第十二話
○登場人物
稲田景勝・いなだかげかつ(現代文担当、1組担任、35歳、冷静だが心の中は熱い)
福山蓮子・ふくやまれんこ(数学担当、1・2組副担任、24歳、損得勘定で物事を考える)
武中健吾・たけなかけんご(生物地学担当、2組担任、35歳、沈着で大人な人間)
森繁八重子・もりしげやえこ(日本史担当、44歳、3組担任、学年主任で頼りがいがある)
四島嘉津男・よしまかつお(古文担当、45歳、4組担任、生徒と同年代の娘がいる)
井之脇壇・いのわきだん(世界史担当、27歳、3・4組副担任、四島の弟分的存在)
北澄昌明・きたずみまさあき(体育担当、48歳、5組担任、独身でまだ好機を窺っている)
田蔵麻綾・たくらまあや(英語担当、22歳、5・6組副担任、新人ながらしっかりしてる)
鶴賀あかり・つるがあかり(物理化学担当、6組担任、29歳、結婚に対して執着がある)
渥美衣代・あつみいよ(帰宅部、遅刻・早退・欠席の常習)
安東菊恵・あんどうきくえ(バレー部、セッターで気が強い)
一場太志・いちばたいし(サッカー部、運動も勉強も学年トップクラス)
伊東紗和・いとうさわ(学級委員長、クラスをまとめるしっかり者で信頼もある)
岩瀬浩二・いわせこうじ(陸上部、駅伝メンバーで自分を強く持っている)
梶田希・かじたのぞみ(美術部、デザインに興味があって進路に悩んでいる)
北橋泰子・きたはしやすこ(バスケ部、万年補欠でセンスがない)
小林洋・こばやしよう(サッカー部・エースの座を一場と競う)
佐土原宏之・さどはらひろゆき(野球部、エース候補だが我が強い)
塩崎拓也・しおざきたくや(帰宅部、野方文和の親友で良き理解者)
篠永梢・しのながこずえ(手芸部、ロリータファッションをこよなく愛する)
高品悟・たかしなさとる(水泳部、自由形を専門にしている)
長岡純平・ながおかじゅんぺい(柔道部、体格はいいが気は弱い)
沼本香苗・ぬまもとかなえ(放送部、ラジオDJを夢見る)
野方文和・のがたふみかず(帰宅部、生まれつき体が弱く欠席も多い)
野口七海・のぐちななみ(合唱部、ピアノ担当でしっかり者)
蓮井新・はすいしん(帰宅部、松田佳彦とつるんでる不良)
林愛莉・はやしあいり(テニス部、ミスコンにも選ばれる美少女)
原本力・はらもとつとむ(野球部、捕手で体格も腕もいい)
藤井初音・ふじいはつね(合唱部、ソプラノ担当でマイペース)
古橋健太・ふるはしけんた(バスケ部、センターガードでスタメンをはる)
益子エミリ・ますこえみり(バスケ部、清楚でスレンダーなギャル系)
松田佳彦・まつだよしひこ(帰宅部、不良で世の中に執着が薄い)
松浦ひばり・まつうらひばり(バレー部、長身アタッカーだが気が弱い)
三池繁・みいけしげる(副学級委員長、草食系で優しいアイドル好き)
水橋範子・みずはしのりこ(漫画愛好会、少女マンガ大好きで自作してる)
宮里辰則・みやざとたつのり(学年一の秀才、何事もやってのける逸材)
桃田未絵・ももたみえ(帰宅部、転校生で心を開かない)
山口裕也・やまぐちゆうや(帰宅部、単位ギリギリで危ない)
吉澤麗子・よしざわれいこ(陸上部、駅伝メンバーで仲間意識が強い)
福山蓮子、3年1・2組副担任。
10月に入り、学校では冬服への衣替えも終了。夏の暑さともおさらば、私の好きな
秋も本番です。紅葉の秋、読書の秋、運動の秋、食欲の秋。もちろん、メインはラスト
ですが。
夏はどこか浮かれた気分もあるんですが、この時期になると制服の重ね着の分だけの
締まった感覚が窺えます。特に、3年生は皆が秀才のように見えてしまう勤勉っぷり。
そんな出来るなら、入学当初からそのスタイルでいてくれると助かるのに。いやはや、
目標が前にあるとこんなにも頑張れてしまうものなんですねぇ。って、他人気分な感想
ですが。
段々と皆も進路を決め、明確な大学へ向けて奮闘しています。ウチは進学校ではない
けれど、県内一の一柱大学へも毎年何人かを送ってます。まぁ、理事長や校長の意向で
進学校とは自発してないってことなんだけど。自由を第一に掲げてる高校だから、あん
まりそういうのを前面に押し出さないっていう。今年も何人かは一柱大学へ送れるだろ
うか。1組からなら、宮里くんや伊東さんは固いかな。一場くんも行ける可能性は充分
あるし。
私は副担任な分だけ受験対策への密接度は少ないけど、やっぱり教え子の進路は気に
なる。皆、笑って卒業していってもらいたい。全員が第一志望なんて難しいだろうけど、
それでも全員に納得して巣立ってってほしい。それが県内一の大学だとかは、また別の
話として。
とはいえ、まだまだ受験までには数ヶ月あります。残されてる行事もあるので、そっ
ちも皆には謳歌してもらいたい次第。体育祭や文化祭、と3年生の思い出になるものが
控えています。
そして、これから大一番を迎えようとしている部活動もあります。サッカー部や陸上
部はその代表。1組にも胸が高鳴ってるメンバーがいます。青春を悔いなくやり遂げて
ほしいです。
一場太志、出席番号3番。
秋晴れに恵まれた週末、全国高校サッカー選手権の県大会の初戦を迎えた。1年間、
この日を待っていた。今、こうしてピッチに立っていられることに心持ちが勇壮になる。
吹き抜ける風も差し込む陽光もこの体を奮わせてくれる。肌寒さこそあるけど、走って
ればすぐに取れるだろう。
レギュラーメンバーはいつもの通りのポジションへ付く。フォワードは6組の源通の
ワントップ、その後ろの攻撃的なトップ下が俺と小林、その後ろの守備的なボランチが
3人、ディフェンダーが4バック、そしてキーパーという布陣。攻撃的に組まれたフォ
ーメーションの前線でのプレーを担い、ゴールへと繋がるプレーを生み出すのが俺と小
林の役割。
海浜総合高校は2回戦からの登場。相手は名前も知らない高校。おそらく、勝利には
問題はない。ただ、油断はならない。何事も相手との戦いであるのと同時に己との戦い
でもある。油断は自分自身に負けを許す行為。そんな愚かな事でこれまでの練習を無駄
になんかしない。
前半、序盤はスローペースのスタートになる。と言っても、相手のスピードが遅く、
その出方を窺うためという展開だ。徐々にそのペースに慣れてくると、一気にこっちへ
綱を引き上げる。パス回しで相手を掻き回し、スペースが出来るとそこから奥へと攻め
込む。ボランチを抜き去ると、あとは3バックのディフェンダーとの勝負。こちらは源
通と俺と小林、どうとでも出来る。21分、ディフェンスを引き付けてのラストパス、
キーパーと1対1になった源通が冷静に決める。27分、今度はディフェンスを付けた
ままで強引に決め込む。37分、最後は右後ろから来た小林へラストパス、ミドルシュ
ートをゴール右隅へ決める。練習で試してきた形がうまく嵌まり、3対0で前半を折り
返した。
結局、主力は前半で御役御免で退いた。後半も優勢のまま進み、試合は5対0で終了。
危なげなく初戦を終われた。
稲田景勝、3年1組担任。
3回戦当日、今日は時間の都合がついたのでサッカー部の試合を見に来た。会場の観
客はまばら、1組の生徒たちの姿もない。夏の野球部の時は積極的に応援に駆けつけて
くれていたが、この時期になると自分の時間がやはり大事になってくるようだ。でも、
ただの白状というわけじゃない。3回戦ぐらいなら応援はなくとも勝ち上がれるだろう、
という裏返しの表現。ある程度のところまで行けば、皆も応援に来るつもりだと言って
いる。
海浜総合高校は昨年、ベスト8まで勝ち残った。これまでも全国へ行った経験はない
ものの、ベスト8から16という成績は毎年残している。とはいえ、その先にある壁の
険しさを越えられない事は一つの鬼門になっている。今年こそは、という強い思いは当
然だろう。
1組からは一場と小林がスタメンに名を連ねている。2人はトップ下で起用され、抜
群のコンビネーションを誇っており、今年は良いチームが出来ていると耳にしている。
一場は冷静に状況を把握し、攻撃をコントロールする役割。小林は負けん気が強く、強
引で力のあるプレーで敵を粉砕する役割。スタイルの違う2人がいることで、バリエー
ションのある展開を作れるようだ。
前半、序盤は少し堅さのある動きが見られる。どうやら、練習での動きを忠実に再現
しているようだ。確かに、実戦に勝る特訓はないと言うし、格下の相手だからそれでも
押し気味には進められる。32分、ゴール前へのクロスを身長のある源通が頭で落とし、
フリーの一場がゴールへ決めた。
後半になると、前半の堅さがなくなり、勢いのある攻撃を仕掛けていく。8分、源通
がヘディングで2点目を奪うと、18分、今度はディフェンスを物ともせずにシュート
を決め込んだ。3点目を取ったところで一場や小林たちは交代でピッチを退く。試合も
そのまま3対0で勝利した。
小林洋、出席番号8番。
4回戦当日、朝から降っていた小雨は試合の時間になっても止む様子はなかった。観
客もおそらく選手の関係者ぐらいという少数。ピッチはぬかるんでるし、普段通りには
試合も運ばないだろう。マイナス要素がいくつも浮かんでくるが、それは相手も同じ。
そう切り替える。
「やってやろうぜ」
試合前、一場とそうハイタッチを交わす。試合ごとに必ずあいつから手を差し出され、
恒例になっている。それが俺の発奮材料になる。相手チームにはもちろん、その一場に
対しても。同じトップ下を担う選手として、負けるわけにはいかない。そうライバル心
を燃やす。
前半が始まると、いつものように一場が試合を作り出す。あいつにボールが渡ると良
い意味で攻撃が落ち着く。前後左右、どこからでも次の一手を振れるから。練習とは違
う緊張感を携えてるのにピッチ全体を見渡せる余裕を持ち、頭の中でゲームメイクを瞬
時に築いていく。同じポジションなのに、俺とは全然プレーの種類が異なる。しかも、
あいつのやってることの方が正しいような気分にさせられてしまう。外見もそうだし、
結果も伴ってるから。
試合が動いたのは43分、ペナルティエリアで源通が倒されてPKを獲得。それを一
場が確実に決め、前半のうちに先制できた。こういう時にキッカーを任されるのは当然
のように一場だ。成功率を考慮すれば、それが最善策になるんだから仕方ない。ただ、
この心が煮え切らないのも当然。出来すぎのようなエリートに嫉妬する自分にも同じな
のも当然。
後半、雨足が強まった。どしゃ降りまではいかないが、サッカーをする天気ではもち
ろんない。ピッチの状態は悪くなり、走ってても一足一足が重く感じる。プレーの正確
さは欠け、思うような展開にならない。集中力がそれによって薄くなってしまったのも
事実だった。結局、試合は特に好機も作れないまま運んでいき、1対0で終了。満足の
いく内容ではなかったが、昨年からの最低目標として掲げてきたベスト8へ進出する事
となった。
福山蓮子、3年1・2組副担任。
準々決勝の当日、ここ数日間の雨模様が好転しての晴れになった。絶好の運動日和、
先週の試合では雨に苦戦させられたそうだけど、これなら試合のやり甲斐も充分だろう。
ベスト8に進出したとあって、会場にも観客の姿が多く見られる。稲田先生はもちろん、
1組の生徒たちも来られる人は応援に駆けつけてくれた。クラスメイト思いの子が多く、
微笑ましい。
試合の時間が近づき、選手たちが続々とピッチに姿を見せる。一場くんと小林くんは
今日もスタメンだ。2人とも引き締まった表情をしている。緊張に行き過ぎてなければ
いいけど。海浜総合高校は昨年ここで姿を消している。準々決勝は今年のメンバーから
したら一つの壁になっているだろう。でも、大丈夫。きっと願えば叶う。行き止まりじ
ゃなく、越えるための壁のはずだから。その背中を押す力に少しでもなれるよう、声を
届けていく。
前半、序盤から安定した展開が続いていく。どちらも守備を固め、大きな攻撃には出
ず、単調といえる内容だ。ここまで来れば相手との力の差も拮抗してるため、リスクを
冒しての攻撃には出にくいのが事実。1点が試合を左右することは誰よりも選手たちが
分かってる。だから、じっくりとそのときを待つ必要がある。我慢や忍耐も勝つために
は重要な要素。
結局、前半はスコアレスのままで終わった。お互いに何度かグッと攻め込む場面こそ
あったけど、固められたゴール前を崩すことは出来なかった。見てる側もやきもきする
展開だけど、ここは選手たちを信じるしかない。
後半、前半とは変わって攻め方に大胆さが出てくる。点を取りに行く攻め、お互いの
意識はプレーに表れている。取らなければ、取られたら負ける。どちらにもその緊迫感
があった。
試合が動いたのは15分、セットプレーで競った後の零れ球をディフェンダーが押し
込んで海浜総合高校が先制。心配に状況を見てきたスタンドは飛び上がりそうなぐらい
に皆が喜んだ。優位に立てて、今までのハラハラが一気に払われ、久々に心を安らげる
ことが出来た。
そうゆとりを持てたのは僅かだった。21分、相手の攻めはそれまでと変哲のないも
のだった。それが油断を生んだ。これまで防いできた攻めだから今回も防げる、という
自信。意識は強くしていたはずなのに、体の片隅にいつしか空いた小さい穴に通された
相手のミドルシュートがゴール右隅へ突き刺さった。予想してなかったところへ落とさ
れた同点ゴールに思わず目をつむる。溜め息もいくつも聞こえた。今大会初めての失点
はズッシリと重く来た。
振り出しに戻ったのは1対1という数字だけで、流れは相手チームへと傾いていく。
ここぞと勢いに乗って来る攻撃に、こっちは防戦一方になる。フォーメーションは味方
陣地まで下がり、我慢の時間が続く。守備は息を呑む場面ばかり、たまの攻撃もゴール
までの距離が長くなってしまい、オフェンスに加わる選手も少なくて効果的にならない。
いじらしい。
そんな長いトンネルを抜けたのは44分、相手の攻撃を鉄壁に守っている中で2人は
次の一手を考えていた。もう残るチャンスは少ない。ならば、その時には勝負に打って
出る必要がある。そう機会を窺っていた。セットプレーからのクリアボールが小林くん
に渡ると、既に一場くんは走り出していた。そこから、速攻のカウンターを仕掛ける。
相手ディフェンスを翻弄するようにリターンパスを繰り返し、意識を乱したところで源
通くんへのラストパス。猛攻を耐え抜いたチームメイトの思いと共に左足に受け取った
源通くんはディフェンダーを背負いながらも振り向きざまに強引にシュートを打ち込む。
しかし、それに反応が追いついていたディフェンダーの体に当たって阻まれる。ただ、
運が向いていた。弾き飛ばされたクリアボールは後ろから来ていた小林くんの前へ落ち、
それをトラップすると豪快にミドルシュートを打つ。軌道は吸い込まれるようにゴール
右上に突き刺さり、土壇場での勝ち越し点が決まった。選手たちは小林くんの周りを囲
み、スタンドの皆は歓喜に沸く。ここまでの23分間の縮まっていく思いは瞬間で払拭
された。
ロスタイム、焦る相手の精度の落ちた攻撃を守りきるのは難しくなかった。高く響く
ホイッスルが揺れる心をようやく落ち着けてくれた。勝ってくれて嬉しい。でも、心臓
に悪いよ。
小林洋、出席番号8番。
ゴールを決めた後、チームメイトが自分の周りを取り囲んだ。皆が幸せそうな顔をし
て祝福をくれる。ベンチの皆も、スタンドの皆も同じように喜んでいる。後半44分、
確かにここしかないっていう場面だと我ながらに思う。でも、満たしきれない何かがあ
った。
試合が終わった後、ベンチにいたチームメイトも自分に近づいて熱い声を掛けていく。
ナイスシュート、やってくれると信じてた、あれを決められるのはお前だけだ、と嬉し
い言葉をくれた。よくやった、と監督からも嬉しい言葉をもらった。でも、満たしきれ
ない何かがあった。
家に帰った後、家族も素直に結果を喜んでくれた。接戦を物にして、決勝点を入れた
のが自分だと伝えると、熱心に応援してくれてる母親も、陰ながら応援してくれてる父
親も、自分の後を追うようにサッカーに励んでる弟も良い表情をしてくれた。鼻の高い
家族だと思ってくれてるのは照れくさいけど有りがたい。でも、満たしきれない何かが
あった。
翌日、学校へ行くと先生やクラスメイトも軽く声を掛けてきてくれた。昨日スタンド
で応援してくれてた奴も多く、熱の冷めきらない様子で次々に集まってくる。人気者に
なった気分になれて、満更でもない優越感を味わえた。でも、満たしきれない何かがあ
った。
長く続いてる心の葛藤は一度のヒーロー気分では崩れない。瞬間的な優越感は持続的
な劣等感を勝れない。常に前を走る存在がいる事が積極的な心内でいさせるのを許して
くれない。
一場はいつも俺の一歩や二歩は前にいる。性格もよく、人当たりもいい。周りが見え
てるので、細かい気配りも行き届く。それはサッカースタイルにも現れている。勇みが
あり、汚さは全くない。チームのために尽くす事を考えている。俺にはないものを持っ
ている。
昨日の試合、相手の隙を突く速攻のタイミングを狙ってた。言葉は交わしてないが、
あいつも同じことを描いていた。だから、俺にボールが渡った時にすぐに着いてきた。
俺が思い描く事はあいつの頭にもある。スタイルは違うのに意思の達する位置や観点は
近く、ホットラインが繋がる。でも、あいつの方が俺より先にいる。学力も体力も性格
も見てくれも全て上にいる。エースは一場で、俺は陰に回らざるを得ない。それに悩ん
できた。
小学校、中学校と俺はチームのエースを担ってきた。当然、高校でもそうなるつもり
だった。ただ、そこには壁があった。全てにおいて自分を勝った人間。飛び越えようと
しても、挫かされてしまう。一場自身は俺を気の通じた仲間と思ってるけれど、こっち
は下位感ばかりが募っていった。
こうして、自分がヒーローになって持てはやされてもその差は変わらない。むしろ、
逆効果なのかもしれない。これだけやっても変わらない、という思いに晒されてしまう。
どうすればいいんだ。このまま、俺は二番手という現実を抱え込んでサッカーから身を
引いていくのか。
稲田景勝、3年1組担任。
事態は急に訪れた。金曜日の朝、職員室に入るとサッカー部の顧問をしている2学年
の教師に呼ばれて耳にする。昨日、部活中に小林がキレた。ちょうど監督が電話で場を
外していた時で、フォーメーションの形を練習で試していたところ、一場が小林に動き
の指示をするといきなり怒り出した。「指図すんな」と吐き捨て帰りだし、止めようと
する一場の手を撥ね退けて去っていったらしい。急な爆発に、選手たちも理由が分から
ずにいた。
一時限目の前、心配で1組の様子を見に寄る。小林は来ていなかった。昨日の一件で、
というのは明らかだろう。一場を呼び、事態の詳細を聞く。やはり、理由は分からない
と頭を悩ませていた。電話も何度か掛けているが繋がらず、準決勝を前にチーム内での
危機を迎えてしまった。
三時限目の時間中、授業がなかったので理由をつけて学校を出た。緩やかな坂を下っ
ていき、先にある目的の海岸へ行き着く。辺りを見渡し、右の方へ歩き出す。一場から
話を聞いた時に小林の行きそうな場所を聞いておいた。その中にこの海岸もあった。部
活終わりや気分が乗らずに早退した時にここへ来るようで、比較的に人通りの少ない場
所を定位置としてるらしい。そのポイントへと歩いていくと、制服を着て眼前に拡がる
海を眺める小林の姿があった。
「あまりズル休みは黙認しがたいな」
近づいていき、声を掛ける。小林はこちらを振り向き、また海へと向き直す。左隣へ
腰を下ろすと、しばらくは言葉を発しなかった。波の流れを耳にしながら、小林と同じ
ように心を落ち着けていく。
「大体の事は聞いた」
2分か3分が経った頃に口を開く。
「何があった」
投げ掛けてみたが、返答はなかった。おそらく、まだ本人の中で消化しきれてないの
だろう。
「分かった。もう何も聞かない」
「ただ、聞いてくれ。お前の中で何があろうと、どんな迷いを抱えてようと、試合は
間違いなく日曜日にある。それは変わらない。そして、それがお前の高校生活で最後の
試合になるかもしれない。それを今のままの気持ちで迎えるか、真っ白な気持ちで迎え
るか、こればっかりはお前次第だ」
なるべく説教くさくならないよう、現実を伝えていく。
「折角なら、良い気持ちでサッカーをやらないか。お前がその気なら、俺は何でも手
を貸すから言ってこい」
小林の肩をポンと叩き、立ち上がる。海岸を後にしていく中、一度だけ迷う背中を見
返した。
伊東紗和、出席番号4番。
準決勝の当日、天気は味方をしてくれたけれど、昼間でもいくらか寒さを感じる季節
になってきた。そんな空模様とは違い、心模様は優れないのが正直なところ。小林くん
の件は1組の皆の耳にも回ってきていたため、どうなったんだろうという心配がある。
選手たちは練習を終えて控え室へ戻っているので、まだここに来ているのかも分かって
ない。聞いたのは一昨日で、あれから2日はあったけど、小林くんの姿は見かけてない
から実際の現状は分からない。稲田先生も福山先生も把握できてないみたいで、余計に
思いが募る。
試合時間が迫って、選手が次々に姿を見せてくる。その中に小林くんの姿もあった。
よかった。一先ず、安心。準備をしてピッチへ出て行く様子には、これまでと変わりは
見られない。もう、チーム内のわだかまりは解けたんだろうか。原因が何だったのかは
分からないけれど、今は目の前の大一番に気を向けないといけない。今日の相手は去年
の優勝校、今ある全てをぶつけなければ到底叶うことはない。内部分裂なんて、それ以
前の話。
前半、序盤から両チームとも大きな動きを見せていく。相手の出方を見るんではなく、
いち早くの先制点を取りに行く動き。相手は攻撃力で試合を物にしてくチームと聞いた
けど、こっちもその相手の遣り方でもって挑んでいくみたい。格上の相手の戦術に乗っ
てくなんて博打まがいでどうかしてると思ったけど、きっとそうするからにはそれなり
の勝算があるんだろう。
あっ、そうか。それこそが一場くんと小林くんに求められてるものに違いない。
試合が動いたのは12分、相手のパスがうまく通ってゴール前のフォワードの選手へ
渡り、ディフェンダーの足元を潜って放たれたグラウンダーのシュートを決められた。
今大会初めて先制点を奪われる。だけど、選手たちはすぐに持ち直したように表情を引
き締め直していく。こんなのダメージなんかじゃない、ぐらいの勇ましさは頼もしいか
ぎりだ。
しかし、次のダメージは思っていたよりも早くに来た。17分、ウチが攻めきれずに
相手にボールが渡るとカウンターを仕掛けられる。攻撃で前気味になっていた分、ディ
フェンスは疎かになっていた。そこを突くように相手はどんどんこっちの陣地へ攻め込
んでくる。センターバックの裏へあっさりパスを通されて、キーパーと1対1の場面に
なって2点目を決められた。さすがに、スタンドの観客には重く圧し掛かる。それでも、
選手たちはまたすぐに持ち直そうとお互いに声を掛け合っていく。昨年の優勝校に序盤
で2点のビハインド、楽観視なんか出来るわけない。ただ、ピッチ上に下を向いている
人は誰もいなかった。誰も何も諦めてなかった。その様を見てると、こっちまで自信が
生じてくる。
その後、海浜総合高校はオフェンスのフォーメーションをやや下げた。この2点差は
許容範囲としても、さすがに3点目を取られるわけにはいかない。守備的に回らざるを
得ない境遇になったけど、選手たちの意識は高かった。いつでも攻撃に行く準備は出来
ている、という。
その意識はきちんと結果へと紡がれた。2点目以降、相手がボールを支配する時間が
続いていたけれど、その分だけ相手の心は攻撃に傾いていた。正に、2点目を奪われた
時のウチの状況。ボールが零れて、こちらへ渡ると一気にカウンターを仕掛けていく。
オフェンスが続いていた分、ディフェンスに気を戻すのに切り替えが必要だった相手の
穴を突くように攻め込むと、たまらずに体を倒されてファウルで止められた。やっとの
攻撃を挫かれたのに息をついたけど、フリーキックのチャンス。ペナルティエリア付近
の右斜めの好位置、キッカーには一場くんと小林くんが立つ。2人は軽く言葉を交わし、
少し離れる。蹴ったのは一場くん、相手の作った壁を越えてった山なりのボールはキー
パーを過ぎるもバーに阻まれてしまう。ただ、跳ね返りのボールにより早く反応をして
いた源通くんがそれを決め込んだ。37分、1点を返して海浜総合高校サイドは初めて
気を安らげられた。
前半終了、なんとか1対2で終われたのは不幸中の幸い。相手にペースは傾き過ぎて
ないし、こっちにもそれなりの希望が残されている。実力の差からしても、勝てる確率
は半分未満。その中で、高い集中力で踏ん張ってる姿に惹きつけられた。負けないで、
そう願いを込める。
後半、海浜総合高校は前半と同様に立ち上がりから攻撃重視の形を取ってきた。前半
に出鼻を折られたのに、また攻撃型の相手の遣り方に乗ってきた。潔いぐらいの姿勢に
は思えるけれど、勇猛果敢と玉砕覚悟の二方を兼ねている危ない綱渡りであるのも否め
ない。でも、ただ一心にボールに向かっていく姿、ゴールへ向かっていく姿に心が奮わ
された。
忍耐が実を結んだのは13分、強引な攻めでもぎ取ったコーナーキックのチャンス。
キッカーの一場くんがゴール前に上げたボールを密集地帯から一番の打点でジャンプし
た源通くんが頭で合わせ、ゴールネットを揺らした。逆境に諦めずに不屈の闘志を燃や
した成果。前半の序盤の2失点で半ば諦めのムードもあったスタンドの応援団は完全に
裏切られてしまった。そうだ、勝つために戦ってるんだ。私たちもその力になってあげ
ないと。
同点になったところで、試合は今日初めてといえる落ち着きになった。相手は押され
気味の展開に立て直しを図ろうと、こっちも守りを固めてきた相手に無理に攻めるのは
難しいだろうと。一先ずの息をつける時間だったけど、この後の攻め合いを控えての事
と分かっていたし、当然に油断をすれば突かれる事も分かっていたし、決して気の休む
ものではない。
再び勢いが加速されたのは25分を過ぎた頃、段々とお互いの前へ攻める姿勢が増し
てくる。相手陣地を侵食するようにラインを上げ、決勝点を取りに行く攻撃を始める。
3点目を奪われない守り、3点目を取る攻め、その両方をやるために余す力をこの時に
ぶつけていく。しかし、立場はどちらも同じ。ここ一番の集中力でせめぎ合い、形勢を
譲らない。
38分、ファウルで相手のフリーキック。ゴールまでは距離があったけど、源通くん
だけを前線に残して磐石に守備を固める。相手キッカーの上げたボールはペナルティエ
リア付近の密集地帯へ飛んで来て、数選手が空中戦で競り合う。人数で有利な分、競り
勝ったのはこっちだった。ただ、飛んだ場所が悪かった。しっかりと頭にミートしてな
かったようでボールはさほど遠くへ行かず、上がりめに来ていた相手ディフェンダーの
元へ渡ってしまう。完全にフリーになっていたため、軽々とドリブルで運ばれ、こっち
の守備が追いつく前にミドルシュートを打たれた。ペナルティエリア付近に選手が集ま
っていたため、キーパーにとってシュートコースが見えにくくなってしまい、そのまま
無情にもゴール左下へと決められてしまった。この時間での失点に、さすがに選手たち
の表情も静まり、スタンドにも溜め息が零れる。でも、それはほんの少しの間だった。
「まだまだぁ」と小林くんが競技場中に響くぐらいの大声を張り上げると、一場くんも
「そうだ。まだ試合は終わってないぞ」と士気の下がっていたチームメイトを鼓舞して
いく。まだだ。まだ、あの2人は諦めてない。
それでも、残り少ない試合時間が刻々と過ぎていく。こっちはとにかく同点にするた
めに猛攻を仕掛けていくけど、このままで終わらせたい相手は守りに徹してくる。その
せいでうまく攻めきれず、気持ちはもどかしくなるばかり。こんなに1分1秒が大事に
思えることはそうない。普段、自分がだらだら過ごしてしまってる1分を必死にピッチ
上を駆け回ってる選手たちにあげたい。それぐらいに今をがむしゃらに頑張ってる姿に
引き込まれていた。
試合は後半の45分を過ぎていった。ロスタイムの表示は3分、それはあとそれだけ
で終わってしまうっていうカウントダウンの始まりでもあった。スコアは依然として2
対3、このままじゃ終われない。お願い、誰でもいいから、どんな形でもいいから点を
決めて。
46分、試合は最終局面を迎えていく。ボールがこちらへ渡ると、どんどん選手たち
は攻めに回っていく。もしかしたら、これが最後の攻撃になるかもしれない。ここしか
ない、という思いで力を振り絞っていく。右から上がってきたサイドバックにボールが
渡ると、コーナー付近からのクロスが上がる。ゴール側まで来ていた数選手が競り合っ
た中、ボールは一場くんの頭に合う。しかし、しっかりとミート出来ずにボールは密集
地帯の後ろへと零れていく。ルーズボールを物にするかが鍵になる。その行方を目で追
うと、既に走り込んでいる姿があった。小林くんだ。相手ディフェンスは誰も付いてい
ないフリーの状態、決定的な場面。加速してきた勢いをそのままに蹴り込んだボールは
キーパーに触れることなくゴールに突き刺さった。土壇場での同点ゴールにスタンドは
歓喜に溢れる。渾身のガッツポーズをする小林くんにチームメイトが集まって手荒めの
祝福をしていく。最後まで闘志を崩さなかったチーム、その思いが報われた事に喜色に
満ちていく。
延長戦への突入を勝手に確定としていた私たちは残り僅かな後半が終わっていくのを
待った。それが甘かった。それこそがずっと危惧していた油断だった。48分、時間を
凌ぐために無理をせずにパスを回していたところを突かれた。ボランチのラインのパス
をカットされると、すぐさま浮き球のパスでディフェンスの裏へと通され、相手フォワ
ードにゴールを奪われた。あまりの出来事に相手スタンドは沸き上がり、こっちのスタ
ンドは静まり返る。次の攻撃の猶予もなく、試合終了のホイッスルが響いた。小林くん
の同点弾の余韻が冷めない中でのことに、体が嬉しさと空しさで変に流れてしまってる。
あっけない幕切れに悲しさも与えられず、この気持ちをどう消化すればいいのかが知り
たくて堪らなかった。それは実際に試合をしていた選手たちが最も感じてるはずのこと
で、ピッチ上でただただ呆然と佇む姿がほとんどだった。そんな中、一番始めに動いて
いたのは一場くん。多分まだ現実を受け入れてはないんだろうけど、立ち尽くしている
チームメイトの肩を一人一人叩いていく。誰も言葉を交わすことなく、ピッチを俯いた
まま後にしていく選手たちの姿が目に焼きついていった。3対4、サッカー部の最後の
大会はベスト4で幕を閉じた。
一場太志、出席番号3番。
試合終了の瞬間、訪れた一番の感情は空しさだった。まさか、こんな気持ちで最後を
迎えるなんて思ってもみなかったから心内は揺れるばかりになる。勝つにしろ、負ける
にしろ、全てを出し切って悔いなく終わろうと思っていたのに、この終わり方はないだ
ろう。
厳しい戦いだった。昨年の優勝校との試合なんだからそれぐらい予想はしてたけど、
良い展開になった分だけ強くそう思える。相手はさすがのチームだった。1点を取る事
があんなに難しいのに、1点を取られる事は随分あっさりとしていた。その結末が今の
この状態だろう。
チームメイトの善戦を敬うように肩を叩いていったけど、その自分自身の心内がまだ
収まっていない。ロッカールームに戻っても、ベンチメンバーや監督は良い試合だった
と言葉を掛けてくれたけれど、ピッチ上にいたレギュラーメンバーは誰もが現実を納得
しきれずにいた。
着替えて荷物をまとめ、学校に戻ると解散になった。3年の引退式は明日に行われる
ようだ。その具体的な言葉が出ると、引退を現実的に捉えられた。そうか、俺は今日で
引退なんだ。思えば、長くやってきたな。さっきの試合の余韻は残っているけど、良い
時間を送れたと思う。良いチームだったし、なにより良いコンビを組める奴がいたのが
大きかった。
「今、どんな気持ちだ」
帰り道、学校からの緩やかな坂を下りながら隣を歩く小林へ訊いた。試合後、言葉を
初めて交わす。
「分かんねぇ。あんな終わり方されたし」
「そうだな。俺も分からない」
ちょっとやそっとの時間ではこの気持ちは解消されないような気がする。多分、数日、
数週間、数ヶ月と経ってから胸を張って言えることになるんだろう。それまでは抱えて
おくとしよう。
木曜日に小林に異変が起きた時、正直かなりマズい状況だと察した。原因が何かとか
はさっぱり分からなかったけれど、このままじゃ日曜日の試合をまともな状態では迎え
られないかもしれないと危惧した。もしも、小林が出られないことになれば戦力ダウン
は否めない。なにより、俺自身が相棒を欠かすことによる気の低下に苛まれる可能性も
ある。
そう頭を悩ませていた金曜日、部活の準備をしている時に小林が部室に入って来た。
学校を休んでいたし、部活にも来ないんだろうと思っていたから驚いた。昨日の荒れた
様も記憶に新しかったから、部員も小林がどんな状態なのかを掴めずに注目をするだけ
に留まっている。多くの視線が集まる中、小林は昨日の自らの行動を頭を下げて謝った。
原因については語らなかったけど、部員たちも深く追求はせずに温かく出迎える。人間
なんだから誰だって情緒が不安定になる事はあるし、それが溢れてしまったのがあの時
だったんだろうと。とにかく、試合に間に合ってくれたことがよかった。
その日の練習の後、小林から話がしたいと言われた。タイミングがタイミングだけに、
何かあったのかと身を構えてファミレスに場を移す。そこで小林から告げられたのは、
昨日の一件に関する原因だった。原因は他の何でもない俺だった。前々から俺に対する
劣等感があったらしく、それが日々少しずつ募っての爆発だったらしい。それはムカつ
いていたというよりも単なる嫉妬で、怒りを向けていたのも俺にじゃなく自分自身に。
確かに、学校の成績やサッカーの試合の成績で数字のうえでは俺は小林を上回っている
のは知っている。ただ、それで俺が小林に対して優越感を抱いた事なんかない。俺には
俺の、小林には小林の個性がある。それを現実に通してみての数字の結果がそれという
だけで、俺には俺の、小林には小林の良さがある。俺には小林のようなプレーは出来な
いし、あんなふうにやってみたいと羨む事もある。でも、俺はこれでいいんだと自分に
納得をする。それでいいんだと思う、と小林に伝えた。胸の内を正直に語ってくれた小
林へこっちも真剣な思いをぶつけた。小林もそれで納得してくれ、改めて謝罪をしてく
れた。
緊迫する一波乱だったけれど、これはかえって良かったのかもしれない。最後の試合
の前にお互いの素直な気持ちを曝け出せた。おかげで、これ以上はないという晴れ晴れ
した心持ちで今日を迎えることが出来た。敗戦に後悔がないとは言わない。ただ、一つ
間違いなく言えるのは、今日の試合は人生最高のゲームだったという事。
「お前がいなけりゃ、って俺は何度も思ってきた」
「そいつは酷いな」
「でも、お前がいなかったら3年間必死に練習を続けてこなかったと思う」
「それはこっちもさ。良いライバルが一番近くにいてくれたから頑張れた」
「だから・・・・・・感謝してる」
「あぁ、俺も」
ただ、一つ間違いなく言えるのは、俺にはお前が人生最高の仲間だって事。
全18話、本に換算すると444ページになる長篇です。




