第三話
○登場人物
稲田景勝・いなだかげかつ(現代文担当、1組担任、35歳、冷静だが心の中は熱い)
福山蓮子・ふくやまれんこ(数学担当、1・2組副担任、24歳、損得勘定で物事を考える)
武中健吾・たけなかけんご(生物地学担当、2組担任、35歳、沈着で大人な人間)
森繁八重子・もりしげやえこ(日本史担当、44歳、3組担任、学年主任で頼りがいがある)
四島嘉津男・よしまかつお(古文担当、45歳、4組担任、生徒と同年代の娘がいる)
井之脇壇・いのわきだん(世界史担当、27歳、3・4組副担任、四島の弟分的存在)
北澄昌明・きたずみまさあき(体育担当、48歳、5組担任、独身でまだ好機を窺っている)
田蔵麻綾・たくらまあや(英語担当、22歳、5・6組副担任、新人ながらしっかりしてる)
鶴賀あかり・つるがあかり(物理化学担当、6組担任、29歳、結婚に対して執着がある)
渥美衣代・あつみいよ(帰宅部、遅刻・早退・欠席の常習)
安東菊恵・あんどうきくえ(バレー部、セッターで気が強い)
一場太志・いちばたいし(サッカー部、運動も勉強も学年トップクラス)
伊東紗和・いとうさわ(学級委員長、クラスをまとめるしっかり者で信頼もある)
岩瀬浩二・いわせこうじ(陸上部、駅伝メンバーで自分を強く持っている)
梶田希・かじたのぞみ(美術部、デザインに興味があって進路に悩んでいる)
北橋泰子・きたはしやすこ(バスケ部、万年補欠でセンスがない)
小林洋・こばやしよう(サッカー部・エースの座を一場と競う)
佐土原宏之・さどはらひろゆき(野球部、エース候補だが我が強い)
塩崎拓也・しおざきたくや(帰宅部、野方文和の親友で良き理解者)
篠永梢・しのながこずえ(手芸部、ロリータファッションをこよなく愛する)
高品悟・たかしなさとる(水泳部、自由形を専門にしている)
長岡純平・ながおかじゅんぺい(柔道部、体格はいいが気は弱い)
沼本香苗・ぬまもとかなえ(放送部、ラジオDJを夢見る)
野方文和・のがたふみかず(帰宅部、生まれつき体が弱く欠席も多い)
野口七海・のぐちななみ(合唱部、ピアノ担当でしっかり者)
蓮井新・はすいしん(帰宅部、松田佳彦とつるんでる不良)
林愛莉・はやしあいり(テニス部、ミスコンにも選ばれる美少女)
原本力・はらもとつとむ(野球部、捕手で体格も腕もいい)
藤井初音・ふじいはつね(合唱部、ソプラノ担当でマイペース)
古橋健太・ふるはしけんた(バスケ部、センターガードでスタメンをはる)
益子エミリ・ますこえみり(バスケ部、清楚でスレンダーなギャル系)
松田佳彦・まつだよしひこ(帰宅部、不良で世の中に執着が薄い)
松浦ひばり・まつうらひばり(バレー部、長身アタッカーだが気が弱い)
三池繁・みいけしげる(副学級委員長、草食系で優しいアイドル好き)
水橋範子・みずはしのりこ(漫画愛好会、少女マンガ大好きで自作してる)
宮里辰則・みやざとたつのり(学年一の秀才、何事もやってのける逸材)
桃田未絵・ももたみえ(帰宅部、転校生で心を開かない)
山口裕也・やまぐちゆうや(帰宅部、単位ギリギリで危ない)
吉澤麗子・よしざわれいこ(陸上部、駅伝メンバーで仲間意識が強い)
福山蓮子、3年1・2組副担任。
ゴールデンウィークも終わって、今日からは再び学校。世間的には憂鬱な一日になる
んでしょうが、私にはそんな常識は通じやしません。だって、ついにアレを抜けたんだ
もん。そう、花粉症。いやぁ、今年も長い戦いでした。これで来年まではおさらばかと
思うとせぇせぇです。終わってみて分かるのは、普通って素晴らしいってこと。体は健
康そのものだし、対策に躍起になんなくていいし、陰な気分に落ち込まなくていいし。
何の障害もない日々がどれだけ良いかってことですよ。ビバ普通。アンチ花粉症。出来
れば、来年は来ないでおくれ。
「じゃあ、部活行ってきます」
「はい」
稲田先生にそっけなく返事をされ、職員室を後にする。もちろん、部活に行くって、
私が入部してるわけじゃなくて顧問のこと。稲田先生は来たばっかりだからって免除し
てもらえたみたいだけど、私はそうはいかず。
目的地は、下駄箱を抜けて校舎からはみ出たぐらいのところ。部員の皆は既に体操服
に着替えて集合済み。私が合流すると、皆は準備運動を始めて、その後に全員でランニ
ング。ここまでは私も一緒に付き合うことになってる。運動不足だから、これが中々い
いんです。逆に、それ以降の体力づくりの運動には着いてけない。そこに足を伸ばしち
ゃったら、明日の筋肉痛は間違いなし。体験談。大人の張り切りが生む後悔。年は取り
たくないものだと実感。
さて、ここまできて掴めないのが私の顧問する部活とは何か。活動内容では伝わりに
くいけど、実は水泳部。どうしてこんな地道な活動してるかというと、まだ5月上旬で
プールが使えないから体力強化に励んでるってこと。というより、実質的にプールで活
動する期間の方が圧倒的に少ない。温水プールでもあればいいんだけど、そんなに強い
高校でもないから費用は出ない。
3年1組からは高品くんがいます。高品くんは自由形をメインにしてるけど、市大会
でもファイナリストにいけるぐらいの選手。ちなみに、私は大した腕前ではなく、人に
教えるなんておこがましい程度。人並みには泳げます、ってぐらい。まぁ、名前ばかり
の顧問ってこと。
稲田景勝、3年1組担任。
体育館に足を踏み入れると、真剣な空気が漂っていた。通りのいい掛け声、床と擦れ
るバッシュの音、弾むボールの音。学生時代はよく仲間と休憩時間に汗を流しながら競
い合ったものだ。入口から奥のコートで男子、手前のコートで女子のバスケ部の練習が
行われている。人気のある部活の一つなので人数は多い。
3年1組からは、北橋泰子、古橋健太、益子エミリの3人が入部している。奥のコー
トには古橋、手前のコートには北橋の姿がある。益子の姿はない。彼女はほとんど練習
にも参加せず、幽霊部員状態になってるらしい。その話を福山先生から聞いた時、理由
に納得がいかなかった。
「上手すぎるらしいんです、益子さん」
「上手すぎる。全然いいじゃないですか」
「それがそうもいかないようなんです」
「何がいけないんですか」
「周りと力の差がありすぎて、彼女が入るとワンマンチームになっちゃうんです。益
子さんはそれでもいいみたいなんですけど、周りはよく思ってないみたいで。陰口を言
われてるのを偶然聞いちゃったらしくて、それから部活には顔を出さないようになった
そうです」
理解は出来たが、納得は出来ない。益子には非を受ける道理がない。確かに、チーム
に1人そういう選手がいると孤立してしまう可能性はあるかもしれない。ただ、それが
理由になってはいけない。益子には自由にバスケをする権利がある。それを妨げられる
ことなどないはずだ。
女子バスケ部の練習風景を目で追っていく。時折、全員が楽しそうな表情を浮かべて
いる。この中に益子は入れないんだろうか。彼女だって、ここにいる部員たちと気持ち
は変わらないはずだ。ただ自分の好きなバスケを楽しくやりたい、という純粋な気持ち
なんじゃないだろうか。もしそうだとするならば、これをこのまま放っておいてはいけ
ない。
北橋泰子、出席番号7番。
部活終わりの帰り道、百均で買ったジュースを飲みながら駅までの道をゆっくり歩く
のが日課。てくてく、てくてく、考え事をしながら進んでく。多いのは、今日の自分の
反省。授業、だんだん難しくなってってるけど今のところはなんとか着いていけてる。
部活、いつにも増して足を引っ張ってしまった。やっぱ、私は下手っぴだ。
海浜総合高校のバスケ部は男子が県大会でもそこそこまでいけて、女子は大概が初戦
敗退。去年のインターハイの県大会では男子がベスト16、女子は1回戦敗退。しかも、
私たちに勝った高校は次の2回戦で負け。私達どんだけ弱いんだ、って心の中で叫んだ。
そのチームのベンチにも入れない私って一体なんなんだ、って。素質がない事ぐらいは
充分に分かってるけど、それでも負ければ悔しいし、ベンチ入りも出来ないのはもっと
悔しい。後輩が試合に出てるのに、私は応援席。先輩な分、先陣きって応援しなきゃな
んない。同級生と後輩の出てる試合を。惨めったらない。でも、それでも私は続けてる。
だって、バスケが好きだから。試合に出れなくても、後輩から下手くそな先輩と思われ
ようと、私のバスケ愛は揺るがない。この気持ちなら、チームの中で誰にも負けない自
信はある。それでいい。それで私はやってける。
繁華街に差し掛かると、人の数は一気に増える。店も多く並び、活気も溢れてくる。
この時間帯は特に帰宅途中の人たちを客にしようとどこもかしこも盛んになっている。
そんな中、人を交わしながら歩いてると見慣れた姿を発見した。ハンバーガーショップ
の2階、外からでも眺められる窓側の席に女子高生のグループがいる。その中に、エミ
リがいた。友達と仲良く談笑している。他の子たちは、見覚えはある程度の顔ばかり。
多分、3年の他のクラスの子だろう。1年の時のクラスメイト、とか。
数分、遠くからその様子を眺めてた。友達と話してるエミリは楽しそうだった。ただ、
輝いていない。エミリはバスケをしてないと輝いてない。コートの中でボールを手にし
てる時のエミリが彼女の最高の姿だから。なのに、何でこうならないといけなかったん
だろう。
益子エミリ、出席番号22番。
ひとしきり友達と喋った後、一旦別れて家に帰った。動きやすい服に着替えて、すぐ
に家を出る。目的地まではボールを弾ませながら歩く。人もいるし、車も通るし、これ
が意外に単調じゃなくていい。家から7分ぐらい歩いた先にあるのがバスケのコート。
と言っても、半面のみ。開放されてるところだから誰かが使ってる場合もあるし、融通
は微妙。まぁ、しょうがないんだけど。今日は誰もいなかったんで安心。他の子が来る
までは適当にウォーミングアップしておく。
家の近くにコートがあったのは感謝してる。ここのおかげで、私はバスケにハマれた
んだと思うから。まだ小さい頃にお父さんに連れて来てもらって以来、ここは私の遊び
場になった。野球とかサッカーとか、男のハマりそうなものには興味を示さなかったみ
たいだけどバスケだけは別でよくボールとじゃれてたらしい。ゴールにボールを入れる
なんて先の先ぐらいの頃からだったから、手にボールが馴染む感覚っていうのは早くに
習得してた。本格的にバスケを始めたのは小学生になってから。自分で言うのはなんだ
けど、同年代の中では抜群の腕前だった。近所の子供が集まって遊んでも、私は男の子
より上をいってた。ドリブルやパスは日頃からやってたし、シュートもそれに追いつく
ように練習しまくってたから成長は著しく、ここら辺に住んでる人の間ではちょっとは
名が知れるようにまでなってしまった。
そこまでになると、一つの転機が訪れる。小学生のミニバスケのチームに入らないか、
っていう誘いを受けた。そこになら同じレベルの女の子たちもいるし、試合も定期的に
行われてるから向上できるだろう、っていう。けど、私は断った。もちろん、それはそ
れで魅力のあるものなんだけど、私のやりたいバスケはそこには無さそうだったから。
皆で必死こいて練習して、監督に檄を飛ばされて、レギュラーを争って、試合では同じ
ようにしてポジションを勝ち取ってきた人たちと勝利を争う。そういうの、なんか違う
んだよね。私はバスケで争うのとか、どうも嫌。ただ自分の好きなバスケを楽しくやり
たい、ってだけ。そりゃ、勝った方がいいし、レギュラーになる方がいいし、高みを目
指すにこしたことはない。ただ、それって私のバスケの中ではそんな重要にするような
ことじゃない。気の合う仲間と楽しくやれればいいじゃん。ドリブルしてると面白いし、
パスすると相手と繋がれるし、シュートが入ると嬉しい。そういう単純で純粋な気持ち
でいたい。
適度に体が温まってくるうちに友達が集まってきた。バスケが大好きって子たちじゃ
ないけど、バスケで争うことなんか思いもつかない子たち。それで充分。その子たちと
喋りながらバスケで遊ぶ。ドリブルが覚束なくても、パスが通らなくても、シュートが
決まらなくても構わない。楽しいのが一番。
伊東紗和、出席番号4番。
5月も中旬になって、そろそろ中間試験モードが漂ってきてる。受験生になって最初
の腕試し、ここからは結果も求められてくる。結果が全てじゃないけど、やっぱ成績が
良ければ気の後押しになってくれるし。そうやって一つ一つを紡いでいって、受験まで
上り調子を続けていきたい。
ふと、周りを見渡してみる。1組の皆は休憩時間をそれぞれに過ごしてる。友達同士
で集まったり、カップルで話したり、外に遊びに行ったり、マイペースに携帯触ったり、
寝てたり。このクラスメイト全員がこれからの厳しい時間を共に戦ってく仲間。そこに
喜怒哀楽は多々あるだろうけど、次の春にはみんな笑って卒業していられるようになっ
てたい。
「やっちゃん、ハロー」
「ハロー、どしたの」
教室の様子を見てる時、北橋さんが席でボーッとしてるのが気になって声を掛けた。
こっちが楽に伝えてみると、表情を崩してくれたので安心。北橋さんは可愛い。身長が
小さくて、笑顔が良くて、見てる側の心をほんのりさせてくれる。だから、バスケ部に
いるのが少し意外。
「なんかね、元気なさげに見えたから」
「そうかなぁ。ごめん、ごめん」
「うぅん。悩みとかあるなら、私でよければ聞くよ」
「悩みっていうんじゃないけどね、ちょっと」
「何」
「エミリがね、バスケ部に帰ってこれないかなって思ってて」
北橋さんの言葉は、過去と繋がれて理解に行き着くことが出来た。そういえば、益子
さんがバスケ部の練習に来なくなったって前に聞いた覚えがある。あれはまだ続いてた
んだ。
「それって、前に言ってた益子さんが上手すぎるって話だよね」
「うん。先輩に陰口を言われて来れなくなった、っていう」
そうだった。それを聞いた時、その理不尽さに怒りを憶えたんだ。だって、そんなの
妬みや僻みでしかないじゃん。益子さんには罪はない。上手すぎるのが罪って言うなら、
それは間違ってる。きっと、益子さんは他の人よりも練習して上手くなったはずなんだ
から。
「もう、最後の夏しかないから。あと2~3ヶ月。エミリにもバスケで良い思い出を
残してもらいたいの」
「うん、そうだよね」
窓際の席に2~3人で溜まってる益子さんを見ながら言った北橋さんの思いが伝わっ
てくる。2年生の時に今のメンバーでクラスになった頃、北橋さんが益子さんに声を掛
けるシーンはよく見かけた。でも、それが時間が過ぎるとともに回数が減ってきてる。
2人はバスケで繋がれた仲間だったから。そこが疎遠になってくると、関係もそうなっ
てきてしまう。元々、身長が高くて、大人びていて、スレンダーな益子さんと北橋さん
が仲良くしてるのはアンバランスに感じたし。1組の中でも、2人は別のグループに分
かれてる。友達とはまた別の関係、2人の間にはそれがあるんだろう。
何か、何か2人のためにしてあげられることってないだろうか。このまま、2人の関
係を消化不良で終わらせないために。
「ねぇ、私に出来る事ってないかな」
沼本香苗、出席番号14番。
12時35分、ここから30分はマイタイム。主役は私。この海浜総合高校の全体が
私色に包まれていく。
『お昼の素敵な時間を過ごしている皆さん、今日はハッピーな一日になりそうでしょ
うか。そうなる人もそうならないかもしれない人も、少しの間だけこの番組で癒やされ
てくれたら嬉しいです。では、5月19日の水曜日、本日も「海に願いを」スタートし
ます』
ここで、絶妙な間でジングルが流れ出す。当然、ジングルは「星に願いを」。この曲
を聞くと、安らかな気持ちになれる。
そして、1サビが終わると曲はフェードアウト。再び、私の語りが校内へ響いていく。
ここは完全なフリータイム。何を喋ろうが構わない。
一曲流し、その後は後輩の子のコーナー。この間に私は昼食を摂ってしまう。放送が
優先だから、食べやすいものを選ぶのが食事のポイント。パンと飲み物の組み合わせに
なるのがほとんどだけど。
また一曲流し、エンディング。30分のマイタイムはあっという間。ただ、今日はも
う一つ盛り上げがある。今日の朝、伊東ちゃんから受けたリクエスト。
『いつもはここで終わりの挨拶をさせてもらうんですが、今日はなんと呼び出しリク
エストが来てます』
校内から湧いてくる声が微かにここまで届く。
『残念ながら、今日は女の子から女の子への呼び出しですけど』
校内から落胆する声がここまで届く。全校生徒を肩透かししたようで面白い。
『3年1組、益子エミリさん』
『同じく3年1組、北橋泰子さんが体育館裏で待ってます。今すぐ、行ってあげてく
ださい』
その後、エンディングで終了。一日の任務を全う出来て、大きく息をつく。この達成
感、止めらんない。
益子エミリ、出席番号22番。
ミニラジオからの呼び出しで自分の名前を言われると、一緒に昼食を食べてた友達に
無理やり教室から押し出されるようにされた。まだ昼食の途中だったけど、そんなこと
一切お構いなし。
放送の通りに体育館裏に行くと、本当に泰子がいた。体育館の壁に背中を預けながら、
空を眺めている。考え事してそうだったけど、私を見つけるとすぐにいつもの笑顔に変
わる。
「ありがとう。来てくれて」
「ってか、呼び出しかよ」
「ごめんね。なんか、勢い欲しくて」
「別にいいよ。一回、呼び出されてみたかったし」
「そうだったの」
「もち、男からだけどね」
そう言うと、お互い零すように笑った。そのうち、野次馬が増えてきたから場所を移
動する。男女ならともかく、なんで女同士の会話を見たいのか訳分かんないけど。3階
の別棟の端、理科系の実験とか授業がない限りは行かないようなところへ移動して話を
再開。
「でっ、話は何」
「うん。あのね、最近バスケはやってるのかなぁって」
「やってるよ。友達とかと。1人でもやるし」
「そうなんだ。よかった」
本題は何なんだろう。まさか、最近バスケをしてるのかを聞くためにわざわざ呼び出
したわけないだろうし。当たり障りないところから入っておこう、ってことか。逆に、
そうされるだけ気になっちゃうけど。
「あのさ、私達もう3年でしょ。あとちょっとで部活も終わりじゃん。だから、最後
に一緒に大会とか出れないかなぁって思って」
そういうことか。部活に戻ってきてくれ、って。
「悪いけど、それは無理だよ」
「何で。もう、先輩とかいないよ。大丈夫だって」
「一緒だよ。きっと、同じ事になる」
「そんなことないよ。今、良い感じの空気でやってるの。皆、温かく迎えてくれる」
そこから、少し間があった。ただ闇雲に否定するのは簡単だったけど、そうは出来な
かった。泰子が真剣な気持ちで誘ってくれてるのは分かったし、私だって皆と高校生活
の思い出を作れるならそうしたい。
「考えさせてもらっていい」
「うん。もちろん」
泰子の顔が晴れやかになった。私の言葉を「進展」って捉えたんだろう。申し訳ない
けど、それは違う。どっちかっていうと、傾いてるのは逆の方。
「あんま、期待しないでね」
一言付け足して、その場を後にした。
稲田景勝、3年1組担任。
放課後、自宅とは逆方向の電車に乗り、目的地へ向かった。5つ先の駅で降車、華や
かな雰囲気を抜け、閑静な住宅地へと入っていく。人も疎ら、簡素な空気、静まった場
を通り過ぎると一本の大通りへと通じる。そこを歩いていくと、そう掛からないうちに
目的地はあった。
半面のみのバスケのコート。稀に見かける、街中にあるものだ。ボールの弾む音、し
なやかに動く体、弧を描く弾道、その全てが輝かしい。そして、シュートが決まった後
の益子の表情もまた眩しかった。
「ナイスシューッ」
声を上げると、益子がこちらを向いた。当然、俺がいることに顔色は変わる。そりゃ
そうだろう。担任教師がこんなところまで押し掛けるなんて普通はないだろうし。無論、
ここまで来たからにはそれだけの理由はある。
「ボール、借りてもいいか」
荷物を置き、手を差し出すと、益子は何も言わずにボールを渡してきた。彼女なりに
今の状況を把握しようとしてるのだろう。おそらく、正解には行き着かないと思うが。
そんな益子はそのままに、ドリブルを始める。そこから思い切ってロングシュート、
失敗。こぼれたボールを拾ってレイアップシュート、成功。また距離を取ってシュート、
成功。10本ほどシュートを打ち、入ったのは4本。それだけで息はそれなりに上がっ
ていた。
「久しぶりにやると疲れるな。体が鈍ってる証拠か」
「バスケ、やってたんですか」
「いいや。学生の頃、仲間と休憩時間にやってたぐらいだ」
息を飲み、ボールを益子へ返した。
「それに比べ、益子はさすがだな。大したもんだ。バスケ部の幽霊部員にしとくのは
もったいない」
相変わらず、益子はこちらを窺ってる目をしている。ここまで何しに来たのか、と疑
問が続いている。
「もう、部活に戻る気はないのか」
その言葉に、益子は押し黙る。
今日の朝、伊東から益子と北橋の話を聞いた。バスケ部に戻れない益子、戻らせてあ
げたい北橋、この2人を助けてあげたいと。そこで、こうして説得に来る事にした。益
子がよく家の近くにあるコートで練習してる、というのは北橋づたいに聞いた伊東の話
で耳にしていた。
「難しいと思います。一度離れてしまった以上、そう簡単には戻れません」
「確かにそれはそうだ。ただ、お前と北橋の思いも汲み取ってやりたい」
高校生活最後の夏、悔いのないように過ごさせてやりたい。わだかまりが残るような
時間は送らせたくはない。
「北橋さんから聞いたんですか」
「いや、別の人間からだ」
「誰ですか」
「悪いが、それは言えない。でも、お前と北橋のことを心配していた。だから、探る
ようなことはしないでやってくれ」
はい、と益子は頷く。
「俺は帰るよ。こんなところまで悪かったな」
「いえ」
「じゃあ、あんまり遅くまでやるなよ」
「はい」
荷物を手にし、コートから出た。
北橋泰子、出席番号7番。
放課後、自宅とは逆方向の電車に乗り、目的地へ向かった。5つ先の駅で降車、華や
かな雰囲気を抜け、閑静な住宅地へと入っていく。人も疎ら、簡素な空気、静まった場
を通り過ぎると一本の大通りへと通じる。そこを歩いていくと、そう掛からないうちに
目的地はあった。
半面のみのバスケのコート。稀に見かける、街中にあるものだ。ボールの弾む音、し
なやかに動く体、弧を描く弾道、その全てが輝かしい。そして、シュートが決まった後
のエミリの表情もまた眩しかった。
「ナイスシューッ」
声を上げると、エミリがこっちを向いた。当然、私がいることに顔色は変わる。それ
はそうだろう。話には聞いていたけど、ここまで押し掛けたことはなかったし。ただ、
ここまで来たからにはそれだけの理由はある。
「どうしたの」
水筒の麦茶を一口飲んで、エミリはこっちに歩いてきた。
「うん。なんかね、とある親切な人がここで練習してるって」
「稲田先生でしょ」
「あっ、うん」
稲田先生が昨日ここに来た話を聞いた。軽く説得はしたけど無理強いは出来ないから
一言だけにした、って。どうしてそんなことって思ったら、稲田先生は相談を別の人に
受けたらしい。多分、伊東さんだろう。そうやって繋がってく気持ちは嬉しい。だから、
私も繋がらないと。
「一緒にやろうか」
「えっ、いいの」
「いいに決まってんじゃん。2人でやった方が楽しいし」
それから15分ぐらい2人でバスケをやった。私のボールは取られてばっかで、エミ
リのボールはどんどんゴールに決まってった。面白いぐらいの大差。なのに、何故だか
楽しくてたまんない。
運動を終えると、2人でベンチに座った。エミリが麦茶を飲んだ後、私もそれを貰う。
なんか、懐かしい。
「やっぱ、私は全然ダメだね」
「何でだよ。いいじゃんか」
「エミリの足元にも及ばない。もしかしたら、エミリの友達より下手かも」
「そんなことないよ。それに、友達とやるよりバスケが好きな奴とやる方が楽しい」
自然と笑みが生まれる。気持ちの共有。それがまた嬉しい。
「初めて会った頃の事って覚えてるかな。バスケ部に入部したばっかの頃」
「あぁ、覚えてるよ」
「あの時、感動したの。エミリがバスケしてる姿に。この子、私と同い年なのにどう
してこんな上手いんだろうって。しかも、動きがとっても綺麗で輝いてた」
「あれから一生懸命練習したんだ。ちょっとでもエミリに近づきたい、一緒のコート
で試合に出たい、って思って。全然無理だったけどね」
私が笑うと、エミリは無理に笑みを浮かべてくれた。
「エミリが部活に来なくなって淋しかった。エミリの事を言ってる先輩に何も言えな
かったのが悔しかった。何も悪くないのに犠牲になってるエミリを助けてあげられなか
った」
「いいんだよ、それは」
「だから、また一緒にバスケがやりたい」
その言葉に、エミリは俯く。息を一つつく。答えに迷ってる。
「明後日にね、練習試合があるの。13時から、ウチの体育館で。よかったら、来て
欲しいんだ。見に来るだけでもいいし」
「分かった。考えとく」
「うん。じゃあ、帰る。ごめんね、今日は」
「うぅん。全然」
福山蓮子、3年1・2組副担任。
日曜日。休日だったけど、どうしても見届けたい場面があって登校した。体育館では
バスケ部が男女同時の練習試合のために準備を進めている。その中には、北橋さんや古
橋くんの姿もある。ただ、益子さんはいない。
稲田先生から北橋さんと益子さんの事は聞いている。そんなの絶対なし、って思った。
弱い者いじめなんてダメだけど、強い者いじめだってダメに決まってる。益子さんには
バスケ部に戻って欲しい。顧問の鶴賀先生に稲田先生と頼んで、部員も説得してもらっ
たんだし。
体育館の壁に沿って立ってるうちに稲田先生と伊東さんが来た。2人も休日だけど、
今日のことが気になって来たようだ。伊東さんは北橋さんから相談を受け、稲田先生に
相談したらしい。
「来ますかね、益子さん」
「分かりません。今は待ちましょう」
そのうち、選手がコートに集まり、試合が始まってしまった。古橋くんはスタメン、
北橋さんはベンチにいる。
「始まっちゃいましたよ」
「はい。今はもう来るのを信じるしかありません」
試合は男子が優勢、女子は劣勢で進んでいく。そのまま、前半の20分が終了。男子
は40対33、女子は28対37。
5分のインターバルの最中、体育館の入口を眺め続ける。あそこに現れて欲しい姿を
想像しながら。
そして、それが映し出された時、目が見開いた。そこにあったのは紛れもなく益子さ
んの姿だった。
「来ました。来ました。来ました」
自分の事のように嬉しくて、はしゃぐように言っていた。稲田先生もホッとした様子
で、伊東さんは笑顔になっている。
益子エミリ、出席番号22番。
体育館に着くと、試合はやっていなかった。中央に置かれていたスコアを見てみる。
点数から、前半が終わったところだろうと読み取れる。そう考えてるうちに、泰子が側
に寄って来ていた。
「来てくれたんだね」
「あぁ」
泰子は笑顔を見せながら、私の腕を引いていく。顧問の鶴賀先生に対面。一度は幽霊
部員になった身だから気まずくはあるけど、今はそういう状況じゃない。勇気を出す事
が私のすべき事。
「すいません。遅れました」
「いいのよ。よく来てくれたわね。さっ、時間がないから早く着替えて」
予想していない温かい言葉だった。周りを見渡してみる。部員の皆も温かい目を向け
てくれてる。その先にいる、福山先生と稲田先生と伊東さんも。そして、この空間に包
まれている心の中も自然と温かくなった。
「はい、後半始まっちゃうから着替えよう」
そう言った泰子は誰よりも温かい表情を見せてくれていた。これまでも何度も見せて
くれた表情で。
1年の最初、新入生の集団の中で泰子は目立っていた。高校から始めるって子もいる
から下手な子はいるんだけど、泰子の場合はそれとは別に運動神経自体がずいぶん低か
った。なんていうか、動きが鈍い。まぁ、泰子に言わせると、私も逆の意味で目立って
いたらしいけど。
何日か経った時、練習後に帰ろうとすると声を掛けられた。それが泰子だった。
「あのっ、私、同じバスケ部の1年の北橋っていうんですけど」
「うん。知ってるけど」
「えっ、何で」
「何で、って・・・・・・分かんないけど」
「あっ、私どんくさいもんね」
「そうだね」
「へっ」
この時の泰子の顔は忘れられない。私があまりにもあっさり言ったもんだから、狐に
つままれたみたいな顔してた。さらに、私が笑っちゃったから風向きは乱れまくり。
「ひどぉい、ちょっと」
「ごめん、ごめん」
多分、あそこで私は泰子を受け入れたんだと思う。その後、一緒に帰ってる間もそれ
ぞれのバスケへの思いを話して、「バスケをしてるだけで幸せ」っていう泰子の思いに
大きく共感した。
それ以来、私と泰子はバスケで繋がれた仲間になった。体型とか腕前とかは全然違う
けど、姿勢は同じ。それでいい。私と泰子はそっちが大事なんだから。
ただ、幸せな時間は長く続かなかった。1年の夏、私は部活を離れた。インターハイ
の県予選、1年からレギュラーになった私はそれなりに活躍した。女子の試合を見てた
男子からは「益子のワンマンチーム」って言われたりして、それが凄く嫌だった。別に、
私が1人で勝ってるわけじゃない。1人対5人でやったら絶対に負けるし。他の4人が
いるから、っていうのは自分で充分に分かってる。なのに、周りからそう言われて、そ
れがだんだん先輩たちの空気を悪くしていった。「益子なんかいらない」って陰口も聞
いた。そんで、ベスト16まで勝ち上がった5回戦。ここを取れば、上位トーナメント
に進出できるっていう一番。相手チームは私へのマークを厳しくしてきた。その時、誰
も私を助けてくれようとしなかった。先生からの声が飛んでフォローは来たけど、積極
性のないヘルプ。先生が言うからしょうがないから、っていう。結局、私は潰されて、
試合もそこで敗退。しかも、先輩からは「誰かさんのせいで」って言い零された。限界
を超えた。そこに、私のやりたいバスケなんか無かった。だから、私は部活を離れる事
を決めた。
本当は退部しようと決意したんだけど、泰子に強く止められた。一連の事態を愚痴の
ように吐き捨てると、泰子は私と同じように怒ってくれて、泣いてもくれた。それが心
の底から嬉しかった。泰子の気持ちを汲み取って、退部届を提出するのは止めた。戻る
気なんてなかったけど。それでも、泰子は私が戻ってくるのを待って、バスケ部にいる
ことを選択した。
それから2年弱、泰子はバスケ部の事を逐一報告してくれたけど、次第に2人の関係
は弱まっていった。元々、バスケで繋がれた関係だったし、そこが疎遠になっていくと
こうなるのも仕方なかった。
でも、泰子は諦めてなかった。私自身、また戻ろうなんて思ってなかったから悩んだ
けど、最後は泰子の思いに応えたいって気持ちが上にいった。
「似合ってるよ、エミリ」
ユニフォームに着替えると、更衣室の前で待ってた泰子はまだ笑顔のままだった。そ
れが愛おしくなって、泰子の小さい体を両手で軽く包み込んだ。
「どうしたの」
「ありがとうね、泰子」
「うん。こっちもありがとう」
お互いの背中でお互いの笑う振動を確認できた。
「そろそろ行かないとまずいかも」
「そうだね。行こうか」
2人で体育館まで走ると、もう男子の試合は再開されていた。さぁ女子もって感じに
なったけど、その前にやるべき事があった。鶴賀先生に歩み寄り、開口する。
「一つだけ、お願いしてもいいですか」
「何」
「北橋さんを試合に出してください」
「何言ってんの。ダメだよ、そんなの」
そう止めに入った泰子に、視線を向ける。
「私は泰子とやりたいんだ」
「エミリ・・・・・・」
再び、鶴賀先生に体を向ける。
「いいですか、先生」
「分かったわ。北橋さん、出て」
「はい」
慌てた様子の泰子とコートに出る。緊張してるっぽかったから、背中を一発バンッて
叩いておく。後で聞いたんだけど、対外試合に出るのが高校生になってから初めてだっ
たらしい。
後半開始。ルーズボールを拾った味方からのパスを受けて、ハーフラインから相手ゴ
ールまで一直線。敵がいたら、交わせばいいだけ。ゴール付近からのレイアップが決ま
ると、久しぶりの心地良い感覚が沁みてくる。振り返ると、一気にウチの部員が盛り上
がっていた。それも心地良い。なにより、遠くからこっちに拍手してた泰子はおかしか
った。同じピッチにいる人間に拍手なんてないでしょうに。でも、心地良い。
私はこれまでの鬱憤を晴らすみたいに躍動した。ボールが来ればどんどん決めたし、
マークが付けば他の子に回す。皆、私を信頼してくれてたからやりやすかった。試合な
のに、練習みたく楽しくてたまらなかった。泰子なんて、シュートが決まって「信じら
れない」みたいな顔してたし。お返しに拍手しといたけど。とにかく、私の理想系みた
いな感じだった。
結果は77対70、逆転勝利。男子は78対64、こっちも勝利。結果が出たのもあ
ったんだろうけど、部員の皆は私に温かく接してくれた。どうやら、うまくやってけそ
うだ。
帰り際、最後まで試合を見てってくれた稲田先生と福山先生と伊東さんにも泰子と2
人でお礼を言った。ここにいるってことは、私と泰子の事を相談したっていうのが伊東
さんってことなんだろう。
学校からの帰り道、気分は爽快だった。こんな晴れやかな気でいられるのはどれぐら
いぶりだろう。天気も良くて、海岸からの見晴らしも最高だったし、海から吹いてくる
風も気持ちいい。
「泰子、ホントにありがとう」
「うぅん、私はエミリがバスケで輝いてるのが見たいから」
ありがとう。本当に感謝してるよ。まさか、こういう日が来るなんて思ってなかった
から。
「お礼代わりっちゃなんだけど、約束したいな」
「何」
「インターハイの県大会、泰子と同じコートの上に立ちたい」
「難しいよ、それは」
「どうして」
「だって、私なんかじゃ」
「ダメだよ。最初から無理って言ってる人の願いなんか神様は叶えてくれないよ」
「・・・・・・そっか、そうだよね。じゃあ、頑張る」
「そう。その意気だよ」
そう言い合うと、また自然に笑顔になった。この関係、めっちゃ心地良い。
「ねぇ、エミリ」
「んっ」
「一つ、言ってもいい」
「何だよ」
「エミリは私の憧れだよ」
「この野郎。嬉しい事、言いやがって」
そんなら、私も言わせてもらうよ。泰子、あんたは私の最高の仲間だよ。
森繁八重子、学年主任、3年3組担任。
また、異変が生じた。発端は、福山先生と鶴賀先生のやり取りから。昨日のバスケ部
の練習試合に1組の益子エミリが出た、という話をしている。益子さんの一連の経緯は
この学年の教師なら一度は耳にしている話なので知っている。だからこそ、異変は否め
ない。
2年前の夏、あんな形で部を去った人間が復活するなんて普通はないはずだ。それが
どうして。
「でも、よく復帰してくれましたよね」
「伊東さんから稲田先生に相談があって、それで何か役に立てる事はないかって私も
加わって鶴賀先生に応援頼んだんです」
「おかげ様で、私も益子さんが戻ってきてくれて助かりました」
「ホント、良かったですよねぇ」
3学年の教師のやり取りを耳にしていくと、またその名前が挙がった。稲田先生が今
回も関与している。次々と、1組の生徒を更生させていってる。あの人は一体、何者な
んだ。
全18話、本に換算すると444ページになる長篇です。




