3-1 娯楽、追加入ります
「ユーグベルさん。茅斗先輩を好きにして構わないので娯楽の追加を要求します」
愛花の言葉を受けて微かに眉を動かし、ユーグベルは端整なその顔を興味深げに牢屋の中へ向けた。
視線を受けた一点がびくりと跳ねる。
彼から見て、天蓋付きの大きなベッドの裏側。
彼の獲物がいつも隠れているその場所。
ユーグベルは妖艶に笑んで、今度は鉄格子に手を掛けて彼を見る目の前の少女に視線を移した。
「娯楽なら、本棚をひとつ用意してやった筈だが?」
「育ち盛り本大好き少年少女が本棚一個分の書籍で満足できる訳がないじゃないですか。こんな場所にいつまで閉じ込めておく気なのかは知りませんが、書籍なら今までの倍以上に増やして貰うか、定期的に中身を入れ替えて貰うか……あと何か他の娯楽は無いんですか」
「他の娯楽、ね」
ユーグベルは寄り掛かっている机を右手の人差し指でかつかつと鳴らしながら、伏し目がちになり、逡巡する。
その所作すら美しい。
これでホモでさえなければな、と、綾瀬は思った。
前にそのことについて悶々と考えていたら「貴女達の世界でいうバイセクシュアルというやつですよ」とシャスタが教えてくれたが、綾瀬には何のことやらさっぱりである。
愛花に聞いたら「何でも喰えるということです」という答えが返ってきたが、やはり綾瀬にはさっぱりだった。
ホモは好き嫌いが無いということだろうか。
好き嫌いが無いのはまぁ、良いことだけれど。
綾瀬がそんなことを考えていると、何かを思いついたのかユーグベルは机を鳴らすのを止めた。
切れ長の目が、愛花に向けられる。
「お前達にとって朗報とは言い難いがな。お前達の仲間の居所を突き止めた」
「!!」
途端に険しくなる、牢屋内の者達の表情。
ユーグベルは面白そうに笑んで言葉を続けた。
「私達にとっては嘆かわしいことだが、お前達の仲間は精霊に施された封印をひとつ破り、次の封印箇所に向かっている。機を見て私達はそれを阻み、お前達の仲間には魔方陣の糧となって貰う予定だ」
敵意を剥き出しにした鋭い視線が刺さる。
それすら面白そうに、ユーグベルはクツクツと笑った。
「まあ、それは恐らくしばし先の話だろうからどうでも良い。私が言いたいのは、機を見る為にお前達の仲間に監視役を付けているということだ」
「監視ですって? この変態」
愛花は速攻で切り返すが、ユーグベルは面白そうな笑みを深める。
「そんな言い方をして良いのか? 私が望めば、この場に監視役の見ている映像を映し出すことが可能だというのに」
ぴたり。
牢屋内から彼に向けられる敵意が消えた。
「それが私の提案する他の娯楽ということになるが?」
盗撮だろうが何だろうが、友人達の安否を映像で確認できるなんて、愛花達にとっては最上級に魅力的な言葉である。
目の前の魔族が何を考えてそのような提案をするのかなど知ったことではない。見せてくれるというのなら、見せて貰わない手は無い。
それに何だか……面白そうでもあるし。
愛花は先程の暴言など存じませんとばかりに綺麗に掌を返した。
「流石に色男は話が判るようですね。盗撮万歳。ささ、早く映像をお願いします」
「わー、ハルちゃん達どうしてるかなぁ。楽しみ~」
「絶対暴れてるに違いないとは思うけどな」
「きっとお元気な筈ですよ」
わいわいぞろぞろと鉄格子越しにユーグベルの方へと集まる一同。
茅斗も枕を盾にしてユーグベルと視線を合わせぬよう尽力しながらカニ歩きでじわじわと近づいてくる。
くすりと笑って、ユーグベルは懐から半球型の透明な石を取り出し、己の寄り掛かる机の上に置いた。
彼は気だるそうな所作で石に手を翳し、長い指で中空に何かを描く。
すると、透明な石は一瞬淡く光り、弥鷹達の正面の白い壁に何かを映し出した。
上空からであろうアングルで素早く流れていく木々。
監視役というのは空を飛べるモノなのか。
まあ、この世界には空を飛ぶ魔物も存在するようであるし、実際に目にしたこともあるし、不思議な話でもないか。
そんな事を弥鷹達が考えていると、木々の流れが途切れ、開けた道に出る。
映像はどんどん上空から地面の方へと近付いていった。
その時ふと、ある程度整備されたその道に動く影が幾つか映し出されていることに気付く。
影は六つ。
弥鷹達が、シャスタが、それぞれ見覚えのある人物達。
気付かれないよう遠くから監視している所為で内容は殆ど聞き取れなかったが、彼らが元気に会話をしながら歩いているということだけは判る。
変わらぬその姿を見て、弥鷹達はまず安堵した。
茅斗もユーグベルがすぐ近くにいるというのに枕で視線を遮断することなど忘れ、弥鷹達と一緒に目の前の映像に見入る。
「ハルちゃん達、元気そうで良かったぁ」
「まあ、華奈達なら何処に放り出されても平気だろ、順応性高いだろうし」
「俺達も人のこと言えないけどな」
あはは、と、弥鷹達は顔を見合わせて笑った。
彼らのその姿を見て、シャスタも嬉しそうに笑う。
だが普段は悠然と振る舞うシャスタこそが、内心では一番深く安堵していた。
特に精霊の影響を強く受けるこの世界において、シャスタは精霊の目を通して世の物事の全てを識り、精霊達の助力さえ得られれば、精霊全ての力を操ることすら出来る。
しかしそれは、精霊の力が正常に世を満たしていればの話。
気を失った状態で第三世界へと連れて来られ、すぐさま精霊の力の流れを遮断する結界の張られたこの場所へと捕えられ。
シャスタは、只々精霊達が封印されていく気配を感じることしか出来なかった。
魔方陣の贄となる為に人々が攫われていることを知っても、パルス達が第三世界へ渡ったことを知っても……何も出来ない。
……絶望的な無力感。
一体何の為の力だと、不毛と知りつつも己を責めた。
更に、デルヴィスが切り離した魔力が生きている間はパルス達の存在を感じることも出来たが、それすら消え去り。
弥鷹達がこの場所に連れて来られてからは、警戒の為か牢屋に張られた結界も更に強化され、精霊が一柱解放されたことすら察知できぬ状態となってしまった。
弥鷹達が来てくれなかったなら、たった一人でこの絶望に耐えられたかどうか判らない。
己の親衛隊であり、親友でもある騎士達。
彼らの力を信じてはいたが、こうして実際に無事な姿を確認したことで得られる安心感は何ものにも替え難かった。
(……よくぞ、今まで無事でいてくれた)
押し寄せてくる感慨に耐えるように、シャスタは唇を引き結ぶ。
と、誰かがさり気なくシャスタの背を叩いてきた。
彼の心情を正確に察して励ましてくれているかのような、その行為。
シャスタは微かに目を見開いて己の背に添えられた手の主を探す。
静かに彼を見遣るその手の主は、愛花だった。
顔や気配に内面の揺らぎを出しているつもりは無かったが、判る者には判ってしまうということか……それとも愛花が特別そうした能力に長けているのか。
どちらにせよ案じてくれたことを有り難く思い、シャスタは穏やかな笑みを愛花に向ける。
微かに微笑み返し、愛花は目の前の映像に視線を戻した。
「この人達がシャスタ様の親衛隊の人?」
知らず目元を濡らしていたものを拭いながら綾瀬が問うと、シャスタも映像に意識を戻す。
「ええ。私の親衛隊であり、友人達です」
「やっぱり、シャスタ様のご友人だけあって格好良い人たちですねっ!」
予想通りっ、と何故か得意げに言いながら、綾瀬は胸元で手を握って瞳を輝かせた。
予想ではなく妄想だろうと心の中で密かに突っ込みつつ、弥鷹達はため息を吐く。
だが確かに整った顔の連中だと、同性の弥鷹も茅斗も思ってはいた。
類は友を呼ぶというのはこのことか。
などと弥鷹が考えていると、映像の中の六人の足が止まった。
何事かと思えば、華奈とシャスタの友人その一の黒い男が、何やら向き合って口論をしている。
それをシャスタの友人その二の眼鏡の男が適当にたしなめ、その三の優男風の男と深冬と環は面白そうに二人の様子を観察していた。
「ほほう」
愛花の目がきらりと光り、彼女は興味深そうに映像を見る。
シャスタも物珍しそうに黒い男を見た。
何を言っているのかは聞こえないが映像の中の二人は白熱しているようで、鼻が触れそうな程に顔を近付けてガンをくれ合いながら口論を続けている。
弥鷹は、己でも知らぬ間に眉を顰めていた。
「タカ君……」
横から声が掛かる。
はっとして弥鷹が声の方を見ると、綾瀬と茅斗から向けられた生温かい視線と遭遇した。
「タカ君」
「何だよ」
「ハルちゃん、凄く楽しそうだよ」
「良い事だろ」
「タカ君以外の人とあんなに楽しそうに喧嘩してるんだよ?」
「だから何だよ」
そっけなく言うと、二人の生温かい視線が強められる。
んもう、素直じゃないんだから。
言葉にされなくとも判る。恋愛話大好きな乙女全開とばかりにきらきらと輝いた綾瀬の目は、はっきりと弥鷹に向かってそう告げていた。
弥鷹の背中に嫌な汗が滲む。
「パルスがあんな風に誰かと喧嘩などしているのを見るのは初めてです」
その時ぽつりと、目を細めながらシャスタが言った。
愛花と綾瀬はその話に喰らい付く。
「パルスって、華奈先輩と戯れているご友人の名前ですか」
「ええ」
「普段はどういう人なんですか?」
「そうですね……凛然として厳しい男です。近しい者の前以外で……いえ、近しい者の前ですらその態度を崩すことは殆どありません」
親衛隊として。第二世界最強と言われ諸国から畏れられる存在として。
彼が周囲の者に対して向けていた峻厳な態度を思い出しながら、シャスタは言う。
それでも立場が同じで近しいフラットやカイリには態度を崩すことも多かったが、同じく幼少から共に育ったというのに、立場と父王に対する恩義を重んじてか自分にはあまり気軽に接してはくれなかった。
それが彼の性格だとシャスタは知っていたから、少し残念に思いつつも苦痛に感じることは無かったが。
「へえ、そんな人が」
「ハルちゃんと、あんな風に……」
弥鷹に向けられる生温かい視線の数が増えた。
彼の背を伝う嫌な汗の量もどばっと増える。
「だからお前らさっきから何が言いた……」
「タカ君、ハルちゃんのこと好きだもんねぇ。微妙な心境なんじゃない?」
ぶはっ。
弥鷹の言を遮るようにして投下された綾瀬の爆弾発言に、弥鷹は思わず全力で吹いた。
口の中に何か入っていたら現場は実に凄惨な状況となっていただろう。
「な、何言って……!」
「気付いてないの華奈先輩くらいですよ、弥鷹先輩」
弥鷹はげほごほとむせながら慌てて言い返すが、愛花にびしりと切り返されて轟沈した。
何でだ。誰にも言ってない筈なのに何で判ったんだ。
本気でそんなことを考えながら、弥鷹は頭を抱えてその場に蹲る。
だが愛花達からしてみれば、ばれていないと思っている方が不思議でならなかった。
普段から快活で喧嘩を売ってくる相手以外には人当たりも良い弥鷹だが、華奈とつるんでいる時だけ微妙に生き生きしているうえ、時折何でもない時に優しげに目を細めて彼女を見ていることもあるのだ。
そんな面白い光景を特に綾瀬が見逃す訳もなく、又、付き合いの長い者達が気付かない訳も無い。
尤も、華奈にそれに気付く気配も何かが芽生える気配も全く無いというのも周知の事実だったが。
……それでも、華奈がおいおいそういった感情を抱くとしたら弥鷹しか考えられないというのが、愛花達の認識であったというのに。
(意外なところで意外に好敵手の登場……だったら面白いな)
映像を見ただけでは華奈が黒い人にそういった感情を抱いている気配など全く感じないが、シャスタの話を聞く限り黒い人の方は定かではないことであるし。
弥鷹には悪いがこれは最上級の娯楽だと。
愛花は提供してくれたユーグベルに心の中でこっそり拍手を送りつつ、生き生きと口論する華奈が映し出される白い壁を見た。