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『当宿は健全です(※だいたい誤解)』  作者: 白百合 静


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24/28

食堂は健全です(※果物の皮と汁が誤解を育てる)

 白百合亭の朝食に、果物が出ることは珍しくない。


 りんご。

 柑橘。

 季節の果物。


 どれも、健康的で健全だ。


 問題は、扱い方だった。



「本日はデザートに果物がつきます」


 リネットが言う。


 その言い方は、普通だった。


 だが、

 皿に盛られた果物を見た瞬間、

 食堂の空気が一段階だけ湿る。



 柑橘は、皮付き。


 切れ目が入っている。


 むけと言わんばかりの状態で置かれている。


「……親切ですね」


 俺が言うと、


「そうですね」


 若い女性客が答えた。


 会話は、それで終わり。


 終わったはずだった。



 皮に、指をかける。


 少し力を入れる。


 ぺり。


 音が、静かに響く。


 皮が、ゆっくり外れる。


 中身が、見える。


「……」


「……」


 誰も何も言わない。


 言わないが、

 全員、見てはいけないものを見た顔をしている。



「果物は、皮をむくものよ」


 女将が、遠くから言う。


 正論だ。


 正論なのに、

 今はなぜか助けにならない。



 果肉を分ける。


 指に、少し汁がつく。


 透明で、

 ほんのり甘い香り。


「……手、濡れました?」


 壁越し客が聞く。


「汁です」


「でしょうね」


 “でしょうね”が余計だ。



 リネットが、布巾を差し出す。


「お使いください」


 近い。


 指と指が、

 触れていないのに近い。


 布巾が、

 果汁を吸う。


 じわっと、色が広がる。


 誰かが、小さく息を吸った。



「……果物って」


 中年客が、ぽつりと言う。


「切るより、むく方が想像力を使うよな」


 使うな。


 女将が、ゆっくり頷く。


「皮って、そういうものよ」


 どういうものだ。



 次は、種だった。


 果肉の中央。


 小さくて、硬い。


 スプーンで外す。


 こと。


 皿に落ちる音。


「……今の音」


「種です」


「わかってる」


 わかってるのに、

 言葉にする必要はなかった。



 若い女性客が言う。


「……種、意外と大きいですね」


「品種です」


 俺は事実を述べただけだ。


「品種……」


 壁越し客が、

 なぜか繰り返す。


 繰り返すな。



 果肉を口に運ぶ。


 汁が、少し垂れる。


 急いで拭く。


 布巾が、また湿る。


「……忙しいですね」


 若い女性客が言う。


「果物は、そういうものです」


 正しい。


 だが今は、

 正しさが空気を悪化させている。



 ピークが来る。


 団体客が、同じ果物を手に取る。


 同時に、皮をむく音。


 ぺり、ぺり、ぺり。


 音が、重なる。


 汁が、飛ぶ。


 布巾が、足りなくなる。


「……ちょっと」


 女将が手を叩く。


「果物、今日はここまで!」


 なぜだ。


「想像が追いついてない」


 追いつかなくていい。



 食後。


 張り紙が増えていた。


『果物は健全です』

追記

『※皮・種・汁に深い意味はありません』


 俺は、席を立ちながら思った。


(皮をむくだけで、

 ここまで疲れるとは)



 白百合亭の朝食は、今日も健全だ。


 果物を食べただけ。

 手が濡れただけ。

 種を外しただけ。


 ……それだけなのに、

 一番消耗したのは、周囲の想像力だった。


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