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第一話

○登場人物


  稲田景勝・いなだかげかつ(現代文担当、1組担任、35歳、冷静だが心の中は熱い)


  福山蓮子・ふくやまれんこ(数学担当、1・2組副担任、24歳、損得勘定で物事を考える)


  武中健吾・たけなかけんご(生物地学担当、2組担任、35歳、沈着で大人な人間)


  森繁八重子・もりしげやえこ(日本史担当、44歳、3組担任、学年主任で頼りがいがある)


  四島嘉津男・よしまかつお(古文担当、45歳、4組担任、生徒と同年代の娘がいる)


  井之脇壇・いのわきだん(世界史担当、27歳、3・4組副担任、四島の弟分的存在)


  北澄昌明・きたずみまさあき(体育担当、48歳、5組担任、独身でまだ好機を窺っている)


  田蔵麻綾・たくらまあや(英語担当、22歳、5・6組副担任、新人ながらしっかりしてる)


  鶴賀あかり・つるがあかり(物理化学担当、6組担任、29歳、結婚に対して執着がある)



  渥美衣代・あつみいよ(帰宅部、遅刻・早退・欠席の常習)


  安東菊恵・あんどうきくえ(バレー部、セッターで気が強い)


  一場太志・いちばたいし(サッカー部、運動も勉強も学年トップクラス)


  伊東紗和・いとうさわ(学級委員長、クラスをまとめるしっかり者で信頼もある)


  岩瀬浩二・いわせこうじ(陸上部、駅伝メンバーで自分を強く持っている)


  梶田希・かじたのぞみ(美術部、デザインに興味があって進路に悩んでいる)


  北橋泰子・きたはしやすこ(バスケ部、万年補欠でセンスがない)


  小林洋・こばやしよう(サッカー部・エースの座を一場と競う)


  佐土原宏之・さどはらひろゆき(野球部、エース候補だが我が強い)


  塩崎拓也・しおざきたくや(帰宅部、野方文和の親友で良き理解者)


  篠永梢・しのながこずえ(手芸部、ロリータファッションをこよなく愛する)


  高品悟・たかしなさとる(水泳部、自由形を専門にしている)


  長岡純平・ながおかじゅんぺい(柔道部、体格はいいが気は弱い)


  沼本香苗・ぬまもとかなえ(放送部、ラジオDJを夢見る)


  野方文和・のがたふみかず(帰宅部、生まれつき体が弱く欠席も多い)


  野口七海・のぐちななみ(合唱部、ピアノ担当でしっかり者)


  蓮井新・はすいしん(帰宅部、松田佳彦とつるんでる不良)


  林愛莉・はやしあいり(テニス部、ミスコンにも選ばれる美少女)


  原本力・はらもとつとむ(野球部、捕手で体格も腕もいい)


  藤井初音・ふじいはつね(合唱部、ソプラノ担当でマイペース)


  古橋健太・ふるはしけんた(バスケ部、センターガードでスタメンをはる)


  益子エミリ・ますこえみり(バスケ部、清楚でスレンダーなギャル系)


  松田佳彦・まつだよしひこ(帰宅部、不良で世の中に執着が薄い)


  松浦ひばり・まつうらひばり(バレー部、長身アタッカーだが気が弱い)


  三池繁・みいけしげる(副学級委員長、草食系で優しいアイドル好き)


  水橋範子・みずはしのりこ(漫画愛好会、少女マンガ大好きで自作してる)


  宮里辰則・みやざとたつのり(学年一の秀才、何事もやってのける逸材)


  桃田未絵・ももたみえ(帰宅部、転校生で心を開かない)


  山口裕也・やまぐちゆうや(帰宅部、単位ギリギリで危ない)


  吉澤麗子・よしざわれいこ(陸上部、駅伝メンバーで仲間意識が強い)





 稲田景勝、3年1組担任。

 7時半、まだ朝陽は眠りから覚めたばかりに目を擦っている。水平線から押し出され

てくる波々に自然の息吹を感じ、冷青の水しぶきがシャワーのように地へ降り注ぐ。風

は豊かな感情をこの心にもたらし、邪気を取り払ってくれる。海岸で一人きりで深呼吸

する時間は何より心地良い。過去の自分、未来の自分、どんなものも関係なく今ここに

存在する自分の確認。さぁ、新しい一日の始まりだ。

 緩やかな坂を上ってく足取りは軽い。新鮮な思いに駆られれば、人はそこにポップな

感覚を捉える。まるで、スキップするような歩き方。足が自動で前に出ていくような。

心が躍る、とまでは言わない。そこまでの気の緩みは逆効果になりうる。でも、適度に

この緊張を楽しみたいとは思っている。堅苦しい雰囲気は好きじゃない。

 だんだん学校に近づいてくるにつれ、制服を着た生徒たちが目に入ってくる。明度の

ある制服ではないけれど、紺の中にワンポイントで黄色をあしらえていて好感も持てる。

自分の学生の頃にはなかったデザインだなと自虐ぎみになりそうになるのを抑え、それ

も進化していく時代の風潮かと納得しておく。固執は自らを成長させにくい。柔軟な対

応を心掛けなければ、すぐにそこから振り落とされる。若者に着いていくなんて気はな

いけれど、取り残されるのはそれはそれで気が引けてしまう。そんな自分にたまに息を

ついたりもする。

 校舎が見えてくる。何の変哲もない白の校舎。ただ、そこには数えきれない生徒たち

の思い出が詰まっている。自分もそこに入り込むことになる。どれだけの思い出を作っ

ていけるだろう。それは自分次第。そう言い聞かせることで、気が引き締まる。後ろを

振り返ると、さっきまでいた海岸が遠く低い位置に見渡せる。景観は最高だ。希望と不

安を抱き、校門をくぐっていく。

 海浜総合高校に到着すると、校長室へ挨拶に行く。前に一度話をした時に固い印象を

受けた。学校の名を上げるために頭を巡らし、結果に結びつけてきた、と事前に聞いて

いた通りの重鎮というタイプ。

 「稲田先生、この学校は生徒へ確かな教育でゆとりある人間性の育成に務めています。

あなたならそれが出来るはずです。期待していますよ」

 「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」

 生徒に人気があり、保護者の信頼があり、中学生が入学したいと思い、卒業生がここ

に来てよかったと思える高校。それが海浜総合高校の理想系。校則もさほど厳しくして

いない。生徒の自主性を重んじている。だが、何でもやらせていいという意味ではない。

個性を壊さず、それによって伸び伸びとした学校生活を送ってもらう。ゆとりを持てる

ことで余裕が生まれ、それを勉強や部活にも向けてもらいたいという考えだ。実際、こ

こ最近の進学率や話題性も上昇を続けている。有名大学へ進む生徒も増え、部活でも県

大会で好成績を残す生徒も増えている。同時に、教師に求められる質は高い。生徒に自

由を与えながら、視線は常に向けていなければならない。自由の意味を履き違えること

のないように目を配らせておく必要があるから。やりがいのある現場だ。赴任できて満

足している。

 教頭にも挨拶をすると、職員室で教員たちへ向けても挨拶をする。仕方ないが、挨拶

ばかりだ。同じ文章の使い回しに飽きてくる。言葉のニュアンスを変えればいいのかも

しれないけれど、言い方を変えてるだけで言ってることは同じだ。デスクを案内される。

任されたのは3年1組の担任。3年生教員のデスクの端の席、何人かに自己紹介をされ

たが覚えきれない。そのうち、覚えていくだろう。

 教頭の話が終わると、全員が体育館に移動する。始業式があり、そこで全校生徒の前

立つことになっている。副担任の福山先生が体育館まで先導していってくれたけど、

他の教師たちに着いていけばいいのであまりいらない親切だった。

 体育館での始業式が始まり、終盤の方で名前を呼ばれて壇上へ向かう。幸い、他にも

もう一人新任教師がいたので注目は半減された。生徒の並び順が分からなかったので、

3年1組の生徒がどこにいるのかは把握できない。

 「稲田景勝です。春日山高校から転任してきました。3年生の現代文を受け持ちます。

よろしくお願いします」




 福山蓮子、3年1・2組副担任。

 壇上で着任の挨拶をする稲田先生の態度はどこか薄い気がした。もっと、こういうの

って熱が感じられてもいいんじゃないのかな。後に挨拶した田蔵先生も新任の割に静観

な印象だし。新米教師って普通ギラギラしてるもんでしょ。少なくとも、私は心臓バク

バクであそこに立ってたのに。最近の教師はそういうものなんだろうか。いや、でも稲

田先生は私より年上だし。あぁ、なんか考えるの面倒くさくなった。それより、花粉症

きついな。

 「ヘックシッ」

 始業式の後、思い切りの一発をかます。式の間はくしゃみ我慢しなきゃなんないから、

ここぞに溜まった分を吐き出した。ポケットに常備してあるティッシュを取り出し、鼻

をかむ。

 「風邪ですか」

 「花粉症です」

 「あぁ。辛いですね、この時期」

 「はい。稲田先生は」

 「僕はまだです」

 「いいなぁ。羨ましい」

 「いや、いつなるかなんて分かりませんから」

 それでも羨ましいよ。花粉症じゃない人に、この切実さは伝わってないんだろうな。

春を迎えるのが憂鬱。花が咲くのを喜びきれない。そんなふうに思う自分にも溜め息。

でも、しょうがないじゃん。花粉症って病気だよ。1年に3ヶ月は病気になるのが決ま

ってんだよ。そりゃ、気分も乗らないっつうの。

 職員室に戻ると、転校生の桃田さんの相手をする。初対面の人には笑顔が多くなって

いるのは癖だ。簡単に言えば、良い人に見られたいんだろう。どうせ、時間が経てば本

性はバレてくるんだから一緒なんだけど癖でそうしてしまう。いいんだ。教師も一人の

人間なんだから。

 稲田先生と桃田さんと1組の教室に向かう。2人とも1組の生徒たちとは初対面なん

だから、私がしっかりしないと。そう思うと、逆によからぬパターンになるのがオチ。

意識しない。意識しない。んっ、待てよ。意識しないって思うこと自体、意識しない事

を意識してるんじゃ。あぁ、頭が混乱してきた。

 「はい、みんな席に着いて」

 1組の教室に入ると、大きめの声で促す。でも、このぐらいじゃ着席してくんない。

声が聞こえてないわけじゃなく、座る気がないわけでもなく、なんとなく皆それぞれの

会話の区切れに辿り着くまで続ける。きっと年配の先生の声ならそれすら遮断する効果

があるんだろうけど、いかんせん3年目の私はまだどこかナメられてる。イラつく事も

あるけれど、そんなの大して意味を持たないんだってことに気づけばどうでもよくなる。

高校生にまともに怒るな。大人の対応、これに限る。

 1分もしないうちに生徒たちは全員着席していた。そう、余韻が楽しめれば満足って

こと。下手に怒鳴ったところで反感買うだけ。高校生なんて青いんだから、単純にいこ

うよ。

 まず、稲田先生を紹介。

 「稲田景勝です。さっきも言いましたが、現代文を担当します。これから1年、皆に

とって大切な時間になります。良い顔で卒業できるよう、精一杯頑張りましょう。俺も

その力になれるように励むので、気軽に頼ってきてください。よろしくお願いします」

 一言もらったけど、やっぱ普通。笑いを掴みにいったりする人じゃないのか。

 気を取り直して、桃田さんを紹介。

 「桃田未絵です。よろしくお願いします」

 一言もらったけど、さらに普通。淡白すぎでしょう。最近の高校3年生、弾けてかな

いと。もっとピチピチしないと、すぐ老け込んできちゃうよ。私のこと、オバさんとか

言ってくれちゃったりするけど、すぐにその立場になるんだから。って、こんなの言っ

てる私こそヤバそうだけど。




 伊東紗和、出席番号4番。

 転任の先生に転校生、新年度って感じがする。2年生から3年生にかけてはクラス替

えもないし、こういうのは助かるかも。皆もなあなあにならないし、気分も下がらずに

いられそう。

 稲田先生は実直な印象。薄味そうに思えるけど、初日だからってことだろう。本当は、

誠実で硬派なところもありそう。福山先生がまだ頼りどころが足りないからよかった。

安心。

 桃田さんは清新な印象。なんていうか、艶やかで色っぽい。高校の制服から漂わせる

のは難しいんだろうけど、そんな感覚を受けてしまう。この人には引き込まれるものが

ある。

 「じゃあ、伊東さんお願い」

 「あっ、ハイ」

 立ち上がり、教壇までの短い距離を歩く。たぶん視線を浴びてるんだろうなと思うと、

未だに慣れない感覚に襲われる。注目されるのは得意ではない。ただ、無視されるのは

それ以上に嫌。だから、苦手だとしてもそっちを取っておく。誰かに必要とされてない

のは悲しい。

 ホームルームの前半は福山先生からの諸事項の連絡。後半は私がクラスの決まり事の

話し合いを受け持つ。今日は更新事項の確認がほとんど。クラス替えがないから、特に

新しく決めるべき事もない。私は既に決まってる事を喋っていく。皆は当然のように私

の話を真面目には聞いてない。程よい割合の声量で無駄話をし、それをしてるのも学級

の程よい割合。怒られないぐらいの適度なコツを自然と掴んでる。それに対して、私も

別にとやかく指摘したりしない。したって大して変わらないし、反感もらうだけだし。

そんなことするぐらいなら黙って見過ごしておくのが無難。

 学級委員は嫌われ者であってはいけない。そんな決まりはないけど、それが通常。大

概はクラスの人気者か勤勉者がなるのも通常。人気投票でなるか押し付けでなるか。私

は間違いなく後者。校則から外れない外見に優等生な内面。「ディスイズ」って感じ。

あいつにやらせとけばクラスのメンツは大丈夫でしょ、っていう。応える私も私だけど、

そこを断らないのも学級委員になるようなタイプ。押し付けられたまま寄り切られる。

まぁ、いいんだけど。




 桃田未絵、出席番号28番。

 「明日からは授業だからね」

 ホームルーム終わりの号令の後、気を抜く生徒たちに福山先生が言った。それを耳に

入れてるだけの生徒とそれも分かって言ってる教師。ありやすい教室の風景、要は普通。

息を一つつく。ここも一緒だ。場所が変わってるだけで、前と状態に変わりはない。私

の未来は見えている。

 「ねぇ、桃田さん」

 誰。言葉の方へ向いてみると、さっきまで教壇にいた人だった。名前は分からない。

っていうか、まだ誰の名前も分からない。とにかく、ちょっと口角上げぎみにこっちを

覗き込んできてる。

 「よかったら、一緒に帰ろう」

 絶妙。なんていうか、転校生にかける第一声の優しい言葉として。調子も固すぎずに

フランクすぎず。気を使い慣れてる人なんだろう。断る理由もなかったから2人で帰る

ことにした。

 「私、伊東紗和。学級委員もやってるから、何か分からないこととかあったら遠慮な

く聞いてね」

 「ありがとう」

 感情を悟られないぐらいの返答にしておく。相手の行動に浸かることは止めておいた。

優しさをくれるのはありがたいけど、それは私だから向けられたものじゃない。私が転

校生だから。転校生だから学級委員として、っていう。卑屈な考え方は承知してるけど、

最初は冷静にいきたい。信用していい人なのかどうか、しっかりと見極めてからじゃな

いと心は開けない。

 「ごめん。私、こっちが帰り道だから」

 大通りに出た時、真っすぐ進もうとする伊東さんに左を指して言った。

 「あっ、そうなんだ。分かった。じゃあ、また明日ね」

 爽やかな顔を見せて手を振る伊東さんに、私は顔色を変えずに手を振る。それぞれの

帰り道を歩き出すと、一度後ろを振り返った。伊東さんも一度こっちを向いて手を振っ

てきたので、振り返しておく。心が苦くなった。




 長岡純平、出席番号13番。

 部活終わりに自動販売機で買った炭酸飲料を一気に半分は飲む。これが毎日の幸せ。

このために厳しい練習にも耐えてる、って言っても過言じゃない。喉から体に広がって

いく刺激はたまらない。常にペットボトルの水は持ち歩いてるけど、温くなった水より

冷えた炭酸に限る。爽快感が違う。自分の中で決めてある4種類をその日ごとに変えて

飲むのがルール。ちなみに、今日はメロン。

 良い気分に浸りながら歩いてると、急に周りを数人に囲まれる。顔を見たら、すぐに

誰であるかは分かった。いつものメンバー。これから言われる言葉もされる行動ももう

分かってる。

 「よぉ、長岡。元気してるか」

 相手の4人のうちの1人に肩を強引に組まれる。背はこっちの方が上だけど、強気で

来られると勢いに負けてしまう。そう思ってる間に残りの3人が近寄ってくる。威圧を

覚える。

 「なぁ、いつもの恵んでくれよ。ジュース買う金持ってんだろ」

 そう言い、1人が俺の盛り出たお腹にトントンと軽く拳を当てる。言うこと聞かない

ならもっと強い力で当ててやるぞ、っていう威嚇。こうなっては従うしかない。バッグ

から財布を取ると4千円を渡した。

 「いやぁ、助かるよ。長岡のカンパには」

 そう言い残し、4人は笑い声を出しながら去っていく。毎度の流れだった。こっちの

弱さを突いてきて、お金を巻き上げる。無理に奪うわけではなく、こっちから自発的に

出すようにさせる。そうすることで、後で何かあった時の言い訳にするつもりなんだろ

う。あいつから渡してきた、ぐらいに。

 こんな事をされるようになったのは1年生の頃からだ。あの4人は1年生の時の同級

生、その時から都合のいいように使われてきた。初めはあれをしろ、これをしろ、とい

う命令だけだったけど、そのうち金銭を要求されるようになった。バイトをしてるから

お金はある程度あるけれど、そういう問題じゃない。プライドの問題だ。俺のプライド

はとっくにズタズタ。自覚してる。自覚したうえで何も対処していない。心の弱さ、そ

れだけだ。




 福山蓮子、3年1・2組副担任。

 翌朝、職員室に着くと、稲田先生は既に来ていた。挨拶をしたら、あっさりと返事を

される。やっぱ、掴みどころないな。なんていうか、表面より奥にあるものが見えてこ

ない。

 「何してるんですか」

 「一時限目の3組の出席簿です。一度、目を通しておこうと思って」

 予習なんて熱心。名前間違えたら、おちゃらけてごまかせばいいのに。あっ、そうか。

おちゃらけないタイプだから、間違えないようにしておくのか。もしかして、プライド

かなり高い方かな。いるんだよねぇ、必要以上に高い設定にしてる人。あなた、設定の

操作が違ってるでしょ、っていう。まぁ、稲田先生は見た目から高そうに見えるからい

いんだけど。

 一時限目は1・2組。副担任をしてるのもあって、割と愛着はある。3年の6クラス

の中では結構生徒との距離も近くに持ってる。贔屓って単語は良く思えないけど、偏り

がないとは言わない。そう、教師も一人の人間。それに折角だし、若いパワーをもらっ

とかないと。まだ私だって24歳だけど、さすがに現役の高校生たちと毎日接してたら

違いは否が応にも認識してくるもの。悲しき現実。されど、受け止めざるをえない現実。

なるべく離されないようにと思ってる時点で実は離されてしまってる、という現実。現

実って怖い。

 1・2組の授業態度は中々と言える。褒めたもんじゃないけど、他のクラスに比べた

らマシってとこ。他のところなんて、早弁するし、携帯で電話しに教室出てくし。1組

にはそこまで曲がったところはない。それに、成績も良い。もちろん、良い人と悪い人

がいるわけだけど良い人の方が頑張ってくれてる。副担任としても誇り高い。これもひ

とえに伊東さんが学級の象徴的存在になってくれてるからだろう。彼女のおかげで1組

には周りから賢いイメージが付いている。期待を持たせて、それに応えてくれる逸材。

出来た高校生だなぁ。

 「ヘックシッ」




 渥美衣代、出席番号1番。

 「ただいまぁ」

 夜の20時過ぎ、衣代さん帰宅なり。大体、帰りは毎日このぐらい。友達や彼氏と駄

弁ってて、なんとなしに会話も止まるのがこのあたりだから。まぁ、毎日学校から一緒

なんだから、そりゃ話も無くなるってもんよ。

 「お風呂入っちゃいなさい。お父さん、そのうち帰ってきちゃうから。お父さんの後、

嫌でしょ」

 はいはい、分かってますよ。いっつも同じこと言われてんだからさ。そう反抗したく

もなるけど、確かにお父さんの後は気が落ちるから素直に入っとく。お父さんが何した

ってわけじゃないから悪いけど、世の中そういうもんだから。ってかさ、「おかえり」

ぐらい言いなさいって。

 お風呂、夕食、テレビ、弟とゲーム、自分の部屋でマンガ、就寝。これが基本的な夜

の生活の流れ。お風呂は長くはない。そんなに湯船にいられない方。夕食は腹八分目で

止めておく。彼氏もいる身だから、ぽっちゃりは困る。テレビはもっぱらバラエティ。

ドラマは現実感なくて嫌。あんな格好いい男女、そうそういないって。ニュースなんて

見たって全然分かんない。

 「衣代、あんたもそろそろ受験勉強とかしたら」

 「大丈夫。皆もそんなしてないし」

 嘘。ホントは結構してる。

 「それでも、もう3年生なんだから進路の事とか考えなさいよ」

 「うん、分かってるってば」

 嘘。完璧な受け流し。

 だってさ、受験勉強なんて堅苦しそうじゃん。もっと押し迫ってきてからやればいい

んだよ。今は今しかない青春を楽しむべし。




 稲田景勝、3年1組担任。

 仕事を終え、学校を出る頃には空はすっかり暗くなっていた。背中を丸めて歩くサラ

リーマン、有り余る力の余りで歩く学生、これからが始まりと浮き足立って歩く若者。

いろんな人間と擦れ違い、繁華街に近づくほど活気は増していく。陽気な人間がいて、

陽気な音楽が流れ、陽気な気を起こしていく。飲食店や雑貨店から薄気味の悪い店まで

が建ち並び、一体を形成する。形成された街はどうにも掴みどころのない雰囲気を醸し

ている。

 流れていく人を交わしながら、左右に続く街の様子を捉えていく。瞬間、その中に異

感が生じた。見覚えのある人物が数人に囲まれている。なにやら一方的に話され、奥の

方へと連れていかれた。違和感にくすぶられ、行く先へと歩いていく。ゲームセンター

に入り、奥の方へ行くと裏の道に出る自動ドアがある。そこから出ると、狭い道があり、

先にさっきの集団がいた。やっぱりだ。集団の中央にいたのは長岡純平。1組の生徒だ。

体が大きいのもあって、早くに顔と名前が一致している一人だった。嫌な予感が体の中

をよぎる。

 物陰に隠れ、そっと様子を見ることにした。慌ててしまいそうになる場面だが、ここ

でこそ冷静さは求められる。事態も把握せずに正面きって飛び出すのはかえって無責任

ともいえる。視線を長岡に合わせる。周りを囲んでいる3人の気早そうな男に寄られ、

渋々とバックから財布を取り出した。金額は分からなかったが、お札を数枚手渡してい

る。それが何を意味してるかは当然に察知したが、姿を現すことは止めておいた。男た

ちが長岡から離れていくのを見届け、すぐにその場を後にした。




 長岡純平、出席番号13番。

 自宅に帰ると、素知らぬ顔をして家族と言葉を交わす。お菓子を手にして部屋に上が

ると、ベッドに仰向けに寝転ぶ。溜め息をつくと、お菓子に手を伸ばしていく。気分が

萎えてる分、おやつで気をどっこいにする。まぁ、お菓子を食べたい後付けではあるけ

れど。

 さっきの場面が頭に思い浮かぶ。見知らぬ男3人から迫られ、金を渡した。分かって

る。カツアゲ。被害は二千円。これで、もう何度目になるだろう。同級生から、先輩か

ら、挙句には知らない人間から。そんなに、自分は金をたかれそうな気配を出してるん

だろうか。「どうぞ、私から金をもらってください」と背中に貼り紙でもしてあるんだ

ろうか。不思議なくらい、犠牲に遭ってきている。おそらく、最初は気の弱さからだっ

たんだろうけど、次第に負の気が体中に充満してしまったんだろう。それが相手にも伝

わり、こうなると。

 幸いな事は、これが誰の耳にも届いてないという事。両親や学校やクラスメイトにも

しこんな事実がバレたら自分の立場は急落だ。元々下の方にある立場なのに、これ以上

下がったらどうしようもない。誰も相手をしてくれなくなるんじゃないか。男子からは

ヘタレと呼ばれ、女子からは可哀相な目で見られることになる。それはあまりに悲しす

ぎる。

 どうすればいいんだろうか。当然に金なんて渡したくないし、回避できる方法がある

んなら今すぐに知りたい。ただ、相手は複数で来るから勝てそうにないし、変に抵抗を

して余計に狙われることになったらたまらない。正直、それで何も起こらずに解決され

るなら、という気持ちで金を出してしまってる。平穏主義者である自分が喧嘩に巻き込

まれないようにするための道具のようなもの。武器は最初から持たない。無抵抗の主張。

そのおかげか、不必要な暴力を受けることもない。金は身を守るための道具、嫌な言葉

だけどそれが1番ピッタリときた。




 福山蓮子、3年1・2組副担任。

 朝来るなり、稲田先生に「ちょっといいですか」と呼ばれた。私、何かおいたしちゃ

ったっけ。考えてみたけど、特に浮かばない。まだ、そんなに突っ込んだ話とかもして

ないし。いたって、事務的な会話のみ。そこにミスでもあったんだろうか。いや、無い

はず。でも、こうやって呼ばれるってことは他の先生たちの前じゃできない話ってこと

でしょ。

 そんなこんなの間に会議室まで移動。ドアを閉めたら、そこは密室。いや、窓が開い

てた。稲田先生は長机に腰を掛けて、なにやら考えてる。もぉ、頼むから怒るのとかは

止めようよ。

 「実は昨日、駅近くの繁華街のゲームセンターでウチのクラスの長岡を見ました」

 「はい」

 よかった。私の話じゃなさそう。

 「そこで長岡が3人の男からカツアゲをされてました」

 「えっ、どうして」

 「いや、俺もその場しか見てないんで説明しようがないんですけど」

 「相手は。この高校の生徒ですか」

 「もっと上のように見えました」

 上か。それなら、大きな問題にはならないで済みそう。んっ、待てよ。

 「先生、その場にいたんなら助けてあげればよかったじゃないですか」

 「そうですね」

 そうですね、って。落ち着きすぎでしょ。

 「えっ、長岡くんがカツアゲされてるのをただ見てたんですか」

 「はい、そうですけど」

 いやいやいや、絶対違うでしょうに。そこは格好よく登場して、勇猛果敢に野郎ども

を撃破して、教え子を体で守る、ってベタな筋書きでしょ。私だって、その場にいたと

したら・・・・・・まぁ、それはそれとして。

 「それは冷たいんじゃないんですか。生徒がお金を取られるのを見て見ぬ振りをする

なんて」

 「見て見ぬ振りはしませんよ。きちんとこれから対処します」

 「ただ、あそこで俺が何も考えずに飛び出していくのは違うと判断しただけです。あ

そこで俺が出ていけば、争いが大きくなって警察が来る事態になってたかもしれない。

そうなれば、今回のことは警察沙汰になってしまいます。それは間違いなく学校にも伝

わるでしょう。そこから、学校中に知れ渡るかもしれない。そうなったら、長岡はひど

く傷つくでしょう。もしかしたら、学校に来れなくなることにもなりかねない。これは

あくまで未来の可能性でしかありませんが、それと現実を引き合いにして考えた結果、

俺は手を出さない方がいいんじゃないかと思ったんです」

 あれっ、すごい尤もなこと言われてる気がする。正論かは分からないけど、現実的な

意見。冷たいんじゃなく、冷静な判断。このまま言っても、私が丸め込まれるのは時間

の問題。

 「じゃあ、これからどうするんですか」

 「長岡と話すつもりです。もし、昨日のような事が定期的に行われてるんであれば、

ちゃんと力になってやらないとならないし」

 それ以上、私に突っ込む余地はなさそうだった。きっと、稲田先生の中で全て計画的

に考えが組まれてるんだろう。私に告げたことは相談ではなくて報告。ある意味、怒ら

れるのと変わらない後味が残った。

 「ヘックシッ」




 稲田景勝、3年1組担任。

 昼休みに長岡を会議室に呼んだ。どこでもいいから座れと適当に指し、一間を置いて

から話を始める。

 「昨日、お前のことを見た」

 その言葉に、長岡の反応はない。しないようにしたのか、出来なかったのかは分から

ない。

 「19時頃、ゲームセンターでだ」

 ここまで言えば、詳細は言うまでもないだろう。やはり、長岡の反応はない。知られ

たくない事だっただろうが、知らない振りなど出来やしない。教師として、大人として

向き合う必要がある。

 「俺は遠目からお前が3人の男に連れていかれるのを見て、追いかけた。そしたら、

お前はその男たちにお金を渡していた。カツアゲだと思う。何を言われてたか、いくら

渡したか、どういう関係なのかは分からない」

 「助けなかったのはすまなかった。謝る。ただ、あそこで俺が出ていったとすると、

騒ぎが大きくなって警察が来たかもしれない。それはお前が望まないと思った。警察に

知られたら、学校に知られ、生徒にも知られるかもしれない。おそらく、お前はそっち

の方が嫌なんだと思ったんだ。騒ぎを大きくしたくないから金を出した。そうだろ」

 依然、長岡の反応はない。こっちを向こうともしない。それでも、どういう心持ちで

そこにいるのかは分かった。第三者に見られてしまった、という居たたまれない思い。

長岡の立場に立ってみれば、その苦しみは察してやれる。これがクラスメイトの耳に知

れる事は危惧すべき事だ。3年1組には長岡の友達がいて、仲間がいて、好きな子もい

るかもしれない。その関係性が壊れるような事態は避けなければいけない。苦渋の決断、

そういうことだろう。

 「今回が初めてか」

 カツアゲをされたのは、という意味で言った。長岡からの返答はない。それが答えの

代わりだろう。初めてなのなら答えられるはずだ。真相はそれより重いところにある。

だから、答えられない。

 「いつからだ」

 「いつからやられてる」

 長岡は大きく息をついた。追い込まれている。追い込んでいるのは、自分と過去の長

岡自身。苦しめているのは申し訳ないが、このままでいいわけはない。抜け出さないと

いけない。

 「長岡、いいか。お前に足りないのは勇気だ。ここで俺に本当の事を話して、お前に

マイナスは絶対ない。あとは、お前が勇気を出して俺に話してくれるだけだ」

 長岡と目線を合わせ、強い視線で言いきる。建て前なんかじゃなく、本物の言葉だと

伝わるように。長岡も弱い視線でこっちを見ている。それを信頼の線として、逸らさず

にいく。

 「1年生の時からやられてます」

 長岡が重い口を開いた。

 「ウチの生徒からか」

 「1年の時のクラスメイトと、そこと繋がりのある先輩と、あとは昨日みたいに急に

知らない人にやられることもあります」

 少し驚いた。2年前からなら、結構な数でやられてるんだろう。しかも、不特定多数

から対象にされてるのなら、根っからの弱者気質になってしまい、それが次を生み出す

連鎖になってしまってる可能性が高い。

 「断ることは出来なかったのか」

 長岡は身長は180あたり、体重も100あたりはありそうで体格はいい。柔道部に

所属してるから力では負けないんじゃないだろうか。

 「相手は複数で来るから逃げれそうにないし。喧嘩も嫌だし、やっても負けそうだし。

お金で丸く収まるんならいいかな、って思って」

 なるほど。昨日のように複数で来られるってことか。数人で一人にたかる、最低な人

間のやることだ。なんで、長岡のような奴がその犠牲にならないといけないんだ。嫌な

現実だ。

 「その金はどうしてるんだ」

 「バイトしてるから。その給料で」

 「どのぐらい持ってかれてるんだ」

 「月に2~3万円ぐらい」

 「バイトの給料は」

 「月に4万円ぐらい」

 目を閉じ、息をつく。あまりにも理不尽だ。学校で勉強して、部活で体力を使って、

その後の労働で得た給料の半分以上を奪われてるなんて道理に合わなすぎる。こんなの

おかしい。

 「それは違うだろ、長岡。お前の気持ちも分かるけど、そんなのがまかり通っちゃい

けない。いいか、お前がそいつらに払わなきゃいけない金なんて一円だってない。そん

な、人から金を巻き上げるような奴らの思うようにやらせちゃいけない。分かるだろ」

 長岡はこちらを見たままでいる。迷っている。俺の言ってる事はもちろん伝わってる。

だからこそ、自分の思いとやるべき行動の狭間で揺れている。その姿はもどかしい。た

だ、ここで正しい方向へ導いてやらないと。

 「長岡、勇気を持て。お前は変わらないといけない。勇気を持つ事には勇気がいるが、

これは超えないとならない壁なんだ。お前はもっと強くなるんだ。肉体的にじゃなく、

精神的にだ」

 長岡はずっとこちらを見ている。この新参者の教師を信じていいのか、という視線。

それに対し、俺を信じろ、という視線を送る。自信と確信を備わせた目でもって。

 「大丈夫。お前なら出来る」

 力強い言葉とともに、長岡の肩に手を置いた。




 長岡純平、出席番号13番。

 数日後、時は来た。4時限目の授業が終わると、教室の外からいつものメンバーに手

招きされた。立ち上がり、その後ろを着いていく。3人が前で喋りながら歩いてる隙に、

後ろでバレないように携帯の電波を送信しておく。

 連れていかれたのは校舎裏のゴミ置き場の近く。学校で呼ばれるのはここと決まって

いる。そして、お決まりのようなだらだらした言葉でふわふわした理由を並べ、最後の

言葉は「なぁ、いつもの恵んでくれよ」。全てが通常の通り。でも、今日はそうはいか

ない。

 「お金はない」

 「なんだよ、財布忘れたとか言うんじゃねぇだろうな」

 「違う」

 「お前らに渡すお金はない」

 相手の表情が変わる。睨むような視線が痛い。正直、緊張はピークに達してる。それ

でも、負けるわけにはいかない。変わらないといけないんだ。

 「はぁっ。お前、何言ってんのか分かってんだろうな」

 「あぁ、分かってるよ」

 「この野郎、痛い目にあわせてやろうか」

 言葉と同時に胸倉を掴まれ、首元へ上げられる。後ろの2人も臨戦態勢に入ってる。

恐い。

 『大丈夫。お前なら出来る』

 稲田先生の数日前の言葉が頭をよぎる。そうだ、俺なら出来る。俺はこいつらよりも

強いんだから。

 首元にある相手の腕を左手で掴み、制服の背を右手で掴むと、左足を外から払って、

思いきり投げ飛ばした。こっちの反撃を予想していなかった相手の体は油断の分だけ遠

くへ飛んだ。3人の度肝を抜くには充分な距離。

 「俺は今後びた一文も渡さない。分かったか」

 言ってやった。ちゃんと言えたぞ。

 「ちょっと。そこ、何やってんの」

 そこに、更なる加勢。福山先生の言葉。教師の登場に、相手は3人とも事態の悪さを

察して一目散に逃げていく。その様子がなんだか信じられなかった。勝った。俺はあい

つらに勝ったんだ。滲み出てくる幸福感が体中を包んでいく。今にも飛び跳ねたい一心

だった。

 「長岡くん、大丈夫」

 福山先生の言葉に、軽く頷く。大丈夫どころじゃない。いつもならお金を盗られて気

も落ちてたのに、今日はお金も盗られずに気は最高潮だ。

 「ったく、稲田先生も変なこと考えるよねぇ」

 そう、これは稲田先生が考えた筋道だった。呼び出しをされたら、まず先生に連絡。

カツアゲされそうになったら、金輪際一円たりとも渡さないと断言。相手が力ずくの勝

負に持ち込んだら、迷わず柔道技を仕掛ける。体格的に、そこで俺が負ける要素はない。

それで問題ないはないだろうけど、それでも相手が折れなかった時のための保健として

福山先生が登場。都合のいい登場を怪しまれないよう、ゴミ袋を持って現れる。偶然に

その場に遭遇したという強調。ここまでが稲田先生のシナリオ。そして、見事にそれが

嵌った。

 カツアゲをしていたメンバー3人は職員室に呼ばれ、学年主任の森繁先生から責めら

れた。カツアゲをしていたとは言わなかったが、曰く付きの状態であったことは見抜か

れて注意を受ける。

 その後、3人は稲田先生からも内々に責められた。俺はお前らが長岡から金を取った

のを見た、長岡が大事にしたくないから上には言わない、ただ次に同じ事があったなら

黙っておく保障はない、こんなことが知れたら注意どころじゃ済まない、内申書に繋が

って受験に響く、教師や生徒や両親から白い目で見られる、だから二度と長岡に近づく

んじゃない、これまでに長岡から奪った金は返さなくてもいい、それは精神が弱かった

過去の自分への責任としての長岡の自らの戒めだから、と。

 なんだか、スッキリとした。心の中が晴れていく感覚。まさか、こんな日が来るとは

思ってなかったから。このまま、卒業まではおとなしく縮こまってる日々が続いていく

ものだと思ってた。それが稲田先生のおかげで一気に解決してしまった。ありがたい。

なんか・・・・・・良い先生に出会えたかもしれない。




 森繁八重子、学年主任、3年3組担任。

 稲田先生から報告を受けて、3年の生徒3人に注意処分をした。3人は1組の長岡純

平と喧嘩になったらしく、幸いに大事になる前に福山先生がその場を目撃して殴り合い

にまでは発展しなかったようだ。

 被害者側の長岡には稲田先生がケアにあたっている。さっきの報告の時、稲田先生は

いやに堂々としていた。こういう時、普通は気まずそうな雰囲気を流すものじゃないん

だろうか。なのに、あの先生はそんな様子を見せなかった。肝が据わってる、と解釈す

ればいいんだろうか。

 そう考えている時に校長室へ呼ばれた。何の用だろうと思う。校長室の扉を開くと、

奥には貫禄さえ漂わせる重鎮の姿があった。側へ近寄ると、体の中で引き締まるものが

ある。

 「お呼びいただいたようで」

 「あぁ、大したことじゃないんだ。新しく入った3年生の先生の様子はどうかなと思

ってね」

 「はい。稲田先生は順調に仕事をこなしています。田蔵先生はまだ慣れないところも

あるようですが、徐々に順応していくでしょう」

 「そうですか。なら、よかった」

 納得している校長へ質問を投げてみる。

 「校長、どうして稲田先生をウチに転任させたんでしょうか」

 「んっ、何かあったんですか」

 「いえ。少し疑問に思っただけです」

 「なんてことはない。優秀な先生だからですよ」

 予想通りの返答が来た。優秀な教師なら、相手側の学校が手放さないんじゃないだろ

うか。疑問が深まっただけだった。




全18話、本に換算すると444ページになる長篇です。

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