第五話
○登場人物
稲田景勝・いなだかげかつ(現代文担当、1組担任、35歳、冷静だが心の中は熱い)
福山蓮子・ふくやまれんこ(数学担当、1・2組副担任、24歳、損得勘定で物事を考える)
武中健吾・たけなかけんご(生物地学担当、2組担任、35歳、沈着で大人な人間)
森繁八重子・もりしげやえこ(日本史担当、44歳、3組担任、学年主任で頼りがいがある)
四島嘉津男・よしまかつお(古文担当、45歳、4組担任、生徒と同年代の娘がいる)
井之脇壇・いのわきだん(世界史担当、27歳、3・4組副担任、四島の弟分的存在)
北澄昌明・きたずみまさあき(体育担当、48歳、5組担任、独身でまだ好機を窺っている)
田蔵麻綾・たくらまあや(英語担当、22歳、5・6組副担任、新人ながらしっかりしてる)
鶴賀あかり・つるがあかり(物理化学担当、6組担任、29歳、結婚に対して執着がある)
渥美衣代・あつみいよ(帰宅部、遅刻・早退・欠席の常習)
安東菊恵・あんどうきくえ(バレー部、セッターで気が強い)
一場太志・いちばたいし(サッカー部、運動も勉強も学年トップクラス)
伊東紗和・いとうさわ(学級委員長、クラスをまとめるしっかり者で信頼もある)
岩瀬浩二・いわせこうじ(陸上部、駅伝メンバーで自分を強く持っている)
梶田希・かじたのぞみ(美術部、デザインに興味があって進路に悩んでいる)
北橋泰子・きたはしやすこ(バスケ部、万年補欠でセンスがない)
小林洋・こばやしよう(サッカー部・エースの座を一場と競う)
佐土原宏之・さどはらひろゆき(野球部、エース候補だが我が強い)
塩崎拓也・しおざきたくや(帰宅部、野方文和の親友で良き理解者)
篠永梢・しのながこずえ(手芸部、ロリータファッションをこよなく愛する)
高品悟・たかしなさとる(水泳部、自由形を専門にしている)
長岡純平・ながおかじゅんぺい(柔道部、体格はいいが気は弱い)
沼本香苗・ぬまもとかなえ(放送部、ラジオDJを夢見る)
野方文和・のがたふみかず(帰宅部、生まれつき体が弱く欠席も多い)
野口七海・のぐちななみ(合唱部、ピアノ担当でしっかり者)
蓮井新・はすいしん(帰宅部、松田佳彦とつるんでる不良)
林愛莉・はやしあいり(テニス部、ミスコンにも選ばれる美少女)
原本力・はらもとつとむ(野球部、捕手で体格も腕もいい)
藤井初音・ふじいはつね(合唱部、ソプラノ担当でマイペース)
古橋健太・ふるはしけんた(バスケ部、センターガードでスタメンをはる)
益子エミリ・ますこえみり(バスケ部、清楚でスレンダーなギャル系)
松田佳彦・まつだよしひこ(帰宅部、不良で世の中に執着が薄い)
松浦ひばり・まつうらひばり(バレー部、長身アタッカーだが気が弱い)
三池繁・みいけしげる(副学級委員長、草食系で優しいアイドル好き)
水橋範子・みずはしのりこ(漫画愛好会、少女マンガ大好きで自作してる)
宮里辰則・みやざとたつのり(学年一の秀才、何事もやってのける逸材)
桃田未絵・ももたみえ(帰宅部、転校生で心を開かない)
山口裕也・やまぐちゆうや(帰宅部、単位ギリギリで危ない)
吉澤麗子・よしざわれいこ(陸上部、駅伝メンバーで仲間意識が強い)
福山蓮子、3年1・2組副担任。
6月になると、運動系の各部活動の練習も熱気を帯びてくる。インターハイの県大会
予選も始まるし、夏に向けて高まってくる暑さと比例するように各部の士気も上がって
くる。
私が顧問をしてる水泳部もプールが解禁になって、部員の皆もこれまでの体力作りの
日々の憂さを晴らすように泳ぎ続けてる。いいなぁ。青春してるなぁ。たまに、この頃
に無性に戻りたくなる。でも、試験の勉強はもうしたくない。
私が青春を捧げたのはバレーボール。毎日、毎日、あのコートの中でボールを追い掛
ける日々を3年間続けた。まぁ、3年生の時も県大会の2回戦敗退のチームだったけど。
そん中のサブメンバーで、試合もそんなに出てないし、あっという間に時間だけ過ぎて
った感じだったけど。それだって、私にとっては大切な思い出だ。1回戦で負けちゃう
チームのベンチにも入れない人だって、全国優勝するチームのエースだって、皆がそれ
ぞれの熱くてかけがえのない思い出を抱えてるんだ。誰のものとも換えのきかない素敵
な思い出を。
そういえば、稲田先生が今日はバレー部を見に行くって言ってたな。稲田先生、顧問
をやってない代わりってわけじゃないだろうけど、結構頻繁にいろんな部に足を運んで
るみたい。1組の生徒たちの部活動での様子も気になるらしい。教室での生徒だけじゃ
なく、それ以外で見せる顔も知っておきたいってことかな。だとしたら、ずいぶん熱心
な教師。
稲田先生自身は学生時代は何部だったんだろう。そういうの聞いたことないな。って
いうか、先生の詳しい事ってほとんど知らないかも。お互い、深いところまで話し合う
機会もないし。稲田先生と田蔵先生の歓迎会を3年生の教師で開こうって話も流れちゃ
って、結局やってないし。1組の稲田先生といい、2組の武中先生といい、私の担当す
るクラスの担任はどっちもクールにキメてて深層が掴めない。まぁ、こっちもそんなに
掴む気もないんだけど。
稲田景勝、3年1組担任。
体育館に足を踏み入れると、威勢のいい掛け声が飛び交っていた。インターハイの県
予選を数日後に控え、チーム作りも最終段階に入ってるところだろう。部員それぞれに
活気がある。入口から奥のコートで男子、手前のコートで女子のバレー部の練習が行わ
れている。
3年1組からは、安東菊恵と松浦ひばりの2人が入部している。手前のコートに2人
の姿もある。2人ともレギュラーとしてやってるようだが、松浦は固定ではないらしい。
正確には、スタメンで試合には出るが、内容次第で早くに他の選手と交代させられてし
まうようだ。
その事を聞いた時、納得のいかない部分があった。確かに、内容が伴ってない選手を
交代させる事は監督として当然といえる采配だ。だが、監督だからこそ、選手を長い目
で見てやって欲しい。多少に調子が悪くとも、選手を使い続けてやれる懐の深さも必要
なはずだ。名選手とて何も結果の出せない日もあるし、スロースターターで後半に調子
を上げてくるタイプもいる。松浦もそうすることで芽が出るかもしれない、というのは
担任の勝手な贔屓なのだろうか。
「ただ、松浦さんはダメな日はホントにダメらしいんですよ」
その話をした時、福山先生はこう零した。実際にバレーの試合を見た事はないけど、
監督と話した時にそう聞いたらしい。
「いや、そんなに差はないでしょう」
「それが結構違うみたいで。調子の良い日はスパイクも決まるのに、調子の悪い日は
全然決まらないそうです。スパイクを見るかぎり、同一人物か疑いたくなるぐらいって
言ってました」
信じがたい内容だった。いくらなんでもそうまで変わりはしないだろう、と思った。
でも、今ここから眺める光景はその言葉の通りだ。松浦の打ったスパイクはことごとく
ラインから外れていく。それに対して監督の檄が飛ぶと、今度はラインの内側に威力の
ないスパイクが打たれていく。その様子を見るかぎり、おおよそレギュラー選手の打つ
スパイクとは思えない。打ってる当人もそれは分かってるようで、何度も弱々しく息を
つく場面が目立っている。どうしたものなのか、と疑問は多く残った。
安東菊恵、出席番号2番。
部活終わり、着替えも終わって帰ろうとすると体育館の方からボールの弾む音がまだ
聞こえてくる。監督から居残り練習を告げられ、松浦さんは今日も苦しい時間を過ごす
ハメになっている。でも、インターハイ本番に向けて、松浦さんの調子が上がる事は大
切だから仕方ない。今のままじゃ松浦さんはスタメンに入れないし、それはウチの戦力
ダウンになる。だから、今はきついかもしれないけど頑張って欲しい。後で一緒に笑え
るように。
先月にやった練習試合は散々だった。そう変わらないレベルの高校とだったのに、結
果は完敗。3セット制で、18対25、19対25、22対25。1セット目は本来の
スタメンで望んだけど、松浦さんのスパイクに威力がなかった。ラインを割ったり、相
手に拾われたり、こっちの防戦一方になった。2セット目には松浦さんはベンチに下げ
られ、盛り返しにいくつもりだったけど流れは相手のものになっていた。交代で入った
子も元々ベンチにいるわけだからそんなに腕が立つわけでもない。3セット目には、相
手がメンバーを数人入れ替えてきた。ベンチ要員の腕試し、完全にナメられた。さらに、
それで負けてしまった。悔しいというよりムカついた。こんな結果でインターハイなん
か戦えるわけがない。
松浦さんは責任を強く感じていた。気が弱く、ネガティブな性格だから自分で抱え込
んでしまう。私のせいだ、私のせいだ、って自分自身を責めていき、自分で自分の足を
引っ張っていく。ただの悪循環。自分でも気づいてるはずだけど、毎回そうしていく。
そういう人だから。ここさえ直してくれれば、きっと彼女は良くなれると思うのにもっ
たいない。
それとなしに指摘した事もある。余計に深みに入り込まないように、出来るかぎりに
外側から間接的に。すると、松浦さんは「ごめんね、私がこんなんだから」と下を向い
てしまった。それがいけないんだって、と言いたかったけど喉元で留めておく。どうす
ればいいんだろう。
松浦ひばり、出席番号24番。
自宅に到着すると、リビングのソファにダイブ。2階の自分の部屋にも行く気力は残
されてない。全身から脱力していき、このまま眠りについてしまいたくなる。現実はそ
う簡単にはいかないけど。
「ひばり、帰ってきたんならお風呂に入って」
「無理」
「無理、じゃないでしょ。そんなところで寝てないで、早く入って」
「あと5分」
いつもの逃げ道を使って、しばしの休息に浸かる。出来れば眠りたいけど、中途半端
な睡眠で起こされるのは苛つくから我慢しておく。
今日も自分だけ居残り練習。最近、2日に1回は残されてる。おかげで、毎日が疲労
困憊状態。こんなの続けてたら、そのうち体がダメになる。まぁ、夏が終われば3年生
は引退になるから、それまでの辛抱だけど。
それにしても、何で監督や安東さんはこうも自分に期待を持ってくれてるんだろう。
正直、過剰評価じゃないかって思う。高校からバレーを始めたばっかだし、飛びぬけた
才能があるわけじゃないし、実力もないし。こんなに好不調の波が激しい人をスタメン
にするのは違うと思う。もっと、安定した経験者を置くべきだ。一体、私に何があるっ
ていうんだろうか。
確かに、身長は175cmある。大きいとかデカいとか言われることも多い。でも、
それは日常生活の中であって、バレーにおいては他の高校にいくらでも私より高い選手
はいる。私の何をそんなに見越してるんだろう。私自身でさえ、自分に何かがあるとは
思ってないのに。
「ひばり、お風呂」
「はぁい」
5分経過。とりあえず、怒られる前に言う事を聞いておこう。
古橋健太、出席番号21番。
屋内球技場は熱気に包まれている。その中を走り回る心地良さは中々良い。2階から
聞こえてくる黄色い声はなお良い。全てが良い方向へと向かっていて、嫌な気は感じら
れない。
バスケのインターハイ県予選は3回戦を迎えている。先月から始まった予選で、海浜
総合高校は男子も女子も順当に勝ち上がっている。そして、この試合も83対54と楽
勝ムードで終盤に差し掛かった。もう、スタメンのメンバーは何人かベンチに下がって
いる。
別会場で試合を終えた女子がここまで駆けつけてくれ、2階から声援を送ってくれて
いる。力になるとともに、いい発奮材料になる。女子の前で下手なプレーは見せられな
いし。
試合終了のブザーが会場内に響く。結果、96対60。挨拶を終えると、チームメイ
トとハイタッチを交わしていく。4回戦進出、また夏を次に繋げられた。まだまだ終わ
らせるわけにはいかない。
試合会場からは女子と一緒に学校へ戻る。女子も75対57で4回戦進出を決めたよ
うだ。今年は女子チームも益子が戻って良い状態を続けている。男女が互いを相乗効果
で高め合えるのは良いことだ。
「古橋、これでまた一つ目標へ近づけたな」
「あぁ、次もやってやろうぜ」
一昨年のベスト32、去年のベスト16、今年の目標はそれを上回るベスト8だ。
福山蓮子、3年1・2組副担任。
二時限目が始まると、職員室は教師が多くいなくなって静かな空間が広がる。この時
間は稲田先生も授業がないから、これだけの大部屋の中で隣同士の席が埋まってるのが
どこか変な感じ。ファミレスで、ほとんどお客さんがいないのに隣同士の席に座ってる
ような。
「松浦は2年の時、どういう生徒でしたか」
気にしないように雑務をこなしてると、稲田先生に訊かれた。松浦さんの2年の時。
何でまた、そんなことを。
「今とそんなに変わらないと思いますけど。自己主張も強くなく、どちらかというと
内気なタイプの子です」
今の3年生の生徒たちとは1年の頃から授業を通して接してきてるけど、松浦さんの
イメージは入学当初から特に変化はない。制服もアレンジしてないし、アクセサリーや
メイクの類もしていない。身長は女子では学年の指折りに入るけど、その分なんか周囲
に対して萎縮してしまってるような感じ。外見の存在感の大きさが彼女の内面の強さの
キャパシティを超えてしまって。
「どうしてですか」
「いや、昨日バレー部の練習を見てきたんですけど、どうも不調らしくて。俺の見る
かぎりだと、原因は本当に簡単なところにあるんですよ。松浦本人の精神的な部分次第
で、どうにも出来ることなんです。ただ、当人がああいう性格だと、そこから抜け出す
のが容易ではなくて」
「あぁ、自分の作った殻からうまく出れないっていう」
「直接的な言葉を掛ければいいか、っていうと難しいところなんです。こればっかり
は、効果は人によりけりですから。特効薬になる事もあれば、逆効果になってしまう事
もある」
「ですね。そこがねぇ」
直球を投げると、「どうして、そんなこと言われなきゃなんないの」って思われるか
もしんないし。間接的に伝えると、うまく心に響かないし。特に思春期の子は反発しや
すいし、これは稲田先生の言うように難しい。私だったら、適当にくぐり抜けてくのを
選ぶ。
安東菊恵、出席番号2番。
部活終わり、緩やかな坂を下ってく。遥か先に沈み出している太陽が夕焼けに混じり、
この時間はこの坂から海岸にかけて密かな絶景になる。ただ、今はそれに浸るほど余裕
はない。どう話を切り出していこうか、と心の中で巡らせている。
今日はインターハイ前の最後の練習ってことで紅白戦をやった。紅白戦っていっても
均等に戦力を散りばめたものじゃなく、レギュラーと控え組の対戦。明日の試合を見据
えて、レギュラーチームのために実戦感覚を持たせるもの。はっきり言って、勝つのが
当たり前。実際、勝った。なのに、ここ最近のモヤモヤを晴らせるだけの試合にはなれ
なかった。松浦さんのスパイクは今日も不調のまま。正直、本番までにはなんとかなる
だろうと安易に考えてたところを突かれてしまった。これなら、控え組の方の子をスタ
メンにした方が安全になってしまう。でも、それじゃ意味がない。なにより、私も松浦
さんも満足をして引退できない。
これじゃいけない。そう思って、部活の後に更衣室で元気なさげにしてた松浦さんに
一緒に帰ろうと誘った。普段は同じクラスにいても別のグループにいるし、部活でも別
々にいることが多いから珍しい事ではある。基本的に性格が全然違うし、趣味嗜好も特
には合わないから行動を共にすることは少ない。
「明日、いよいよ試合だね」
「うん。そうだね」
松浦さんの返事はどことなく弱々しい。弱さを見せないように、普通にしようとして
るんだろうけど隠しきれてない。
「初戦は突破したいな。頑張ろうね」
「うん。でも、勝てるかなぁ」
また弱気になってしまった。ただ、頷けるところもある。私たちの初戦の相手は、去
年のインターハイ県予選でベスト16までいったチーム。初戦敗退したウチの高校では、
単純に考えて勝負は見えてる。
「でもさ、最後なんだから悔いのないようにやりたいよね」
「うん。それはそうだよね」
万年、初戦か2回戦までが限度のウチの高校だ。「全国大会に進もう」なんて、言う
つもりはない。自分たちが3年間かけて培ってきたものを出し尽くせる試合であれば、
それでいい。
「松浦さん、最近調子悪いの」
だから、そのために松浦さんが本調子に戻ることは必要不可欠になる。彼女が納得の
いく試合でないといけない。私にとっても。
「よかったら、私に相談してもらえないかな」
「うぅん。相談だなんて、そんな大層なことじゃないから」
「身体とか、どっか悪いの」
「そんなんじゃないよ」
「チームに問題があるかな」
「違う違う。そうじゃないの。ホントに、私の個人的なものなの。皆には、迷惑かけ
ちゃって本当に申し訳なく思ってる」
松浦さんは本当に申し訳なさそうに言った。きっと、責任を大きく負ってるんだろう。
そして、それが彼女をさらに追い込んでしまってる。
「そんなふうに思わないで。私たちのことは気にしなくていいから」
「でも、私さえちゃんとしてればチームもまとまるのに。足を引っ張ってるだけだし。
やっぱり、高校から始めたばっかの私には難しいんだよ」
松浦さんは深い溜め息をついた。それに、なんとか励まそうとした私の心もへたった。
もう、完全に近いほど彼女の心は折れてしまってる。高校からバレーをやりだした松浦
さんにとって、結果の伴わない練習や試合は苦しいものでしかないんだろう。そんなん
じゃないよ、もっとバレーって楽しいもんだよ、と伝えてあげたい。
伊東紗和、出席番号4番。
『松浦さん、ハロー。いよいよ、明日はインターハイ本番だね。松浦さんが3年間、
バレーに頑張ってきた集大成を見せつけちゃってください。私も会場まで応援行くから、
悔いのないように全力出しちゃって』
夜、家で勉強の合間にくつろいでる時に送ったメール。明日はバレー部のインターハ
イ県予選があって、松浦さんと安東さんが出場する。今まで部活に注いできた青春の結
晶となる日。一つ一つと先へ繋がっていくのか途切れてしまうのかは分からないけど、
悔いは残さないで欲しい。
でも、松浦さんはここ最近どうしても不調を抜け出せないらしい。理由を聞いてみた
けど、本人も自覚がありながら修正できないっていう厄介な症状。こういう時、どうす
ればいいんだろうか。迷った挙句、当たり障りのない文章になってしまった。
3年間、松浦さんは慣れないバレーに懸命に励んできた。なのに、最後の最後に最大
のスランプが待ち受けていた。元々、松浦さんは自発的にバレーを選んだわけではない。
高校に入って、何の部活をやろうか迷っていたところ、あの体つきに目を留めていた安
東さんが声を掛けたのがきっかけ。「松浦さんなら絶対やれるよ」と言ってもらえたの
が嬉しくて、すぐにバレー部に決めたそうだ。部員の中でも1番の高身長で注目されて、
2年生の秋からはレギュラーになった。順風満帆に思えるけど、松浦さんの心の中の葛
藤は徐々に大きくなっていたらしい。自分より体力のある人がいるし、自分より技術が
ある人がいるのに、何で自分がレギュラーなんだろうと。その不安は自然と芽生えたも
のだった。高校からバレーを始めたため、周りの部員はすでに基礎が出来上がっていて、
松浦さんは遅れたスタートを切る事になる。ただでさえ器用じゃないのに、差の開いた
ところからのスタートで松浦さんには手応えがあまりない。運動神経も悪い方なのに、
それでもレギュラーとして使ってもらってるのが申し訳なくなる。体格だけで選ばれて
るに違いない、という呪縛から逃れられなくなる。周りからもそう思われてる気がして、
どんどん自分をおとしめる事になっていく。結果、それは次第に練習や試合の中に現れ
てくる。調子は見る見るうちに悪くなり、スタメンになっても交代させられる事が多く
なってしまう。現実の悪化に、ネガティブが進化していく。悪循環に拍車がかかるだけ
にしかならない。
『ハロー、伊東さん。実は今、ちょっと憂鬱。本音を言っちゃうと、明日になるのが
恐い。私のせいで負けたりしたらどうしよう、って思っちゃって』
松浦さんからの返信。弱気になっちゃってる。多分、その場かぎりの言葉を並べても
もう届かない。どうしよう。きっと、効果的な解決策はどこかにあるはずなのに。どう
しよう。
稲田景勝、3年1組担任。
日曜日、澄み渡るほどの快晴が広がっていく。バレー部のインターハイ県予選の当日、
会場に足を運ぶと、福山先生や伊東の他、1組の生徒も数人応援に駆けつけていた。す
でにコートでは予選が始まっていて、まだ1回戦ということで会場には他校の生徒も多
く詰め掛けて熱気が溢れている。
海浜総合高校の出番までにはいくらか時間があり、生徒や福山先生と一緒に安東と松
浦の激励に行くことになった。合流の約束をしてロビーへ降りると、2人も3分ほどで
姿を現した。2人は生徒たちに囲まれ、安堵の表情を浮かべながら一時の談笑を続けて
いく。
「先生、今日は来てくれてありがとうございます」
「うぅん。応援するから頑張ってね」
輪を抜けてきた安東から声を掛けられ、福山先生が返答した。それに対し、「はい」
と安東も元気よく返す。
「ねぇ。松浦さん、大丈夫かな」
「さぁ。まだダメになっちゃってると思うんですけど、もう成るようにしか成らない
んで」
生徒たちの輪の中にいる松浦に目を向ける。おそらく、大きな不安を抱えたままなの
だろう。
「安東、お前が松浦をバレー部に誘ったそうだな」
「はい。そうです」
「どうして、そうしたんだ」
「えっ」
不意な質問をされ、安東は一瞬黙った。
「バレーに向いてそうだったんで」
「実際、向いてるとは思ったか」
また不意な質問をされ、安東は一瞬黙った。
「はい。まぁ、運動神経とか精神面とかの弱さはあるんですけど、それ以上に他の部
員にはない松浦さんだけのものがありますから」
「それをお前は信じてるんだな」
「はい。もちろん」
「そうかな。少なくとも、今のお前には松浦を100%信じてるようには見えない」
直球を投げると、安東の目はこちらに開いた。
「ちょっと。稲田先生、何言ってるんですか」
「いいんです。安東、俺の言った事は違うか」
こちらの投げ掛けに、安東は黙る事しか出来ない。
「いいか。お前は松浦の力を信じたんだろ。だったら、最後まで信じぬいてやれ。松
浦がどういう奴かはよく分かってるだろ。周りの心がブレてたら、あいつの心はいつま
でもブレたままだ。お前があいつを誘ったんなら、お前があいつを導いてやれ」
瞬間、安東の瞳が奥まで澄んだのが分かった。何かが開けた瞬間、それだった。
「安東さん、そろそろ戻らないとまずいよ」
松浦に呼ばれ、安東は「分かった」と返事をする。こっちへ一礼すると、2人は選手
用の控え室の方へと歩いていった。
「稲田先生、試合前にあんなふうに言っていいんですか」
「えぇ、これで大丈夫なはずです」
「何ですか、それ」
「いえ、別に」
松浦ひばり、出席番号24番。
いよいよ、試合本番。いっそのこと、外れててくれればとも思ったりしたけど、私は
スタメンに選ばれた。ラストの大会っていうのもあって、3年生がスタメンを占める事
になった。
監督からの言葉も、チームメイトからの言葉も、応援席からの言葉もどこか体に馴染
んでこない。緊張が体の中の大部分に漂ってしまってる。これで最後なんだ、っていう
感慨に浸ってる余裕なんかない。私のミスで負けないように、っていう後ろ向きな思い
ばかり。
円陣を組んで、気合いを入れて、コートに出て行く。アタッカーの私は後列センター、
ブロッカーの安東さんは前列レフトに位置取る。ネットの向こう側には相手チームも位
置取っている。格上だけあって、なんだか大きいものに映る。最初から気持ちで負けて
るけど、私は今は対相手より対自分に手一杯な感じ。何事もなくこの試合が終わってく
れれば、っていう思い。
とかく、そんな思いを抱く人間に神様は微笑んでなんかくれない。終始、試合は相手
ペースで進行していく。前知識のとおり、総合的に上回る相手に突き放されていく。第
1セットは12対25で落とした。
そして、私の調子も全く変わる事はなかった。7回打ったスパイクで決まったのが1
本。アタッカーとしてあるまじき決定率。自分自身に愛想を尽かしたくなる。案の定、
ベンチに戻ってから監督の檄が飛んだ。それをただ俯いて聞き入れるしかない私、本当
に情けない。
やっぱり、私はバレーなんか向いてなかったんだ。安東さんに期待してもらった程度
で浮かれた私が悪かったんだ。こんなことになるぐらいなら、最初から断っておくべき
だった。
「監督」
「何だ」
「私を外してください」
一瞬、空気の流れが止まったのが分かった。でも、そうなるのは分かった上で言った。
「お前、自分の言ってる事が分かっとんのか」
「私がいたらチームが悪くなります。だから、代えてください」
監督やチームメイトの目は見れなかった。どんな顔されてるのかと思うと恐かった。
それでも、あのままコートにはいられない。交代の進言は私個人の勝手な行為、試合で
ミスを重ねるのはチームへの迷惑。それを天秤にかけた上でのこと。仕方ない事なんだ、
これは。
「松浦さん、何言ってんの」
急に来た強い言葉に思わず頭が上がった。安東さんからの視線が痛いほど向いている。
「このまま、逃げるつもり。そんなの、絶対許せるわけないでしょ」
「何をそんなに怯えてるのよ。松浦さんは独りでバレーやってるんじゃないでしょ。
なのに、どうして責任を全部自分で背負い込むの。失敗はチームの失敗、結果はチーム
の結果、責任はチームの責任、問題はチームの問題。松浦さんがそれを1人で抱え込む
必要なんてないの」
「失敗なんて考えなくていいから、全力をボールにぶつけて。外れてもいいから、負
けてもいいから、思いっきりやって。自分自身のために、チームのために」
真っすぐに向けられた視線で真っすぐに届けられた言葉が胸の奥にまで響いた。忘れ
かけてた思いが引き上げられてくる。
2セット目の時間が来た。コートに戻ってくチームメイトの中で、安東さんは私の目
の前に来て言葉をくれる。
「私、松浦さんを最後まで信じてるからね」
言葉だけじゃない言葉なのが伝わった。私はこの人を裏切っちゃいけない、そう心に
灯った。
主審に促されてコートに入る。試合は再開。心の中に沸々と燃える何かがある。久し
ぶりの感情。
安東さんからのトスが上がる。弧の描く先は私。躊躇なく、それを後列から打ち抜く。
ボールは相手の後列センターの選手の腕をはじいてコートの外に飛んでった。久しぶり
の感触。チームメイトが笑顔でこっちに駆け寄ってくる。それで、ようやく現実に気づ
けた。笑顔になれた。
それからは人が変わったようにスパイクが本調子へ戻った。私が回復する事でチーム
も活気づき、試合は互角の様子になる。第2セットは25対22で勝ち、第3セットは
接戦の末に26対28で落とした。結果、1回戦敗退。でも、皆の顔は場違いなくらい
晴れやかだった。
安東菊恵、出席番号2番。
試合の後に学校へ戻り、軽いミーティングをして解散になった。学校を出て、松浦さ
んと緩やかな坂を下ってく。遥か先にある太陽は昼の空にこれでもかと輝いてる。暑さ
はきついけど、なんだか心が洗われた。
「良い試合だったね」
「うん。ごめん、私が初めから力出せてたら違ってたのに」
「そんなこと言わない。言ったでしょ、結果はチームの結果」
「そうだった。忘れてた」
2人で笑った。こんなふうになれるなんて、昨日までは思ってなかった。
「ありがとう。安東さんの言葉、嬉しかった」
「うぅん。私は何もしてないよ」
「違うの。私ね、いつも安東さんが褒めてくれるのが嬉しかったの。私、体格がいい
けど運動神経悪いのがコンプレックスで。見た目で判断される事も多かったから、失望
されるのが嫌で運動系は苦手意識持ってたんだ。だけど、安東さんは私の拙い動きでも
良いって言ってくれて。それで、バレーも楽しいなって思えるようになったんだ。でも、
素人同然だったし、運動神経の悪さもあって出来の振り幅は大きくて。それがだんだん
自分を追い込んでいってたのかもしれない」
松浦さんの言葉は嬉しくもあり、刺さってもくる。私が松浦さんにバレーの楽しさを
伝えたんだ。なのに、松浦さんがバレーの辛さを味わってる時に救ってあげなかった。
私がしなきゃいけなかったのに。
「ごめんね」
「んっ、何が」
「うぅん。何でもない」
「何よ、言ってよ」
「だから、何でもないってば」
「ちょっと、途中で止めるなんてよくないよ。最後まで言って」
「嫌だ。絶対に言わないから」
「もぉ、言ってったら」
心からの笑顔になれた。この3年間のバレー生活に悔いはない。
森繁八重子、学年主任、3年3組担任。
月曜日の朝、職員室で勢いよく昨日のバレー部の試合の話をしている福山先生がいた。
1組の松浦さんと安東さんの関係、松浦さんが大会前まで絶不調だった事、安東さんに
稲田先生があえて厳しい言葉を掛けた事、松浦さんが安東さんに強い言葉を掛けられて
本調子に戻った事、ベスト16に勝ち上がった高校に対して互角の試合をした事。
「いやぁ、試合前に稲田先生が安東さんに厳しく言った時はビックリしたんですよ。
こんな時に何でそんな事を言うんだろう、って。でも、あれで安東さんに発破を掛けた
んですよね。普通なら松浦さんに言うのに、あそこで安東さんに言うなんて中々思いつ
きませんよ」
「多分、松浦は俺らから言われても変われなかったと思うんです。安東が言わないと
いけなかったんです」
「さすがですね。どうして、そんな鋭いところに目がいくんですか」
「いえ、たまたまです」
謙遜はしたが、たまたまなはずはない。これで何回目になるだろう。稲田先生は物事
の洞察力が人よりも遥かに長けている。どうして、そんなにも深く目を向けられるのだ
ろう。謎は深まるばかりだった。
全18話、本に換算すると444ページになる長篇です。




