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『当宿は健全です(※だいたい誤解)』  作者: 白百合 静


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8/11

健全な立ち話(※距離が問題)

 白百合亭では、立ち話にもルールがある。


 正確に言うと、

 立ち話が始まった瞬間に、ルールが生える。



 発端は、廊下だった。


 朝食後、部屋に戻ろうとした俺は、

 曲がり角でリネットと鉢合わせた。


「アレンさん」


「おはようございます」


 ここまでは健全。



 問題は、距離だった。


 近い。


 近いのだが、触れてはいない。

 触れてはいないが、風圧を感じる距離。


「……あの、ちょっと近くないですか」


 俺が言うと、リネットは首を傾げた。


「会話に適した距離です」


「どの基準で?」


「声が聞き取りやすい基準です」


 耳じゃなくて、意識が集中しすぎる。



 そこへ、壁越し客が通りかかる。


 視線が、止まる。


「……立ち話?」


「はい」


 リネットが即答する。


「健全な立ち話です」


 壁越し客の視線が、

 俺とリネットの距離に落ちる。


「……ずいぶん、近い健全ね」


「適正距離です」


 即答しないでほしい。



 中年客も合流した。


「何の話だ?」


「今から説明します」


 やめろ。


「立ち話は、座らないので健全です」


「立ってれば何でも健全か?」


「基本的には」


 基準が雑だ。



 若い女性客まで現れた。


 なぜこの宿、

 人が集まるときだけタイミング完璧なんだ。


「何してるんですか?」


 リネットは胸を張る。


「健全な距離で、健全な立ち話です」


 若い女性客は、じっと距離を見る。


「……一歩下がったら?」


 リネットが一歩下がる。


 今度は、別の意味で空気が変わった。


「……あ」


 若い女性客が小さく声を漏らす。


「今の距離、逆に意識しません?」


 全員、黙る。


 確かに。



 そこへ、女将の声。


「はいはい、何か集まってるわね〜」


 出た。


 女将は一目で状況を把握した。


「立ち話ね」


「はい」


「距離、測った?」


 測るな。



 女将は、床に目印の線をチョークで引いた。


 なぜいつも道具がある。


「ここからここまでが、健全立ち話ゾーン」


 幅、一歩分。


「近すぎると?」


「意識される」


「遠すぎると?」


「怪しまれる」


「ちょうどいいと?」


 女将は、にっこり。


「誰も何も言えない」


 それが理想なのか。



 女将の指示で、

 俺とリネットがゾーン内に立たされる。


「はい、会話して」


「え?」


「普通に」


 全員が見ている中で、普通は無理だ。



「……今日は、天気いいですね」


 俺の人生で一番無難な言葉。


「そうですね」


 リネットが頷く。


「乾燥しています」


「……ですね」


 沈黙。


 距離は適正。

 空気は最悪。



 若い女性客が言った。


「……健全すぎて、逆にエロくないですか?」


「それ言うな!!」


 女将は満足そうに頷く。


「ほら、距離が問題なのよ」


 問題作ってるの、あなたです。



 女将は総括に入る。


「近すぎると、誤解される」


「遠すぎると、怪しまれる」


「ちょうどいいと?」


 女将は、俺を見る。


「想像が暴走する」


 詰んでいる。



 その夜。


 新しい張り紙が出ていた。


『立ち話は健全距離を保ちましょう(※意識した時点で手遅れ)』


 下に、小さく追記。


『※女将が距離を調整します』


 リネットが真面目に言う。


「次から、距離を測りますね」


「もう立ち話しない」



 廊下の向こうで、女将の声が響いた。


「はいそこ! 近い! 半歩下がって!

……はい、今度は遠い! 半歩前!」


 俺は壁に背を預け、天井を見上げた。


 健全とは、

 これほどまでに、ややこしい。

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