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『当宿は健全です(※だいたい誤解)』  作者: 白百合 静


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9/11

女将が不在だと、全員混乱する

 白百合亭において、女将が不在という事態は、

 火種に油を注いだあとで「誰も消火担当がいません」と宣言するようなものだ。


 つまり

 静かに、なんかエロい方向へ傾く。



 その朝、張り紙は一枚だけだった。


『女将、本日外出』


 追記なし。

 説明なし。

 圧もなし。


 終わった。



 食堂。


 いつもの固定客たちが集まっている。


 ・壁越し客

 ・中年客

 ・若い女性客


 そして、リネット。


 全員、妙に落ち着かない。


「……女将さん、いないんですね」


 若い女性客が言う。


「そうね」


 壁越し客が答える。


 沈黙。


 説明が、来ない。


 それだけで、空気がざわつく。



 俺は気づいた。


 誰も言葉を選んでいないのに、

 間だけが増えている。


 この宿、説明がないと

 想像が勝手に補完し始める。



 そこへ、リネットが一歩前に出た。


「皆さま」


 全員が、びくっとする。


「本日は女将が不在のため、私が代行します」


 ……不安しかない。



「まず、朝食ですが」


 リネットは真面目だ。


「特に説明は不要かと」


 不要?


 説明が、ない。


 パンを取る手が止まる。


 スープを飲む動きが、妙に慎重になる。


 若い女性客が小声で言う。


「……逆に、何も言われないと」


「……気になるわね」


 壁越し客も同意する。


 俺もだ。



 中年客が、耐えきれずに言った。


「……今日は、健全なんだよな?」


 リネットは即答する。


「はい」


 それだけ。


 それだけ!?


 説明が、短すぎる。



 廊下。


 俺とリネットがすれ違う。


 いつもなら、

 女将がどこからか声を飛ばす距離。


 だが今日は

 誰も止めない。


 近い。


 昨日より、近い。


 偶然だ。

 偶然だが、誰も修正しない。


「あの……」


 俺が言う。


「はい?」


 リネットが顔を上げる。


 近い。


 説明が、ない。



 そこへ、若い女性客が通りかかる。


 足を止める。


「……あれ?」


 視線が、

 俺とリネットの距離に固定される。


「立ち話、ですか?」


 リネットは少し考え

 珍しく、間を置いた。


「……はい」


 即答じゃない。


 それだけで、空気が変わる。


「女将さん、いないんですよね」


 若い女性客が、にやっとする。


「……そうですね」


 リネットの声が、

 ほんの少しだけ、低くなる。


 やめろ。

 変化をつけるな。



 食堂では、さらに混乱が進んでいた。


 壁越し客と中年客が、向かい合って座っている。


 距離は、いつもと同じ。


 だが。


「……近くない?」


「いや、昨日もこのくらいだった」


「昨日は女将がいたでしょ」


「……ああ」


 説明がないと、昨日が基準になる。


 昨日は、

 「説明された安全」だった。


 今日は、

 「説明されない自由」。


 どっちがエロいかは、言うまでもない。



 ついに、誰かが言った。


 壁越し客だ。


「……ねえ」


 全員、耳を澄ます。


「今日は、どこまでが健全なの?」


 沈黙。


 リネットが、真剣に考える。


 考えてから、言った。


「……昨日と同じ、です」


 その瞬間。


 若い女性客が、吹き出した。


「それ、一番エロいやつじゃないですか」


「何が!?」


「基準はあるけど、誰も言語化しないやつ」


 正論だ。



 混乱は、夕方まで続いた。


 ・立ち話は短くなる

 ・距離は測られない

・視線は合って、逸らされる


 何も起きていないのに、空気だけが濃い。



 夜。


 ようやく女将が戻ってきた。


「ただいま〜」


 その一声で。


 全員、安堵のため息。


 女将は食堂を見回し、すぐ察した。


「あら」


 嫌な笑顔。


「……なんか、変な空気だったでしょ」


 全員、頷く。



 女将は宣言した。


「やっぱりね」


 そして、こう締めた。


「説明がないと、人は勝手にエロい方向へ考えるの」


 壁越し客が言う。


「じゃあ説明って……」


「必要悪」


 即答だった。



 翌朝。


 張り紙が増えていた。


『女将不在時も、説明は継続します』


 追記。


『※想像が暴走しやすいため』


 俺は心底、思った。


 白百合亭で一番

 健全とエロの境界を管理している存在は


 間違いなく、女将だ。


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