健全な個室利用(※人数が問題)
白百合亭の女将は、決断が早い。
そして、その決断はだいたい一行の張り紙として現れる。
『本日より個室利用の健全運用を強化します』
俺は貼り紙を見て、静かに悟った。
「……人数だな」
横に立つリネットが頷く。
「はい。人数です」
即答だった。
女将が食堂に現れ、ぱん、と手を叩いた。
「はい皆さーん。最近ね、“個室”って言葉が独り歩きしてるの」
独り歩きしてるのは、言葉じゃない。
「だから今日は、個室利用の基準を明確にするわよ〜」
嫌な予感が、確信に変わる。
女将は黒板を出した。
なぜこの宿には、必要なときに必ず黒板があるのか。
「まず前提」
チョークが走る。
《個室=健全》
「これは揺るがないわ」
揺らいでるのは空気だ。
「問題は」
女将は続ける。
「人数」
黒板に書き足される。
1名:健全
2名:要説明
3名以上:説明会
「説明会?」
中年客が首を傾げる。
「そう。誤解を未然に防ぐの」
未然に増えてる気がする。
壁越し客が腕を組む。
「じゃあ、仮に……」
嫌な前置きだ。
「この人(俺)と、従業員さんが個室にいたら?」
食堂の視線が一斉に集まる。
「何もしてない!」
女将はにこやかに答えた。
「要説明ね」
即アウト判定。
リネットが補足する。
「業務であれば健全です」
「“業務”って言えば全部通るの?」
「はい」
制度が甘すぎる。
女将は楽しそうに続ける。
「じゃあ、具体例いくわよ〜」
黒板に事例。
・客+従業員(1対1)
・客+客(同性)
・客+客(異性)
・客+従業員+女将
「最後、何?」
女将は笑顔で言った。
「女将がいれば健全」
権限が強すぎる。
若い女性客が手を挙げる。
「じゃあ……女将さんと、この人と、私で個室は?」
全員、固まる。
女将は即答。
「説明会案件」
「なぜ!」
「女将が入っても、人数が三人だから」
数字に厳しい。
中年客が言う。
「じゃあ二人は?」
「要説明」
「一人は?」
「健全」
「じゃあ説明って何だ?」
女将は胸を張る。
「説明は安心を生むの」
誰に?
そこで、実地検証が始まった。
「百聞は一見にしかず、よ」
女将が言う。
「アレン。ちょっと来なさい」
来た。
案内されたのは、空き個室。
中には、テーブルと椅子が二脚。
以上。
本当に何もない。
女将と俺、二人きり。
「はい。現状」
女将が言う。
「2名・個室」
「要説明ですね」
「そう」
女将は扉を少し開け、廊下に向かって言った。
「今からアレンと私は、帳簿の確認をします!」
声がでかい。
リネットがメモを取る。
「業務明示、完了です」
「この声量、必要?」
次。
女将が手招き。
「リネットも入りなさい」
「はい」
三人。
「はい、今は?」
「説明会案件」
女将は満足そうに頷く。
「じゃあ説明会するわよ」
部屋の外に向かって叫ぶ。
「今この部屋には三人います! 何も起きません!」
廊下が静まり返る。
壁越し客の声。
「……わざわざ言われると」
若い女性客。
「逆に想像が……」
だからやめろ。
女将は腕を組み、総括に入った。
「つまり」
嫌な予感。
「人数が増えるほど、説明が必要」
「それはまあ……」
「でもね」
女将は俺を見る。
「説明が増えるほど、誤解も増えるの」
「気づいてるなら止めよう?」
「だから」
女将は笑った。
「説明は私がやる」
最悪の解決策だ。
その夜。
張り紙が更新された。
『個室利用は人数に応じて女将が説明します』
追記。
『※女将不在時は原則利用不可』
リネットが小さく言う。
「女将、人気者になりますね」
「俺の自由が減っただけだ」
廊下の向こうで、女将の声が響く。
「はいはーい! 今から二名で個室入ります! 何もないわよー!」
誰も聞いてないのに。
俺は天井を見上げ、深く息を吐いた。
この宿で一番“個室を騒がせている”のは
間違いなく、女将だった。




