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第九話



○登場人物


  稲田景勝・いなだかげかつ(現代文担当、1組担任、35歳、冷静だが心の中は熱い)


  福山蓮子・ふくやまれんこ(数学担当、1・2組副担任、24歳、損得勘定で物事を考える)


  武中健吾・たけなかけんご(生物地学担当、2組担任、35歳、沈着で大人な人間)


  森繁八重子・もりしげやえこ(日本史担当、44歳、3組担任、学年主任で頼りがいがある)


  四島嘉津男・よしまかつお(古文担当、45歳、4組担任、生徒と同年代の娘がいる)


  井之脇壇・いのわきだん(世界史担当、27歳、3・4組副担任、四島の弟分的存在)


  北澄昌明・きたずみまさあき(体育担当、48歳、5組担任、独身でまだ好機を窺っている)


  田蔵麻綾・たくらまあや(英語担当、22歳、5・6組副担任、新人ながらしっかりしてる)


  鶴賀あかり・つるがあかり(物理化学担当、6組担任、29歳、結婚に対して執着がある)




  渥美衣代・あつみいよ(帰宅部、遅刻・早退・欠席の常習)


  安東菊恵・あんどうきくえ(バレー部、セッターで気が強い)


  一場太志・いちばたいし(サッカー部、運動も勉強も学年トップクラス)


  伊東紗和・いとうさわ(学級委員長、クラスをまとめるしっかり者で信頼もある)


  岩瀬浩二・いわせこうじ(陸上部、駅伝メンバーで自分を強く持っている)


  梶田希・かじたのぞみ(美術部、デザインに興味があって進路に悩んでいる)


  北橋泰子・きたはしやすこ(バスケ部、万年補欠でセンスがない)


  小林洋・こばやしよう(サッカー部・エースの座を一場と競う)


  佐土原宏之・さどはらひろゆき(野球部、エース候補だが我が強い)


  塩崎拓也・しおざきたくや(帰宅部、野方文和の親友で良き理解者)


  篠永梢・しのながこずえ(手芸部、ロリータファッションをこよなく愛する)


  高品悟・たかしなさとる(水泳部、自由形を専門にしている)


  長岡純平・ながおかじゅんぺい(柔道部、体格はいいが気は弱い)


  沼本香苗・ぬまもとかなえ(放送部、ラジオDJを夢見る)


  野方文和・のがたふみかず(帰宅部、生まれつき体が弱く欠席も多い)


  野口七海・のぐちななみ(合唱部、ピアノ担当でしっかり者)


  蓮井新・はすいしん(帰宅部、松田佳彦とつるんでる不良)


  林愛莉・はやしあいり(テニス部、ミスコンにも選ばれる美少女)


  原本力・はらもとつとむ(野球部、捕手で体格も腕もいい)


  藤井初音・ふじいはつね(合唱部、ソプラノ担当でマイペース)


  古橋健太・ふるはしけんた(バスケ部、センターガードでスタメンをはる)


  益子エミリ・ますこえみり(バスケ部、清楚でスレンダーなギャル系)


  松田佳彦・まつだよしひこ(帰宅部、不良で世の中に執着が薄い)


  松浦ひばり・まつうらひばり(バレー部、長身アタッカーだが気が弱い)


  三池繁・みいけしげる(副学級委員長、草食系で優しいアイドル好き)


  水橋範子・みずはしのりこ(漫画愛好会、少女マンガ大好きで自作してる)


  宮里辰則・みやざとたつのり(学年一の秀才、何事もやってのける逸材)


  桃田未絵・ももたみえ(帰宅部、転校生で心を開かない)


  山口裕也・やまぐちゆうや(帰宅部、単位ギリギリで危ない)


  吉澤麗子・よしざわれいこ(陸上部、駅伝メンバーで仲間意識が強い)





 福山蓮子、3年1・2組副担任。

 夏の空は今日も裏切ることなく強い日の光を届けている。たまには裏切ってくれても

いいのに、と切に願う8月の始め。外見はしゃきっと引き締めて見せてるけど、内側は

よたよた気味。

 この暑さで気持ちはだらけちゃってるし、雲も疎らな晴れ模様で若干の眠気も襲って

きてる。ただ、こんな部活の顧問中になんてこっくりするわけにいかない。目の前で部

員の皆が大会に向けて最後の調整に入ってるのに、私がそんなことでもしたら総スカン

は間違いない。こういう時、授業中に寝ていても笑い話で済んでしまう生徒を羨ましく

思えてしまう。

 1回眠いと思ってしまうと、中々そこから抜け出すのは難しい。要は、眠いと思った

時点でアウトだから。あとは、しばらくして眠気が小さくなってくのを待つのみ。負け

るな、私。

 だって、眠いなんて言えないし、それが昨日の合コンのせいですなんて口が裂けても

言えやしない。男に媚びを売るのは疲れるし、女の子ぶって少食なフリしたから、終わ

った後で女子メンバーで2件目に行っちゃって深い時間まで盛り上がってしまった。無

念。ちなみに、合コンの結果はスルーしていただきたい。

 校庭の方へ目を向けてみると、華やかな一地帯が目立ってくる。先日に甲子園出場を

決めた野球部の練習は賑わっている。練習そのものに変化はないけれど、周りの意識が

違う。十数年ぶりの全国行きの切符を掴んだ事に、高校内はもちろんのこと地元は活気

づいている。「祝!甲子園出場」って幕も幾らか目にしてるし、練習風景を取材したい

ってオファーも受けてるし、練習の様子を見ようと他校からも足を運んでくる人達まで

いるほど。

 この数日で彼らを取り巻く環境は大きく変わったけれど、楽しめてるらしいからよか

った。出来れば、試合には応援に行くつもり。稲田先生や生徒たちもそう言ってたし。

テレビとか映っちゃったりして。




 高品悟、出席番号12番。

 夏休みに入ってからも水泳部の練習で毎日のように学校へ行っている。授業がない分、

気は楽だけど受験生という立場も忘れられないので今年は落ち着かない。普段より遅め

に起きて、部活で午前中は体力作り、午後はプールで泳ぎまくり、普段より早めに帰っ

たら勉強に励む日々。

 せっかくの夏休みも部活と勉強に消えていく。息抜きもそんなに出来ていない。夏が

終われば部活は引退だけど、このまま受験まで時間のない日々が続いていくのかと思う

とうんざりする。元々、どちらも好きってわけでもないし、特別に目標があるわけでも

ない。

 水泳は小さい頃から習ってて、飲み込みが早くて結果も出てきたから今もやっている

けど全身全霊を注ぐってほどじゃない。具体的な目標はなく、ただ自分に合ってること

だからと続けてきた。でも、そこらの人達より速いってぐらいで、所詮は市のレベルで

止まってしまう。上には上がいくらでもいる。勉強も同じだ。そこそこ出来るが、それ

止まり。

 致命的なのは目指すものがないということだろう。水泳についても勉強についても、

これといった欲はない。だから、ある程度は出来たとしても、それ以上に向かおうと根

気を強く持てない。

 慣れもあると思う。どちらも小さい頃からやってきた事だから、もうこの年齢にまで

なると多少の刺激でもなければ動かない。毎日の一環という認識になり、それぐらいの

ベクトルしか向かない。

 それなのに、ここになって心の片隅から抜けられない思いが生じている。桃田未絵の

存在が大きくなってきている。恋とは違うものかもしれないし、そうなのかもしれない。

それでも、あいつのために何かしてやりたい、あいつのために泳いでやりたい、あいつ

を笑わせてやりたい、という思いが次第に強くなっている。そんなことが出来るんだろ

うか、という疑心とともに。




 稲田景勝、3年1組担任。

 夜、灯りのいくつかある公園へ赴いてキャッチボールをした。相手は佐土原と原本。

2人の方から誘いがあり、快諾するとここに来るよう指定された。1年生の頃は部活の

後に居残り練習をして、校庭から追い出されてもここで練習をしていたらしい。最近は

めっきり無いようだが。

 三角形になり、軽めのボールを投げていく。人気のない公園の中に、ボールがグロー

ブにおさまる音、虫の声が鳴っている。俺は学校帰りのスーツ姿、2人は一度家に帰っ

てから大きな荷物を提げてきた。この後、野球部は夜行バスで数時間をかけて兵庫県に

向かう。

 「先生、この前はありがとうございました」

 「何の事だ」

 10分ほどでキャッチボールを終えると、佐土原に感謝の言葉を告げられる。

 「決勝の前、先生からの言葉で気持ちに整理をつけることが出来ました。あれがなか

ったら、多分勝ててなかったと思います」

 「そうか。それはよかった」

 「だから、先生も過去の事をそんなに引きずらないでください。先生が俺らを甲子園

に行かせてくれたんです。それじゃ、ダメですか」

 「俺も話を聞いたけど、よくある事です。監督なら、誰でもそこはそうしていたはず

です」

 「いや、ありがとうな」

 2人の純粋な思いに胸を打たれる。涙が出るぐらい嬉しかった。まさか、過去の傷を

こうして撫でてもらえる日があるなんて思ってもみなかったから。

 「悔いのないように頑張ってこい」

 「はい。行ってきます」

 時間になり、2人は大きな荷物を持って公園を後にしていく。その背中はとても頼も

しく見えた。




 水橋範子、出席番号26番。

 いよいよ、待ちに待った日が訪れた。年に2回の大舞台、このために毎日を過ごして

いるって言っても過言じゃないくらい。昨日はドキドキで寝れなかったけど、眠気は全

然ない。

 コミックマーケット・イン・ビッグサイト。3日間で数十万人が来場する世界最大級

のイベント。そこに私は参加する側。ネットで知り合った年齢も離れた女子数人で組ん

でる同人誌サークルで運よく抽選を通った。今日のために書き上げた自信作をお披露目

する場が出来て嬉しい。しかも、それがこんな大きな場所だなんて気分も自然に上がる

もの。

 会場は多くのサークルと来場者で埋めつくされていく。私たちのスペースで立ち止ま

ってくれる人もいて、手に取って読んでくれてる間は少し鼓動が早まっていく。そんな

人いないだろうけど、「面白くない」とか言ってかれたらショックだし。結構、折れや

すいから。

 「のんちゃん、来たよ」

 「あっ、待ってたよ」

 篠子がわざわざ来てくれた。正直、人ばっかで意識やられちゃいそうになってたから

助かった。

 「いつもながら混んでるよねぇ」

 「ホント。暑いし、酸素薄いし、何時間もいるには体力いるよ」

 「それ、似合ってるよ」

 「そうかな。あんまりしっくりきてないんだけど」

 今日の衣装はメイド風。マンガ好きだし、こういうイベントも好きだけど、コスプレ

にはそれほど興味はそそられない。まぁ、参加側だから普段着ってわけにもいかないと

思って、篠子に選んでもらったってだけ。その篠子は、上から下までをロリータファッ

ションに飾っている。この場に合わせたわけじゃなく、完全に彼女の趣味。あやうく、

私もゴスロリを勧められそうになったのをメイドで勘弁してもらったぐらい。筋金入り

の愛好家だ。

 「そんなことないよ。とっても可愛い」

 「ありがとう。そっちも可愛いよ」

 「ありがとう。嬉しい」

 そう言うと、篠子は「これはね」とファッションのポイントを一つ一つ丁寧に教えて

くれた。毎度の説明だけど、これを聞くのは苦じゃない。自分が着るのは興味ないけど、

他人が着るのは素直に良いと思える。それに、篠子の影響でロリータの良さは分かって

いるから。

 結局、篠子は一冊購入して他のブースの方へ行った。その後、夜まで狭めのスペース

にいたせいか体は疲れきったしまった。接客はバイトで慣れてたけれど、環境が違いす

ぎた。でも、こういう場所に来れるのは受験勉強で萎えてる心身をリフレッシュできて

いい。




 伊東紗和、出席番号4番。

 調べ物があって学校に行った後、夕暮れの繁華街を駅まで歩いてく。買物をする主婦、

仕事終わりのサラリーマン、夏休み中の若者、この時間帯は特に人の数も増えて賑わい

を見せている。

 人間観察は好きで、よく周りに目を向けているせいか知り合いを見つける確率は高い。

今日も視界に入った見覚えのある影を見つけた。でも、それは少し意外な相手だった。

桃田さんはあまりこういうところにいそうなタイプではないから。普通の高校生が溜ま

りそうなところじゃなく、どっちかというと大学生とかもう一歩大人な人たちが集まり

そうなところへ行ってそう。単純に、大人びた外見からの勝手な偏見でしかないんだろ

うけど。

 それでも、向かい側から歩いてくる桃田さんの姿はそう思わせるには充分なくらいの

風貌だ。普段のように厚着はしてるけど、私の私服とはレベルが違うオシャレなスタイ

リング。周りを歩いてる女性とは質の差があって、私自身もその様に目を奪われてしま

った。

 「伊東さん」

 「あっ、うん」

 見惚れるように目で追ってると、視線が合って声を掛けられた。っていうか、それよ

りも不自然なものに気づく。桃田さんの方から声を掛けてもらうって事が中々ないから

だろう。あるとすれば、学校に関するあれこれについてぐらいだし。4月に転校してき

たからウチの学校のことで分からない事を聞かれて。そう、おそらく私を頼りにしてる

んじゃなく、学級委員だからっていう。 

 「学校、行ってたの」

 「うん。ちょっと調べ物があって。桃田さんは何してたの」

 「何ってことはないよ。ぶらぶらしてただけ」

 なんだか不思議な感覚に陥ってく。桃田さんの話し方がいやにフランクに感じれた。

こんな言い方はアレだけど、桃田さんの印象って無愛想なところがある。周囲とは一線

を引いて、深く係わり合いにならないようにしてる。単独行動が多く、友達が出来ない

というより自ら作らない感じ。群れるのを嫌がってるのは女子から批判的な言葉が出て

るけれど、私的には格好よさを受けている。自分から独りを選べる人って、凄く強い気

がして。

 「そうだ。これ、あげる」

 「貰っちゃっていいの」

 「うん。さっき、ゲーセンで取ったばっかりだから」

 そう桃田さんがバッグから取り出したのはリスの可愛らしいぬいぐるみだった。

 「ありがとう。大事にする」

 「大事になんかしなくていいよ。気に入らなかったら捨てちゃって」

 「そんなことしない。せっかく、桃田さんがくれた物なんだし」

 そう笑みを見せると、桃田さんも笑みを浮かべた。やっぱり、不思議な感覚。だって、

桃田さんが笑ったところを見るのは初めてだったから。4ヶ月間もクラスメイトをして

きたけど、1組で桃田さんは笑ったことがない。口角を上げるぐらいならあったけど、

他の皆みたいに口を広げて笑うってことはなかった。どうしてだろうとは思ったけど、

個人的に掘り下げられたくないところかなって思ったから深くは詮索していない。その

桃田さんが今、私に釣られるように笑ってる。

 桃田さんは「バイバイ」と手を振って、私の前から去っていく。三度、不思議な感覚。

桃田さんから挨拶されるのも初めてだったから。挨拶はもっぱら私の方からだし、手を

振ってくれたことなんかないし。

 何があったんだろう。特別に良い事でもあったのかな。それとも、夏休みで会ってい

ない間に性格が明るくなったとか。貰ったばかりのリスのぬいぐるみを持ちながらあれ

これ考えを巡らせた。




 高品悟、出席番号12番。

 部活終わり、電車から降りた後に駅近くのスーパーで買物をしていく。母親から頼ま

れた、よくある「お一人様につき一点まで」っていう特価品。こういった足には度々に

使われる。

 「高品くんだ」

 「おぉ」

 レジを終えて、商品を袋に詰めてると後ろから声を掛けられた。後ろを振り向くと、

声の主は伊東だった。伊東は家からの最寄り駅が同じだから、たまにこうやって偶然に

会う事がある。

 「部活帰り」

 「あぁ、買物頼まれて」

 「へぇ、偉いじゃん」

 「どこが。使われてるだけだし」

 軽く微笑むと、そのまま2人で帰ることにした。スーパーを出る頃には辺りは暗くな

っていた。

 「大会までもうすぐだよね」

 「あと3日」

 「どうですか。調子の方は」

 「別に。普通だよ」

 3日後には県大会を迎える。ただ、そこに向けてのモチベーションはいまいち高まっ

ていないのが事実だった。解決できない心の靄を抱えたままでいる。ここを突破しない

と開扉の術がなさそうだ。

 「そうだ。さっきね、桃田さんに会ったの」

 その名前に体が素直に反応する。今まさに頭に浮かんでいる、自分の中の靄の原因の

名前だったから。

 「向こうの駅の繁華街で会ったんだけど、なんかすごく上機嫌みたいで。笑ってくれ

たり、気さくな感じだったの。ほら、これも貰っちゃった」

 そう言って、伊東はスクールバッグからリスのぬいぐるみを取り出した。それより、

その前の言葉の方が圧倒的に気にかかった。上機嫌、笑った、気さく、そのどれもが桃

田には全く当て嵌らないものばかりだ。

 「何でそんなふうだったの」

 「さぁ。理由は分かんないんだけど、何かあったんじゃない。でも、無理に飾ってる

んじゃなく、明るさがしっくりきてて。あっ、本当は桃田さんってこういう人なんじゃ

ないのかなって思うくらい」

 「ふぅん」

 そんな気にしてないように返したけど、ホントはかなり気になってた。桃田にそんな

一面があったなんて。少なくとも、俺と接してる時にはそんな気配は一片も残していな

かったはずだ。

 4月、海浜総合高校に転校してきたばかりの桃田には周囲には興味を示さない、興味

を抱いてもらおうとしない沈着な印象を受けた。独りでいる事がほとんどなのに陰気さ

は窺えず、逆に肝の据わってる様子だった。とても心が強そうで、そういうタイプの女

は同性に好まれない事が多い。活発な女子は群れずに独りでいられる彼女を妬み、活発

ではない女子はそんな状況でもブレない彼女を羨む。前者は陰で彼女への嫌味を零し、

後者は彼女の強さを自分より格が上のモノとして無闇には近づかない。結果、桃田未絵

は孤立している。

 桃田への見方が変わったのは6月に入った頃だった。ようやく部活でプールが使える

ようになり、1日何十本と泳ぎ続けてた時、ある日にプールと校庭の間に伸びている正

門から校舎までを繋ぐ本道から彼女がこちらを見ているのが見えた。俺を見てるんじゃ

なく、水泳部の練習の風景を。単なる見物というような感じではなく、なにか羨望の瞳

をしていた事に疑問が残った。

 「なぁ。昨日、放課後に水泳部の方を見てなかったか」

 その翌日、その事について直接本人に訊いてみた。彼女に個人的な用で話しかけるの

は初めてだったから少し緊張したけど、またとない機会だと思って決心した。もしかし

たら、わざとらしくなってたかもしれない。

 「そうだけど」

 「どうして」

 「理由がないといけないの」

 「いや、そんなんじゃないけど。ただ、何かあんのかなって思って」

 「別に」

 一級品の素っ気なさ。悪気があるかないかというより、これ以上に入り込んでくるの

を拒んでるような感じだった。軽い気持ちで入ろうとする人間には即座に壁を作ろうと

する。小まめに話しかけてる伊東でさえ、プライベートな部分は全くに近いほど分から

ないそうだから。

 それでも、それ以降にも放課後に水泳部の練習に目を向ける桃田の姿を何度か見かけ

ていった。理由なく眺めてる頻度とは言えない。何か思いを携え、こちらに視線を向け

てるのは明らかだった。

 理由を考えてみた。桃田と水泳で繋がりそうなものを。確証はないけれど、その結果

に行き着いたのは彼女が水泳が好きなんじゃないかということだった。桃田は必ず体育

の授業を見学している。体調の問題らしく、日常生活にはさほど支障はきたさないが、

激しい運動には体が着いていけないらしい。教室でも廊下側の席に座ったり、体育でも

一人だけ夏場もジャージの上着を着てたり、普段も冬服を着てたりするのはそれに関係

してるんだろう。そういうところもあるせいで、彼女を快くは思ってない女子も強くは

当たれない部分がある。

 そこから無理にかもしれないけれど繋げてみる。桃田が水泳が好きなんだとしたら、

彼女の行動も納得がいく。水泳が好きで自分も泳ぎたい、でも体のことがあるからそれ

が出来ない。それで、あんな眼差しで見ていたんじゃないだろうか。いや、きっとそう

に違いない。

 その根拠のない自信を持って、もう一度桃田へ同じ質問をしてみた。今度は、自分の

想像を加えた上で。すると、前回とは違った反応を見せ、表情を虚ろなように曇らせて

いった。

 「前の学校では水泳部だったの」

 「そうだったんだ」

 「泳ぐ事が昔っから好きで、夏になるのが毎年楽しみだった。中学で水泳部に入って、

それなりに良いタイム残したりしてたんだけど、去年になってから体が思うように動か

なくなってきて。呼吸が苦しくなってきて、泳ぐのが辛くなってきて、水泳を辞めるし

かなくなったの。そうしたら、どんどん毎日が暗くなってきて、周りにもきつく当たる

ようになって、自然に誰も近寄らないようになってた。そんな時、ここに転校する事が

決まって。あんな思いなんかしたくないから、最初から誰も寄せつけないようにしとく

ことにしたの」

 桃田の言葉と、その背景にある過去は重かった。自分の好きだったものを奪われ、そ

れによって多くのものを失った。今の彼女が作られてしまったのも仕方のない流れなの

かもしれない。

 それ以上、これといった言葉は出てこなかった。下手な慰めすら。きっと、桃田は俺

よりも水泳を愛していると思う。だから、そんな俺が掛ける言葉なんか小さなものだと

悟って。

 あれ以来、桃田とは言葉を交わしていない。真相を知ってしまった事で、逆に係わり

を持つ事に逃げるようになってしまっていた。でも、彼女に何かしてやれることはない

だろうかと考えてやまなかった。




 福山蓮子、3年1・2組副担任。

 図書室に入ると、静けさが部屋中に広がっていた。本を捲る音やペンを走らせる音が

一つ一つきちんと聞き取れるほど。それに、今は夏休み中で校内の人が少ないってこと

も上乗せされてるんだろう。

 それでも、図書室の中には比較的多くの生徒が集まっている。閑散としてる校内から

したら、結構な密度にはなってると思う。そのほとんどが3年生。夏休みといえど休暇

ばっかり取ってられず、受験という大きな壁に向かっていかないといけない。そのため、

連日ここには勉強や調べ物をしようと生徒が集まってくる。おそらく、家では集中でき

ないってことだろう。

 机に向かい、教科書や参考書や資料を読んだり、問題を解いたりしてる生徒たちの間

をくぐっていく。目当ての相手はいくつも並んでる机の中、奥の角の席に座っていた。

この時期に冬服のブレザーを着てるのは学校中を探しても彼女だけだから探すのに時間

は掛からない。

 桃田さんに声を掛け、図書室の外へ呼び出す。日向は辛いかなと思って、日陰のある

階段のあたりを選んだ。

 「ごめんね。ちょっと伝えたい事があって」

 「はい」

 愛想のない返答。嫌がってるとかじゃなく、機嫌が悪いでもなく、元々こういう感じ。

転校してきた時から、どこか無気力で感情を表に出さず、物事に感心を示さない。まぁ、

彼女の体の事を思うと仕方がないのかもしれないけど。

 「実はね、ある人から聞いたんだけど。桃田さんがよく水泳部の練習を見てるって」

 昨日、高品くんから練習の後に相談を受けた。桃田さんが前の学校で水泳部にいた事、

体を壊して水泳を続けるのが困難になった事、それによって今のような性格になった事、

そしてウチの水泳部の方をよく眺めてる事。正直、私は全く知らなかったところだった。

副担任ながら、彼女の事を全然把握してないんだなと痛感した。取っ付きにくいところ

があるしと、そんなに距離を縮めていなかったのが事実だから。自業自得、チクリと胸

が痛む。

 「水泳やってたんだってね」

 「はい」

 「言ってくれればよかったのに。見学とかなら、いつでも来てくれていいんだから」

 「いえ、いいんです」

 やっぱりか。外から見てる分にはいいんだろうけど、側で見るといろいろ思っちゃう

ところもあるだろうし。多感な時期でもあるし、出来上がってない分だけ感情の抑制が

難しい。

 「それじゃあ、明日の大会を見に来てくれないかな」

 「明日の」

 「うん。さっき言った「ある人」がね、桃田さんに見に来て欲しいって」

 高品くんの目は本気だった。心からの言葉だった。桃田さんに対してのどういう感情

なのかまでは読み取れなかったけど、あんなに親身になってることなんだから力になり

たいと思った。

 「大丈夫かな」

 「考えておきます」

 そう言い、桃田さんは図書室へ戻っていった。来てくれそうなのか分からないぐらい

淡白な返事だったけど、来てくれるのを願うしかない。私だって、このままになるのは

嫌だ。




 桃田未絵、出席番号28番。

 大会の当日、私からしたら迷惑なくらいの快晴に見舞われた。水泳場が屋内のプール

だったのがせめてもの救い。それでも、ガラス張りで日光が差し込んでくるから、なる

べく観覧席の日陰になる位置に座った。

 高品くんの出る自由形まではもう少し。その間に、バッグの中から取り出した手紙を

広げる。昨日、図書室の近くで福山先生と話した時に渡されたものだ。先生の言ってた

「ある人」からだけど、それが誰であるかは明確。だって、あの話はウチの学校で一人

にしかしてないから。

 『金曜日、大栄市の県営水泳場で県大会があります。14時過ぎの自由形の200に

出るから見に来て欲しい。あと、もしも全国大会に行けたら一つお願いを聞いてもらい

たい』

 来る気は元々はなかったけど、福山先生と高品くんの熱に押された。男子がこんな手

紙を書いてくるなんて、ちっぽけな気持ちじゃしないはずだ。それに、わざわざ遠回し

にしてきたのも私の心境を汲み取ってくれたんだろうし。さすがに、この思いに応えな

いわけにはいかない。

 しばらくして、自由形の200の順番が訪れる。プールサイドに姿を見せてくる選手

たちの中に高品くんもいた。緊張してるのか、顔は引き締まっている。高品くんはこれ

まで市大会のファイナリストに行けるレベルだったけど、今回は100ではそこを越え

られなかったものの200で初めて県大会行きを決めたらしい。その源の一部にでも私

はなってるんだろうか。

 予選が始まっていく。今日の予選を抜ければ明日は準決勝、明後日は決勝、その先に

は全国大会がある。一つ一つを勝っていく事、それが命題。どれだけ険しい道なのか、

未知の世界。

 予選3組、6レーンに高品くんが入る。集中している。緊張している。今からそこを

泳ぐのは誰のため。自分自身のため。私のため。私のためなんだとしたら・・・・・・

頑張って。

 合図音とともに選手がプールへ飛び込んでいく。大きな水飛沫をあげ、丁寧に水の中

をかいていく。50のターン、高品くんは8人中の6位。たまに水の上に出てくる顔は

懸命そのもの。その表情に心が引き込まれていく。100のターン、まだ6位。必死に

泳いでる。必死に頑張ってる。それは誰のため。150のターン、まだ6位。選手たち

がラストスパートをかけていく。高品くんも力の限りを尽くしている。なのに、報われ

てくれない。順位は変わらないし、差も縮まらない。どうして。神様、また意地悪する

んだね。

 高品くんはそのまま6位でゴールをした。予選敗退。結果を目にすると、高品くんは

6レーンで悔しがっていた。プールを上がってからも、下を向いたままで更衣室の方へ

歩いていく。落ち込んでいた分がこのレースへと懸けていた分。小さくなってく背中を

見ながら心が苦しくなった。




 高品悟、出席番号12番。

 勝負はあっという間だった。これまでの水泳人生の総括とした大会なのに、あっさり

したものだった。予選の1レースの中の6位、全くもって掠りもしていない。全国大会

なんて絵空事を頭に描いた自分が情けない。そもそも、市大会レベルの人間が県大会に

行けただけでも充分な事なのに。こんな熱くなる奴じゃないのに、何を血迷ったんだろ

うな。

 今までは水泳に取り組む上で明確な目標はなかった。タイムを縮めるとか大会で一つ

でも上に行くとかはあったけど、どれも固執するようなものじゃなかった。それなのに、

この大会だけは絶対に負けたくない強い思いで臨んだ。何かのために、誰かのために、

となれたのは初めてだと思う。その思いに背中を押してもらえ、普段の自分以上のもの

が出せた。

 そのせいか、負けたのが悔しかった。これまでに幾度となく負けてきてるけど、こん

なに露骨なくらいの感情が沸き上がってきたことはない。更衣室に戻ってからも、しば

らく収まらなかった。

 桃田の話を聞いてから自分なりに考えた結果、彼女のために頑張ろうと決めた。自分

が普通にしている事が彼女には出来ない。自分よりも水泳を愛してるのに、それを出来

ない。なのに、自分は大した気持ちもないままに泳いでる。それでいいのか。今、自分

にやれる事はないのか。そう追求していき、彼女の代わりに泳ぐ事に決めた。代わりに

なんてなれるかは分からない。俺の勝手な自己満足でしかないのかもしれない。でも、

何もせずにはいられなかった。一歩を踏み出したかった。これが恋愛感情の類なのかは

今でも分かっていない。それぐらい必死に今日までを過ごしてきた。短かったけど充実

はしていた。

 それも今日で終わりだ。全てを出し尽くした満足感なんてない。敗れ去った格好悪い

男だ。正直、桃田に合わす顔が見当たらない。あんなに大見得きったのに、こっちから

どう会いに行けるんだ。どんな言葉を掛けるんだ。きっと、何を選ぼうとも格好はつか

ない。

 福山先生と県大会に出場した選手と応援に来てくれた部員と水泳場の前で集合して帰

路につこうと歩き出すと、先生が「あれっ」と口にした。何だと思って目を向けると、

玄関口に佇む桃田がいた。

 「桃田さん、来てくれたんだ」

 「はい」

 「よかった。ありがとう」

 「いえ」

 それだけ言い交わし、福山先生は俺を残して部員たちと帰っていった。大勢の人間が

一挙にいなくなり、残されたところには妙な空気が余る。久しぶりに話をすると思うと、

変に構えてくる。

 「ありがとう。来てくれて」

 「うぅん」

 「嬉しいけど、逆に見られたくないのを見られちゃったな」

 「いいんじゃない、別に」

 次の言葉を探してると、桃田がおもむろにバッグから手紙を取り出した。福山先生に

託したあの手紙だ。

 「ねぇ、お願いって何だったの」

 「あぁ、もういいんだ」

 「気になるから言ってよ」

 「大したことじゃない。その、桃田に笑顔になってほしかった。お前の笑ったところ、

見たことないから」

 本当なら勝って格好よく言いたかった。これじゃ、格好も何もない。でも、僅かでも

望みを懸けてみたい。

 「悪いけど・・・・・・無理」

 ダメだった。俺じゃ桃田の心の壁は崩してやれなかった。まぁ、こんな言ってる事と

やってる事の違う奴じゃ当然か。

 「分かった。ごめんな」

 「私、帰るね」

 「あぁ、じゃあ」

 桃田は帰ろうと体の向きを変える。その後ろ姿を見送ろうとすると、最後に「でも」

と呟きが聞こえた。

 「泳いでるの、格好よかった」

 そう言い残し、後ろ姿は小さくなっていく。その場に佇みながら、その一言を噛み締

めていった。



全18話、本に換算すると444ページになる長篇です。

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