食堂は健全です(※満席になると意味が増える)
白百合亭の食堂は、普段は穏やかだ。
朝は静か。
昼はまばら。
夜は落ち着いている。
ピークタイムを除けば。
「本日は少し混みます」
夕方、女将が言った。
「団体さんが一組入ってまして」
「……少し、ですか?」
「少しよ」
この宿での「少し」は信用しない。
食堂に入った瞬間、理解した。
人が多い。
席が埋まり、
通路が狭く、
椅子がやたら近い。
音も多い。
皿の音。
話し声。
椅子のきしみ。
すでに、嫌な予感しかしない。
「こちら、相席でお願いします」
リネットが言った。
「……相席」
「ピークなので」
ピークだから仕方ない。
仕方ないが。
俺の席の左右には、
若い女性客と壁越し客。
正面には中年客。
全方向、人。
逃げ場がない。
料理が運ばれる。
「熱いので、お気をつけください」
普通の注意だ。
普通なのに
この距離で言われると、
なぜか意味が増える。
「……近いですね」
若い女性客が、小声で言う。
「ピークですから」
俺は事実を述べただけだ。
「ピーク……」
壁越し客が繰り返す。
「言い方が、なんか……」
「なんでもありません!」
ピークの恐ろしさは、動線にある。
誰かが立つ。
誰かが座る。
誰かが通る。
そのたびに、
全員が微妙に体を引く。
引いた結果、別の誰かに近づく。
地獄の連鎖だ。
事件は、スープで起きた。
配膳中、リネットが言う。
「少し詰めていただけますか?」
全員、同時に詰める。
詰めすぎる。
肘が、浮く。
触れていない。
だが、触れそうで止まる。
「……」
「……」
誰も動けない。
中年客が咳払いをする。
「ピークだな」
「ピークですね」
三人で言った。
なぜか揃った。
女将が、奥から様子を見る。
「盛況ね〜」
「盛況すぎです!」
「でも健全よ」
この状況で健全を宣言できるの、すごい。
さらに人が増える。
団体客が、奥の席に座る。
声が大きい。
笑い声が響く。
こちらの沈黙が、逆に目立つ。
「……静かですね」
若い女性客が言う。
「騒げばいいわけじゃないですから」
壁越し客が答える。
会話が成立してしまった。
配膳が追いつかない。
料理が、
一斉に置かれる。
ことん、ことん、ことん。
音が揃う。
全員、一瞬止まる。
「……今の」
「揃いましたね」
「偶然です」
偶然が多すぎる。
ピークの最高潮。
通路が完全に詰まる。
リネットが言う。
「少しだけ、立っていただけますか?」
少し、が危険だ。
立つ。
譲る。
避ける。
距離が、崩壊する。
若い女性客が、ぽつり。
「……食事してるだけなのに」
「……疲れますね」
俺は同意しただけだ。
だが。
「“だけなのに”って」
壁越し客が反応する。
「何か起きそうな言い方」
「起きません!」
ついに、女将が手を叩いた。
「はい、ピーク終了!」
そんな宣言あるか。
「ここからは、時間をずらしてね」
最初からやってほしかった。
人が減る。
席が空く。
距離が戻る。
空気が、急に軽くなる。
「……さっきまでが嘘みたいですね」
「嘘じゃないのが怖いです」
食後、張り紙が増えていた。
『食堂ピークタイムは譲り合ってご利用ください』
追記
『※距離と想像が近づきます』
俺は天井を見上げた。
(想像まで近づくな)
白百合亭の食堂は、今日も健全だ。
ピークだっただけで、
何も起きていない。
……ただ、
人が多いと、疲れる。




