玉座の再興と、永劫の平和への布石
敗走するシュタインベック軍の喧騒が遠ざかった後、戦場には沈黙ではなく、救いを求める声が残されていた。武器を捨て、地に膝をついて降伏を願い出る兵士たち。アーサー王子は、彼らをただの「捕虜」として鎖に繋ぐことはしなかった。彼は、自身の理想とする「寛容」に基づき、彼らを自らの意志で軍を離れた「亡命者」として扱うことを決断したのである。
特務を担うリヒターによる、亡命兵たちへの迅速な聞き取り調査が進められた。その結果、衝撃的な事実がもたらされる。「ユルゲン王は……アイゼンベルク参謀長ら軍幹部によって、地下牢へと幽閉されている、と」その確信を得たアーサーは、すぐさまダベンポート王のもとへと向かった。
王城の謁見の間。ダベンポート王は、愛息の報告を重い面持ちで受け止めた。「アーサー、確認させてくれ。ユルゲン陛下は、アイゼンベルクら一部の不逞な軍幹部により幽閉されたものであり、今回の野蛮な侵攻には一切加担していないのだな?」「はい、父上。亡命してきた兵たちから得た、複数の証言に基づく確かな情報です。また、シュタインベックに潜入させている我が国の密偵からの報とも、細部に至るまで矛盾いたしません」
アーサーの迷いのない言葉に、王は深く椅子に背を預けた。窓から差し込む陽光は穏やかだが、その瞳には王としての冷徹な計算が宿っている。「シュタインベック王家は、古くは我が一族と縁戚関係にある。ユルゲン陛下をここで救出し、軍部の手に落ちた王家を再興させることができれば、この大陸の平和はより長く保てるのではないか……。お前はどう思う、アーサー」
アーサーは一歩前に出ると、静かに、しかし力強く応じた。 「同感にございます。軍部の暴走を放置すれば、彼らは三度、我が国への侵略を企てるでしょう。現軍部を徹底的に排除し、ユルゲン陛下による王権を取り戻すことは、我が国の安全保障の観点からも火急の要務かと存じます」
王は満足げに頷き、わずかに口角を上げた。「そうだな。ウェンディ殿やアマンダ殿、そして次世代の子供たちが振るう魔法の術も、いつかは破られる時が来るかもしれぬ。武力や魔力といった『力』に頼るばかりでなく、信義に基づいた『秩序』を築くことこそが、真の防壁となるのだからな」
二人の王族の決意は、もはや自国の防衛に留まってはいなかった。それは、虐げられた隣国の王を救い、腐敗した軍部を掃討する——すなわち、真の平和を確立するための「解放」への幕開けであった。
39・潜入への軍議と、不殺の誓い
最前線基地となったキャリントン公爵邸の一室に、重要人物たちが顔を揃えていた。アーサー王子とアマンダ、そしてジェームズとウェンディ。その中心には、この地の主であるキャリントン公爵が深く椅子に腰掛けている。
沈黙を破ったのは、アーサーの凛とした声だった。「父上——国王陛下より、直々に詔が出た。隣国の主、ユルゲン陛下を救出せよ、とな」
その言葉を聞いた瞬間、キャリントン公爵の眉間に深い皺が刻まれた。 「……これはまた、難しい課題を出されましたな。敵国の君主をその牙城から救い出すなど、並大抵のことではございませぬぞ。ましてや我らは今、女神に不殺の誓いを立てている身。力に任せた突破は許されぬのです」
公爵の苦渋に満ちた問いかけに、アマンダが静かに口を開いた。 「アーサー様、なぜ王家はこれほどまでにリスクの高い救出を決断されたのですか?」
アーサーは一同を見渡し、その政治的意義を静かに説き始めた。 「亡命してきた兵たちの証言により、ユルゲン陛下が暴走した軍部によって地下牢に幽閉されていることが判明した。シュタインベックの軍部をこのまま放置すれば、彼らは必ずや三度目の侵略を企てるだろう。彼らの野心を根絶やしにするには、軍部を倒すための正当な旗印が必要だ。それが、ユルゲン陛下なのだよ」
「軍部を内側から崩壊させるための、大義名分というわけですな……」 ジェームズが納得したように頷く。一方で、ウェンディは救出の困難さを魔法使いの視点から考えていた。
「ユルゲン王を救出する具体的な方策はお持ちなのですか、アーサー様?」
ウェンディの問いに、アーサーはわずかに身を乗り出した。 「それを、今日ここで皆と相談したくて集まってもらったのだ。今回の救出劇は、宣戦布告なき『隠密裏』の実行でなければならない。敵軍に気づかれる前に陛下を連れ出し、軍部の梯子を外す。そのためには、皆の知恵と……そしてアマンダ、ウェンディ、君たちの魔法が必要不可欠なんだ」
部屋の空気は、これまで以上に張り詰めたものへと変わった。
戦争を回避した魔法と、若き王族たちの知略。それらが今、囚われの王を救い出すという「不可能」を「可能」にするための、極秘作戦へと結集されようとしていた。
アーサーは地図を見つめたまま、隣に立つ少女に視線を投げた。 「ウェンディ、隠密活動に適した魔法はあるかい?」
「……そうね、『不可視の結界』を。それと帰路には『転移魔法』を使いましょう」
ウェンディの落ち着いた声が静寂に響く。アーサーはふと疑問を口にした。 「往路も転移魔法を使うことはできないのかい? その方が確実だと思うけれど」
「残念ながら、初めて行く場所には使えないの。行き先の光景を明確にイメージできないと、座標がズレてしまうから」 「なるほど……。それでも、一度足を踏み入れれば帰りは飛べる、ということか」
納得したように頷いたアーサーだったが、実戦を想定してさらに踏み込んだ質問を重ねる。 「何人くらいを結界に入れたり、運んだりできる?」 「私の今の魔力だと、三、四人が限界かしら。それに……実を言うと、実戦で使ったことがない魔法なの。本番の前に、一度予行演習をやっておきたいわ」とウェンディが応じた。
「ああ、頼むよ」 アーサーは真剣な面持ちで彼女を見つめ返した。 「もし失敗すれば、その瞬間に凄惨な乱戦が始まる。僕たちに『次』はないからね」




