Prologue
儀式が成功する筈など無かった。
白地に金色の繊細な刺繍が施されたローブを身に纏った魔法師達は、先程まで目を覆うほどの眩い光を放っていた巨大な魔法陣をただ呆然と見つめていた。
儀式が成功に導かれた原因は幾つか考えられる。
選りすぐられた最高の魔法師達。
完璧なる手順。
魔力増幅のための、古からの法具の使用。
儀式を受ける側の人間達の素質。
だがこれだけの好条件が揃っていても、成功の確率は絶望的に低かった。
何故か。
精霊の生み出す魔力を調整・統括し、均衡を保つ役割を担う人物。
世界にとって無くてはならない、尊き人。
彼が忽然と姿を消し、魔力を殆ど使役出来なくなるという現象が、この世界に起きていたからだ。
均衡を保つ者が居なくなれば、世界中にまんべんなく巡っていた魔力の循環が乱れ、手始めに各地で災厄が起こるなどといった形でその影響は現れる。
しかし現在、魔力は循環が乱れるのではなく、その殆どが消失していってしまっていた。
世界が生きるための生命力生命力でもある、魔力。
それが消失するということは、世界が消失するということを意味している。
何としても回避せねばならない事態であった。
壊乱ではなく、消失。
その理由は不確定で、しかし、明らかだ。
魔力の循環の乱れによる災厄は、過去に幾度か起きている。それは、尊き役割を担う者の選定や引継ぎに支障が生じ、一時的にその役割を負う者が不在であった時……尊き者が頓死したなどの理由でそれらの状況に陥った場合である。
だが、今回は消失。
尊き者が“この世に居ない”のではなく“この世界に居ない”ことを意味していた。
可能な限り有能な人材を投入しても尊き者の行方の片鱗すら掴めずにいることが、良い証拠である。
彼らに残された道は、たったひとつ。
ここではない世界へ。
精霊の住まうという世界へ渡り、原因を探り出し、行方を追う。
……それしか、無かった。
これはその為の儀式であった訳だが、魔法陣を発動させ、精霊の住まう世界へと渡るほどの魔力は、もはや世界には残されておらず……ゆえに、魔法師達が儀式を執り行うことは、命懸けであった。
捧げる代償少なく巨大な力を使役しようとすれば、生命力そのものを魔法陣に吸い取られてしまうからだ。
魔法師達だけではない。
儀式を受けた3人の人間も、決死の覚悟であった。
例え魔法師達全員の命を犠牲にして魔法陣が発動したとしても、少しでも力が不足すれば、己の世界と精霊の住まう世界の間にある“亜空間”と呼ばれる空間に放り出され、醜く朽ち果てるという運命を辿ることとなるのだから。
だが、どういうことだろう。
現在魔法師達の間に犠牲者はひとりも出ておらず、発動時の魔法陣の輝きから察するに、儀式を受けた3人は精霊の世界へ渡ることに成功している。
このような結果となる可能性は……一縷の望み、という言葉すら当てはまらないほど、低かった筈。
喜ばしい事態であることは確かだが、魔法師達は驚きと疑念を隠し切れなかった。
「……信じて待つしかあるまい」
魔法師のひとり、優しげな目元とたっぷりと蓄えられた銀色の髭が特徴的な老紳士が、誰にともなくそう呟く。
それはとても静かな声であったが、ドーム状の高い天井を持つその空間には酷く響いた。
偶然であったのか、命運であったのか。
それとも何かの意図に操られているのか。
どちらにせよ、どうか彼の者達に幸運を。
精霊の、ご加護を。