れちまってこの様だ。だが、あの野郎が……ロドリグの野郎が、枯れた街に再び恵みを与えたんだ」
「……ロドリグ?」
女子3人がきょとんとする。
店主がさっきのハゲ野郎のことだと補足すると、3人はようやく納得したように頷いた。
確かに、幾ら何でも名前までハゲ様である訳が無い。
「でも、恵みを与えたという割には、その……」
言い辛そうに深冬が言うと、店主は微かに眉を顰めて視線を己の手元へ落とした。
「最初はあの野郎の……失踪した守人の住んでいた屋敷の周囲だった。本当に何もかも枯れちまってたってのに、そこだけ何も無かったかのように潤いが蘇った。
俺達は救いの手だと思って喜んださ。あの野郎は元は守人の下で働いてた使用人だったからな。だが……」
「ロドリグは恵みを与えることと引き替えに様々なことを街人達に要求し始めました。基本的には毎月のお金の上納を。それが出来ない者は屋敷へと連れて行かれました」
悔しそうに止まった店主の言葉の先は、ひとりひとりにサラダを配り始めたウエイトレスが続ける。
「金額も要求もどんどん酷くなり、反抗する者は暴力で押さえつけ……今では、恵みを受けている者なんてロドリグに与する一部の者達だけです。連れて行かれた人達も一体どんな目に遭っているか……」
「だから、自衛することに徹したのですね」
フラットが静かに言うと、彼女達は俯いて黙った。
責める為に言った言葉では決して無いが、理不尽に対して何も出来ずにいる自分達をずっともどかしく思っていたのだろう。
華奈達からすればロドリグなど大した障害にならないが、街人達にとっては大きな脅威だ。彼らは抗うことはしたのだろうが、加護のもたらす力を前に何かを得ることは出来なかった筈。
だとすれば、彼らの取った方法は少ない犠牲で街を守ることの出来る唯一の方法だったと言える。彼らを責めることは出来ないし、彼らが己を責める必要も無い。
華奈達は知っている。この世界では高い加護を得る者が、凡庸に生きる者達と比べどれほど隔絶された存在であるのかを。
尤も、何故あのような者に精霊が加護を与えたのかは……知ったところではないが。
そう、華奈達が考えていると、店主が再び口を開いた。
「……ともかく、街のもんを助けてくれたことは感謝してる。だけどな、お前ら。飯食ったらすぐに街を出た方がいい」
ぴたりと。食べ進めながら話を聞いていた華奈達は食事の手を止める。
そうして静かに店主を見ると、彼もまたこちらを静かに見据えていた。
「あの野郎を追い払っちまうくらいだ、お前らは確かに強いんだろう。だけどな、俺達が手を出せないでいるのは何もあの野郎に敵わないからってだけじゃねぇんだ。
あの野郎は屋敷に見たことも無ぇような化け物まで飼ってやがるし、裏にそういうモンを横流しする奴らが付いてやがる。打開がどうのって言ってたようだが、あの野郎のことだ、化け物を使ってお前らに何かしに来る可能性が高ぇ」
「私達は搾取対象ですからどうにでもなります。でもあなた達は……どうか、ロドリグがあなた達に何かをする前に、逃げてください」
店主に続いて、ウエイトレスもそう言う。
後ろに立つ彼女の祈るような言葉を聞きながら、華奈はじっと店主の目を見た。
最初に似たような言葉を聞いた時は真意が読み切れなかったが、今なら、恩人である華奈達に迷惑を掛けまいと して本心から言ってくれているであろうことが判る。
だが。
「断る」
きっぱりと、華奈は言い切った。
店主もウエイトレスも目を剥く。店中に響く声だったゆえ、店内中の視線がカウンター席の方へ集まった。
「こ、断るってな、お前……」
「親父さん聞いてたでしょ。ハゲ様はあたしに喧嘩を売って、あたしはそれを買ったの。喧嘩に途中下車は許されない、これ常識。
それに、よりにもよってあたしに向かって逃げろって? ……冗談じゃない」
ぎらりと、華奈の目が鋭く光る。
これには流石に店主達も返す言葉が無かった。
唖然とする店主達を他所に、顛末が判りきっていた深冬と環は苦笑する。
パルスは呆れた風にため息を吐き、フラットとカイリは別の意味での苦笑を浮かべた。……尤も、彼らとて逃げるつもりなどさらさら無いという意志は一緒な訳だが。
「まあ、それも私達が勝手にすることですのでどうかお気になさらずに。それより、宜しければそのロドリグとやらの屋敷の場所を教えて頂けますか?」
フラットが問うが、店主達は未だためらいを見せる。
だがそこで、救世主環様が口を開いた。
「教えて、頂けますね?」
静かな、たった一言。
だというのに、店主達の背筋を流れる冷や汗という冷や汗。
優しげな笑顔の奥から滲み出る言い知れぬ威圧感は、拒否は許されないということを店主達に悟らせるには充分だった。
ついでに華奈達に再度恐怖を植え付けるのにも充分だった。
「……街の中央より北寄りの方だ。そこだけ緑が多いから、行けばすぐに判る」
店主はついに折れて口を開く。
「ふふ。ありがとうございます」
店内中が言い知れぬ恐怖からの脱却に安堵する中、環は満足そうに微笑んで何事も無かったかのように食事を再開した。