第四話
○登場人物
稲田景勝・いなだかげかつ(現代文担当、1組担任、35歳、冷静だが心の中は熱い)
福山蓮子・ふくやまれんこ(数学担当、1・2組副担任、24歳、損得勘定で物事を考える)
武中健吾・たけなかけんご(生物地学担当、2組担任、35歳、沈着で大人な人間)
森繁八重子・もりしげやえこ(日本史担当、44歳、3組担任、学年主任で頼りがいがある)
四島嘉津男・よしまかつお(古文担当、45歳、4組担任、生徒と同年代の娘がいる)
井之脇壇・いのわきだん(世界史担当、27歳、3・4組副担任、四島の弟分的存在)
北澄昌明・きたずみまさあき(体育担当、48歳、5組担任、独身でまだ好機を窺っている)
田蔵麻綾・たくらまあや(英語担当、22歳、5・6組副担任、新人ながらしっかりしてる)
鶴賀あかり・つるがあかり(物理化学担当、6組担任、29歳、結婚に対して執着がある)
渥美衣代・あつみいよ(帰宅部、遅刻・早退・欠席の常習)
安東菊恵・あんどうきくえ(バレー部、セッターで気が強い)
一場太志・いちばたいし(サッカー部、運動も勉強も学年トップクラス)
伊東紗和・いとうさわ(学級委員長、クラスをまとめるしっかり者で信頼もある)
岩瀬浩二・いわせこうじ(陸上部、駅伝メンバーで自分を強く持っている)
梶田希・かじたのぞみ(美術部、デザインに興味があって進路に悩んでいる)
北橋泰子・きたはしやすこ(バスケ部、万年補欠でセンスがない)
小林洋・こばやしよう(サッカー部・エースの座を一場と競う)
佐土原宏之・さどはらひろゆき(野球部、エース候補だが我が強い)
塩崎拓也・しおざきたくや(帰宅部、野方文和の親友で良き理解者)
篠永梢・しのながこずえ(手芸部、ロリータファッションをこよなく愛する)
高品悟・たかしなさとる(水泳部、自由形を専門にしている)
長岡純平・ながおかじゅんぺい(柔道部、体格はいいが気は弱い)
沼本香苗・ぬまもとかなえ(放送部、ラジオDJを夢見る)
野方文和・のがたふみかず(帰宅部、生まれつき体が弱く欠席も多い)
野口七海・のぐちななみ(合唱部、ピアノ担当でしっかり者)
蓮井新・はすいしん(帰宅部、松田佳彦とつるんでる不良)
林愛莉・はやしあいり(テニス部、ミスコンにも選ばれる美少女)
原本力・はらもとつとむ(野球部、捕手で体格も腕もいい)
藤井初音・ふじいはつね(合唱部、ソプラノ担当でマイペース)
古橋健太・ふるはしけんた(バスケ部、センターガードでスタメンをはる)
益子エミリ・ますこえみり(バスケ部、清楚でスレンダーなギャル系)
松田佳彦・まつだよしひこ(帰宅部、不良で世の中に執着が薄い)
松浦ひばり・まつうらひばり(バレー部、長身アタッカーだが気が弱い)
三池繁・みいけしげる(副学級委員長、草食系で優しいアイドル好き)
水橋範子・みずはしのりこ(漫画愛好会、少女マンガ大好きで自作してる)
宮里辰則・みやざとたつのり(学年一の秀才、何事もやってのける逸材)
桃田未絵・ももたみえ(帰宅部、転校生で心を開かない)
山口裕也・やまぐちゆうや(帰宅部、単位ギリギリで危ない)
吉澤麗子・よしざわれいこ(陸上部、駅伝メンバーで仲間意識が強い)
福山蓮子、3年1・2組副担任。
5月の末、生徒たちの顔色は晴れたり曇ったり十人十色。中間試験も終わり、答案を
返却した後のリアクションは教師としても多少は気になる。自分が作った試験で、生徒
の心を落っことしてしまうのは心苦しくもあるから。もちろん、心が上がってくれれば、
こっちの気も良い。だから、なるべく数学の試験は難しくならないようにしてる。あん
まり簡単すぎるとやり直しになっちゃうから、そこの境目を超えないようにして。まぁ、
こんなこと地元の友達にぐらいしか話せないけど。間違って飲み会の席で暴露したりし
ちゃったら、次の日から学校に来れないけど。
数学は特に点数に差が出やすい教科。得意な人と不得意な人に分かれやすいから。試
験を簡単にすると得意な人は軒並み良い点数を出し、難しくすると不得意な人は軒並み
悪い点数を出す。どっちがいいかを考えた結果、それなら良い点数出してもらった方が
いいでしょってところに行き着いた。
当たり前だけど、私は数学が得意な側。好きか嫌いかだと、まぁまぁ好きってぐらい
だけど。好きっていうより得意って表現の方が合ってるんだろうな。何でか分かんない
けど、小学生の頃から算数はクラスでトップだった。数学が不得意な人からは「なんで、
数学が出来るの」って聞かれるけど、正直どうとも言いにくい。気がついたら出来てた、
なんとなく出来た、って答えるしかない。よって、数学に対するこれといった思い入れ
はない。
「見てください。稲田先生、1組が学級別のトップでしたよ」
「あぁ、頑張ってますね」
他人事みたいな言い方だなぁ。あなたのクラスなんだから、もっと喜びましょうよ。
今回はいつもの上位メンバーだけじゃなく、全体的にレベルアップしてる感じだし。渥
美さんや山口くんを始め、勉強は苦手ってタイプの子たちも受験を控えて真面目にやり
だしてるみたい。良い流れ、良い流れ。このまま、順調に受験までステップアップして
って欲しい。
1位・宮里辰則・653点・文系
3位・伊東紗和・638点・理系
5位・三池繁・631点・理系
8位・一場太志・612点・文系
19位・梶田希・585点・理系
23位・小林洋・575点・文系
24位・高品悟・573点・理系
32位・沼本香苗・557点・理系
32位・桃田未絵・557点・理系
46位・吉澤麗子・528点・文系
49位・古橋健太・522点・文系
66位・岩瀬浩二・501点・文系
72位・野口七海・493点・理系
77位・佐土原宏之・484点・文系
95位・松浦ひばり・457点・理系
99位・原本力・450点・文系
103位・藤井初音・446点・理系
116位・益子エミリ・427点・文系
116位・安東菊恵・427点・理系
120位・北橋泰子・421点・文系
126位・篠永梢・414点・文系
133位・長岡純平・403点・文系
135位・林愛莉・399点・理系
144位・水橋範子・385点・文系
147位・塩崎拓也・380点・理系
161位・野方文和・362点・理系
168位・蓮井新・347点・文系
168位・渥美衣代・347点・理系
173位・松田佳彦・334点・文系
175位・山口裕也・330点・理系
「おっ、また1番だ」
「嘘だろ。何で、お前が1位になれんだよ」
「まぁ、日頃の努力の賜物ってやつかな」
「ふざけんな。お前が努力してんのなんか見た事ねぇぞ」
「そういうそちらさんも頑張ってるじゃん」
「どこがだ。175位だぞ」
「確か、前は179位だったでしょ。大きな進歩じゃん」
「くそっ、何言われても自慢にしか聞こえねぇ」
3階の情報伝達版に掲示された中間試験の学年結果を見ながら、宮里くんと山口くん
が言い合ってるのは不思議な光景だった。1組どころか学年でもトップだった宮里くん、
1組でドベだった山口くん。勤勉家でもなく真面目でもないのにトップだった宮里くん、
今回は勉強に励んだけどドベだった山口くん。対称的な2人の言い合いはなんか面白か
った。
沼本香苗、出席番号14番。
12時35分、ここから30分はマイタイム。主役は私。この海浜総合高校の全体が
私色に包まれていく。
『お昼の素敵な時間を過ごしている皆さん、今日はハッピーな一日になりそうでしょ
うか。そうなる人もそうならないかもしれない人も、少しの間だけこの番組で癒やされ
てくれたら嬉しいです。では、5月31日の月曜日、本日も「海に願いを」スタートし
ます』
ここで、「星に願いを」のジングルが流れ出す。1サビが終わると、フリータイムが
スタート。タイムリーな話、まったく私的な話、リクエストに応える、どんな内容でも
構わない。今日は、校内放送としては外せない話を。
『さて、そろそろ皆さんも中間試験の結果が分かってきたところじゃないでしょうか。
満足できた人、不満足な人、様々だと思います。ただ、努力に対して結果が伴わなかっ
たって人もめげたりはしないでください。あなたが結果を得るために勉強に打ち込んだ
という事実が変わることはありません。次、また頑張りましょう。きっと、良い未来が
待ってるはずです』
『そうだ。私の話をしてもいいですか。私の結果ですが、なんていうか普通です。無
難ってところかな。でもね、特にと思って頑張った教科で良い点数を取れたんです。こ
れは嬉しかったなぁ。さっきはあんなこと言っときながら、結果にちゃっかり喜んでい
ます。まぁ、人間なもんで許してください』
一曲流し、その後は後輩の子のコーナー。基本、昼休憩の校内放送は3人1組で回す。
3年生と2年生と1年生の3人で回し、3年生がDJ、2年生が1コーナーを担当し、
1年生はブースの外で曲を流したり、音声の調整をしたりする役割。
放送部の部員は合計13人。3年生が4人、2年生が4人、1年生が5人。この人数
で週5回の放送を回すため、3年と2年からは1人が週2回出る事になっている。3年
からはほぼ自動的に部長の私が決まった。「えぇっ」とかその場では言っといたけど、
DJは楽しいから本当は喜ばしい限りだ。
コーナーが終わり、一曲流し、エンディングで終了。30分のマイタイムはあっとい
う間。だからこそ、次も、次も、っていう感覚になるのかもしれないけど。そう、これ
が私の至福の時間。
「先輩」
「んっ、何」
「さっき言ってた、特に頑張った教科って何ですか」
「あぁ、数学。この前、点数悪かったから」
「分かります。数学、どうしても苦手なんですよねぇ」
「そう、そう。意味が分かんないよね」
そうごまかしておく。本当の教科は、生物地学。
稲田景勝、3年1組担任。
放課後、職員室で今日一日分のデスクワークをこなしていく。教師の仕事は生徒に勉
強を教えるだけというわけにはいかない。事務的な内容なども少なからず入ってくる。
それに、部活の顧問まで担当すると体力的にもきついだろう。今年は転任したばかりと
いうことで顧問を免除してもらってるが、おそらく来年からはどこかの部を担当するの
だろう。デスクワークも半ばにし、部活動に向かう教師たちを見てると、去年までの自
分が思い浮かぶ。部員たちと一つの目標へ向けて汗を流す姿、もう昔の事のように懐か
しくなる。なのに、その場面は鮮明に起こされてくる。忘れられない、忘れたくない、
忘れてはならない場面。
過去が一通り過ぎると、現実に呼び戻される。視界の中にいたのは1組の沼本だった。
彼女が職員室に入ってきた姿は見えていた。反応を示さなかったのは示す必要がなかっ
たから。沼本は自分にではなく、手前の席の武中先生に寄っていく。どうやら、試験で
理解しきれなかった問題について訊ねに来たようだ。熱心さが窺える。試験の結果も良
かったらしく、武中先生に褒められて表情を崩していた。
やがて、武中先生も部活動の顧問に行くからと席を外していった。職員室の中は教師
が次々と出て行き、割と閑散としている。残っているのは顧問をしていない教師、たま
に様子を見に行けばいい程度の活発ではない部の顧問をしている教師ぐらい。そして、
沼本。
「稲田先生は顧問してないんですか」
「あぁ。まだ転任したばかりだから、ってことでな」
「へぇ、そうなんだ」
「それより頑張ってるみたいだな、生物地学」
1組の中間試験の成績を見た時、沼本に対してはそこが目立っていた。過去の成績と
照らし合わせても、昨年の今頃は70点台だったのに今や90点台まで上げてきている。
さっきの武中先生の言葉も頷ける。
「あっ、聞いてましたか」
「別に、無理やり聞いてたわけじゃないぞ」
「そうですね。聞こえてましたか、ですね」
「昼間に言ってた『特にと思って頑張った教科』って、生物地学のことか」
今日の昼休憩の時の放送で耳に入っていた言葉。放送は耳にはしているが、沼本の日
は教え子ということもあって、しっかり聞いている。
「えっ、聞いてたんですか」
「そりゃ、聞いてるさ。そのつもりで喋ってるんだろ」
「いや、そうなんですけど・・・・・・なんか、先生が聞いてると思うと少し照れが
あるかも」
「そんなふうに思うことない。ちゃんとやってるじゃないか」
沼本は放送部の部長を務めている。放送での語りの才が認められ、満場一致での選抜
だったらしい。ただ、不思議な事は普段の沼本はそんなに弁の立つタイプではないとい
うことだ。
「ありがとうございます。じゃあ、今度は稲田先生の話でもしてみようかな。3年1
組に新しくやってきた先生はクールで掴みどころがない、って」
「おい、それは止めてくれよ」
そう渋ると、沼本は笑いながら職員室を後にしていった。
松浦ひばり、出席番号24番。
「ストップ。集合」
スパイクを打った後、すぐに顧問の先生から集合が掛かった。理由は分かってる。私
の打ったスパイクは力弱く体育館の床に弾んでいったから。正直、アタッカーの力量を
込めたとは言いがたい。
「松浦。何だ、今のアタックは」
「すいません」
「やる気あんのか。ないなら帰れ」
こう言われてしまうと、もう黙る事しか出来ない。やる気がないわけじゃない。でも、
私を見ていて、やる気が漲っているように見える人はいないだろう。
何かが足りない。それは自分でもよく分かってる。だけど、その「何か」を補えなく
て困ってる。
「インターハイも近づいてるんだぞ。そんなようじゃ、レギュラー外すぞ」
「すいません」
「しっかりやれ。バレーにもっと集中しろ」
その後も先生の檄は続いた。ごめん、みんな。私のせいで、こんな事になっちゃって。
そう謝りたいけど、さすがに毎回謝ってたら嫌味に思われそうで縮こまってしまう。だ
ったら怒られないようにしてよ、って言われるのが恐い。だから、体を萎ませて反省を
するしかない。
安東さんの方に視線を向ける。数秒すると、向こうもこっちを向いた。咄嗟に、2人
とも視線を外す。申し訳なさで、視線を合わせられない。多分、向こうもこっちのその
気持ちを察してる。
どうしたら、もっと毅然としてられるんだろう。芯の通った人が羨ましくてしょうが
ない。態度の大きい人も苛つきはするけど、どこか羨んでしまう。私に足りないものを
持ってるから。
沼本香苗、出席番号14番。
自宅にいると、今ひとつ気分が冴えない。母親は毎日の家事に疲れ、父親は毎日の仕
事に疲れ、兄は無駄に力を余らせている。普通なのは私だけ。だから、ブレてる家族と
接する事に予想以上に気を遣っている。
両親はお互いに33歳の時に結婚したため、兄を産んだのが35歳、私を産んだのが
38歳、と遅めだった。計算すると、今は55歳。体力の衰えによる疲労の蓄積は理解
するけど、それを見ていると労わりの思いが芽生えてきてしまう。親に対してそういう
気持ちになるのは、どうも痒くなる。
最近はだんだんと暑くなってきて、私の冴えない気に拍車がかかる。母親は薄着にな
って弱々しい体を見せ、父親は風呂上りのパンツ一丁でメタボな体を見せる。兄にいた
っては、パンツも履かずにうろうろしてる。こんな、見たくないものを見せられる方の
気持ちにもなってもらいたい。ここには、男らしさも女らしさもない。それで、大人と
いうものに私は憧れを持った。
自分の部屋に入り、椅子に腰を降ろす。机の引き出しから写真を取り出し、眺める。
去年の修学旅行の時に撮った武中先生との2ショット写真。大阪の道頓堀で自由行動に
なった時、タイミングを見計らってお願いした。普段から割と気さくに声を掛けていた
から、この時も快諾してくれた。向こうは通りすがりの記念撮影と思ったんだろうけど、
こっちにとっては違う。こうやって見てるだけで心が揺れる、大事に振り返る思い出の
一品。
武中先生と接するようになったのは2年生になった時。授業を受けてくうちに先生の
大人っぽさを感じるようになって、徐々に惹かれていった。初めは、これはいけないん
じゃないかって思ったりもした。教師と生徒、っていうのが。別に、成就したわけでも
ないのに罪悪感があった。ただ、同級生の子供っぽい男子、オジさん化してる教師、だ
らしのない家族を見てると、どうしても武中先生は魅力的に見えていく。私は自分の恋
心を納得させた。
武中先生に近づきたいと思って、授業終わりに質問に行くようになった。毎回は疑わ
れそうな気がしたから、不自然にならない程度の間隔で。そこから次第に何気ない話も
するようになれた。でも、満足をすると次が欲しくなる。私は生物地学の勉強を頑張る
ようになった。マニアックにはなれないけど、教科書に載ってる事をきちんと理解する
ぐらいなら努力でこなせる。それが成績に反映されてって、先生が褒めてくれたのは最
高に嬉しかった。
同時に、胸が苦しくなる衝動にも侵されていく。この恋は結ばれない、っていう現実
に。年齢差は倍に近いし、なにより教師と生徒っていう壁は厚い。叶える可能性がない
わけじゃないけど、そこまでのリスクが背負えない。じゃあ、私の想いはそれだけしか
ないってことなんだろうか。そう悩んで、迷ってしまう。この想いは打ち明けるべきな
のか、沈めたままでおくべきなのか。また悩んで、迷ってしまう。
伊東紗和、出席番号4番。
「ねぇ、伊東ちゃん」
「なぁに」
休憩時間中、次の三時限目の英会話室に移動してると沼本さんに話かけられた。
「今、恋とかしてる」
「はっ」
あまりに唐突すぎた質問でビックリした。もっと自由な話が来ると思ってたから、急
で虚をつかれる。
「いや、してないけど」
「そうかぁ、してないかぁ」
返答はごまかしておいたけど、沼本さんは元気なさそうに気を落としている。明らか
に、悩みがある感じ。聞いてあげないと。
「どうしたの。恋してるの」
「んっ、まぁ程よくね」
恋の悩みか。いいなぁ、青春してて。高校生の言う台詞じゃないけど。
「へぇ、いいじゃん。羨ましいなぁ」
「うん。だけどね、どうも実りそうにないんだ」
なるほど、それが悩みの種か。
「そんなの分かんないよ。当たってみなきゃ」
「分かるんだ。なんとなくだけど」
返答に迷った。言葉は何通りか頭にあるけれど、言い出すべきかどうかに悩む。沼本
さんがここまで言うからには何か理由があるんだと思ったから。そこに、無理に励まし
はいるのかが分からなかった。
「好きなんだけどね、叶わなそうで迷ってるんだ。言うべきか、押し殺しておくべき
なのか。ただ、これから受験に向かってく中でモヤモヤしたままで何ヶ月も過ごすのが
嫌なんだ」
「そうか・・・・・・切実だね」
そうだ、私たちは受験生なんだ。これから、日々を過ごしてく中でいろんなものを我
慢する必要が出てくる。そこには、もちろん恋愛もあるだろう。確かに、沼本さんの言
う通り、複雑な想いのままでいるのは辛い。
「私の意見でなんだけど、言った方がいいと思う。その人との関係はギクシャクしち
ゃうかもしんないけど、それで沼本さんがスッキリできるなら」
「うん・・・・・・そうだよね」
そう言い、沼本さんは納得したようだった。ただ、見てるかぎりでは納得しきれてる
ようには見れない。どっちを選んだとしてもそうなるんだろう。葛藤してる。自分の言
葉がその役に立てたのかは分からない。
稲田景勝、3年1組担任。
「失礼します」
「おぉ、座れ」
会議室に入ってきた沼本を近くの席に座らせる。
「私、これから放送部で集まりがあるからそんなにいれないんですけど」
「あぁ、長くは掛からない」
今日、沼本に活力が見られなかった。考え事をしてるようにボーッとし、たまに溜め
息をつく連続。今まではなかった場面に、どうしたのかと心配になって放課後に呼び出
した。
「元気なさそうだな。どうしたんだ」
「えっ、そうですか」
「授業中もホームルームも心ここにあらずな様子だったから気になったんだ」
「うそっ、バレてましたか」
「俺だって、ただ授業してるわけじゃない。それなりに生徒の事は見てる」
「そうだったんだ。これから気をつけないと」
笑みを浮かべる沼本に、同じようにした。
「何かあったのか。俺でよければ話してくれないか」
その言葉に、沼本は少し黙る。俺に話していい悩みなのか、と考えてるんだろう。こ
ちらとしては沼本の開口を待つしかない。
「先生って、学生の時に好きな人いましたか」
意表を突かれた質問だった。過去の自分を思い起こす。
「いたよ。もちろん」
「成就しましたか、それ」
「どっちもかな。叶ったのもあるし、叶わなかったのもある」
「受験生の時に彼女はいましたか」
「最初はいたな。でも、結局会わなくなって冬頃に別れた」
「そうかぁ。そういうもんなんだ」
沼本は下を向き、溜め息をつく。悩みはそこなんだろうと分かった。
「好きな人がいるのか」
沼本は何も言わずに頷いた。
「何が悩みなんだ。受験生ってことか」
また沼本は何も言わずに頷く。
「いいじゃないか。受験生が恋をしちゃいけないわけじゃない」
「そうなんですけど・・・・・・迷ってて。叶いそうもないんです。っていうか、叶
いません。それなのにこのままでいるのが自分の中で不完全燃焼に似た感覚でなんだか
嫌なんです。無いに等しい可能性なのに淡い期待を持っちゃって」
「その人のために頑張る、っていうモチベーションには出来ないか」
「多分、無理です」
沼本は悩んでる。ただ、人間が相談をする時には2種類の想定がある。全く活路が見
い出せない時、ある程度の筋道が出来ている時。おそらく、彼女は後者だろう。
「これは俺の勝手な予想なんだが、お前の中でもう答えが出てるんじゃないかと思っ
てる」
沼本の顔がこちらに向く。
「告白したいんだろ。その、あと一歩が踏み出せずにいる。そうだろ」
沼本は何も言わずに頷いた。
「俺が背中を押してもいいか」
また沼本は何も言わずに頷く。
「どんな結果だとしても、努力や勇気の積み重ねに意味はある。迷うことなんかない。
お前の気持ちを全部ぶつけてこい」
その言葉に、沼本の表情は緩んだ。
「ありがとう、先生」
福山蓮子、3年1・2組副担任。
『お昼の素敵な時間を過ごしている皆さん、今日はハッピーな一日になりそうでしょ
うか。そうなる人もそうならないかもしれない人も、少しの間だけこの番組で癒やされ
てくれたなら嬉しいです。では、6月4日の金曜日、本日も「海に願いを」スタートし
ます』
12時35分、昼休憩の時間は職員室のデスクで昼食を摂りながら放送を聞くのが通
常の流れ。昼食はサンドイッチとサラダとペットボトルのお茶が主流。
今日の放送は沼本さんの担当。なんか、スピーカーから教え子の声が聞こえてくるの
は気持ち誇らしい。沼本さんの喋りはとても流暢で聞きやすく、普段の彼女とはどうも
それが一致しない。普段の沼本さんは出しゃばるタイプでもないし、普通のどこにでも
いる子。
一度だけ、その理由を聞いたことがある。
「何で、あんなスラスラ滑らかに喋れちゃうの」
「昔からラジオが好きで、小さい頃から真似っこしてたんです」
「へぇ。じゃ、将来はラジオ局のパーソナリティとか」
「まぁ、なれたらいいですけど。趣味と仕事は違うんだろうし」
現実的だなぁ、と思った。もっと羽ばたこうよ、若者たち。
そういえば、さっき稲田先生から沼本さんの事を聞いた。恋の悩みがあるみたいで、
応援の言葉を掛けたけれど何かあるようなら気に掛けてやって欲しいって。いいなぁ、
青春時代の恋。私も戻れるもんなら戻りたい。
そんなこんな思ってるうち、放送はエンディングになっていた。今日はあるだろうか、
何気に楽しみにしてるところ。
『いつもはここで終わりの挨拶をさせてもらうんですが、今日は呼び出しリクエスト
があります』
沼本さんの言葉に、校内から湧いてくる声が届いてくる。海浜総合高校の恒例、放送
リクエストを利用した呼び出し。どうしてもの話をしたい相手を呼び出す勇気の欲しい
生徒を後押ししてくれるツール。告白をしたい人、仲直りをしたい人、いろいろな場面
で使われるけど、やっぱり1番人気は告白。ここから生まれたカップルは数知れず、玉
砕した人も数知れず。そんな伝統があるからこそ、全校生徒がこのコーナーに注目して
いる。さぁ、今日は一体誰。って、私は教師なのに踊らされすぎだろうか。
『3年2組、武中健吾先生』
えっ。
『私、沼本香苗が放送室で待ってます。今すぐ、来てください』
校内から溢れるほどの声が響いてきた。
何それ。どういうこと。意味が分かんない。
隣の稲田先生を見ると、先生も目を開いていた。周りを見渡す。皆の視線が武中先生
に注がれてて、本人も状況を飲み込めてない様子だった。井之脇先生に言葉を掛けられ、
武中先生は職員室を後にしていく。
沼本香苗、出席番号14番。
頭ん中は回ってないけど、なんとか放送を終わらせた。いつもなら満足感に駆られる
時間だけど、今はそれどころじゃない。
「ごめん。片付けはやっとくから、席外してもらってもいいかな」
ブースの外にいた後輩の2人に言うと、ただ「はい」とだけ言って早々に部屋を出て
ってくれた。何も言ってなかったから、後輩はかなり驚いた顔をしていた。後で謝って
おこう。でも、その前に私にはやらなきゃいけないことがある。
放送室の扉がノックされる。気を平常に保たせたいけど、そんな余裕がどこにも見つ
からない。多分、どこにもないんだろう。「どうぞ」と言うと、武中先生がゆっくりと
入ってきた。一歩一歩こっちに近づいてくる。その度に、私の心臓は収まりがつかなく
なっていく。
「すいません。こんな形で呼んじゃって」
今出来得る最大の笑顔で言った。もしかしたら、引きつってたかもしれない。ただ、
そんなことを気にする事さえ無理だった。私はもう引き返せないところに自分を追い込
んでいた。前に進むしかない。
「もう一歩の勇気が欲しくて。それに、私なりのやり方は何かなって考えて」
武中先生は軽く「あぁ」とだけ呟いた。止め処ない緊張が押し寄せてくる。今までの
教師と生徒とは違う、男と女っていう関係で立っている事に。息を飲んで、息をつく。
行け、私。
「先生のことが好きです」
「叶わないのは分かってます。先生が困るのも分かってます。それでも、言わせてく
ださい」
そこから、どれぐらいの時間があっただろう。現実にはそんなでもなかったかもしれ
ない。ただ、それが何十倍にも長く感じられた。武中先生は下を向いている。きっと、
私に対する配慮を込めた断りの言葉を考えながら。
「そっちが勇気を出して言ってくれたから、こっちも嘘はなしで言う。悪いが、俺に
は前から付き合っている人がいるんだ。詳しくは言えないが、もう2年ぐらいになる。
それに、沼本。やっぱり、俺は教師でお前は生徒だ」
何かが壊れた気がした。私の心が硝子なら、それが割れたんだろう。粉々になって、
集めようのないほどにあっちこちに散らばった。
「やっぱ、そうか。まぁ、しょうがないかな」
精一杯に笑った。涙は流さなかった。笑いたくなんかないし、泣きたかったけどそう
した。そうする事が私に出来る最後の意地だったから。あなたに振られたぐらいでそん
なに傷つきませんよ、って。
武中先生は私に謝って、放送室を出ていった。謝られたのは嫌だった。私が先生に悪
い事をさせちゃったみたいじゃん。そんなふうに思わないで欲しい。私にとっては素敵
な恋のはずなんだから。
誰もいなくなった放送室はものすごく空虚に思えた。ブースの中のいつもの席に座り、
感慨に浸っていく。恋の思い出を一つ一つ解いていく。あんなこともあったな、こんな
こともあったな、って一人で思い出しながら笑っていく。
五時限目のチャイムが響いてきた。私は教室に戻らず、そこに居続けた。
桃田未絵、出席番号28番。
放課後、帰ろうと学校を出たけど、携帯を忘れたのに気づいて学校に引き返す。学校
からそれなりに離れてたから億劫だけど、誰かに中身なんか見られたくないから仕方が
ない。
学校に着いて、もうすぐ教室ってところで足を止めた。もう全員が帰宅したり、部活
に行ってる時間なのに人の姿が見えたから。そんなこと関係なしに入ればいいんだけど、
そこにいた人に問題があった。沼本さんは荷物をまとめて教室を出ていく。五時限目も
六時限目もいなかったから、人目を避けてどこかにいたんだろう。武中先生とどうなっ
たかの真相は知らないけど、周りの囃し立ててる声からは良い言葉はなかったし、彼女
の行動がそれを示してるといえる。
誰もいなくなった教室に入り、机の中の携帯を取ると足を早くする。校門を出たとこ
ろで沼本さんの後ろ姿を見つけると、そのまま後ろを追っていく。声を掛ける気なんて
ないけど、なんとなく行動の行方が気にかかった。
緩やかな坂を下りきり、海岸を右に曲がる。駅に出るのは左だったけど、彼女の家が
こっちなんだろうと解釈する。海岸を歩き続け、その果てで歩を止めた。バレないよう
に物陰に隠れ、そっと見る。沼本さんは砂浜の方へ降りていき、波打ち際に近いところ
まで行って立ち止まる。そして、叫んだ。
「ばっかやろ~っ」
「絶対、もっともっと良い男を見つけてやるからな~っ」
「覚えとけ~っ」
似たような言葉をいくつも海原へ向けて大声で叫んでいく。確かに、ここまで外れに
来れば人通りはそんなにない。でも、なにも教師に振られたぐらいでそこまでしなくて
もいいのに。そう思ったけど、その気持ちは次第に掴めた。ひとしきり叫んだ沼本さん
は泣いていた。その涙で気づいた。それだけの想いがあった、ってことに。気づいたこ
とで心が苦しくなった。
森繁八重子、学年主任、3年3組担任。
休み時間、職員室で奇妙な光景が映った。1組の沼本さんが武中先生に生物地学の質
問をしに来ていた。しかも、5日前にあんな事があったのに、これまでと同じような表
情をしている。
5日前の事については、武中先生から報告を受けている。稲田先生からも、沼本さん
から相談を受けた事、受験勉強に差し障るようだったので告白をするように勧めた事、
相手が武中先生であることは全く知らなかった事の報告を受けている。それなのに、こ
の光景は変だ。まるで、5日前の事はなかったみたいに。
告白をした事で、沼本さんは心の不安から抜け出したということなんだろうか。目の
前に立ち塞がっていた壁が崩れ、晴れ渡る世界へ飛び出せたのだろうか。そうなるなら、
また稲田先生の言葉が生徒を救った事になる。一つ間違えれば危なくもなる橋なのに、
稲田先生は躊躇することなくそこを渡っていく。そんなに直線を進む事に怯みはないの
だろうか。足が竦んだりしないのだろうか。一体、何があの人をそうさせていくんだろ
うか。
全18話、本に換算すると444ページになる長篇です。




