トリトニアの伝説 外伝10 無言歌
この作品は「トリトニアの伝説」の外伝です。
これまでのあらすじ
海人との混血児一平は、艱難辛苦の末、ようやく王女のパールとの結婚に漕ぎ着けた。
トリトン神からの宣旨が下り、青の剣の守人となった一平は昨日から右宮に入り、パールと生活を共にしている。
今日は朝から侍従長のブルッフに案内されて引き継ぎや確認、そして領民からの挨拶に忙殺されていた。
山積みの仕事を終えた頃には晩餐の時刻がすぐそこに迫っていた。
主宮からパールと共に右宮についてきた侍女のフィシスが、畳まれた衣服をパールに手渡した。
詳しくは本編一部〜七部をご覧ください。
「これを着るの?」
手にした夜着を広げ、パールは首を傾げた。
「ええ…」
フィシスの肯定の言葉に一層疑問を投げ掛ける。
「こんなの選んだかしら?」
「沢山ありましたからね。覚えていらっしゃらなくても無理もありません」
一平との結婚が本決まりになったことで、婚礼の準備はかなり慌しかった。婚礼の衣装ほ元より、TPOに合わせた様々な衣装を選び、試着し、必要なら縫製の依頼をする。
パールが付き合ったのは試着だけと言ってよかったが、それも膨大な量を一日二日でこなす、というハードスケジュールであった。後半はもうどれを選んだのか、いつ着るものなのか、頭の中は大混乱で疲れ切ってしまったパールであった。
「…ねえ…」
あまり気乗りしない口調でパールはフィシスに呼び掛ける。
「はい?」
「…品がないのではなくて?」そう感じるのも尤もである。「着てないのと同じじゃない。着る必要あるの?」
流石のお気楽娘のパールもついに人妻となった。今は新婚二日目の夕方である。
フィシスの用意してきた夜着は素材も薄く、肌が透けて見えるほどだ。フリルや襞は多くとられているが、肝腎なところが隠されているとは言えない。脱ぎ着も、細いリボンを軽く解いただけで簡単に行える。言ってみれば、歓楽街の女たちが身につけていそうな官能的なものだった。
「お恥ずかしければ、こちらのショールを羽織られるといいですわ」
フィシスはそう言って、身体全体を覆えるほどの長さの軽めのショールを手にしてみせた。
「……」
パールはショールを見てじっと考える。
「昨日はこんなの着てなかったじゃない。どうせ脱いじゃうんだから、必要なくない?」
「……」
今度はフィシスが絶句する番であった。
何とはしたないことを、この姫は躊躇いもなく口にするのか。本当に、まだまだお子様でいらっしゃる。
一平さまもお気の毒に、と晴れて恋女房を得て幸福の絶頂にいるはずの右宮の主人に対し、同情する。
「こちらの方が、より愛していただけると思いますよ。男の方はこういうのがお好きらしいですから」
自分もはしたないことを言ってはいまいか?とフィシスは己を顧みる。
いや、しかし、この女主人に対しては、遠回しにものを言っても通用しないのだから仕方がない。
「うーん…」
パールはこの服を着た自分を想像する。
いや、絶対似合わないでしょ、と断言する。自分は胸もないし、腰の括れもろくにない、ボーンフィッシュみたいな体型なのだから。こういうのはニーナやエスメラルダのようにグラマラスな女性にこそ似合うに決まっている。
そう言うとフィシスは更に言い募った。
「ですから余計に…ですわ。唆らないお身体ですからこのようなもので色気を演出しませんと。その方が妄想も働きますし、気持ちも昂るのではないかと。…あら、失礼…」
自分でわかっていることを他人に言われると落ち込むものである。パールはあーあ、と座り込んでしまった。
フィシスはそっとパールの隣に寄り添った。
「姫さま…」
優しい、慈愛のこもる口調にパールが目を上げる。
「夕べは…いかがでございました?」
新婚初夜のことを侍女風情が尋ねるのはあるまじきことではあったが、パールの場合、必要があるとフィシスは判断した。
男女の契りのことなど何も知らぬままに結婚の運びとなったことに焦って講義をしたが、真実わかってくれたのかどうかには不安が残るものがあった。最終的には一平に実技を押し付けてしまったような形になっていたので、確認しておきたかったのだ。
この二年間この姫に付き従い、お相手の一平の為人を知るようになって、信頼に値する人物であると太鼓判を押せるまでになった。が、恋人の幼さに手を焼いている純情な青年であることもわかっていたから、心配の棚は尽きない。
どうせ脱いじゃうんだから、などと言っているところからすると、無事初夜を迎えられたようではあるが。
訊かれてパールは恥ずかしそうに下を向く。
「夕べって…。赤ちゃんができるようにしてくれたかってこと?」
それが一番重要らしい。この姫には。一平との赤ん坊を産むことが目下究極の望みなのだ。この姫にとって結婚とはその手段に過ぎないのだった。
「大丈夫でしたか?何かお困りになったことは?」
「うん。痛くもなかったし。三回も、してくれた」
「あら…」意外ややり手ではないかと、フィシスは目を丸くする。
「でもね‥寝ちゃったんだ、パール。気がついたら朝で、お寝坊しちゃった」
「まあ…」
なんと可愛らしい。フィシスは相好を崩す。これなら大丈夫だろう。もう心配することもない。一平は上手くやってくれたのだと胸を撫で下ろす。
「姫さま…」
「何?」
「もう、フィシスは何も訊きません。困ったことがあれば拝聴致しますが、お二人の夜のことには口を挟みませんから。先程のような会話もこれきりに致しましょう。そしてくれぐれも、他の方のお耳には一切入れないでくださいましね」
「‥もちろんよ。フィシスはパールの尊師だもの。ちゃんと守ります。でも、これからもいろいろ教えてね⁉︎」
「尊師だなんて。光栄ですわ。こちらこそ、ずっととおそばにいさせてくださいませ」
にこやかな微笑みを浮かべる女主人の顔は、もう少女のそれではなかった。夫の愛に満ち足りた人妻のものであり、母親のシルヴィアによく似ている、とフィシスは感無量であった。
その夜。
晩餐を終えたところへ部下から使いが来て、一平は呼び出されて行った。
片付けが終わっても一平はまだ帰って来ず、パールは先に着替えて寝室で待つことにする。
右宮の奥にある守人夫妻の部屋に一平が戻って来た時には、パールの姿は居間にはなかった。
(あれ?)
「パール?…どこだ?…」
トリトニアの宮殿は広いが、プライベートの空間はそうでもない。パールはすぐに見つかった。
(…寝てる…)
早すぎないか⁈と思った。
一平は溜め息を吐いて、パールが横になっている寝台へ向かった。
これからイチャイチャしようと思ったのに、と思う反面、疲れているのならこのままにしておこう、でも体調が悪いのならそのままにしてはおけないなと過度な心配をする。
パールは夜着の上から長いショールをぐるぐる巻きにして寝ていた。
(何だ?この布…ショールか?)
こんなに巻きつけて、寝返りの拍子に首でも絞まったらどうするんだと、ショールを解くため手を掛ける。
そんなことをしても多分睡眠の妨げにはならないだろう。一度眠りに就いたらパールはそう簡単には起きない。少なくとも旅をしていた頃はそうだった。
ショールをどけているうちに気づいた。ずいぶんと薄い夜着を着ている。薄すぎて肌が透けて見える。
(え⁉︎)
透けて見えるのは肌だけではなかった。一平は狼狽した。夕べくまなくその目に収めたはずなのに、心臓が早鐘を打ち始めた。
(何でこんなの着てるんだ⁉︎)
女性がこういう服を着ているのを見るのは初めてではない。一平を嵌めようとしたニーナも、最後の儀式の時のミラも、このような服を着て近づいてきた。それらの女たちは皆見事な体つきをして色気を漂わせていたが、一平は陥ちることはなかった。
一平を誘う気などまるで発せずにすやすや寝ているのに、パールのその姿は一平の心臓を射抜いてしまう。
(パール…)
目が離せない。
眠り姫のように口付けて起こしたい。そのまま抱き締めて身を沈めたい。昨日のように…。
(いや、まずいだろ。寝てるってことは眠いんだ。身体が睡眠を欲しているから眠ってるんだ)
一平は葛藤する。
起こしてパールが応じてくれたとしても、また昨日のようになるのがオチだ。
(向こうで寝るか⁉︎)
居間にある長椅子を思い浮かべる。パールを起こすという選択肢はあってはならないと、彼の脳から指令が下る。
(いや、それも不自然だろ?…)
晴れて夫婦となったというのに、敢えて別々に寝る必要があるわけない。
(しかし…)
こんな姿のパールが隣にいては、安らかに眠れる自信がない。
結局一平はギンギンのまま、朝を迎えたのであった。
よく寝たのでパールの目覚めはすっきりしていた。
ふわあ、と目を擦ると、一平の背中が目に入った。
(あれ?パール、寝ちゃったのかしら…))
気配に敏い一平が、パールがごそごそ動いているのに微動だにしない。
身を乗り出して顔を覗き込むと、疲れ果てたような顔をして眠っている。
きっと夜中まで仕事をしていたのだろうとパールは思う。
そっと寝台を抜け出して朝の支度にかかる。昨日の挽回をしなくては。
今日は何を着ようか考えて、自分の身なりを思い出した。
(意味なかったなあ…)
次からはもうこんな夜着を着るのはやめようと、パールは思った。
(トリトニアの伝説外伝10 無言歌 完)
結婚したのに相変わらず純情な一平くんです。
がんばれ!
次回より本編に戻ります。
物語もクライマックスです。
しばらく準備期間をいただきます。




