第六話
○登場人物
稲田景勝・いなだかげかつ(現代文担当、1組担任、35歳、冷静だが心の中は熱い)
福山蓮子・ふくやまれんこ(数学担当、1・2組副担任、24歳、損得勘定で物事を考える)
武中健吾・たけなかけんご(生物地学担当、2組担任、35歳、沈着で大人な人間)
森繁八重子・もりしげやえこ(日本史担当、44歳、3組担任、学年主任で頼りがいがある)
四島嘉津男・よしまかつお(古文担当、45歳、4組担任、生徒と同年代の娘がいる)
井之脇壇・いのわきだん(世界史担当、27歳、3・4組副担任、四島の弟分的存在)
北澄昌明・きたずみまさあき(体育担当、48歳、5組担任、独身でまだ好機を窺っている)
田蔵麻綾・たくらまあや(英語担当、22歳、5・6組副担任、新人ながらしっかりしてる)
鶴賀あかり・つるがあかり(物理化学担当、6組担任、29歳、結婚に対して執着がある)
渥美衣代・あつみいよ(帰宅部、遅刻・早退・欠席の常習)
安東菊恵・あんどうきくえ(バレー部、セッターで気が強い)
一場太志・いちばたいし(サッカー部、運動も勉強も学年トップクラス)
伊東紗和・いとうさわ(学級委員長、クラスをまとめるしっかり者で信頼もある)
岩瀬浩二・いわせこうじ(陸上部、駅伝メンバーで自分を強く持っている)
梶田希・かじたのぞみ(美術部、デザインに興味があって進路に悩んでいる)
北橋泰子・きたはしやすこ(バスケ部、万年補欠でセンスがない)
小林洋・こばやしよう(サッカー部・エースの座を一場と競う)
佐土原宏之・さどはらひろゆき(野球部、エース候補だが我が強い)
塩崎拓也・しおざきたくや(帰宅部、野方文和の親友で良き理解者)
篠永梢・しのながこずえ(手芸部、ロリータファッションをこよなく愛する)
高品悟・たかしなさとる(水泳部、自由形を専門にしている)
長岡純平・ながおかじゅんぺい(柔道部、体格はいいが気は弱い)
沼本香苗・ぬまもとかなえ(放送部、ラジオDJを夢見る)
野方文和・のがたふみかず(帰宅部、生まれつき体が弱く欠席も多い)
野口七海・のぐちななみ(合唱部、ピアノ担当でしっかり者)
蓮井新・はすいしん(帰宅部、松田佳彦とつるんでる不良)
林愛莉・はやしあいり(テニス部、ミスコンにも選ばれる美少女)
原本力・はらもとつとむ(野球部、捕手で体格も腕もいい)
藤井初音・ふじいはつね(合唱部、ソプラノ担当でマイペース)
古橋健太・ふるはしけんた(バスケ部、センターガードでスタメンをはる)
益子エミリ・ますこえみり(バスケ部、清楚でスレンダーなギャル系)
松田佳彦・まつだよしひこ(帰宅部、不良で世の中に執着が薄い)
松浦ひばり・まつうらひばり(バレー部、長身アタッカーだが気が弱い)
三池繁・みいけしげる(副学級委員長、草食系で優しいアイドル好き)
水橋範子・みずはしのりこ(漫画愛好会、少女マンガ大好きで自作してる)
宮里辰則・みやざとたつのり(学年一の秀才、何事もやってのける逸材)
桃田未絵・ももたみえ(帰宅部、転校生で心を開かない)
山口裕也・やまぐちゆうや(帰宅部、単位ギリギリで危ない)
吉澤麗子・よしざわれいこ(陸上部、駅伝メンバーで仲間意識が強い)
福山蓮子、3年1・2組副担任。
放課後になると、学校の内外に活気が増す。運動系の部活動から発せられる声や音が
学校のどこにいても聞こえてくる。青春を彩るものはそれぞれが輝かしい。特に夏場は
3年生の別れを惜しむ音色のような気がして儚くもある。今しか出来ない事、皆がそれ
を追いかけている。
「あっ、そうだ。稲田先生に聞こうと思ってたことがあって」
「はい。何でしょう」
「先生、学生時代は何をやってたんですか」
「俺ですか。野球やってましたけど」
野球か。時折見せる熱い部分はそこから来てるのかな。
「どのぐらいまで行ったんですか」
「一応、甲子園行ってます」
えっ。甲子園って、あの甲子園でしょ。他に、私の知らない「こうしえん」って存在
してないよね。
「凄いじゃないですか。尊敬ですよ」
「そんなじゃないですよ」
「何言ってんですか。先生を見る目、変わりますよ」
「いえ、本当にそんなふうに思わないでください。だって、一校につき15人が出場
できるんだから、一つの大会につき約750人が甲子園球場に立ってるわけですから。
そう考えると違うでしょ」
確かに、そう言われてしまうと。そりゃ、サッカーのワールドカップだって同じぐら
いだし、オリンピックにいたっては1万人以上の選手が参加しちゃうわけだけど。
「でも、絶対に凄いですって。野球部の顧問すればいいのに」
「いいんです。それに、北澄先生を押しのけてなんて出来ないですから」
「あぁ、それもそうか」
そうか、そんな凄い人だったんだ。でも、何で今まで話さなかったんだろう。あっ、
私と同じように皆が野球部の顧問に薦めちゃうから、北澄先生とギクシャクしたくない
ってことか。なるほどね。じゃ、私も他言無用がいいのか。
稲田景勝、3年1組担任。
窓外に映る光景は眩しかった。白球を追いかける球児の姿に20年近く前の自分の姿
が重なってしまう。そして、去年まで受け持っていた球児たちも。結果だけを並べたら、
自分の過去は栄光と呼べるものかもしれない。ただ、そこに隠れている詳細を並べたら、
そんな綺麗な言葉じゃ語れない。置き忘れてきたものが大きくて、いつも振り返ると葛
藤を続けてしまう。
インターハイの県予選もぞくぞくと始まって、現在は1組では男女のバスケ部が勝ち
上がっている。この後も、野球部や水泳部も全国大会の予選が始まっていく。男子柔道
や女子バレー部は残念だったけど、他の部の生徒たちも安東や松浦のように悔いのない
ようにやってもらいたい。
「やぁ、稲田先生」
声のする方へ顔を向ける。校長だった。
「おはようございます」
「野球部の練習を見てたんですか」
「はい、少し」
「顧問をやりたいのでしたら考えますよ。監督は無理でもアドバイザーとして就いて
もらえれば心強いですし」
校長は知っている。自分の抱えているものを全て。その上で、ここに引き取ってくれ
ている。
「いえ、そういうわけにはいきません」
「そうですか。では、気が変わったらいつでも言ってください」
「はい」
校長はその場から離れていく。配慮はありがたいが、俺には今さらグラウンドに戻る
資格はない。もう、野球にまつわる思いは置いてきたんだ。再び拾い上げることはない
ものとして。
原本力、出席番号19番。
6月後半の日曜日、真っ昼間に彼方から送りつけられる陽射しはこれでもかと皮膚に
刺さってきた。天気予報によると、今年最高の気温を記録しているらしい。ただ、今は
それどころじゃない。この、目の前のバッターを抑えないと俺らの未来の希望が薄くな
ってしまう。
甲子園の県大会が始まるまで約1ヶ月、対外試合は今日を含めて2試合。そこで結果
を残さないと、マウンドの佐土原とのバッテリーを組める時間が大きく変わってくる。
そう、この2試合がある意味での勝負。
今日の対外試合の相手は隣の市の高校。レベルはこっちの方が上。現時点で7対0、
圧勝ムードではある。だが、俺らとしてはバッティングよりも守備を重視する必要があ
った。
マウンドの佐土原の調子が今一つ上がってこない。この暑さのせいだろうか。いつも
のピッチングとは言いがたい球が続いている。3回までは走者を出しながらも要所要所
を締めてきたが、4回も2死2塁3塁のピンチ。別に、1点や2点を取られても試合に
大した影響はないが、俺らには大きな打撃になってしまう。
ベンチに顔を向ける。監督からの指示は、変化球で打ち取る事だった。
それに従い、変化球のサインを出す。佐土原は首を振る。
またかよ、オイ。
念のため、もう一度だけ変化球のサインを出してみる。佐土原はやはり首を振る。
こうなると、こっちが折れざるを得ない。直球のサインを出す。佐土原は頷く。もう
成るように成れ、っていう感じ。内角低めにミットを構えると、佐土原は思いきり投げ
込む。ミットに収まるはずのボールは、快音とともにセンターの前まで飛んでいった。
走者が1人2人と目の前のホームベースを過ぎていく。2点タイムリーヒット。だから、
言わんこっちゃない。
「お前ら、何で変化球投げないんだ」
4回が終わり、ベンチに戻ると監督の檄が飛んだ。サインを無視したんだから当然、
それで失点したんだから尚更のこと。
「あの打者にはさっきも直球を打たれてただろ。どうして、同じミスをするんだ」
監督の言葉は正論が並ぶ。こっちは聞き入れるしかない。この流れこそが悩みの種。
佐土原は人一倍の勝ち気な性格であり、勝負事であればあるほどそれが発揮されていく。
良い方に転ぶ時もあるが、悪い方に転ぶ時もある。場面に合わせた柔軟な判断が出来て
くれればいいが、どうやら無理っぽい。それがネックになってるとしても、あいつは自
分のやり方を変えやしない。まぁ、それがあいつらしいと思ってるけど、本音は出来る
かぎり長くバッテリーを組んでいたい。
古橋健太、出席番号21番。
運命といえる日が来た。この1年間、己に掲げた課題。それを果たすための挑戦の場
が訪れた。この4回戦に勝てば目標のベスト8となる。負ければ去年と同じ苦渋を味わ
わなければならない。ここが勝負どころ、1年間の成果を全て出して必ず次へと進んで
みせる。
ブザーが鳴り、試合が始まる。やはり、これまでに戦ってきたチームとは相手の力が
違う。勝ち上がるごとに相手も強くなって、思うように試合を運べなくなってきてる。
でも、負けやしない。負けたら、そこで終わりだ。3年生には次がない、常にラストの
思いでいる必要がある。
迫ってくる敵の攻撃の芽を摘み、味方の攻撃へと繋げるのが自分の役目。時に自らが
切り込む事もあるけれど、基本は自陣を守るのが仕事。どんな相手が来ようとも揺らが
ない、チームが信頼を置ける太い柱でありたい。あいつがいれば大丈夫、ってくらいに
頑丈な。
前半が終了。37対32、リードで折り返した。監督からの細かい注意を受け、気を
落ち着けた後、主将からの言葉が飛ぶ。これまでどれだけの汗を流して練習してきたか、
それは何のためなのか、今一度思い起こす。そう、全ては試合を終えた後に後悔せずに
心から笑えるように。
「気持ちで負けるな」
部の合言葉を唱え、コートへ出て行く。後半が始まっても、緊張感は途切れなかった。
気の緩みにならない良い意味での緊張。試合の流れにだけ集中できて、余計な雑音には
耳は傾かない。良い心身状態を保てて、それはチーム全体にも影響を及ぼした。軸が安
定していれば、そうそうブレはしない。
冷静に相手の攻撃を抑え込んでいく。次第に、中への切れ込みを避けるように外から
のシュートが多くなっていく。そうなれば、こちらの思う展開だ。逆に、こっちはどん
どん相手のゴール下まで攻めていく。それが風向きの違いになっていく。決定率だけで
なく、精神的な面で相手より上手になれる。淡白な攻めと積極的な攻め、流れを引き寄
せられるのは一目瞭然だ。
試合終了のブザーが響く。73対61、点差以上に危なげのない勝利だった。念願の
ベスト8入りを決め、チームが歓喜に沸く。目標が現実になり、これ以上にないほどの
感情が込み上げてくる。チームメイトとハイタッチを交わし、抱き合い、この瞬間を噛
みしめた。
福山蓮子、3年1・2組副担任。
「男子、勝ったよ。73対61」
「ホントですか。凄いっ」
携帯を切ると、一足早く男子の勝利を皆で喜ぶ。階下では、女子バスケ部の4回戦が
行われてる最中。日曜日ってこともあって、集まれる1組のメンバーでバスケ部の応援
に駆けつけた。こっちには伊東さんをはじめとする女子が集い、向こうには稲田先生を
はじめとする男子が行っている。あっちの方が先に試合が終わったようで、稲田先生か
ら結果報告の電話が掛かってきた。
取り合えずは一安心。古橋くんはベスト8を目標に掲げてたから、さぞ嬉しかっただ
ろうな。これに女子も続いてもらいたい。現在は第3ピリオドの途中、48対46と緊
迫した状況。
コート上では一進一退の攻防が続いていく。流れが小さく変化して、大きくは傾いて
くれない。攻めては守る、その繰り返しのように。見てるこっちも心が落ち着くことが
出来ない。
海浜総合高校はキーマンの益子さんに厳しいマークが付いてしまい、思うような展開
に持ち込めなかった。これまでの試合では相手のマークも普通だったけど、ベスト16
にまでなると相手側も勝つための効果的な策を練ってくる。自分たちの力を出し尽くす
のと同時に、勝つ事を条件とした作戦を打ってくる。ウチに勝つためにはどうすればと
考え、益子さんに焦点を絞った。
そして、向こうの作戦は功を奏した。益子さんが本来の力を出せない海浜総合高校は
いつもの伸びやかな試合をすることが出来なかった。もちろん、2年前のような馬鹿事
はない。益子さんにマークが付くと、チームメイトがフォローに回る。それでも、通常
通りにはいかない。
第4ピリオドに入り、ますます手に汗を握る場面が続いていく。逆転は許さないけど、
点差も離しきれない。総合力ではおそらく相手が上。ただ、個人ならばコート上で最も
優れてるのは益子さん。たとえマークが厳しくても、それを掻い潜ってゴールを奪って
いく。なにより、こっちに元気をもたらしてくれるのは益子さんの表情。これだけの状
況の中、誰よりも楽しそうにプレーをしてる。これが益子さんのいうバスケなんだろう。
なんか、私より年上みたいに頼もしい。
試合は終盤に差し掛かっていく。緊張感は増すばかり。残り1分、72対70。もう、
このまま逃げ切ってくれるのを祈るしかない。バスケの神様、仏様、ウチに勝利をお願
いします。
残り37秒、ボールを奪われると速攻を掛けられる。一気に詰められると、そのまま
レイアップで決められてしまった。残り28秒、同点。応援席の全員が崩れるように声
を漏らす。
「焦らない。落ち着いてこうね」
気の落ちそうな場面で、益子さんだけは表情を変えることなく言葉を掛ける。それに、
チームメイトも気を保つことが出来た。この局面でもブレない強い軸が彼女にはある。
私が部員だったら、絶対に着いてってる。
パスを回していくも、相手もゴール下の守りを固めてる。この時間の失点がどうなる
のかは分かっている。それはお互いが同じ事。こっちもボールを奪われないよう、慎重
になる。
「ハイ。外っ」
大きな掛け声とともに、益子さんが3ポイントのラインの外に出る。パスが渡ると、
迷いなしにそこからシュートを放った。ゴールの側に守りを集中していた相手がガード
に間に合わない穴。ボールは一度はリングに弾かれながらも気持ちで押し込めるように
してゴールに入っていった。残り9秒、勝ち越し。ベンチと応援席が湧き上がり、当の
本人はここでも表情を変えなかった。
試合終了のブザーが響く。75対72、ベスト8進出。歓喜の輪はしばらく続き、成
果をそれぞれが身に沁み込ませていく。自分が何をやったわけじゃないけど、とにかく
嬉しかった。
宮里辰則、出席番号27番。
深夜、真っ暗な部屋の中で一人用のライトを頼りに勉強に励む。部屋全体の明かりは
点けられない。後ろでは母さんと妹が眠ってるから。2人を起こさないよう、狭いスペ
ースで縮こまって勤しむ。そんなに苦にはしてない。数年も続けていれば、これが普通
として慣れている。
今日の勉強科目は英語。勉強といっても、教科書をなぞるようなことはしない。その
段階はとっくに卒業してる。よりネイティブに使われる文章を学んでいく。塾にも行か
ないし、家庭教師も付けないし、語学教室にも行かないし、旅行にも行かないし、留学
もしないから、全てを自分でまかなう必要がある。英語は学生生活から離れても有効に
使えるだろうし、授業で習うものと実際のギャップもあるだろうから重点を置いて勉強
するようにはしている。
勉強をする事を嫌には感じない。楽しいわけでもないけど、苦しいわけでもない。こ
の感覚は昔からそうだった。日常に組み込まれてるものの一つ、食事や睡眠と似たよう
なもの。長時間でもやっていられるし、全くやらなくても構わない。ただ、それが日常
から外されてしまうと苛立ちが募ってくるだろう。僕の中では、それはあって当然のも
のだから。周りにはこの事は伝えていない。人は大多数が勉強する事を嫌に感じている
から。強制的で圧迫感を覚えながらやるもの、と携えて。だから、変に捉えられないよ
うに隠している。
窓を少し開けてみる。涼しめな夜風が入ってきて気持ちいい。その隙間から覗ける夜
空もよかった。雲は少なく、星もいくらか眺められる。こんな夜には、自然と父さんの
事を思い出してしまう。楽しかった思い出も、そうでないものも、もう二度と取り戻す
事は出来ない。
次第に気が重くなっていく。後ろを振り返ると、母さんと妹の寝顔が月光に照らされ
て明るく映る。その様子に心を癒やされる。同時に、奮わされる感情も湧く。この寝顔
は自分が守らなくちゃいけないんだ、という使命感として。
益子エミリ、出席番号22番。
6時半、まだ人も疎らにしかいない学校は風の通る様がより気持ちよく感じられる。
気温もそんなに上がってないし、人も少ないから過ごしやすいし、なんか得した気分に
なる。
早朝練習の始まる7時までシュート練習でもしようと早めに登校したけど、体育館に
近づいていくとボールの弾む音が聞こえてくる。先客がいるみたいだ。体育館に入って
くと、その正体が古橋だと分かった。シュートを打ってたから、どうやら私と同じ意図
っぽい。
「おはよう。早いね」
「あぁ。おはよう」
声を掛けると、やっと私の存在に気づいた様子だった。
「朝っぱらからシュート練習なんて真面目じゃん」
「そっちこそ」
「まぁね」
ちょっと笑ってみせたりした。古橋とは逆側のゴールを使ってシュート練習を始める。
いろんな距離、角度から放ったシュートはゴールを捉えていく。子供の頃から数えきれ
ないほど打ってきたんだから、相手がいない状態で外すことは少ない。それは逆側から
聞こえてくる古橋のシュートも同じだった。リングに嫌われる確率は少なく、ボールが
ゴールへ吸い込まれてく音が耳に何度も届いてきた。
そのうちに時間が経ち、段々と早朝練習に来た部員の姿が増えてくる。2人とも練習
を一度止め、休憩を取った。少し息の上がった古橋に目を向ける。勝負師のような目に
なっている。特別に険しいっていうんじゃなく、そんなように見れる。
「どう。準々決勝の展望は」
「どうだろうな。去年のベスト4のところとやるから。難しいかもしんない。けど、
やるからには勝つ」
「ベスト8が目標だったんじゃないの」
「あぁ。でも、そこまで行ったからには次も取る」
古橋は勝ち負けにこだわっている。それでああいう目になってるんだろう。そんなの、
私にはピンとこないけど。
「そう。こっちなんか、去年の優勝校とだし。まっ、私は勝っても負けても構わない
けど」
「負けてもいいのかよ」
「別に。元々、ラッキーで出させてもらえてるようなもんだから。楽しけりゃいいん
じゃないの。プロならともかく、アマならアマらしく伸び伸びやればいいんだよ」
「・・・・・・お前が言うと、本当に聞こえるよ」
「ありがとう。褒め言葉なら受け取っとく」
どうして、人はそんなに勝ち負けに縛られるんだろう。そりゃ、勝った方がいいんだ
けど、あくまで「勝った方がいい」であって「勝たなきゃいけない」わけじゃない気が
する。受験だとか仕事だとか、人生に関わることじゃないんだし。そういうのに縛られ
ながらやるのって、終わった時に自分の中に穴が開いたりしないのかな。
古橋健太、出席番号21番。
準々決勝の当日、歯車はおかしいほど噛み合わなかった。何だ、これは。全然、自分
たちのバスケが出来ていない。ミスが目立つし、完全に気合いが空回りしている。別の
チームみたいだ。
前回からの一週間、格上の相手との対戦を想定して練習メニューを変えた。基礎練習
をそこそこにして、応用技術を高めようと多くの時間をそこに注ぎ込んだ。今まで通り
の練習をしていたらダメだ、上のレベルと遣り合うだけの技術を手にしないと、という
思いで。でも、結果は散々だった。俄か仕込みの技術は試合で使えるだけのものになら
なかった。それどころか、穴を開けてしまった分、基礎的なところまで繋がらなくなっ
てる。
チームメイトの顔に焦りと疲れが募っている。これまでならこっちが勝っていたから
気も乗っていたけど、逆にリードを奪われると一気に気が落ちてしまった。差が離れて
いくことで自らへの気負いが負荷になってしまう。ぶっちゃけ、ベスト8という目標を
達成した事で固まっていた結束力が散漫していた。
「何やってるんだ。パスも通らない、シュートも入らない、ガードしても抜かれる。
お前ら、今まで何の練習してきたんだ」
前半終了後にベンチで監督の怒号が飛んだ。いつもはもっと冷静にそれぞれへの指摘
をしていくけど、今日のふがいない試合ではそれは無理だった。無理なのはこっち側も
同じだ。監督からの声をアドバイスとは思えず、ただの非難と思って怒りにして押し込
める。
後半が始まっても、事態は何も修正されなかった。前半の繰り返し。前半と違うのは、
相手はより勢いに乗り、こっちはより勢いに押されたぐらいだ。終わる前に結果は見え
ていた。こんな見世物のような試合を続けるなら、いっそ途中で終わらせてもらえれば
とすら思った。
試合終了のブザーが響くと、自然と安堵の息をついた。やっと終わった、という言葉
の代わりに。不思議なくらい怒りや悔しさはない、もう通り越してしまったんだろう。
ただ、空しさだけが漂っていた。
伊東紗和、出席番号4番。
「男子、負けたって。58対102」
携帯を切ると、福山先生は張りのない声で男子の結果を知らせた。その開ききった点
差に、ベスト4への壁の高さを思い知る。せめて男子はと思ってたけど、全く歯が立た
なかったみたいだ。階下では、女子も男子の試合を移すように苦しい試合を続けている
から。
現在は第3ピリオドの途中、35対60。正直、とても裏に返せるような差じゃない。
応援席からの声援も、「勝って欲しい」というものから「粘りを見せて欲しい」という
ものに変わってる。25点差をつけられるような相手から、25点差を返すなんて無理
に等しい。多分、それはコート上の選手たちが1番分かってると思う。それがまた心を
悲しくさせる。
第3ピリオドも後半に入ると、相手は大幅な選手交代をしてくる。この点差に対し、
レギュラーメンバーは必要ないっていう判断だろう。完璧にナメられてる。仲間をけな
されてるようで腹立たしい。それなのに、コートにいる益子さんだけは表情を崩さなか
った。いつものように、にこやかな顔を続けている。どうして、こんな局面でもそんな
顔をしていられるんだろう。そう疑問に思ったけど、それは益子さんが試合で晴らして
くれた。
益子さんはメンバーチェンジで定まってない相手の連携を突いた。緩んだフォーメー
ションを崩し、一気に攻め込んでいく。どこにそんな余力があったんだと思うくらいに
躍動し、益子さんはコートを華麗に駆けていく。出鼻をくじかれた相手は防戦に回り、
形勢は逆転した。
ベンチや応援席の声援にも活気が戻る。一度は諦めたはずなのに、また試合に引き込
まれていく。逆転なんてない、奇跡は起こらない、そう分かってるのに必死に応援を続
けた。
試合終了のブザーが響く。71対84、希望も絶望も残る現実だった。最後に益子さ
んの見せてくれた希望、それを以っても変わらなかった絶望。ただ、どっちの方が勝っ
てるかとしたら間違いなく希望だ。それはコート上やベンチにいる選手、応援席の皆を
見ていれば分かる。全員がチームの善戦に晴れ晴れとした表情を浮かべている。そう、
これでいいんだ。
稲田景勝、3年1組担任。
試合を終えた男子バスケ部のメンバーを迎えようと、応援席にいた多くがロビーへと
集まっていた。応援席の生徒たちは敗戦に、割と「しょうがない」という印象を浮かべ、
ここでも談笑をしている。
だが、俺自身はあの試合を見ていて、どうしても気に掛かったことがある。誰一人も
選手の表情が晴れていなかったことだ。負けたのだから仕方がないが、全力を出し尽く
したという爽快感はあそこにはまるでない。あのままで終わらせてはいけない。
数分後、男子バスケ部の面々が現れ、応援に来た生徒たちの輪に加わっていく。笑顔
もあるが、心内はそうではないだろう。3年間の集大成である試合で、自分の力が出し
きれなかったのだから。
「先生、今日はありがとうございました」
「いや、残念だったな」
しばらくすると、輪を抜けてきた古橋から声を掛けられた。こちらの言葉には、伏し
目がちに「はい」と答えた。
「今日はいつもの調子が出てなかったようだけどどうした」
「いえ、自分たちの力が及ばなかっただけです」
「そうかな。これまで見てきた試合での良さが発揮できてなかったように感じたぞ。
地に足が着いてないような印象だ。何かあったんじゃないのか」
素人の感じたように話すと、古橋は息をついた。
「練習法を変えたんです。格上のところとやるために、基礎練習を少なくして応用練
習を増やしました。そうしないと敵わないと思ったんです」
「でも、全くの逆効果でした。応用は身に沁み込んでないし、基礎はおろそかにしち
ゃったし、完全に自分たちの作戦に溺れました。結果、力を出しきれずに終わっちまっ
たし。こんなふうになるなら、初めから今まで通りにしておけばよかった」
原因を口にしていく古橋は悔しさを滲ませていた。高校最後の試合を不本意な形にし
た事を後悔して。
「あぁあ、やっぱり益子みたいに楽しくやるのが正しかったんだろうな」
「そんなことはない。益子も正しいけど、お前も正しい」
「そんで大敗してんだから世話ないでしょ」
「そう卑屈になるから後悔ばかりになるんだ。お前がやったバスケは今日だけじゃな
いだろ。自分を折る事は、これまでやってきた長い過程まで否定するようなもんだ。そ
れは違うだろ。3年間、仲間と一緒に頑張ってきた自分を認めて称えてやるのも大事な
ことだ」
強い視線で訴えると、古橋もこっちをジッと見ていた。「3年間、お疲れさん。よく
頑張ったな」と手を出すと、ガッチリと握手をして「ありがとうございます」と言葉が
返ってきた。
北橋泰子、出席番号7番。
学校からの帰り道、気分は爽快だった。こんな思いで高校生活のバスケを締め括れる
なんて、2ヶ月前までは考えてなかったのにな。それもこれも、全ては隣にいるエミリ
のおかげだ。彼女がバスケ部に戻ってきてくれたから、最後に素敵な思い出を作る事が
出来た。ベスト8なんて出来過ぎだし、それだけ皆で一喜一憂するかけがえのない時間
を送れた。
「どうした、泰子」
「うぅん。なんかね、幸せだなぁって思って」
「何でだよ。試合にも出てないのに」
そう、私は結局ベンチ入りはしたものの、試合に出る事はなかった。単なる私の実力
の無さで。それでも、ベンチから海浜総合高校の快進撃を見てるのがとにかく気持ちが
よかった。去年は初戦敗退したチームが勝ち上がってく様はチームメイトとして誇りが
高い。なにより、エミリが伸び伸びプレーしてるのが嬉しかった。
「いいじゃん。私は幸せだったんだから」
「ってか、約束覚えてるの」
「あっ」
しまった。今の言葉で思い出した。目先の幸せに浸かって、すっかり頭から離れてし
まってた。
「インターハイの県予選には同じコートに立つ、って誰かさんと決めたはずだけど」
「あぁぁ、ごめん」
「私的に、楽しみにしてたんだけど」
「頑張ったんだよ、私なりに。練習時間も増やしたし、自分に足りないのはどこかな
って考えて効果的にトレーニングしたし・・・・・・言い訳だよね、全部」
萎れると、隣から押し殺した笑い声が聞こえてくる。
「また笑った」
「悪い。前っから、泰子が落ち込むと面白くて」
「ひどいよ、それ。何がおかしいの」
「元から小さいのにもっと小さくなるから」
歯を噛んで、不服な顔をすると、エミリは「おあいこ、おあいこ」とうまくまとめて
くる。まぁ、おあいこならいいか。
「でも、これで部活も引退となると淋しいね」
「正直、私は復帰したばっかだから実感湧きにくいけどね」
「人が真剣な話しようとしてるのに、そういうこと言わない」
「はいはい、すいません」
私、引退してもバスケはずっと続けていくよ。たまにはエミリとも一緒にやれたらい
いな。
「でも、泰子にバスケ部に戻してもらえたのはありがたく思ってるよ」
「そうね。パフェぐらいなら奢ってくれていいんじゃないの」
「人が真剣な話しようとしてるのに、そういうこと言わない」
「はいはい、すいません」
エミリの真似してやった。嬉しさと切なさが生まれてくる。こういうのも、明日から
はなくなるのかもしんないって思うと。終わってみて気づくことってあるけど、きっと
これからの時期は多くなるんだろうな。出来るかぎりは忘れないでおきたい。だって、
これは私の大切な思い出だから。
森繁八重子、学年主任、3年3組担任。
職員室では、昨日のバスケ部の試合についての話がされていた。男女とも敗れはした
ものの、どちらもベスト8という好成績を残せた。特に、女子は去年の初戦敗退を考え
ると飛躍的な進歩といえる。
「男子、まだ落ち込んだりしてませんか」
「いいえ。昨日、打ち上げしたんですけど大盛り上がりで」
「そうですか。なら、よかった」
「えぇ、夏休みに皆でキャンプにでも行こうって話も出てました」
女子部の顧問の鶴賀先生に稲田先生が訊ねた。男子は昨日は結構な惨敗を喫してしま
ったらしい。1組の生徒もいるし、気に掛かるのだろう。
「稲田先生、また生徒にアドバイスを送ったりしたんですか」
「アドバイスってものじゃないですけど、一応声は掛けました」
それ以上は深く聞かなかったけれど、また稲田先生の言葉が生徒の心に効果をもたら
したんだろうか。何か、この人には掴めない不思議なものがあるように思える。実体の
掴めない力が。
全18話、本に換算すると444ページになる長篇です。




