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第十七話



○登場人物


  稲田景勝・いなだかげかつ(現代文担当、1組担任、35歳、冷静だが心の中は熱い)


  福山蓮子・ふくやまれんこ(数学担当、1・2組副担任、24歳、損得勘定で物事を考える)


  武中健吾・たけなかけんご(生物地学担当、2組担任、35歳、沈着で大人な人間)


  森繁八重子・もりしげやえこ(日本史担当、44歳、3組担任、学年主任で頼りがいがある)


  四島嘉津男・よしまかつお(古文担当、45歳、4組担任、生徒と同年代の娘がいる)


  井之脇壇・いのわきだん(世界史担当、27歳、3・4組副担任、四島の弟分的存在)


  北澄昌明・きたずみまさあき(体育担当、48歳、5組担任、独身でまだ好機を窺っている)


  田蔵麻綾・たくらまあや(英語担当、22歳、5・6組副担任、新人ながらしっかりしてる)


  鶴賀あかり・つるがあかり(物理化学担当、6組担任、29歳、結婚に対して執着がある)




  渥美衣代・あつみいよ(帰宅部、遅刻・早退・欠席の常習)


  安東菊恵・あんどうきくえ(バレー部、セッターで気が強い)


  一場太志・いちばたいし(サッカー部、運動も勉強も学年トップクラス)


  伊東紗和・いとうさわ(学級委員長、クラスをまとめるしっかり者で信頼もある)


  岩瀬浩二・いわせこうじ(陸上部、駅伝メンバーで自分を強く持っている)


  梶田希・かじたのぞみ(美術部、デザインに興味があって進路に悩んでいる)


  北橋泰子・きたはしやすこ(バスケ部、万年補欠でセンスがない)


  小林洋・こばやしよう(サッカー部・エースの座を一場と競う)


  佐土原宏之・さどはらひろゆき(野球部、エース候補だが我が強い)


  塩崎拓也・しおざきたくや(帰宅部、野方文和の親友で良き理解者)


  篠永梢・しのながこずえ(手芸部、ロリータファッションをこよなく愛する)


  高品悟・たかしなさとる(水泳部、自由形を専門にしている)


  長岡純平・ながおかじゅんぺい(柔道部、体格はいいが気は弱い)


  沼本香苗・ぬまもとかなえ(放送部、ラジオDJを夢見る)


  野方文和・のがたふみかず(帰宅部、生まれつき体が弱く欠席も多い)


  野口七海・のぐちななみ(合唱部、ピアノ担当でしっかり者)


  蓮井新・はすいしん(帰宅部、松田佳彦とつるんでる不良)


  林愛莉・はやしあいり(テニス部、ミスコンにも選ばれる美少女)


  原本力・はらもとつとむ(野球部、捕手で体格も腕もいい)


  藤井初音・ふじいはつね(合唱部、ソプラノ担当でマイペース)


  古橋健太・ふるはしけんた(バスケ部、センターガードでスタメンをはる)


  益子エミリ・ますこえみり(バスケ部、清楚でスレンダーなギャル系)


  松田佳彦・まつだよしひこ(帰宅部、不良で世の中に執着が薄い)


  松浦ひばり・まつうらひばり(バレー部、長身アタッカーだが気が弱い)


  三池繁・みいけしげる(副学級委員長、草食系で優しいアイドル好き)


  水橋範子・みずはしのりこ(漫画愛好会、少女マンガ大好きで自作してる)


  宮里辰則・みやざとたつのり(学年一の秀才、何事もやってのける逸材)


  桃田未絵・ももたみえ(帰宅部、転校生で心を開かない)


  山口裕也・やまぐちゆうや(帰宅部、単位ギリギリで危ない)


  吉澤麗子・よしざわれいこ(陸上部、駅伝メンバーで仲間意識が強い)





 福山蓮子、3年1・2組副担任。

 世間は冬本番、「この冬一番の冷え込み」やら「インフルエンザが流行」という声が

今年も例に漏れなく聞こえてきます。個人的には、まもなくその魔の手が私にも襲うで

あろう花粉症に備える日々。病院に行き、薬も貰い、目洗いや鼻うがいなど出来ること

はやります。

 2月に入り、いよいよ各大学の入試も始まっていきます。先月のセンター試験の利用

入試を受けて、野口さん、藤井さん、塩崎くん、野方くんの4人が合格を決めました。

これで1組の半分にあたる15人の進路が決定し、残る15人はこれからの一般入試へ

臨みます。

 注目は、やはり県内一を誇る一柱大学。1組から受けるのは、宮里くん、伊東さん、

一場くん、三池くんの4人。毎年この海浜総合高校からは数人が合格してるため、4人

とも充分に狙える位置にはいます。まぁ、宮里くんと伊東さんに関しては内定も同然の

ものではないかと安心していますが。

 逆の注目は、渥美さん、山口くん、蓮井くん、松田くんでしょうか。成績こそ奮って

ない4人ではありますが、稲田先生の力添えもあって徐々に受験への意識は高まってき

ています。

 受験校は違えど、それぞれがそれぞれのレベルの中で一生懸命に頑張ってきました。

勉強に励んできた期間、犠牲にしてきたものもあるでしょう。それも、合格という成果

を得るために自らに課してきた選択。後悔しないためにも皆には全力で最後まで駆け抜

けてほしいです。

 こういう時、教師という立場は歯痒くなります。生徒の力になってあげたい気持ちは

強いけど、こればかりは生徒たちが自分自身で乗り越えていかなければならない試練。

吉報を待つしかない身に、微力さを感じずにはいられなくなります。でも、吉報が舞い

込んだ時にはその分だけ一緒に喜びたいです。

 あれっ、なんか私が教師っぽくなってる気がする。やっぱ、この一年で稲田先生の影

響を大いに受けてるな。




 伊東紗和、出席番号4番。

 一柱大学の一般入試の前日の夜、小さな異変に気づく。喉元の詰まりが気に掛かり、

身体の中がどこか軽くなったような感覚が生じる。この感覚が後に自分の身体をどうし

ていくかは分かり得た。18年もこの身体と付き合ってきてるから、それが症状の進行

の初期段階であることはすぐに把握できた。よりによって、どうしてこんな時に。そう

思い苦しむことがまた身体への悪影響になってる気がした。大事をとって、早い時間に

眠りにつく。

 当日の朝、早めに目を覚まして勉強に取り組んでいく。最後の悪あがきってつもりじ

ゃないけど、なんか勉強してないと落ち着かなかった。起床後の何時間後に頭は活発に

動き出すとか合格祈願のお守りとか、何かにしがみ付きたい思いになって。体調は明確

に芳しくなかった。症状はいつもの通りの道順を辿り、この身体を重くしていく。咳は

少ないけれど、頭痛と微熱に襲われる。体調管理には気を配ってたはずなのに、こんな

ことになるなんて。

 思えば、今日この日のために長い受験勉強に勤しんできたんだ。今まではこれがどの

ぐらい続くんだろうって思ってたけど、いざ当日になってみると案外に実感が湧いてこ

ない。まだ受験日は先なんじゃないか、って願望にも等しい錯覚にもなる。でも、間違

いなく今日がその日だ。

 家族から激励の言葉を受けて、時間に余裕を持って家を出る。心配させないように、

体調を崩したことは言わなかった。家族に心配をさせる事が、また自分の心にチクリと

刺さる結果にもなりそうだし。

 駅に直には行かず、宮里くんの家へ寄った。2人で行く約束を予めにしておいたから。

家に着き、インターホンを鳴らす。出迎えてくれたのは小一ちゃん。宮里くんはまだ奥

の方で支度をしている。

 「お姉ちゃん、頑張ってね」

 玄関口で待っている間、小一ちゃんから掛けられた言葉は心に響いた。身体が弱りぎ

みな今はより沁みる。

 「うん、頑張るよ」

 そう笑顔で返し、頭を撫でてあげる。

 「お兄ちゃんも頑張ってね」

 支度を終えて玄関口まで来た宮里くんにも小一ちゃんが言葉を掛けた。

 「あぁ、頑張ってくるよ」

 宮里くんも笑顔で頭を撫でてあげ、家を出る。並んで歩いてる間、変に今までの思い

出の話なんかしたりした。中学校時代、高校時代のいろんなエピソードを掘り起こし、

懐かしがりながら歩を進めていく。これまでの集大成の日、その現実がそういう話題を

自然と起こしていったんだと思う。

 一柱大学の試験場に着くと、本番を目の前にした緊張感が現実に合わさっていく。会

場へ入っていく大勢の人達はライバルなわけで、それを目の当たりにすることで感情は

より大きくなった。会場の中に入ると、受験する教室が別なのでそこで離れることにな

った。

 「じゃあ、お互いに最善を尽くそうね」

 「あぁ、伊東ちゃんなら絶対に合格できるからね」

 「そっちこそ」

 そう言葉を掛け合い、笑顔でそれぞれの教室へと向かっていく。宮里くんにも体調の

事は伏せておいた。余計な心配はさせられないし、心配をさせてしまうことがやっぱり

自分の心を苦しませることになるから。これはあくまで自分自身の問題、そう胸に仕舞

い込む。

 試験が始まると、教室には鉛筆の先の音が何重にも響いていく。ただその音の連続、

その中に自分も含まれている。正直、体調は悪化を辿る一方だった。これだけの人数が

いるのに、集団というよりも個人が複数という感じ。ある種の閉塞感、一人で戦ってる

感覚の増長。それが孤独感を生み、蝕まれる何かを感じていく。意識は捕らわれ、身体

が重く、集中が利かない。どうしよう。体調不良を試験官に伝えようかと思ったけど、

それほどの症状でもない。これぐらいじゃ、特別な措置なんて適用されない。っていう

より、こんなことを考えてること自体が時間の無駄だ。何してるの、私。今までの努力

を水で流すつもりなの。ダメだ、こんなんじゃ。あぁ、どうしても悪循環にしかなって

くれない。




 桃田未絵、出席番号28番。

 一般入試の当日の朝、目を覚ますといつもと同じ虚無感にさらされる。ここに私はい

るのに、周りにはいろんな物が散らばってるのに、まるで何もないような感覚に駆られ

てしまう。それが悪いことだとは思わない。むしろ、そっちの方がいいんじゃないかと

思えてさえくる。私はここにいない、何もここにはない、それこそが最良の環境なのか

もしれない。

 日常の思考を現実へ戻す。さすがに、今日はこんな無為な状態に陥ったままではいら

れない。人生の岐路の一つともいえる日だ。まぁ、大した人生じゃないけれど。そう息

をつく。

 着替えて、支度をすると、部屋からキッチンへ移動して朝食を準備する。朝食といっ

ても、トーストとインスタントコーヒーとヨーグルトだけ。小学校の低学年でも作れる

メニューだ。それを折りたたみ式の簡易テーブルへ運び、朝方の冷えたフローリングの

床に座って一人で空しく食べていく。淋しいっていう感情は芽生えない。それは違うと

思う。この生活には慣れてるからそこは通り過ぎている。そう、こんな生活に私は慣れ

てしまっている。一人きりの食事は当たり前、独りでいることは当たり前、孤独が当た

り前。

 食べ終わり、家を出ようとすると奥の部屋の扉が開いた。タイミングが悪い。あと3

分でも寝ててくれればいいのに。休日で遅くまで寝ていた母親は気だるい感じでこっち

を見る。

 「これから行くの」

 「そうだけど」

 「金は。あんの」

 「あるけど」

 「そう。まっ、気をつけて」

 そう言い、母親は洗面所の方へ行った。こんな空気に浸ってたくないから、さっさと

家を出る。

 ウチの親子関係は正常じゃない。他のをあんまり知らないけれど、そうである自信は

ある。簡単にいえば、乾いた関係だ。母親は子供に対する愛情が乏しく、子供もそんな

母親へ愛情を抱かない。普通、大学受験に行く娘に「頑張れ」ぐらい言うものだろう。

金を持ってるかどうかをまず聞くなんて、まともじゃないに決まってる。金に頭を汚染

された弱者の思考だ。

 逃げ出したい。今すぐ、こんなところから離れたい。そう思ってるのに、それが出来

ない現実にいる。私はここから逃れられない。最悪の蜘蛛の巣でもがくことしか出来な

いんだ。




 宮里辰則、出席番号27番。

 一般試験の合格発表の当日の朝、目は早朝に完全に覚めてしまった。試験からは解放

されたものの、それまで続けてきたサイクルはそう簡単には直らない。昼過ぎまで爆睡

してみたいとは思ったけど、どうにも朝方には起きてしまう。進路が決まったら、少し

休みをもらってた朝のバイトに復帰しよう。昼間はどうしようか。もう一つ、バイトを

やってみようかな。シフトは緩めに調整して、贅沢にのんびりとした時間でも過ごして

みよう。

 「あぁっ、私どうなんだろう」

 「落ち着いて。伊東ちゃんが受かってないはずないじゃん」

 受験の日と同様に伊東ちゃんはウチに寄ってくれ、2人で一柱大学へ向かった。その

道中、伊東ちゃんはやけに動揺していた。理由はなんとなく察する。受験の時の帰り道、

前日から体調が悪かったことを告げられていたから。試験も集中力が続かずに本来の力

を発揮できなかったようで、結果をかなり心配していた。それでも、言葉を掛けて歩を

進めていく。

 一柱大学に着くと、校門から少し入ったところに人だかりが出来ていた。合否発表の

掲示板には受験者が集まっていて、手を上げて喜ぶ人や肩を落とす人の姿が映る。自分

の番号があるかないかで両極端の結果が待っている。天国と地獄のどちらか、悲しくも

ある現実だ。

 掲示板の前まで行くと、人だかりの中に一場と三池を見つけた。合否の申告を4人で

学校へ行こうと決めていたので、ここで合流する形に前もってしていた。結果を知った

であろう2人に声を掛ける。

 「一場、どうだった」

 「あぁ、受かったよ」

 「そうかぁ、さすがだねぇ」

 調子よく肩を組んで褒めると、一場はぎこちない喜びを見せていた。ノリが悪いなと

一瞬思ったけど、そうする必要があるんじゃないかと気づくと現状を察した。そういう

ことか。

 「三池はどうだった」

 「僕は・・・・・・ダメだったよ」

 やっぱり、そういうことだったか。一場が素直に喜びを表現できないのも分かった。

皆それぞれ、頑張ってきた姿は少なからず目に留めてきている。それが報われない現実

を飲み込まないとならない人もいるわけで、その人へどう接してやればいいのかに悩む

のは正直なことだろう。俺や伊東ちゃんも「次があるよ」とか「よく頑張ったね」しか

言葉は出なかった。

 そして、その場面は自分自身にもやって来る。掲示板に体を向け、受験票に書かれた

番号を探していく。掲示板には数えきれないほどの番号が並んでいる。こんなに番号が

あるのなら自分のもあるんじゃないかと思いたくなるけど、そんなに甘いものじゃない

ことはもう分かっている。342、あってくれ。

 「あった」

 零れるように口から漏れた言葉だった。なんか、身体から余分な一切のものが流れて

浄化されたような脱力感。すぐに一場と三池も寄ってきてくれ、実感の湧かないままに

祝われた。

 「伊東ちゃん、どう」

 喜びを携えたまま、隣で掲示板を眺める伊東ちゃんに聞いた。当然、同じ結果である

と思い込んで。

 「ない」

 「えっ」

 微かに聞こえるぐらいの声だった。体の悪い冗談でも仕掛けてきてるんじゃないかと

思った。思ったというより、そう思いたかっただけだろう。ただ、隣に佇む伊東ちゃん

は否定をしてくれそうな雰囲気は全くない。

 「ない・・・・・・ないよ」

 だんだん伊東ちゃんの目に涙が溜まってくる。どうしていいか分からず、手にしてる

受験票を奪って掲示板から探す。それがどれほどの意味を持つかは分かって。225、

確かにどこにもない。何でだ。何で、225がないんだ。彼女が合格できないはずない

だろ。

 やがて、あちらこちらで歓喜に舞う集団にいるのに耐えられなくなったように、伊東

ちゃんは何も言わずにスッと輪から離れていく。放ってなんかおけず、一場と三池には

「ごめん」と言い残して後を追った。




 稲田景勝、3年1組担任。

 この日、職員室の奥側の方はどこか例日通りじゃない空気があった。3学年の教員は

授業はないが全員がデスクに揃っている。それも、穏やかさのない気忙しさをそれぞれ

が持って。

 今日は3年生の受験の中でも最も注目されている一柱大学の合格発表日だ。海浜総合

高校からは今年は18人が受けていて、その結果を待つために教員一同が固唾を呑んで

待っている。

 1組からは、一場と伊東と三池と宮里が受けている。可能性はあるとみていた梶田は

専門学校への進学を決め、沼本は推薦入試で合格した大学への進学を決めたため、4人

となった。

 「どうなったんですかね、結果」

 「さぁ、分かりません」

 さっきから隣の席でそわそわしたままの福山先生からの言葉を流した。

 「さぁ、じゃなくて。気にならないんですか」

 「なりますよ。でも、もう結果は出てますから」

 また流すと、「聞くんじゃなかった」と言いたげにそわそわを続けていく。

 しばらくすると、職員室に一場と三池が入ってきた。さっきから電話での結果報告が

いくつかあったので、そろそろかと思っていたところだった。2人の表情は晴れている

とはいえない。

 「おはようございます」

 「おはよう。2人で来たのか」

 「はい」

 伊東と宮里は同行じゃないのか。別で後から報告に来るっていうことか。

 「どうだった」

 「合格です」

 一場の言葉に、3学年の教員から小さめの拍手が送られる。一際に大きい拍手がして

くるのは福山先生だろう。ただ、一場の言葉は薄い印象を感じられた。合格なら、もう

少し喜びを前面に出していいはずなのに。そう考えると、その理由に行き着くのも早か

った。

 「三池はどうだ」

 「僕はダメでした」

 その言葉に、数秒前までの温かみのある空気はなくなる。なんともいえない複雑さ、

この感覚はどれだけ経験しても慣れきってはくれない。本人の努力は見てきているから

こその自然な感情だ。

 「そうか。でも、またすぐ次の試験が待ってる。気持ちを切り替えていこう」

 「はい」

 変に慰めの言葉を掛けたり、沈んだ雰囲気を醸すことは止めた。今はこの状態に長く

いさせるより、次の目標を提示してやる方がいいとしたから。落ち込んでいても、次の

試験はそこに控えている。ならば、ここはそっちへと方向を指し示してやることがいい

はずだ。

 「伊東と宮里には会わなかったか」

 「会いました。会ったけど、2人は途中で出て行って、多分ここには来ません」

 その言葉に不安がよぎる。先に良い言葉があるようには思えなかった。

 「どうした」

 「・・・・・・伊東が落ちてました。宮里は受かってたけど」

 言いにくそうに言った一場の言葉がままに伝わってくる。合格を疑わなかったと言っ

てもいい伊東の不合格の通知に場の空気は凍るように止まった。「何で」と言い零した

福山先生の言葉にも、誰も返答は出来なかった。




 宮里辰則、出席番号27番。

 目の前に広がる海原は太陽に照らされ、表面を煌かせている。波を打ち、上がる水の

しぶきは光の粒のように見える。僕らの抱えた不安なんて小さなものだと払い去ってく

れそうなほどの景色だ。なのに、今それは大した力になってくれない。今の僕自身のよ

うに。

 左斜め前にいる伊東ちゃんは身を縮ませて膝を抱えたまま、そこから顔の上半分だけ

を覗かせている。涙は止まっていた。悲しみが減ったわけじゃない。まだ彼女は感情の

固まりのようにそこに座っている。ただ海を眺めて、やるせない思いに打ちひしがれて

いる。

 不合格のダメージは相当に大きかった。当然だ。これまでの伊東ちゃんの努力は近い

位置で見てきた。そういうのを表面には出さないタイプでもあるから、実際はこっちが

目にしている以上のものを積んでいたと思う。どう考えても、彼女が落ちるはずはなか

った。体調不良は自己管理の責任とは言えるけど、それでもあまりにも残酷な結果じゃ

ないだろうか。

 一柱大学を出た後、伊東ちゃんは気力を失った様子で少しずつ足を進めていた。どこ

に行くんだろうと思いながら後ろを着いて行くと、そう遠くはないところにあった海岸

へと行き着いた。そして、適当なところへ座ると、身を屈めて泣き出した。これまで、

地道な努力を重ねて一つの事を着実に遂げてきた彼女の悔し泣きはそう遭遇する場面で

はなく、さすがに困惑を覚える。抱きしめてあげたかったけれど、それが出来なかった。

感情を思い切り流し出す事も必要な気もしたし、彼女の中の悲しみに対応できるほどの

感情を自分が持っている自信はまるでなかった。彼女の右斜め後ろに座り、無力を痛感

して側にいることは辛いものだった。

 伊東ちゃんが腰を上げたのは夕暮れの頃だった。何も言葉はないままにスッと立ち上

がり、目を擦り、鼻を啜り、こっちには目もくれずに砂浜をゆっくり歩き始める。それ

を追って歩き出すと、久しぶりに彼女の顔がこちらに向けられた。泣き腫らした目が印

象に残る。

 「一人になりたいから来ないで」

 無気力な言葉に心を揺すられる。弱々しい言葉なのに、強く奥を突いてくる。手も足

も出ない。

 「ちゃんと帰るから大丈夫」

 こっちの状態を悟ったのか、そう言い加えてきた。いや、そんな余裕は本人にないだ

ろう。おそらくは伊東ちゃんに備わってる真面目さが自然と出てしまったっていうこと

だと思う。

 そのまま、伊東ちゃんは砂浜から抜けて海岸沿いの道を歩いていく。何も言葉を掛け

られなかった。今の自分が何を言っても嫌味に取られてしまうんじゃないか、ただ反論

されるだけになるんじゃないか、と考えてしまうと口を開けなかった。もしかすると、

そういう言葉が効果的だったのかもしれない。でも、そうでないのかもしれない。もし

くは、そんなことなんか一切関係なしに思うがままに直球の言葉を投げるのがよかった

のかもしれない。僕はただの安全策を取っただけだ。最善ではなく、単なる安全。これ

以上に悪い状況にはならないことを前提として。そのために、状況を良くすることを犠

牲にしたんだ。離れていく彼女の姿を目にしながら、やるせない思いを噛みしめるしか

なかった。




 福山蓮子、3年1・2組副担任。

 一般入試の結果が出だしたため、職員室には報告に来る3年生の生徒たちが多く見ら

れるようになった。喜びを抱えてきた子とはそれを共有し、悲しみを抱えてきた子には

それを払ってあげるように心掛ける。一つ落としたからといっても、まだまだ次がある

わけだし。

 1組の15人も一通りに受け終わり、一場くん、岩瀬くん、篠永さん、林さん、水橋

さん、宮里くん、吉澤さんは昨日までに合格が決まりました。蓮井くん、松田くんも今

日合格の報告に来てくれ、桃田さんはさっき電話で伝えてくれました。成績面では難が

あった蓮井くんと松田くんが第一志望に受かってくれたのには、正直なところ安心でき

ました。

 逆に、渥美さん、伊東さん、長岡くん、三池くん、山口くんのは第一志望に通らない

結果になってしまいました。5人はすぐそこに迫ってる次の試験を受けることになりま

すが、気持ちの切り替えが出来ているかどうかが心配です。ここまで頑張ってきた期間

や時間が長かったからこそ、そう簡単には抜けられないものなんじゃないかとも思いま

すし。

 特に気掛かりなのは伊東さんです。合格は間違いないと思ってた彼女の不合格の通知

には衝撃を受けました。宮里くんからの話では、試験当日に体調を崩してたのが大きな

原因とのこと。ただ、いくら体調不良だったとはいえ、いくら一柱大学だとはいえ、あ

の伊東さんがこうなってしまうとは受験恐るべしです。私が現実を飲み込むのに時間が

掛かってるんだから、きっと本人はもっとなんだろうと思います。求めていたものが大

きいから、そこにほぼ手が届きかけていたから、生まれたショックは少なくはないでし

ょう。

 稲田先生が宮里くんに試験結果の件も含めて電話した時に彼女の事にも触れていたけ

れど、やっぱり結構な落ち込み様なんだそう。極端ではないにしろ、傍からでも分かる

くらいに気落ちしてるらしい。伊東さんにも同じように電話をしたところ、電話口から

はその様子は判別できなかった。本人も「大丈夫です」と言ってたけど、実際そうでは

ないのは分かる。どうしよう。予想もしてなかった事態なだけに、かえって突発的な解

決法が難しい。




 桃田未絵、出席番号28番。

 一般試験の合格発表の当日、合否を伝える掲示板には手にしている受験票と同じ数字

があった。周りで手を取り合ったり、抱き合ったりしてる人たちほどじゃないけれど、

それなりに嬉しかった。一応、人並みに勉強に勤しんできてたから。でも、そこまでの

感情は膨れてはこない。周りのように分かち合う相手もいないし、この受験自体をそう

大層なものとは捉えていないからだろう。人間の人生の分岐点の一つではあるんだろう

けど、私にはそうでもない。成績に応じたところを受けただけであって、別に他の大学

でも構いやしないし。

 「おめでとう。よかったな」

 「はい、ありがとうございます」

 電話で学校へ合格を報告すると、稲田先生は祝福してくれた。その喜びは一人の人間

に対してのものなのか、単に生徒が進路を決めたっていうものなのか、どっちだろう。

なんとなくの答えなら、「両方」が正解なんだと思う。教師として、生徒の成果を素直

に喜んではいる。でも、あの先生はそれだけじゃない。ちゃんと、生徒の奥の部分まで

知ろうとしている。人間それぞれ別物なんだから何もかも分かれっていうのは無理なん

だけど、少なくとも分かろうとはしてくれている。きっと、私のことも。私の事なんて、

知っても何にもならないのに。知ったところで、後から来るのは後悔と苦悩ぐらいなん

だから止めておけばいいのに。こんな奴と係わり合いにならなければよかった、って思

うだけだから。こっちも最初から期待なんかしていないし。傷つくのが怖いなら、そん

なの必要ない。

 「あら、よかったじゃない」

 帰宅して合格を報告した母親からの乾いた言葉。淡白な一文。言葉ほどの感情もない

くせに。現に、その一言だけしか送られず、もう別の行動に移っている。この後に何が

起こることもない。あの言葉だけの言葉、一つだけで終わり。そんなこと、言う前から

分かってるけど。

 「出掛ける」

 そう言い置き、家を出た。あんな空気の悪い場所、長くなんかいられない。居るだけ

で体がどうかなってしまう。寝に帰るだけが理想だ。最近は受験勉強で居ざるをえない

状況だったけど、これで勉強からも家からも解放される。でも、解放されないものの方

が多すぎる。

 何もなしに進んだ先は通学路に重なっていた。電車を降り、繁華街を抜け、見晴らし

のいい海辺へと出る。視線の先には突き抜けそうな青空と水平線が続いている。思わず、

目を背けてしまいそうになるぐらいに煌びやかな世界だ。私なんかが感慨に耽ったら、

すぐにでも涙が零れてしまう。こんな景色が存在するのに、私はどうしてあそこを抜け

られないんだろう。世の中に平等っていうのがあるんなら、どこにあるのかを教えてほ

しい。

 そう当て所もない考えを巡らせながら海岸沿いの道を歩いていくと、意外なものが目

に入ってきた。遠目から見覚えのある姿だと思っていると、近づくにつれてそれが伊東

さんの後ろ姿だと分かった。砂浜に座り込んで海を眺めてる様はいつもの彼女には当て

嵌まらない。こんな、学校や駅と反対側の方に一人でいるって事は何か訳ありなんだろ

うか。

 一定に進ませていた両足が止まる。放っておけばいいのか、言葉を掛ければいいのか、

2つの選択肢が出てくる。基本で考えれば、圧倒的に前者だ。私がここで何かを言った

ところで、おそらく彼女にはそう通じない。どんなことで悩んでるのかも知らないし、

私の言葉に人の心を動かせるような力もない。行くだけ無駄、きっと普段ならそう判断

するはずだ。だけど、今はなぜか違った。彼女から滲み出てくる気に親しみに似た感情

が芽生えてくる。いつでも元気でクラスを引っ張る存在で、こんな私にもよく話し掛け

てくる伊東さんは自分とは遠い人間だと感じていた。鬱陶しい、恩着せがましい、暑苦

しい、そう思ったことも数えきれない。その分、今そこにいる彼女に今までで一番近い

感覚を持てた。そう思うと、足は海岸沿いから砂浜の方へ動き出した。形の見えない何

かを求めて。

 側まで近づいていくと、伊東さんの右隣へ腰を下ろす。彼女と同じように膝を抱え、

海を眺めていく。左は見なかった。視線は感じたし、気にはなったけど、ただ目の前に

広く続いてく景色を目にし、波の音に耳を澄ませた。綺麗な好景、素敵な音色、私には

合わない。

 どのくらいの時間が流れたかは分からない。多分、30分は過ぎてたと思う。気持ち

よく心を柔に揺すられて目を瞑っていると、左の肩を2回優しく叩かれた。静かに目を

開いて左を向くと、伊東さんはこっちを向いていた。なんとなく、さっきより気が和ら

いでるっぽい。

 「もしかして、慰めてくれてる」

 伊東さんからの言葉は自分の中でうまく消化できなかった。慰めていたのかと言われ

ると、それはそうでもあるし、そうだと言い切れもしない。そうするつもりももちろん

あったし、そんなこと私に出来るんだろうかって思いもあったし。実際、特に何をして

あげてるわけでもないのも事実だし。ただ、自然にここに来てたって感じが一番近い気

がする。

 「いや、何で落ちてるのかも分からないし」

 結局、否定の言葉を使った。まるっきり違うんじゃないけど、どこかしらそうしてる

自分への小っ恥ずかしさもあって。ここまで来ておきながら、私は一体何してるんだ、

何がしたいんだ、と客観的に考えたりもしてしまって。それが何かと聞かれたら、多分

明確には答えられない。

 「ねぇ」

 呼ばれた先に視線を向ける。伊東さんもこっちを見ていたから、直視はしきれない。

しても、チラッとぐらいが限界だ。他人と接するのは基本的に苦手だから。昔は出来て

いた事だけど、今は体中の大体の扉は閉ざしてしまった。もう、自力で開けるのは無理

に等しいだろう。心を開いて近づいていったところで、やがて離れていかれてしまうの

は目に見えているから。傷を増やすだけの行為なんて無駄だ。なら、始めからそうしな

ければいい。

 「桃田さんって、落ち込むことある」

 私が落ち込むこと。そんなの、考えるまでもない。絶対な愚問。聞く相手を間違えて

いる。

 「いつも落ち込んでる」

 私の言葉に、伊東さんは少し目を開いた。意外な返答だったようだ。

 「何で」

 「何も楽しいことなんかないし」

 そう、楽しいことなんて何もない。他の人にはあっても私にはない。あったとしても、

一時のものでしかない。この波みたく、すぐにどこかへ浚われていくんだ。切なさだけ

を残して。

 「そんなことない。家で家族といても、学校で皆といても、それ以外にも楽しいこと

はいっぱいあるし」

 「家や学校の何が楽しいの」

 「皆と一緒にいるだけでいいじゃん」

 「そんなの、全然分かんない」

 切るような言葉を返し、会話が寸断される。誰にでも良くして、誰にでも良く思われ、

それを嫌味なく自然とこなしている伊東さんには私のことは分からない。嫉妬や劣等感

で刻まれすぎた私の心が分かるはずがない。私がどんな思いをしてきたかを見ていない

んだから。

 「そうか。私の力が足りないんだね」

 息をつくのが聞こえ、届いた伊東さんの言葉は意味が分からなかった。

 「そんなんじゃない。誰が相手でも同じだし」

 そう、別にあなたがそんなこと思う必要はない。私はこの状態を理解して、諦めてる

だけだ。伊東さんだろうと、稲田先生だろうと、他の教師や学生だろうと変わるわけじ

ゃない。

 「そんなこと言わないで。私は桃田さんと友達になりたいと思ってるよ」

 その言葉に、体の中が騒いだ。一番言われたくて、一番言われたくない言葉。偽善で

そんなもの発したんなら許せない、と左側に強い視線を向ける。嘘のない瞳がこっちに

向いていた。それが余計に心を惑わせる。

 そんなわけがない、そんなの嘘に決まってる、と体の中に葛藤がせめぎ合う。現実の

時間が流れる中、私はパンクしそうなぐらいに生まれてくる思考を体の中に押し詰めて

いく。

 「ねぇ、桃田さんがよかったら友達になろうよ」

 違う。これは違う。この人は私の何も知っちゃいない。一時の感情の揺らぎを信じち

ゃいけない。

 「そういうの、よく分かんないし」

 「大丈夫。ゆっくり慣れていけばいいから」

 耳を塞ぎたくなる。「うるさい」って叫びたくなる。何も知らないくせに、そんなに

土足で入り込んでこないで。私は・・・・・・私はあなたが思ってるような人間なんか

じゃない。

 耐え切れなくなって、目を瞑って深く息をついた。異変を察したように、「ごめん」

と左から届けられる。私が息を荒くして不定になっている間、伊東さんは体をさすって

くれた。

 時間が経つと、身体はいくらか正常になってきた。「帰ろうか」と柔に言われ、そっ

と頷いた。砂浜を去り、海岸沿いの道をゆっくり歩いていく道中、特に会話はなかった。

キャパシティの限界を悟ってくれたんだろう。

 繁華街に入ると、「寄りたいところがあるからここでいい」と言った。本当にそうだ

ったから嘘はない。一人になれる口実にはなったけど。伊東さんも「分かった」と了承

する。

 「ごめんね。さっき」

 「うぅん。私のせいだから」

 「でもね、友達になりたいっていうのは本当だから」

 「うん、ありがとう」

 そう言葉を交わし、伊東さんと別れた。なんだか、マラソンでも走った後のような脱

力感だった。早く体の中も心の中も満たしたくなる。足早に繁華街を歩いていき、適所

で携帯を掛けると数分で黒ずくめの男がやって来る。金と物を交換すると、何事もなか

ったように離れていく。そのまま自宅へ急ぎめに戻ると、運よく両親は出掛けていた。

勝手に夕食でも食べに行ったんだろう。部屋に入り、隠しておいた摂取機を取り出して

快楽を体内に取り込んでいく。定まらなかった心内も満たされ、最高潮まで気分は振り

上がった。




 稲田景勝、3年1組担任。

 放課後、学校を後にしたのはまだ陽が落ちていない頃だった。今日は受験の結果発表

はなかったため、部活の顧問もしていない自分はある程度の時間の自由がきいた。最寄

り駅まで歩き、電車へ乗ると、いつもとは違う駅で降車する。一度か二度しか来た経験

のない場所だったので土地勘はなく、メモに記された場所を駅前に置かれてある地図に

照らし合わせて確認し、そこへ向かっていく。家庭訪問に行く教師はこんな感覚なんだ

ろうと思った。

 伊東からの電話を受けたのは今日の朝だった。学校へ出勤し、一時限目が始まる前の

気忙しさのある頃合。きっと、間違いなく俺が職員室にいるであろう時間を考慮してく

れたんだろう。会って話がしたい、と彼女から言われた。気落ちしている様を想像して

いたから不穏な考えにもなりえたが、電話口からの伊東の声はいつものままに思える。

1組の教室での快活に響く姿が浮かぶ、あの声だ。そう判ると、悩みの種はこちらが思

うより小さなものなんだと分かった。

 待ち合わせ場所に指定された公園に着くと、伊東へ連絡を入れる。「今行きます」と

言われ、しばしベンチに座って待つことにした。ここは伊東の家から近くにある公園ら

しい。ここを待ち合わせ場所にしたのは、彼女が学校へ直接来るのは避けたいと思った

からだ。一柱大学への合格は確実視されていた伊東の不合格は少なからず教師の間にも

打撃を与えた。なので、今は彼女の姿に注目を集めてしまうような状況は止めたかった。

それに、明後日に第二志望の大学の試験を控えていることへの配慮もして、どこか近所

がいいと決めた。

 7分ほどで伊東は公園に姿を見せた。一柱大学の試験結果の報告にも来ていないし、

彼女の心的状態を考えた時間を思うと、なんとなく久々の再会のような思いが生まれて

しまう。

 「よぉ、元気か」

 「はい、なんとか」

 ベンチから立ち上がり、そのまま立ち話をする。正直、教え子とベンチで2人きりっ

ていうのは緊張しそうだったから。

 「一柱大学のことは残念だったな」

 「はい」

 先に要点を言う。前もって、そう決めていた。そこに触れないわけにはいかないし、

それなら回りくどく探るようなマネは止めにしたい。三池の時もそうしたが、次の試練

がすぐに迫ってる状況だからそこに留めるようにはしたくない。

 「でも、もう次のがそこまで来てるから。ウジウジもしてらんないです」

 「あぁ、そうだな」

 どうやら、予想した通りに伊東は現状を把握できているようだ。さすがと教師ながら

思いたくなる。

 「今、辛くはないか」

 「そりゃ、辛いですよ。そう思ったら、いくらでも落ち込めるぐらい。落ちた当日は

「もう終わりだ」って沈んでましたから。ただ、そうも言ってらんないし。前を向いて

かないと」

 こちらを向いた伊東の顔は清らかに見える。おそらく、辛いというのも真実で、前を

向くというのも真実なんだろう。厳しい現実を突きつけられたばかりなのに、こうまで

体を立ち上がらせられるものなんだろうか。

 「本当に強いな、お前は。感服するよ」

 「そんなことないですよ。私は弱いです。けど、私の背中を押してくれる人がいて。

その人のおかげで頑張ろうって思えました」

 「宮里か」

 「いえ。宮里くんも励ましてくれましたけど。でも、新しい人に新しい言葉を掛けて

もらうことで何か新しい力が湧いてきたんです。分かりにくいですけど」

 新しい人、一体誰だ。考えを巡らせてみるが、いまいち思いつかない。

 「先生、私、何気に1組って結構良いクラスなんじゃないかなって思うんです」

 新しい話に切り替えるように伊東は言葉を上の方へ投げる。

 「あぁ、俺もそう思うよ」

 「皆それぞれ個性的だし、やりたいようにやってるけど、実は一つの大きな輪の中に

皆がいる感じなんです。輪の中心のところに大勢でいる人もいるし、端の方に一人でい

る人もいるし。その輪の中で自由な事を好きにやって、知らず知らずのうちに輪が少し

ずつ狭くなってきてて。それが学級委員としては嬉しいんです。だから、端の方にいる

人にはもっと中の方に来なよって言ってあげたいし、それで来てくれたらまた嬉しい。

もちろん、無理に引っ張るようなことはしないですけど」

 伊東は笑みを見せながら語っていく。そして、伊東の言っている「新しい人」の正体

がその言葉から掴めたような気がした。

 「卒業する時には皆で笑ってサヨナラしたいし、何年か経った後にも皆で笑って会え

たらいいなって思って。そのために、私がこんな落ち込んでちゃダメじゃんかって思え

たらやる気が出てきました」

 「そうか。そうなるといいな」

 「はい」

 伊東は悲しみから抜け出すことが出来ていた。勝手な予想の中ではあるが、そこから

救ってくれたのは意外な人物だった。まだ俺も掴みきれていない、伊東の言葉で言うと

大きな輪の中の端に一人でいる人物。でも、そういう奴がこういう時に力を発揮したり

するから面白い。その人物の真実の深さにまもなく気づかされるとは知る由もないまま

にそう思った。




 伊東紗和、出席番号4番。

 職員室の扉を開く時、気分は晴れていた。一週間前はショックのあまりにここに来る

ことさえ出来なかったし、ここを開けて先生たちの視線を一手に受けるだけの心の容量

もなかったけれど、ようやくそれが備わった。今は早くこの胸のうちにあるものを伝え

たい。

 職員室に入ると、3学年の先生たちの視線がこっちへ向く。私に注目が集まっている。

やっぱ、一週間前だったら耐えられなかっただろうな。そう思いながら、稲田先生の前

まで歩いていく。

 「おはようございます」

 「おはよう。どうだった」

 先生からの促しに、「はい」とだけ言い、少し溜めてみる。単に、勿体つけてるだけ

だけど。

 「合格です」

 万感の思いを込めて言った。堂々と胸を張れる本意な結果にはなれなかったのは確か

だけど、これまでに積み重ねてきた勉強からの解放、人生最大かもしれない挫折を乗り

越えた自信があった。今回の受験を通して、一つ大きくなれたことは間違いないと言い

切れる。

 「そうか。よかったな」

 「おめでとう、伊東さん」

 稲田先生と福山先生から言葉をもらい、「ありがとうございます」と返す。こんな姿、

数日前までは思い描くことも出来なかった。底の見えない穴に落ちていく感覚しかなか

ったから。私は周りにいる人達に支えられているんだなって再確認という痛感を受けら

れた。

 学校を後にすると、通学路を自宅へと戻っていく。家族にも心配かけちゃったから、

直接この合格を伝えたい。宮里くんにも謝らないといけないし。気は晴れたままに歩い

ていると、繁華街で桃田さんの姿を見つけた。そういえば、夏休みの時にもこの辺りで

見かけたんだった。ちょうどよかった。桃田さんにもお礼が言いたいと思ってたところ

だったから。

 「桃田さん」

 小走りで近づいて声を掛けると、桃田さんも振り向いて私に気づいた。やっぱ、私服

になると彼女は一気に大人な印象に変わる。制服で側にいると、姉妹ぐらいの差に見ら

れそう。

 「どうしたの。学校」

 私の制服姿を見て、疑問を投げられる。

 「今日、第二志望の大学の合格発表があったの。それで、今学校に報告に行って来た

ところ」

 「そう。どうだった」

 「合格です」

 「ホント。良かったぁ」

 桃田さんは満面の笑みを見せて喜んでくれた。それどころか、私の両手をがっちりと

取って「おめでとう」と言ってくれた。あまりの意外な反応に驚いてしまい、そのテン

ションに着いていくことが出来ないぐらい。かろうじて、「ありがとう」とは返せたけ

れど。今までに目にしてきた彼女の姿とは真逆なほど素直な感情の表し方に少なからず

たじろいでしまう。一体どうしたんだろう、何かあったんだろうか、と単純に疑問に行

き着く。

 「ねぇ、これから何するつもりだった」

 「いやっ、一応家に帰って家族に報告しようかなって」

 「あっ、そうか。そうだよね、普通は」

 うんうんと頷く仕草には幼さすら感じられる。大人びた外見や取っ付きにくい印象が

振り払われ、どこにでもいそうな高校生に思えてくる。意図的なぐらいの変化なのに、

目の前の桃田さんはいたって自然に振る舞っている。疑問は膨らむばかりになるけど、

本人に直接は聞きにくいから解消の仕様もない。自分の中でなんとか解決させようと、

思考を重ねまくる。

 一つ、これじゃないかというものに行き着いた。この前の、砂浜で2人で話した時の

こと。私が「桃田さんと友達になりたい」って言ったこと。もしかして、桃田さんがあ

れを受け入れてくれたんだとしたら辻褄は合う。そうだ、桃田さんは私と友達になろう

としてくれているんだ。あの時の私の思いが通じてくれたんだ。だとしたら、こんなに

嬉しいことはそうはない。あの桃田さんが私に心を開いてくれるなんて。不合格になる

もんだな、って思えてしまうくらい。

 「じゃ、今度お祝いとかしようよ。大学の合格記念と受験勉強お疲れ様、って」

 「いいね。しようしよう」

 そんな約束まで交わして、「バイバイ」とお互いに手を振って別れた。不思議な感覚

としか言いようがなかった。人が変わったような桃田さんの振る舞いは印象的すぎて、

その場に立ち尽くしたままになる。

 違う。初めてじゃない。あの桃田さんを見たのは2回目だ。夏休みの時、偶然に見か

けて話した時の彼女も今みたいに無邪気に明るかった。じゃあ、桃田さんが明るかった

のは私と友達になりたいと思ってくれたわけじゃないってことなんだろうか。もっと、

何か別の理由があったんだろうか。なら、それって一体何。桃田さんをあんなにも変化

させてしまうことって何。思考を巡らせる、以前の時と今日の共通点。あるとしたら、

会ったのがこの繁華街っていうぐらい。そんなのじゃ理由にはならないだろうし。考え

ようにもこれといった回答には届かず、そこに引き込まれていくものがあった。次第に

離れて小さくなっていく桃田さんの後ろ姿を見ながら決心し、その後を急ぎ足で追い掛

けていく。だんだん近づくと、一定の距離を保ちながら桃田さんと同じ速さで歩を進め

ていく。こんなことしていいのかなって罪悪感もあったけれど、この胸の靄を取り除き

たいって気持ちの方が勝っていた。

 数分が経った頃、前方の桃田さんは繁華街の横道に入って住宅街の方へ歩いていく。

こんなところに何か用でもあるんだろうかと思いながら着いていくと、桃田さんは住宅

街の中のマンションの敷地内に入っていく。ここが自宅なのかなと思ってると、パタン

という馴染みのある音が耳に入ってきて、桃田さんはマンションから出て来た。そして、

そのまま何もなかったようにこっちの方へ歩いて来る。見つからないようにたまたまあ

った駐車場の車の陰に隠れて凌ぐと、姿を見失わないように早足でマンションに入って

いく。音の正体はすぐに分かった。こういうところならどこにでもある大型ダストボッ

クス、これを閉めた音だ。わざわざここまで来て何を捨てたんだろうと中を覗いてみる。

やってはいけない範疇であるのは分かってたけど、もう後には引けなかった。その中に

ある、明らかに家庭用とは思えない小さいサイズの袋がそれだと思った。取り出してみ

ると、袋は普通のコンビニのものだった。さらに、中を開けてみる。鼓動は早くなり、

その中身を目にすると一層に増した。袋の中身はどこかでいつか見た記憶のあるものだ

った。その記憶を頭に呼び起こす。点を繋げていくと、自分の照らし出した結論がどれ

だけ現実味のない恐ろしいものかはすぐに分かり、ただそこに立ち尽くすことしか出来

なかった。

 それから先の記憶はおぼろげにしかなく、点在する街灯の光のようにポツポツとした

ものだった。私は目を開ききったまま立っている。息を細かくしている。周りの気配が

異常に気になって、マンションを離れて歩き出す。袋は手に持っている。自分の荷物の

中には入れられなかった。歩く速度は速い。他人の視線が逐一に気になった。定期的に

息を飲む。マフラーに顔をうずめたいぐらいに下を向いていた。行き先に着いた頃には

記憶は現実に戻っていた。

 私は学校に戻っていた。目にした現実はあまりにも大きなもので、私一人には抱えき

れないものだった。かといって、家族に相談するような事じゃなく、友人に相談するよ

うな次元でもなかった。ここしかなかった。頼れるのは、託せるのは一人だけだった。

そう下を向いたまま歩いていると、曲がり角で出会い頭に衝撃が起こる。速度を緩めな

いまま突っ込んだせいで、私はそこに足から崩れてしまった。痛みはない。それどころ

じゃない。

 「すいません」

 「大丈夫か、伊東」

 下を向いたまま謝ると、自分の名前を呼ばれたことにハッとなる。顔を上げると、稲

田先生がそこにいた。

 「おい、顔色悪いぞ。どうした」

 探していた対象を見つけられたことで張っていた気が解け、袋を持っていた手が震え

だす。

 「先生・・・・・・桃田さんが」



全18話、本に換算すると444ページになる長篇です。

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