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『当宿は健全です(※だいたい誤解)』  作者: 白百合 静


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25/28

食堂は健全です(※スープの温度と口元が危険)

 白百合亭のスープは、いつも適温だ。


 熱すぎず、冷めすぎず。

 誰にとっても無難のはずだった。


「本日のスープは、野菜のポタージュです」


 リネットが言う。


 湯気が、ふわりと立つ。


 それだけで、食堂の空気が一段階だけ静かになる。



 ピークタイム。


 満席。

 相席。

 距離が近い。


 スープ皿が並ぶ。


 ことん、ことん。


 音が揃う。


 女将が奥から言う。


「揃ったわね」


「揃っただけです!」



 スープは、白い。


 表面がなめらかで、

 光を受けて、少しだけ照りがある。


 スプーンを入れる。


 すく。


 粘度が、伝わる。


「……熱そうですね」


 若い女性客が言う。


「はい、スープですから」


 事実だ。


 だが今は、

 事実が余計な想像を連れてくる。



 俺は、慎重にスプーンを口元へ運ぶ。


 ふー。


 息で冷ます。


 湯気が、頬をかすめる。


「……今の」


 壁越し客が、ぽつり。


「“ふー”が、丁寧すぎません?」


「火傷したくないだけです!」



 中年客も、真似をする。


 ふー。


 同時だった。


「……」


「……」


 空気が止まる。


 女将が、ゆっくり頷く。


「温度を共有すると、意味が増えるのよ」


 増やすな。



 リネットが、追加のスープを運ぶ。


 皿を傾ける。


 とろり。


 表面が、少しだけ揺れる。


 縁に、一滴。


 落ちそうで、落ちない。


「……」


 誰も言わない。


 言わないが、

 全員がその一滴を見ている。



「大丈夫です」


 リネットが、布巾で拭く。


 すっ。


 一滴が消える。


 布巾が、少しだけ湿る。


 若い女性客が小さく息を吸った。


 なぜだ。



 スープを口に含む。


 熱い。


 だが、我慢できる。


 口元に、

 ほんの少し白い跡が残る。


 俺は、無意識に指で拭う。


「……」


 壁越し客が、目を逸らす。


「……今のは」


「スープです!」


「わかってます」


 わかってるなら、終わりにしてくれ。



 団体客が入ってくる。


 同じスープ。


 同じ動作。


 ふー、ふー、ふー。


 音が重なる。


 湯気が、重なる。


 口元に、同じ跡。


 布巾が、足りなくなる。


「……ちょっと」


 女将が手を叩く。


「スープ、今日はここまで!」


「え?」


「口元の情報量が多い」


 そんな理由あるか。



 食後。


 張り紙が増えていた。


『スープは健全です』

追記

『※温度・滴・口元に意味はありません』


 俺は、ため息をついた。


(もう飲み物全部ダメだな)



 白百合亭の食堂は、今日も健全だ。


 温かいスープを飲んだだけ。

 口を拭いただけ。

 一滴、落ちかけただけ。


 ……それだけなのに、

 一番熱くなったのは、周囲の想像力だった。


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