第七話
○登場人物
稲田景勝・いなだかげかつ(現代文担当、1組担任、35歳、冷静だが心の中は熱い)
福山蓮子・ふくやまれんこ(数学担当、1・2組副担任、24歳、損得勘定で物事を考える)
武中健吾・たけなかけんご(生物地学担当、2組担任、35歳、沈着で大人な人間)
森繁八重子・もりしげやえこ(日本史担当、44歳、3組担任、学年主任で頼りがいがある)
四島嘉津男・よしまかつお(古文担当、45歳、4組担任、生徒と同年代の娘がいる)
井之脇壇・いのわきだん(世界史担当、27歳、3・4組副担任、四島の弟分的存在)
北澄昌明・きたずみまさあき(体育担当、48歳、5組担任、独身でまだ好機を窺っている)
田蔵麻綾・たくらまあや(英語担当、22歳、5・6組副担任、新人ながらしっかりしてる)
鶴賀あかり・つるがあかり(物理化学担当、6組担任、29歳、結婚に対して執着がある)
渥美衣代・あつみいよ(帰宅部、遅刻・早退・欠席の常習)
安東菊恵・あんどうきくえ(バレー部、セッターで気が強い)
一場太志・いちばたいし(サッカー部、運動も勉強も学年トップクラス)
伊東紗和・いとうさわ(学級委員長、クラスをまとめるしっかり者で信頼もある)
岩瀬浩二・いわせこうじ(陸上部、駅伝メンバーで自分を強く持っている)
梶田希・かじたのぞみ(美術部、デザインに興味があって進路に悩んでいる)
北橋泰子・きたはしやすこ(バスケ部、万年補欠でセンスがない)
小林洋・こばやしよう(サッカー部・エースの座を一場と競う)
佐土原宏之・さどはらひろゆき(野球部、エース候補だが我が強い)
塩崎拓也・しおざきたくや(帰宅部、野方文和の親友で良き理解者)
篠永梢・しのながこずえ(手芸部、ロリータファッションをこよなく愛する)
高品悟・たかしなさとる(水泳部、自由形を専門にしている)
長岡純平・ながおかじゅんぺい(柔道部、体格はいいが気は弱い)
沼本香苗・ぬまもとかなえ(放送部、ラジオDJを夢見る)
野方文和・のがたふみかず(帰宅部、生まれつき体が弱く欠席も多い)
野口七海・のぐちななみ(合唱部、ピアノ担当でしっかり者)
蓮井新・はすいしん(帰宅部、松田佳彦とつるんでる不良)
林愛莉・はやしあいり(テニス部、ミスコンにも選ばれる美少女)
原本力・はらもとつとむ(野球部、捕手で体格も腕もいい)
藤井初音・ふじいはつね(合唱部、ソプラノ担当でマイペース)
古橋健太・ふるはしけんた(バスケ部、センターガードでスタメンをはる)
益子エミリ・ますこえみり(バスケ部、清楚でスレンダーなギャル系)
松田佳彦・まつだよしひこ(帰宅部、不良で世の中に執着が薄い)
松浦ひばり・まつうらひばり(バレー部、長身アタッカーだが気が弱い)
三池繁・みいけしげる(副学級委員長、草食系で優しいアイドル好き)
水橋範子・みずはしのりこ(漫画愛好会、少女マンガ大好きで自作してる)
宮里辰則・みやざとたつのり(学年一の秀才、何事もやってのける逸材)
桃田未絵・ももたみえ(帰宅部、転校生で心を開かない)
山口裕也・やまぐちゆうや(帰宅部、単位ギリギリで危ない)
吉澤麗子・よしざわれいこ(陸上部、駅伝メンバーで仲間意識が強い)
福山蓮子、3年1・2組副担任。
6月も下旬に入り、ここら辺も梅雨に差し掛かった。ジメジメした熱気、ジトジトし
た湿気。ダブルパンチはさすがに辛いっす、先生。あっ、私が先生だった。なんだか、
やる気も起きてこない。家でクーラーのきいた部屋でごろごろしてたい。そう、私って
根っからの現代人。
「宮里くん、問題は終わったの」
いくら小問題の出題中とはいえ、授業中にもかかわらず寝ている宮里くんを起こす。
っていうか、私だって寝たい。違うな、これ。
「はい。一応」
ノートを見てみる。確かに、3問全部終わってる。しかも、全問正解。
「終わってても寝ないの」
「すいません。寝不足なもんで」
すかさず、どこかから「お前、いつも寝不足じゃねぇか」と飛んでくる。教室中に沸
く笑い声を抑えるのに一苦労。ったく、学生は必要以上に元気だから大人は疲れるっつ
うの。
教壇に戻り、教室の様子を見渡す。まだ小問題に取り組む生徒が多い中、宮里くんは
窓の外に降り続いてる雨をボーッと眺めていた。どっちかというと、特に上の方。これ
は毎度の角度。
宮里くんはどこかおかしい。頭が変って意味じゃなく。何て言えばいいか、人間の普
通の枠に嵌らない事が多い。彼の醸し出す雰囲気って、どこか異質なものがある。良い
意味で。
授業中に寝る事は日常茶飯事。起きてても、外の景色をただ眺めてる事が多い。授業
を真面目に受けてる節はなく、普段の性格も的を外れたような不定さ。なのに、成績は
学年トップ。これって、一体どういうこと。他の先生たちも一様に彼の成績を不思議と
している。
掴めない。全く掴めない。
稲田景勝、3年1組担任。
昼休憩の時間、コンビニで購入したおにぎりセットを食べながら書類に目を通してく。
この時期にもなれば、生徒の進路の行方も仕事の一環になる。教師は生徒の代理になれ
やしないのだから、情報収集や応援はせめてもの加担だ。
しかし、3年生教師の輪の中で話されてる事にも耳が傾いた。話の内容は1組の宮里
辰則について。どうすれば、あれだけの成績を残せるのかと。確かに、表側を見ている
かぎりは疑問に浮かぶところだ。
「稲田先生、どう思いますか。宮里くんについて」
「別に、そんなに不思議じゃないでしょう。ああいう結果が出てるってことは、陰で
相当な努力をしているはずです。それが実を結んでる、っていうだけのことでしょう」
「いや、それはそうだと思うんですけど。宮里くんの家って母子家庭じゃないですか。
母親が働いてる分、宮里くんが家事をする時も多いみたいで。それに、宮里くん自身も
家の生計のためにバイトをしてるし。そういう環境の中で、そんなに勉強をする余裕も
ない気がするんですよね」
福山先生の言葉は尤もではある。宮里の家は5年前に父親が事故で他界し、それから
宮里自身は多くの事を犠牲にしてきたに違いない。部活動は一切やらず、学校が終わり
次第に帰宅し、仕事で疲労を溜めてきた母親の重荷にならないようにと家事をしながら
幼い妹の面倒を見て、朝早くに起きて早朝からのバイトをこなして登校する。その生活
を5年も続けている。授業中に眠くなるのは当然だろう。
「疑問に思うのはそうだと思います。ただ、宮里が結果を出してる以上、勉学に励ん
でるのは間違いないはずです。それを表に出さないってことは、もしかしたら努力の跡
を見られたくないのかもしれません。なら、こちらはそれを探らないでやるのがいいん
じゃないでしょうか」
隠す理由や勉学の時間は不透明だが、そういうことなんだろう。どうして、そうして
いるかは分からないが。
宮里辰則、出席番号27番。
「ただいま、お兄ちゃん」
「おぉ。おかえり、小一」
18時前、朝食の食器や昼食の弁当の容器を洗ってると妹の小一が外から帰ってきた。
まだ10歳だけあって、根拠の解明しにくい気の高揚さを携えている。まぁ、子供は元
気が一番だ。
「ちゃんと、手洗いとうがいはするんだよ」
「はぁい」
馬鹿が付くほど素直なのも子供の良いところだ。大人のように、淀んだ嘘なんて付く
必要すらない。
小一はテレビを付け、18時から始まるアニメを楽しみにしている。放送が始まると、
主題歌を歌い出す。肩なんか左右に振ってみたりして、その後ろ姿はめちゃめちゃかわ
いい。小一は今の自分にとって最大の癒やしの源になっている。この子がいなかったら、
今頃は母さんも俺もどうなっていただろう。本人に言っても伝わらないだろうけど、心
から感謝してる。
「アニメ終わったら、お風呂入って、宿題するんだよ」
「はぁい」
空返事。意識はアニメにしか向かってない。あえて、そうしとく意味もある。後々、
何か愚痴られた時にこっちの武器になるように。
小一は言われた通りに、アニメが終わるとお風呂に入って宿題をした。まぁ、基本的
には実直な子だ。たまに、子供特有の極度の怒りを発揮するのが難だけど。
「ただいま」
「おかえり、母さん」
「おかえり、お母さん」
20時前、夕食を作ってると母さんが仕事から帰ってきた。俺が料理をしてる間に、
母さんは小一と戯れてる。後ろから聞こえてくる声は実に心地良い。2人の幸せな時間
が俺の幸せな時間でもあるから。
夕食が出来上がると、木製のちゃぶ台を3人で囲む。1DKの小さな部屋に質素な家
具が並ぶ一昔前のような我が家はとても落ち着く。父さんが亡くなる前は普通に洋風な
マンションに住んでたから、ここに引っ越した当初は慣れなかったけど、今ではこれが
一番だ。
「美味しいねぇ、ウチのシェフが作るご飯は」
「何言ってんの。全然シェフじゃないし。おだてても何もないよ」
「お兄ちゃん、オムライスが食べたい」
「だから、何もないって言ってるでしょ」
「ちぇっ」
「嘘だよ。じゃあ、明日はオムライスだ」
「やった」
父親はいないけど、生活は苦しいけど、それでも充分以上に楽しい。家族がいてくれ
れば、多くの幸せなんて贅沢は言わない。
23時前、一日の家事が終了。この時間には、もう母さんも小一も眠りについている。
朝のバイトをしてるから、朝食は毎日母さんが作っている。少しでも負担を減らせれば
と思って、それ以外の家事は学校終わりで自分がやることにしている。家族のために働
いてくれてる母さんをなるべく苦しませることのないように。
ここからがようやく勉強の時間。勉強用具を広げて、一人用のライトを頼りに勉強に
励む。今日は古文。実生活で役に立つものじゃないから、そんなに重点は置いてない。
もうすぐ期末試験って事もあるから教科書の範囲をなぞっておく。勉強する時間の長さ
は決めてない。眠くなれば寝るだけ。だから、1時間の時もあるし、朝まで寝ない時も
ある。勉強が苦じゃないように、家事が苦じゃないように、それによって睡眠時間が削
られる事も苦にはならない。目標もあるし、毎日が充実している。
原本力、出席番号19番。
7月に入り、野球部は甲子園の県大会前の最後の対外試合を迎えた。ここが佐土原と
俺にとって、結果を出すための正念場。今日次第で県大会の投手陣の振り分けが決まっ
てしまう。
今日の対外試合の相手は徒歩でも行ける近隣の高校。レベルはこっちの方が上。4回
が終わった現時点で9対0、対抗する馬服は前回に続き完璧に近いピッチングを続けた。
もう、背水の陣で行くしかない。
5回からマウンドに上がった佐土原の調子は良好だった。無駄な球は少なく、走者も
ほとんど出さずに回を重ねていく。これなら、良い印象を監督に持たせたまま終われそ
うだ。
しかし、ラストの8回に試練が待っていた。ヒットで出たランナーをバントで送られ、
二死二塁。失点はこのバッテリーにとって、今は痛すぎる。是が非でも、ここは抑える
必要がある。
ベンチに顔を向ける。監督からの指示は、変化球で打ち取る事。
それに従い、変化球のサインを出す。佐土原は首を振る。
ここでもかよ、オイ。
もう一度、変化球のサインを出す。佐土原はやはり首を振る。
ただ、今日ばかりはこっちも折れるわけにはいかなかった。この試合の内容は、その
まま県大会での俺らに繋がってしまうんだから。
怯むことなく、変化球のサインを出す。強気な視線を添えて。それで、やっと佐土原
も頷いた。
結果、カーブで一塁フライに打ち取った。試合も15対0の圧勝。心配してたけど、
なんとか無事に終われた。あとは監督の判断に任すしかないけど、形勢は不利だろう。
佐土原と全てを出し尽くす夏にするはずだったけど仕方ない。今出来る事をやる、それ
しかない。
福山蓮子、3年1・2組副担任。
1学期最後の山場である期末試験、生徒は問題に頭を悩ませた。今回は難度も高かっ
たようで、全体の平均点も中間試験よりも下がっていた。そんな中でも、1組は学年の
トップをキープ。上位陣の安定が大きかった。
答案の返却日には、多種多様な顔色の変化があった。もちろん、良い顔を浮かべる人
とそうでない人がいる。日頃の頑張りが実を結ぶ人もいるし、報われない人もいる。前
者は今回の結果におごらず、後者はめげずにいってもらいたい。受験生にとって、夏は
勝負どころだから。
1位・宮里辰則・648点・文系
3位・伊東紗和・630点・理系
6位・一場太志・620点・文系
7位・三池繁・617点・理系
16位・梶田希・581点・理系
21位・沼本香苗・568点・理系
22位・桃田未絵・566点・理系
27位・小林洋・556点・文系
33位・高品悟・543点・理系
41位・吉澤麗子・531点・文系
55位・古橋健太・510点・文系
58位・岩瀬浩二・506点・文系
72位・野口七海・484点・理系
81位・佐土原宏之・468点・文系
84位・原本力・464点・文系
92位・松浦ひばり・451点・理系
103位・北橋泰子・433点・文系
110位・藤井初音・422点・理系
112位・安東菊恵・419点・理系
126位・益子エミリ・398点・文系
126位・篠永梢・398点・文系
132位・塩崎拓也・389点・理系
134位・水橋範子・386点・文系
137位・林愛莉・380点・理系
148位・長岡純平・364点・文系
160位・野方文和・345点・理系
163位・渥美衣代・343点・理系
168位・山口裕也・335点・理系
172位・蓮井新・326点・文系
176位・松田佳彦・316点・文系
「おっ、また1番だ」
3階の情報伝達版に掲示された期末試験の学年結果を見て、宮里くんは恒例の一言を
漏らす。彼の言葉には嫌味がない。誰も宮里くんが学年1位になるような人だとは思っ
てないから、っていうギャップもあって。頭の良さそうな人が言うと嫌味になるけど、
頭の良くなさそうな彼が言うとどこか面白味があったりする。
学校での姿を見てるかぎり、この結果は予想もつかないし、結果が出ても俄かに信じ
られてない。未だに、カンニング疑惑を持たれてるし。
「おめでとう。学年一の秀才くん」
「止めてくださいよ。たまたまですって」
「たまたまって、これでもう何回連続のトップよ」
「さぁ、数えたことないから」
それ、要は数えられないぐらいってことでしょ。まっ、その人がウチのクラスにいる
っていうのは誇らしくもあるけど。
「ねぇ、昔っから勉強は出来たの」
「いえ、小学生の時はバカでした」
「そうなの」
「はい。学期末は通知表を見せて父さんに怒られるのが毎度でしたから」
「へぇ、そうなんだ」
意外。なんとなく、小さい頃から何でも器用にやってきたっぽいから。
「中学からですよ、なんか伸びてったのは」
「何かきっかけでもあるの」
「さぁ、なんとなくですかね」
なんとなくで学年トップになれたら苦労はないよ。やっぱり、稲田先生の言うように
宮里くんは勉強してるのを隠したがってるのかな。でも、どうしてだろう。見られたら
まずいことなんてないはずだし。
宮里辰則、出席番号27番。
現在、7時過ぎ。駅近くにあるコンビニには朝から入れ代わり立ち代わりに人が往来
していく。この時間にもなると、出勤する大人たちでそこそこの客足にはなる。正直、
初めは早朝帯のコンビニなんてガラガラだろうと高を括ってたけど、現実はそんな甘い
ものじゃなかった。商品の検品や陳列や仕込み、店内や店外の掃除、接客と中々忙しい。
客層は社会人が大体、電車の時間があるからせかせかしてる人が多い。今ではある程度
慣れたけど、最初の頃は精神的も体力的にも辛かった記憶が強い。
ここのバイトを始めたのは高校生になってから。中学生の時は新聞配達をしていた。
日の出よりも前に起きたりするのは、この時に体に沁みついてたから苦ではない。徹夜
で行く事もしばしばだし、この時間帯の眠気には強い方だ。まぁ、昼間には滅法弱くな
るんだけど。
バイトをするのを決めたのは、父さんが亡くなった4ヶ月後あたりだったと思う。父
さんがいなくなって、母さんが仕事をしないとならない事態になってから、まずは家事
を覚えた。母さんに負担をかけないように、教わった通りに忠実にやった。最初は思う
ようにいかないし、5歳だった小一の相手もしなきゃいけなくて手一杯だったけど、次
第に料理とかも様になるようになってくる。だから、次にバイトをする決意をした。俺
が働くことで、少しでも母さんが楽になれればと思って。母さんには反対されたけど、
最終的には押し切った。こうでもしないと居た堪れなくなるから。暇な時間なんかあっ
たら、正常じゃいられなくなるから。
「よっ、秀才くん」
「あいにく、そういう呼び方は受け付けてません」
パンを棚に陳列していると、同じ目線にしゃがみ込む姿が右隣にあった。右を向くと、
こっちへ微笑みかける伊東ちゃんがいた。
「どうしたの」
「昨日、早めに寝ちゃって。その分、早く目が覚めちゃったから勉強してたの。今は
気分転換がてらに散歩」
「いいね。ゆとりのある朝だ」
「まぁね。いいでしょ」
2人で笑みを零す。伊東ちゃんは「そうだ」と何かを思い出したように、膝に置いて
いた物を「ハイ」と渡してくる。濃色の風呂敷に包まれた、その物が何かは分かる。も
う何度と受け取ってきたから。
「煮物。皆で食べて」
「ありがとう。いつも悪いね」
「小一ちゃんも育ち盛りだしね。たくさん食べないと」
「いいねぇ。今日も綺麗だよ、伊東ちゃん」
「何言ってんのよ。そんなんで料理のグレードは上がんないから」
「つれないなぁ。そういうとこ、もっと素直になった方がいいよ」
「大きなお世話よ」
伊東ちゃんは立ち上がり、「じゃあね」と店を後にしていく。相変わらずのツンデレ
ぶりだ。素っ気なかったり、親身になってくれたり、その時々によって違う。学校だと
信頼のある学級委員、普段は等身大の18歳。使い分けてるわけじゃなく、どっちもが
正しい伊東ちゃんだ。
風呂敷の中をこっそり見てみる。今日は大根の煮物か。味は申し分ないんだろう。少
なくとも、俺が作るよりも美味いはずだ。男がどんな凝った料理を作ろうが、女の人の
家庭料理には敵いやしない。
稲田景勝、3年1組担任。
期末試験が終わり、学校は終業式までの試験休暇に入っている。とはいえ、夏季大会
を控えた部活動の練習や受験を控えた生徒などで校内にはまだそれほどの静けさはなか
った。
校舎をなんとなしに歩いていると、部活に熱気溢れる生徒、勉強に集中する生徒、気
休みに無駄話をしている生徒が映る。そんな中、図書室には通常の平日かと思えるほど
の生徒がいた。家では勉強に身が入らずに環境を変えるのだろう。
図書室から離れようとすると、入口の扉が開いた。自然と顔を向けると、出て来たの
は宮里だった。
「おはようございます」
「おはよう。勉強か」
「まさか。借りてた本を返しに来ただけです」
まさか、というのもおかしな返答だ。学年一の宮里が勉強をしていても何も変なこと
じゃないのに、それを思われるのを嫌そうにする。
数日前、福山先生からも疑問点を耳にした。宮里は小学生までは成績が悪く、現在の
片鱗も窺えなかったらしい。
その後、同じ中学だった伊東からも話を聞いてみた。宮里が成果を発揮しだしたのは
中学生になってからで、人が変わったような目まぐるしい成長ぶりだったそうだ。
なのに、表向きの当人はそれまでと一切に変化を見せてない。それは今でも変わらず、
表面だけしか見ていないと小学生の頃の宮里の方がよく当てはまる。もちろん、そんな
はずはない。宮里には周囲には隠している裏向きの部分がある。
「ちょっと時間あるか」
「はい。全然」
そう確認すると、会議室へと向かった。
きっと、探られたくない部分なんだと思う。ただ、宮里が変化を見せた時期にあった
出来事を照らし合わせると真実は自然と浮かんでくる。そして、そこに気づいてしまっ
たかぎり、放ってはおけない。
会議室の中は冷房の電源も入ってなく、暑さがあった。窓からは、外からの空気や声
が届けられてくる。椅子に座るよう促すと、宮里は「ここでいいです」と長机に座り、
こっちも同じようにした。
「宮里は進学希望だったな。大学の目星は付いてるのか」
「いくつか。見学や説明会とかに行ってみてから最終的に決めようと思ってます」
「そうか。いろいろ回ってみた方がいいぞ」
「はい」
宮里なら、おそらくどこを受けても乗り越えられるだろう。誰もが知ってるような大
学でも順当にいけば成功するはずだ。
「家事やバイトもやってるんだろ。勉強には差し支えたりしてないか」
「いえ、問題ありません。結構好きでやってたりするから、かえって精神的にリラッ
クスになってたりします」
宮里の言葉はどこまでが本気なんだろうか。どこまでが素直で、どこからが偽りだ。
探ろうと試みるが、うまく掴みきれない。
宮里が勉強に励むようになったのは中学生の初めの頃。その頃に、宮里は父親を亡く
している。車に轢かれる事故で、宮里もその場にいたらしい。確証はないが、宮里に変
化が起こったきっかけはこの事だろう。父親の死が彼を「人が変わったように」変えた
んだ。表側は何違わぬ自分のままにし、裏側に新たな自分を携える決意を秘めた。
「宮里、何か辛い事はないか」
「辛い事。無いですよ、そんなの」
そんなのは自分とは無縁、と言いたげに宮里は笑ってみせる。
「無いなんてことはない。人間、誰しも辛さを抱えて生きてるもんだ。無いって言う
ことは、お前がそれを隠してるってことだ」
深くへ踏み込んだ。宮里にとって、他人に入られたくないところまで。それをする事
の責任も分かっている。中途半端な思いでそんな事をしてはいけない。やるからには本
気でないとならない。
「言ってみてくれないか。俺はお前の心の内が知りたい」
宮里の顔がこちらに向く。今までにない真剣な顔だった。
「じゃあ、どうしろって言うんですか。言ったら、先生が解決してくれるんですか。
出来ませんよ、そんなこと絶対」
強い言葉だった。それだけ敏感なところだった。
「あぁ、そうかもしれない。俺はお前の抱える辛さを解決してやれないかもしれない。
ただ、それをするのは俺じゃなくていいんだ。嫌なら、俺には何も言ってくれなくても
構わない。その代わり、お前が心を許せる人間にはきちんと伝えて欲しいんだ。確かに、
弱さを曝け出すことは勇気がいる。でも、それによって出来る心の拠り所はそれ以上に
大きな力になってくれるはずだ。だから、ここでは何も言わなくていいから、言うべき
相手に言ってやってくれないか」
宮里からの視線に負けないだけの視線を送る。教師の適当なその場しのぎの慰めじゃ
ない、覚悟を決めた上での言葉だということを届けられるように。
しばらくすると、宮里は立ち上がって会議室を後にしていった。張り詰めてたものが
取れ、ようやく息をつく。こちらの思いは伝わっただろうか。それとも、ただ怒らせた
だけだろうか。真実は分からないが、伝わっていると信じるしかない。
伊東紗和、出席番号4番。
20時過ぎ、家から数分のところにある公園へ向かう。両手に抱えてるのは風呂敷で
包んだタッパー。中身が零れないように少し慎重めに歩いてたのもあって、目的地には
既に宮里くんの姿があった。
「ごめん。待ったかな」
「うぅん。今来たばっか」
柔らかな口調は宮里くんの特徴。棘が無いどころか、ふわふわしてる。真意は掴みに
くいんだけど、そんなのはどうでもよくなる。その穏やかな優しさに、自然と流されて
しまう。
「ハイ。今日はトマトソースのロールキャベツ」
「おぉ、ありがとう。感謝感激雨霰」
「絶対、そんなふうに思ってないくせに」
「思ってますってば。変な言いがかりは良くないなぁ」
言葉のどこまでが本当で嘘なのか。そんなのを考えるのは止めた。適当に信じて、適
当に疑う。いつからか、それが良いんだろうと悟った。私にとっても、宮里くんにとっ
ても。
「今の時間、大丈夫だった」
「全然。母さんも帰ってきてたし」
「授業ないから学校でも渡せないしね」
「わざわざのお気遣い、すいません」
丁寧に礼までする姿に、「嘘くさっ」と言ってやった。「ひどくない、それ」と言う
宮里くんにはお構いなしに、「じゃあね」と笑いながら帰ってく。
宮里くんとは家が徒歩10分の距離にあって、何かと接する機会が多かった。
初めて会ったのは幼稚園の時。大した記憶もないし、同じクラスにならなかったから
印象なんか無い。もしかしたら、それよりも前にここの公園とかで知らないうちにニア
ミスしてたかもしれないけど。
小学校はちょうど区域の境で分かれて違うところになったけど、中学校でまた一緒に
なった。「また」って言っても、実質ここが初対面みたいなものだけど。1年生で同じ
クラスになった時の印象は子供そのもの。なんか、まだ木に登ったりしてそうな感じ。
私からすると、あくまでクラスメイトの1人でしかなかった。
それが変わったのは中学1年の夏。宮里くんのお父さんが事故で亡くなり、しばらく
彼は元気のない姿が続いた。今までの姿を知ってただけに、早く元の宮里くんに戻って
欲しいと思った。早朝に新聞配達を始めた事、家事をしてる事、妹の小一ちゃんの面倒
も見てる事を知って、何か力になれることはないか、私でも出来ることは何だろうって
考えた結果、料理の差し入れをする事にした。最初に提案した時は「そんなの悪いよ」
と断られたけど、強引に家の前まで行って渡してからは受け取るようになってくれた。
それからは慣れない料理に苦戦しながら定期的に差し入れを続けた。
宮里くんはいつも「美味しかったよ」と言って、風呂敷とタッパーを返してくれる。
その一言は嬉しかった。努力が報われてる気がして。いつからか、宮里くんを助けたい
気持ちとその一言を聞きたい気持ちが共存しだした。それに、宮里くんは私からの差し
入れを誰にも他言しなかった。私との関係を変に周りからかわれないように気を遣って
くれて。それが2人だけの秘密事に思えて、また良かった。
その後、宮里くんは次第に元の表情を取り戻していった。また、あの子供っぽい宮里
くんになった。それと反比例するように、成績が急上昇していく。本人がはぐらかして
たから誰も真相を掴めなかったけど、私はこっそり小一ちゃんに質問した。宮里くんは
家事が終わってから勉強に励み、徹夜をする日もしばしばらしい。どうして、これまで
避けてきた勉強にそんなに打ち込んでるんだろう。どうして、その努力を隠そうとする
んだろう。その疑問は私には解けた。でも、誰にも言わなかった。宮里くんの隠し事を
バラすようなことはしたくないし、宮里くんの見えない努力を知ってる数少ない人って
いう自己満足も欲しくて。
それ以来、宮里くんは苦になるほどの日々を重ねていった。逃げることなく、怠るこ
となく、誠心誠意に立ち向かっていった。成績も私を追い抜いて学年トップに。授業中
は寝てるし、普段はおちゃらけてるし、皆が彼の変化に疑問を抱いていたけど、私には
納得できる結果だった。
私だって負けてらんない。宮里くんぐらい勉強して、宮里くんぐらい優しくなりたい。
そう思って頑張るけど、彼はいつも私の上にいた。宮里くんの見えない努力は並大抵の
ものじゃなかった。背負ってるものの違い、そういうことだろう。それでも、少しでも
近づけるように努力した。結果、県内でもトップクラスの海浜総合高校に合格、クラス
では必ず学級委員に立候補して「人のために」という思いで今日まで走ってきた。それ
なのに、まだ宮里くんは私の上にいる。なんだか、どんどん離されていく気がしてなら
ない。別に、意地になって競走をしてるわけじゃないんだけど、気を抜いたら見えない
ところまで行っちゃいそうで恐くなる。彼はいつも最初の頃のままの姿しか見せないし、
弱音を吐いたりしないから。本当は悩みを抱えてるはずなのに、どこまでも突っ走って
止まる事をしないから。
「あっ」
思わず呟いて、現実に戻される。ふと上着のポケットに手を入れようとして、中身に
気づく。そうだった。神社で買った健康祈願のお守りを渡すんだった。
慌てて引き返し、来た道を早歩きで戻っていく。まだいるだろうか。いなかったら、
次の機会にしようか、このまま家まで行ってしまおうか。そう考えながら公園に入ると、
そこにはまだ宮里くんの後ろ姿があった。よかったと息をつき、声を掛けようとした時、
異変に気づく。宮里くんが星空を見上げながら泣いていた。感情を我慢せず、吐き出し
ていた。その様子に心が怯み、足が竦む。その時、右足が地面を擦った音が強く鳴って
しまった。こっちに振り返った宮里くんは私の姿に驚いた顔を見せて、涙を急いで拭っ
ていく。
「どうしたの」
「何でもないよ。気にしないで」
「何言ってんの。何にもないわけないじゃない。何で強がってんのよ」
語調は強くなっていた。コントロールなんて無理だった。
「いいんだ。見なかったことにしといて」
「ダメだよ、もう見ちゃったんだから。このまま帰れるわけないじゃん」
なぜか、私が泣きそうになってた。どういう感情なのか、うまく説明できないけれど、
とにかく「宮里くんの力にならなきゃ」って思いで必死になってた。
少しの間が空いた。宮里くんは赤みの増した目で下を向いている。そして、口を開い
てくれた。
「父さんがどうして死んだのかは知ってるでしょ」
「うん。宮里くんとキャッチボールしてる時、広場の外まで飛んでったボールを取り
に行って、出会い頭に車とぶつかっちゃったんでしょ」
「それね、本当は違うんだ」
「えっ」
「それ、僕のことなんだ。僕が広場の外まで飛んでったボールを取りに行って、車に
ぶつかりそうになったんだ。父さんは車に気づいてて、僕が車に気づいてないのに気づ
いて、僕をかばって轢かれたんだ」
初めて聞かされた真実は衝撃だった。宮里くんのお父さんが自ら飛び出していったと
聞かされてたし、宮里くんもそんなふうに言ってたのに。
「僕のせいなんだ。父さんを殺したのは僕なんだ」
「そんな・・・・・・」
うまく声が出なかった。「そんなことない」って言おうとしたけど、真実の大きさに
心が着いていけてない。
宮里くんは俯いていた顔を上げ、夜空を見上げる。そこへ届かすように右腕を上げて、
人差し指を伸ばす。
「小一にはね、父さんはこの夜空の星のどれかになったんだよって言ってあるんだ。
父さんに会いたくなった時は夜空を見上げればいい、って」
「でも、それは僕自身が自分にそう言い聞かせてきたんだ。たまに無性に切なくなっ
た時、こうやって星空を眺めると父さんが「大丈夫、お前は頑張ってる」って言ってく
れてる気がして安心できるからさ」
胸が苦しくなった。宮里くんが独りでそんな思いを抱えてたなんて。どうして、こん
なに近くにいたのに分かってあげられなかったんだろう。悲しくなって、泣きたくなっ
て、たまらなく愛しくなった。ためらいもなく近づいて、宮里くんの体を抱きしめると
涙が流れてきた。
「ごめん。気づいてあげられなくて」
涙声で言うと、宮里くんも体を奮わせて泣き出した。
「大丈夫だから。私が側にいてあげるから」
宮里くんが落ち着くまで、何度でもそう伝えてあげた。
宮里辰則、出席番号27番。
19時前、いつもなら夕食の準備に取り掛かる時間に随分と身軽な気になれている。
どちらかというと、手持ちぶさたという感覚の方が合っていると思う。毎日の習慣に穴
が開くのは変な空虚感さえある。
「やっぱ、何か手伝おうか」
「いいの。今日はゆっくりしてて。小一ちゃんと遊ぶか勉強しといて」
そうは言われても、どうも気持ち的に浮ついてしまって定まらない。一応、小一の相
手をしておくけど。
今日は伊東ちゃんが夕食を作りに来てくれた。昨日、ああいう事があって、何か俺の
力になれないかと早速行動に移したみたいだ。ただ、その思いは当然嬉しいんだけど、
俺としてもこれまで続けてきた生活サイクルが乱れる心地悪さがあって落ち着かない。
まぁ、向こうの強引さに押された形だ。
20時前、母さんが仕事から帰ってくると4人で食事にした。3人以外の誰かが食卓
に混ざるのに違和感はあったけど、母さんも小一もウェルカムな様子で場は和んでいた。
よく差し入れもしてもらってたから、味の変化もさして気にはならない。どうしてもと
俺が頼んで作りに来てもらった、と伊東ちゃんに事実を隠蔽されたのは気になったけど
いいだろう。
「今日はありがとう。美味しかったよ」
「うん。よかったら、また作りに行ってもいいかな」
「もちろん。皆で歓迎するよ」
伊東ちゃんは「よかった」と笑みを見せる。
昨日、自分の張っていた壁を彼女が壊してくれた。誰にも言えずにきた思いを初めて
吐き出せた。抱きしめてもらった時には自然に涙が出てきた。救われた気がして、身を
委ねられた。解放された体は軽くなり、自由の羽根で飛んでいけそうなくらいだ。感謝
以上の思いを僕は抱けた。
森繁八重子、学年主任、3年3組担任。
試験休暇の職員室には幾らかほどの教師が点在している。部活動の顧問をしてる教師
はそっちに行ってるため、3年のデスクには私と稲田先生と田蔵先生だけが残っている。
外で声を張ってる先生方には申し訳ないが、冷房のきいた部屋の中でそれぞれの仕事に
打ち込んでいく。
正午頃、3年生の教師側のドアが開く。誰か戻ってきたのかと思ったが、入ってきた
のは生徒だった。顔を見れば一発で分かる、1組の宮里辰則。常に学年トップの成績を
誇る優秀者なのに、普段はその片鱗も見せない。私の授業でも平気で寝るし、他の先生
の時でも同じらしい。性格も緩く、やる気のなさそうな態度からは彼の秀才ぶりが全く
見受けられない不思議な生徒だ。
宮里くんは担任の稲田先生のところへ歩み寄る。すると、第一声から「すいません」
と謝った。
「この前は強い言葉を言ってしまってごめんなさい」
「いや、いいんだ。あれは俺が悪いんだから」
「いえ、先生の言葉の意味を深く考えずに反論してしまって」
「気にしないでくれ。こっちも謝らないといけない」
稲田先生と宮里くんの間に行き交う謝罪の言葉の意味が掴めなかった。何かが2人の
間にあったのは間違いないけど、真意は分からない。
「あの後、先生の言うように自分を吐き出せました。それで、先生の言ってる意味を
理解できて」
「そうか。それは良かった」
「先生には感謝してます。きっと、あの言葉がなかったら最後の一歩は踏み出せなか
ったと思うから」
「そんなことはない。お前にはその一歩を踏み出せるだけの勇気があるってことだ」
稲田先生と宮里くんの顔は晴れている。壁を越えた人間が出せる顔。それが今の2人
にはある。
「なぁ、一つ聞いてもいいか」
「はい」
「どうして、お前は普段は不真面目なんだ」
「何ですか、それ」
「見せはしないが、お前は裏で相当な努力を積んでるはずだ。それを隠す理由が俺に
は今一つ分からない。勉学に励む姿を表に出さないのは何でだ」
皆が疑問に思ってる部分に稲田先生が手を伸ばす。「言いたくないならいいぞ」と後
付けを加えて。
「単純に、僕は本当はそんな奴じゃないってことです。本当の自分は皆が教室で目に
してる僕なんです。授業中に寝て、先生に怒られてを繰り返すダメな奴。そんな僕を家
族が後押ししてくれてます。具体的に何をするわけじゃなく、家族の存在が僕に力をく
れてるんです。僕はそんな家族のためになりたい。だから、多少苦しくたって頑張れる
んです」
「そうか。良いことだ」
それが秀才である宮里辰則の真実。実体の見えない彼の本当の姿はどこにもいる普通
の高校生ということなのか。
「もう一つだけいいか」
「はい」
「どうして、お前はそんなに勉強をしてるんだ。不真面目が本当のお前なら、無理を
してでも勉強をする意味って何なんだ」
「なりたい職業があるんです。父さんがその仕事をしてて、僕もその道を追いたいん
です」
「そうか。成れるといいな」
「はい。絶対、成ってみせます」
2人は通じ合っていた。稲田先生は宮里くんの心の扉も開いてしまえた。一体、この
人には何があるんだ。生徒の心を振り向かせる秘密の力でもあるのだろうか。ますます、
分からなくなってきた。
全18話、本に換算すると444ページになる長篇です。




