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第十五話



○登場人物


  稲田景勝・いなだかげかつ(現代文担当、1組担任、35歳、冷静だが心の中は熱い)


  福山蓮子・ふくやまれんこ(数学担当、1・2組副担任、24歳、損得勘定で物事を考える)


  武中健吾・たけなかけんご(生物地学担当、2組担任、35歳、沈着で大人な人間)


  森繁八重子・もりしげやえこ(日本史担当、44歳、3組担任、学年主任で頼りがいがある)


  四島嘉津男・よしまかつお(古文担当、45歳、4組担任、生徒と同年代の娘がいる)


  井之脇壇・いのわきだん(世界史担当、27歳、3・4組副担任、四島の弟分的存在)


  北澄昌明・きたずみまさあき(体育担当、48歳、5組担任、独身でまだ好機を窺っている)


  田蔵麻綾・たくらまあや(英語担当、22歳、5・6組副担任、新人ながらしっかりしてる)


  鶴賀あかり・つるがあかり(物理化学担当、6組担任、29歳、結婚に対して執着がある)




  渥美衣代・あつみいよ(帰宅部、遅刻・早退・欠席の常習)


  安東菊恵・あんどうきくえ(バレー部、セッターで気が強い)


  一場太志・いちばたいし(サッカー部、運動も勉強も学年トップクラス)


  伊東紗和・いとうさわ(学級委員長、クラスをまとめるしっかり者で信頼もある)


  岩瀬浩二・いわせこうじ(陸上部、駅伝メンバーで自分を強く持っている)


  梶田希・かじたのぞみ(美術部、デザインに興味があって進路に悩んでいる)


  北橋泰子・きたはしやすこ(バスケ部、万年補欠でセンスがない)


  小林洋・こばやしよう(サッカー部・エースの座を一場と競う)


  佐土原宏之・さどはらひろゆき(野球部、エース候補だが我が強い)


  塩崎拓也・しおざきたくや(帰宅部、野方文和の親友で良き理解者)


  篠永梢・しのながこずえ(手芸部、ロリータファッションをこよなく愛する)


  高品悟・たかしなさとる(水泳部、自由形を専門にしている)


  長岡純平・ながおかじゅんぺい(柔道部、体格はいいが気は弱い)


  沼本香苗・ぬまもとかなえ(放送部、ラジオDJを夢見る)


  野方文和・のがたふみかず(帰宅部、生まれつき体が弱く欠席も多い)


  野口七海・のぐちななみ(合唱部、ピアノ担当でしっかり者)


  蓮井新・はすいしん(帰宅部、松田佳彦とつるんでる不良)


  林愛莉・はやしあいり(テニス部、ミスコンにも選ばれる美少女)


  原本力・はらもとつとむ(野球部、捕手で体格も腕もいい)


  藤井初音・ふじいはつね(合唱部、ソプラノ担当でマイペース)


  古橋健太・ふるはしけんた(バスケ部、センターガードでスタメンをはる)


  益子エミリ・ますこえみり(バスケ部、清楚でスレンダーなギャル系)


  松田佳彦・まつだよしひこ(帰宅部、不良で世の中に執着が薄い)


  松浦ひばり・まつうらひばり(バレー部、長身アタッカーだが気が弱い)


  三池繁・みいけしげる(副学級委員長、草食系で優しいアイドル好き)


  水橋範子・みずはしのりこ(漫画愛好会、少女マンガ大好きで自作してる)


  宮里辰則・みやざとたつのり(学年一の秀才、何事もやってのける逸材)


  桃田未絵・ももたみえ(帰宅部、転校生で心を開かない)


  山口裕也・やまぐちゆうや(帰宅部、単位ギリギリで危ない)


  吉澤麗子・よしざわれいこ(陸上部、駅伝メンバーで仲間意識が強い)





 福山蓮子、3年1・2組副担任。

 土日に開かれた文化祭は例年を上回る盛況のうちに幕を閉じました。老若男女、様々

に楽しんでもらえたようで何より。1組の合唱も、本番は2日とも滞りなく終われるこ

とが出来てホッとしてます。それに、前夜祭のミスコンでの林さんの三連覇もお見事で

した。

 月曜日は振り替えの休日。とはいえ、教師はほとんどが出勤。体育祭の準備のため、

グラウンドの整備や備品の整理を行わないとなりません。ウチの体育祭はそんなに盛大

なものじゃなく、競技だけのぶっつけ本番。練習もなく、生徒たちはただ当日にグラウ

ンドに集まって競技に参加するっていう流されてる感じ。小学校や中学校の頃みたいに

赤組と白組が雌雄を決するって本格的なものじゃなく、もっと簡単で緩い感覚でやって

いる。

 火曜日は体育祭の本番。短距離や中距離の真面目な徒競走、借り物競走や障害物競走

のお遊びなもの、様々な競技が行われていきます。盛大ではないとは言いましたけど、

いざスタートしてみれば生徒たちも本気になってしまうもの。勝敗をかけた真剣勝負は

小学生でも高校生でも同じです。

 昼食休憩を挟みながら、数時間の体育祭は笑みに溢れる中で進んでいきます。そして、

競技のラストを飾るのが3年生の選抜リレー。200メートルのトラックを一周ずつ、

各クラスから選ばれた男女4人が走ります。1組からは、益子さんと古橋くんのバスケ

部コンビ、吉澤さんと岩瀬くんの陸上部コンビの4人が出場。一走の6人がスタートラ

インに着くと声援が飛び、益子さんは1組からの声に余裕のある感じで応えます。スタ

ートとともに6人が一声に駆け出すと、益子さんは好位置につけて2番でバトンを渡し

ます。二走の古橋くんは3位に少し詰め寄られるも、2番をキープして中継。三走の吉

澤さんはさすがの走りを見せ、逆に1位へと近づいて繋ぎます。アンカーの岩瀬くんも

快走を見せますが、前を走る1位の子も陸上部だったので差は縮まらないままで2番の

フィニッシュ。惜しい結果にはなりましたけど、全力を出しきったんだから素晴らしい

限り。

 体育祭が終わり、生徒たちがいなくなると嵐の後の静けさが漂います。教師と体育祭

の実行委員の生徒で片付けを行うと、文化祭から流れてきたように疲れがドッと押し寄

せてきました。明日は振り替えの休日なので、そこで疲れを取りたいと思います。木曜

日からはまた通常の授業。3年生にとっては最後の大きな行事だったため、ここからは

受験へ気兼ねなくまっしぐらというところでしょうか。

 あっ。そういえば、さっきの選抜リレーで思い出した。まだ、陸上部には山場が残っ

てます。今週末に開かれる全国高校駅伝の県予選会に岩瀬くんと吉澤さんが出ることに

なってます。




 稲田景勝、3年1組担任。

 木曜日、一週間ぶりの授業だったせいか生徒の表情には澄んでないのも目立つ。連日

の行事の気分が抜けきらなかったり、遅くまで受験勉強をしていたり、理由はいろいろ

だろう。そういうこっちも文化祭の実行委員をしていたことの疲労で、昨日は家で動く

ことなく過ごしてしまったが。まぁ、嫌でも現実的な表情を取り戻していくだろうから

いいだろう。

 放課後、仕事を終えて校舎を出ると空の暗さを感じ取る。陽の沈みがずいぶんと早く

なった。季節の変わり目を実感する。今の生徒たちと過ごすのもあと4ヶ月ほど。1月

には数回の登校で授業終わりになるため、実際はこの2学期までが今まで通りに接する

機会となるだろう。4月にこの学校に着任した時には不安もあったが、生徒たちにも信

頼してもらえるようになれてよかった。そう長くない時間だけど、最後までしっかりと

向き合いたい。

 「先生」

 校舎から校門までの間、前から歩いてくる姿は捉えていた。暗くはあったけど、校舎

内から漏れてくる光もあったから判別は難しくない。部活終わりのようで、岩瀬はジャ

ージ姿だった。

 「おぅ、今まで部活か」

 「はい、もうすぐ大会なんで」

 文化祭と体育祭の気分から抜けてない生徒の中、陸上部は週末に控えた大会に向けて

切り替えは万全のようだ。昨日も休日返上で練習していたらしいし、そこへかける強い

意識が窺える。

 「そうか。どうだ、調子は」

 「良いですよ。今年はいつもより良い成績狙えそうです」

 「よかった。時間が合えば、見に行くからな」

 「はい、お願いします」

 岩瀬の表情には余裕が満ちていた。言葉の通り、良い状態を保てているのだろう。高

校生活を飾る大会へコンディションは完璧なようだ。ゆとりが余裕を生み、心を豊かに

している。




 吉澤麗子、出席番号30番。

 部活終わり、空はすっかり暗くなっていた。この時間でも、通学路にはさほど治安の

悪さは感じられない。学校を出た後の坂道にはポツポツと制服を着た人はいるし、海辺

に出ると夜景を眺めに来たグループやカップルがいるし、駅近くの繁華街は遅くまで営

業してる店が多いから。まぁ、大人向けの店の勧誘を道端でしてる黒服の人たちは怖か

ったりするけど。

 「だいぶ寒くなってきたな」

 「うん、そうだね」

 でも、そういう心配もほとんど無いに等しい。部活終わりで帰る時は基本、岩瀬くん

が一緒にいるから。こうやって隣を歩いてくれてると安心する。外見なことも、もっと

内側なことも。

 「どうする。あと2日だよ、本番まで」

 「どうする、って言われても。もう、成るようにしか成らないだろ。当日にきちんと

ピークを持ってけるようにコンディションを整えるだけ」

 「そっか。そうだよね」

 大会本番まではあと2日。泣いても笑っても、これが陸上部でのラストラン。絶対に、

悔いなく走りきりたい。

 「どうした。なんか不安でもあるの」

 「うぅん、そういうんじゃなくて。これが最後なんだなぁ、ってなんとなく思っちゃ

って」

 「あぁ。確かに、3年間やってきたわけだからな」

 3年間、短いようで長くもあり、長いようで短くもあった。その中には数えきれない

思い出がある。その集大成を見せる走りをしないと。相手と対することも大切だけど、

今回は自分と対することも大切になる。自分自身が納得できる花道、そこを駆ける走り

でありたい。

 「やっぱさ、3年間お疲れって走りがしたいな。俺やったぜ、っていう」

 「じゃあ、私は私やったよとか」

 「そうそう。ハナムケにしてやりたい」

 そう言い合うと、2人で笑った。毎日のハードな練習と受験勉強の板挟みの中、この

時間は心を安らげる貴重な時になっている。多分、練習と勉強が続く日々には耐えられ

なかったと思う。このおかげでリフレッシュが出来て、心身を平常にしていられるんだ

ろう。

 そうなると、来週からは一体どうするんだろう。部活を引退すれば、この関係はどう

なるんだろう。帰り道はこれからも一緒に歩くんだと思う。今までの通り、私は自転車

を引きながら、電車通学の岩瀬くんと駅までの道を隣同士で帰るんだろう。まだ、空が

明るい時間にはなるけれど。勉強一本に集中することにはなるけど、メールをしたり、

電話をしたり、たまになら学校以外で会ったりもいいはずだ。ただ、陸上部で結ばれた

関係が部活がなくなることで薄くなったりはしないだろうか。2人の間の一番の共通項

なわけだし。

 「吉澤っ」

 考えに入り込んでいると、岩瀬くんの唐突な声が耳に入る。何だろうと思う間もなく、

体をグンと引かれた。訳も分からないまま、自転車を間にしたまま岩瀬くんの方へ倒れ

込む。ガタンという音と衝撃にやられてしまうけれど、正気に戻ると体はすんなり動い

てくれた。どこもケガはしてないようだ。上体を起こすと、現実が目の前に映る。岩瀬

くんが私と自転車の下敷きになっていた。重さがいっぺんに圧し掛かって、苦しそうに

している。

 「岩瀬くんっ」

 急いで自転車を横にどけて、側に寄る。岩瀬くんは手を伸ばし、指を反対方向へ指し

示した。

 「俺はいいから、向こう」

 その言葉で、岩瀬くんの指している方に意味があることを察する。後ろを振り向くと、

別の自転車が道に横たわっていて、その側に丸くなっている人の姿があった。その様に、

やっと現実をなんとなく受け入れられる。私が考え事をして上の空になっていて、あの

人の自転車と接触しそうになったのを岩瀬くんがとっさに助けてくれたっていうことな

んだろう。

 「大丈夫ですか」

 ケガでもさせてたらどうしよう、という思いで丸くなっている相手に駆け寄る。相手

は20歳前後の男性で、細身の物柔らかな外見に少しホッとする。腕っぷしのよさそう

な相手に来られたら物怖じしてしまうから。

 「いや、そっちこそ大丈夫ですか」

 相手の男性は印象の通りに物腰の柔らかいタイプだった。転げる時にうまく自転車か

ら離れたおかげで巻き込まれずに済んだらしい。私の不注意だったのに、こっちに気を

遣ってくれまでした。

 「本当にすいませんでした」

 お互いに謝り、その場はまとまった。良い人でよかった。

 また駅までの道を歩き出すと、隣の岩瀬くんの歩き方がおかしかった。右足をかばう

ような進ませ方。

 「足、痛いの」

 「心配ないよ。ちょっと捻っただけだから、すぐ痛みも引くと思う」

 「でも、もしケガでもしてたら」

 「だから、心配ないって。大したことないから」

 岩瀬くんは笑みを見せて余裕のあるように見せていた。それが本当なのか、演技なの

かは掴めなかった。




 岩瀬浩二、出席番号5番。

 「あぁ、これは捻挫ですね」

 医者はずいぶんと軽い言葉で言った。こっちの今現在の事情なんかお構いなしに、数

ある患者の一人って薄い概念で言い投げられた。それが俺にとってはどれだけの意味が

あるかなんて微塵も思わずに。

 後ろに立っていた吉澤に顔を向ける。どうしていいか分からないような表情を浮かべ

ていた。

 さっき、足首を捻った時はそれほどの感覚はなかった。ただ、その後に歩いてる間に

次第に痛みが増してきた。まずいかもしれない、そう思うには充分だった。吉澤から病

院に行くように勧められ、不安にさせないように「そんなお金、今持ってないから」と

返したけど、それでも行くように強く押された。吉澤は自分の責任だと胸を痛め、わざ

わざここまで着いてきてくれた。

 「捻挫って、運動とかどんだけ出来るぐらいですか」

 「ダメですよ。そんな負担かけるようなことしちゃ」

 「明後日、陸上の大会があるんです。走らないといけないんです」

 「まぁ、無理でしょうね」

 医者の言葉は最後まで軽かった。こういった場数を踏んでいる証拠なんだろうけど、

あまりにもこっちの思いが無視されたようでならない。ただ、それにあれこれ考えてる

暇なんかない。現実は差し迫ったものだった。

 診断を終えると、用意された松葉杖を使って帰路につく。今まで骨折や捻挫の経験が

ないので、不器用な歩き方に慣れない。もう一つ、横にある感覚も変に思えて仕方なか

った。吉澤はさっきから「大丈夫」という質問しか言ってこない。責任を感じてるのか、

黙ったままで表情も暗い。

 「そんな顔するなよ。事故だったんだからしょうがない」

 「でも・・・・・・ごめんなさい」

 「謝るなって。お前は何も悪くない」

 「うん」

 弱々しい返事だった。今は何を言っても通じないみたいだ。そんなふうにされると、

なんだか俺が悪い事したようにさえなる。一体、俺はどう思えば、どうすればいいって

いうんだ。




 塩崎拓也、出席番号10番。

 「起立、礼、着席」

 伊東の伸びのある通る声が教室に響き、金曜日の授業は終わった。生徒たちは仲間内

で自然と集まっていく。俺もその例に逸れないけれど、それは状況下によって異なって

しまう。当たりと外れの二択、棒アイスや宝くじみたいなもん。今日は残念ながら外れ

の日だ。

 「おい、帰るぞ」

 文和の机の前で止まると、まだ荷物をバッグに詰めてる最中だった。声を掛けても、

「うん」と言うだけで動きを早めようとはしない。もっと機敏に出来ないものかと思う。

これを思ったのはもう何回目だろうか。数えきれないのは間違いない。でも、それを口

には出さない。急かしたところで何が変わるわけでもない。むしろ、変に焦らせておか

しな展開にでもなった方が余計に困る。こうやって、ただ自分が感情を殺しておくのが

悲しいけどベストになる。

 そう考えてるうちに、文和は荷物を仕舞って立ち上がっていた。気の入ってない、軸

のない、縮こまった立ち姿。情けない。出来るのなら側にいたくはない。ただ、これば

っかりは仕方がない。諦めて息をつき、歩き出す。文和はその後ろを一定の間隔を保ち

ながら着いてくる。

 下駄箱まで歩いてくと、砂臭さが漂う。外からいろんな奴の靴底に付いて運ばれてき

た砂が風で吹き上がり、微妙な高さを飛んでいる。1組の場所へ行くと、そこには伊東

がいた。

 「おっ、名コンビ」

 その言葉に、俺は舌打ちをし、文和は笑う。いつからか、伊東は俺ら2人をそう呼ぶ

ようになった。何をどう見て、どこを指して言ってんのか全く分からない。今すぐにも

止めてもらいたい。

 「じゃあね、バイバイ」

 伊東は笑顔を見せて帰っていく。心なしか、文和の方に笑みは多めだった。その対応

に、また気は悪くなる。現実は俺に味方をしてくれない。俺が何したっていうんだよ。

なぁ、誰か。




 福山蓮子、3年1・2組副担任。

 放課後、水泳部のトレーニングを見るために練習場所へ向かう。高品くんたち3年生

が夏に引退してから、今は1年と2年の新しい部が様になってきたところ。私ときたら、

相変わらず顧問っぽくはないんだけど。

 夏場以外はプールは使えないので、基礎体力をつけるための運動を毎日学校外でして

います。こういう時に大抵の学校内の場所は他の部活に占領されてるので場所の確保に

一悩みしそうですが、ちょっと行けば海岸があるので場所には困らないのがウチの利点

かも。

 海岸へ行こうとしていると、校門の辺りを歩く吉澤さんを見つける。これから部活に

向かうようでジャージ姿だ。ちょうどよかった、聞いておこうと思ってたことがあった

から。

 「吉澤さん」

 「あっ、はい」

 小走りで横につけ、声を掛ける。海岸までの緩やかな坂道の間、明日に控えた大会の

話をしてみたけど、どことなく今日は元気がなさげだ。理由は察すれる、多分あの事だ

ろう。

 「岩瀬くん、明日走れるのかな」

 「分かりません。本人は走るって言ってますけど」

 今日、朝の職員室に2人が来た。陸上部の顧問に説明をする松葉杖姿の岩瀬くんに、

私も稲田先生も驚きを隠せなかった。その後に、私たちのところにも説明に来てくれた。

昨日、不注意による事故で捻挫してしまったと。明日の大会のことを言うと、出場する

と言い切っていた。

 「実際、どうなのかな」

 「そりゃ、走れる状態じゃないに決まってます。本当なら止めてあげるべきだと思い

ます。でも、明日が最後だってことを考えると・・・・・・」

 「出させてあげたいよね」

 「はい」

 素人の私が見ても、あの松葉杖で歩いてる岩瀬くんが明日に大会で走ってるようには

思えない。普通に考えれば無理なことだ。ただ、これまで頑張ってきた3年間の最後を

断ち切ってしまうようなことはしたくない。駅伝はチームプレイ、それを分かった上で

出場すると言ってるんだから思うようにさせてあげたい。本人が現状の全部を誰よりも

分かってるはずだから。

 「どうしよう」

 弱々しい声が隣から聞こえる。声の方を向くと、吉澤さんの目が潤んでいた。今にも

泣いてしまいそうに、参ってしまいそうに映る。

 「どうしたの」

 「私のせいなんです。岩瀬くんは気遣って自分の不注意みたいに言ってたけど、本当

は私が考え事してて自転車にぶつかりそうになったのを助けてくれただけなんです」

 折れてしまいそうに声が弱っていく吉澤さんの肩を引き寄せた。

 「吉澤さんのせいなんかじゃない。大丈夫」

 岩瀬くんの足と同じように、吉澤さんの心に黄信号が点っている。遠目に視界に入る

海岸に、小さく岩瀬くんの姿が映る。陸上部の輪からは外れ、歩きながら足を踏む感触

を確かめていた。




 稲田景勝、3年1組担任。

 陸上部が部活から戻ってくるのを職員室の窓から見つけると、急ぎ目に帰りの支度を

済ませて外へ出る。校舎から出てくる生徒の中に目立つ姿を確認すると、追いついて声

を掛ける。

 「岩瀬」

 松葉杖で歩く岩瀬はこちらを向き、頭を軽く下げる。

 「部活、出てたのか」

 「はい。全体練習には参加できなかったけど、足の状態を確かめながらウォーキング

してました」

 「明日、本当に出場するのか」

 「もちろん。そのために今までやってきたんですから」

 岩瀬の顔は晴れている。胸に抱える葛藤は当然あるんだろうが、明日の大会で走ると

いうことについての迷いは通り越したのだろう。前を向き、先へとしっかりと歩み出し

ている。

 「さっき、福山先生から吉澤の事を言われた。お前の捻挫の事を自分のせいだって罪

に感じてしまってるらしい。あのままじゃ、吉澤も危ないってな」

 岩瀬は何も言わずに歩を進める。

 「あいつを助けてやれないか。自分で手一杯だとは思うけれど、おそらく一番それを

出来るのはお前だ」

 「分かってます。それも走る理由の一つです。このまま走らずに欠場したら、あいつ

は引きずっちゃうと思うんです。だから、そんな責任なんか負わせたくないから走って

やりたいっていうのもあります」

 芯の通った瞳をしていた。迷いを力に変えている。

 「それが重荷にはなってないか」

 「大丈夫です。覚悟は決めてます」

 その瞳がこちらへ向く。力強いものが奥に秘められていた。




 吉澤麗子、出席番号30番。

 全国高校駅伝の県予選会の当日、天気は前日からの曇りが続いていた。気温もさほど

上がらず、走るまではベンチコートが欠かせない。学校に集合してから現地に向かうと、

そこにはもう多くの出場校の選手やスタッフが集まっていた。女子の出場は173校、

全国大会へ進めるのはトップだけ。海浜総合高校には正直その力はない。大体は30か

ら50位あたり。

 レースはハーフマラソンの距離を5区間に分けて、5人の走者がタスキを繋ぐ。最も

距離の長い第1区には2年生エースを置き、第2区を受け持つのが私、第3区には同じ

3年生、第4区には1年生が入り、アンカーの第5区を主将が務める。主将以外は今回

が初出場になる。

 選手はゼッケンを受け取ると、それぞれのスタートの場所へ移動する。移動とは言い

つつ、競技場のある公園内と周辺の道路を回るので、そんなに距離はない。第2区の場

所へ到着すると、一定の緊張感を携えたままで適当に時間を過ごす。早く走ってしまい

たい思いに駆られる。

 スタート前になると、先生や友達が応援に駆けつけてくれた。見知らぬ人たちの中で

軽い孤独感もあったから助かった。皆と喋ることで、いくらか心の中を和らげることが

出来た。

 11時、第1走者がスタート。第2区までは20分ほどあるけれど、本番がいよいよ

始まった緊張感がプラスされ、選手が大勢集まっている場所が少し窮屈に思えてくる。

よく考えれば、ここにいる173人はそれぞれがライバルなわけだし。そう自然と鼓動

は昂ぶっていった。

 15分が過ぎた頃、監督も駆けつけてくれた。これまでにやってきた3年間の練習の

成果を見せる場所、と言葉を掛けてもらって士気を鼓舞される。それに素直に乗せられ

きれないのが本音だったけど。

 20分が過ぎた頃、トップの選手の姿が見えてくる。私もアップをしながら気持ちを

整え、そろそろだとベンチコートを脱いで備える。その時、肩を不意に引かれた。誰だ

と思って振り向くと、岩瀬くんだった。この後、別の競技場で男子のレースも控えてる

のに。

 「来てくれたの」

 「あぁ、言っておきたいことがあったから」

 「何」

 「俺のケガの事、申し訳ないとか思ってるんならやめてくれ。そんなんで吉澤が走り

づらくなる方がケガなんかよりも辛いんだ。だから、迷いがあるんなら、それを走る力

に変えてくれ」

 「岩瀬くん・・・・・・」

 「ほらっ、監督が呼んでるぞ」

 そう背中をポンと押されると、彷徨っていた心が定まって温かくなる。こびり付いて

いたものが剥がれて、新な思いになれた。

 監督のところへ行くと、すぐに「行ってこい」と押し出される。第1走者は視界で確

認できるところまで来ていた。岩瀬くんの方に目を向けると、口角を上げてグッと握り

拳を作ってくれた。自然な笑顔が零れてく。

 15位でタスキを受けると、部員みんなの思いを乗せて走り出す。足の駆けぐあいは

良い。体は調整出来てるし、精神も統一出来ていて、最後の大会には万全の状態で臨め

ている。

 序盤は前を走る3人の集団の後を追走していく。余程の自信がなければ初めから全速

で突き進むようにはしないので、相手と足並みを揃えながらの走りが続く。距離を重ね

るごとに息は上がり、体の軽さは減っていく。それは常だけど、今日は普段よりもその

感覚が少なかった。

 中盤に入っても、集団の後ろに一定の距離を保って着いていく。とりあえず集団の中

へ入ってしまう策もあるけれど、輪に混じる安定感は今はいらない気がした。どちらか

というと、一歩離れたところから輪を客観視する方が適している。レベルの違う2人か

3人のランナーにはあっさり抜かれていったけど、体の状態はそれほど変わってない。

調子は良い、もっと攻めてもイケる、そう判断した。頭の中に可能性のある策を打ち出

していく。

 第2区も後半へ差し掛かる。大体の選手は終盤になって、いつスパートをかけるかを

決めていく。その時の調子の具合や疲労の度合いから、中継までの距離を逆算してムチ

を打つ。でも、この感じなら早めに仕掛けてもいいと思う。その分、リスクも伴うのは

仕方がない。途中で一気にペースダウンすることも考えられるけど、それはそれ。最後

の大会で悔いなんか残す必要はない。そう決めると、自分自身へムチを打って加速して

いく。流れる風景が速くなり、強く風を切っていく。ゆっくり前にいる集団に追いつき、

交わしていく。

 終盤になると、次第に息は荒くなっていく。ただ、悪い心持ちにはならない。むしろ、

心地良い。前を走っている選手に近づき、その姿がだんだん大きくなっていくのが成果

が表れていて甲斐がある。他の選手もスパートをかけてくるので、交わされないように

必死に駆ける。負けない、その思いで最後まで走りぬき、第3走者へ12位でタスキを

繋いだ。

 第3区の中継地点には監督と友達が先回りしていて、陸上部の仲間も何人か待ってて

くれた。皆から善戦を褒めてもらえて、体はきつかったけど顔も心も笑顔になる。私、

幸せだなぁ。




 伊東紗和、出席番号4番。

 全国高校駅伝の県予選会、女子は22位でフィニッシュした。第1区と第2区で健闘

したけれど、第3区と第4区が奮わなかった。とはいえ、例年よりも良い順位を残せた

ようで吉澤さんは満足顔をしていた。

 応援に来ていた皆で、次に行われる男子の競技場へと移動する。団体行動なのでゆっ

たりと現地に向かい、到着したスタート10分前には多くの出場校の選手やスタッフや

応援の人達が集まっていた。男子の出場は204校、全国大会へ進めるのはトップだけ。

やはり、海浜総合高校にはその力はない。大体は50から60位あたり。

 レースはフルマラソンの距離を7区間に分けて、7人の走者がタスキを繋ぐ。距離の

長い第1区と第3区と第4区には3年生の実力者を置き、距離の短い第2区と第5区に

は2年生が入り、第6区を受け持つのが岩瀬くん、アンカーの第7区を主将が務める。

岩瀬くんは今回が初出場になるらしい。

 選手はゼッケンを受け取ると、それぞれのスタートの場所へ移動する。女子と同じく、

競技場のある公園内と周辺の道路を回るので、そんなに距離はない。皆と第6区の場所

へ移動する。既に多くの人がいたけれど、そこに岩瀬くんの姿はまだなかった。という

より、この競技場自体にいない。今、岩瀬くんは病院に行っている。走る決断はしたも

のの、さすがに通常通りになんて走れる状態じゃないので直前に診断を受けての出場に

なった。第6区の出番はスタートから1時間半はかかるので、女子の応援に行ってから

でも充分に間に合う。

 13時、第1走者がスタート。天気は相変わらず曇りが続いていた。まだまだここに

選手が来るまでには時間がかかるから、皆で岩瀬くんを待ちながら気長に時間を過ごし

ていく。

 13時半に吉澤さんも駆けつけ、14時を過ぎた頃に岩瀬くんが到着した。足首には

グルグルにテーピングが巻かれている。これまで3年間、頑張ってきた自分自身に嘘を

付かないための包帯。

 14時半が過ぎ、トップの選手の姿が見えてくる。岩瀬くんも軽くアップをしながら

気持ちを整えている。海浜総合高校は第5区の時点で62位と監督に聞かされたので、

出番にはもう少し時間がある。次々にタスキを中継をしていく選手たちの中、岩瀬くん

は輪から離れたところにいた。吉澤さんと2人でなにやら話をしている。微笑んだ表情

に、その内容は汲み取れた。

 50位の選手が中継を終えたあたりで、岩瀬くんはこっちへ戻ってきた。監督と言葉

を交わすと、背中を押し出される。皆で声援を送ると、顔を向けて手を振ってくれた。

5分ほどで、第5走者が視界に捉えられた。65位でタスキを受け、岩瀬くんは走り出

して行く。




 岩瀬浩二、出席番号5番。

 走り出して、まず気になったのは当然に足の状態。最善を確保するため、ケガをして

からは全く走っていなかったから、正直どうなるかは未知の部分だった。けど、思った

よりは動かせている気がする。満足なんてものじゃないけれど、騙し騙しなら最後まで

保てるかもしれない。

 足を庇いながら、ダメージが最小限になる術を走りながら考えていく。部活でケガを

した経験はあっても、こんな状態で大会に強行出場したことはないから勝手が掴めない。

慎重に一歩を踏み、次の一歩へと繋げていく。その一歩はいつもよりも重く、先はずい

ぶんと長く思えた。

 「私が3年間走ってこれたのは岩瀬くんがいたからだよ。岩瀬くんが頑張ってる姿を

見て、私もって思ってやってきたんだから」

 スタートの前に吉澤から掛けられた言葉だ。元気づけるつもりで言ったんだろうけど、

多分本人が思ってる以上にこっちは励まされた。さっきの女子のレースで走る姿を目に

していたから説得力があった。

 走っていると、数人に横を抜かれていく。初めの1人か2人は意識はあったけれど、

その後は何人が来ようとさほどの違いはなかった。距離を重ねるほど、意識は他人より

も自分へ向ける必要があることを悟ったから。後半へ差し掛かると、俄然に負担が増し

てくる。痛みが足に走り、思うようには動かなくなってくる。速さを緩めようか、そう

自分自身に相談をかける。不本意かもしれない、より多くのランナーに抜かされるかも

しれない。ただ、今ここでこれ以上の無理をしていいんだろうか。願望と現実の相違に

揺れていく。

 「岩瀬くん」

 内に入り込んでいたので、その大きめの声にハッとさせられる。聞き馴染みのある声、

誰のものかははっきりと分かった。声の方へ意識を向ける。疎らにいる応援の中に吉澤

の姿を見つけた。俺の心の葛藤を見抜いているように、定まらない不安の表情を浮かべ

ている。その表情に、心を苦しめられる。そんな思いにさせてしまっているのは紛れも

なく俺だ。

 「負けるな」

 言葉が心に刺さる。吉澤が言ってるのは他に走ってる選手にって意味じゃなく、自分

自身にって意味だろう。それは、今自身に妥協しようとしていた自分にはなにより響く

ものだった。

 「負けるなっ」

 2回目の言葉は1回目よりも強く放たれ、強く心に刺さった。沿道にいる彼女の横を

通過するまで、視線はジッと向けられていた。それだけの思いで俺の走りを見てくれて

いる。その思いを無視するようなことは出来ない。後悔なんかしたくない。そう誓い、

痛む足にグッと力を込めていく。明日、どうなってもいい。壊れてもいい。今だけ言う

事を聞いてくれ。

 終盤にはラストスパートをかける余力なんて残っていなかった。でも、出来る限りの

力と魂は込めた。第7区の中継地点が目に入ると、終わりの見えた安心感に包まれる。

振り絞れるだけの力もないけれど、なんとか87位でタスキをアンカーへ繋いだ。監督

に抱えられて人の密集してるところから離れると、崩れるように座り込む。すぐにその

周りを部員や先生や友達が囲んでくれた。「よくやった」って声を何度も掛けられて、

無様な走りを見せてしまった情けなさよりも無事に任務を果たせた喜びが勝っていく。

不安は充足へ変わっていく。よかった。走ってよかった。走ってよかった、って思えて

よかった。

 結局、男子は83位でフィニッシュした。例年よりも悪い結果に、心は当然に痛む。

その理由は間違いなく自分であるから。ただ、監督も部員も全員が良いレースだったと

言ってくれたことで救われた。

 ミーティングの後、病院に向かおうとするとこっちに近づいてくる姿があった。応援

に来ていた皆は帰ると言ってたけれど、吉澤は一人で待っていてくれたようだ。さっき

皆が自分を囲んでくれた時、目を潤ませて遠目からこっちを見ていた様が印象に残って

いた。

 「ラストラン、お疲れ様です」

 「そっちこそ。お疲れ様」

 お互いを称え合うと、吉澤は俺の右足を左手でそっと触れるようにして側にある空気

を撫でた。

 「ごめん、本当に」

 「何言ってんだよ。そんなの、もういいんだから」

 「でも・・・・・・」

 「さっき言ってくれたの、俺も同じさ。お前が頑張ってる姿を見て、俺も3年間やっ

てきた。だから、感謝してる」

 そう柔に伝えると、吉澤は切なげな顔を明るめにしてくれた。通い合う思いを確かに

感じられた。



全18話、本に換算すると444ページになる長篇です。

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