健全な視線の角度(※斜めが危険)
白百合亭では、ついに視線の“角度”が問題になった。
見るか見ないか、ではない。
どの角度で見たかである。
誰もそんな話をしていないのに、
なぜか自然発生した。
朝。
女将が、湯呑みを置きながら言った。
「……その視線、斜めじゃない?」
全員、止まる。
「正面じゃないと、意味が増えるのよ」
意味を足すな。
張り紙が増える。
『視線は正面を推奨します』
追記
『※斜め・下向き・流し目は誤解を招きます』
流し目を禁止する宿、初めて見た。
朝食会場。
俺はパンを取ろうとして、
若い女性客と目が合いそうになる。
とっさに、少し斜めに視線を外す。
失敗だった。
「……今の、避けた?」
壁越し客が即反応する。
「避けてません! 偶然です!」
「斜め視線は、意識してる証拠よ」
視線に自白させるな。
リネットが、お茶を運ぶ。
客を見る。
正面。
完璧。
次の瞬間、
視線がわずかに下がる。
若い女性客が囁く。
「……今、どこ見ました?」
「湯呑みです」
「下向きは危険角度です」
湯呑み、危険物。
女将が、黒板を出した。
もはや日課。
《健全視線角度表》
・正面:健全
・斜め15度:含み
・斜め30度:誤解
・下向き:アウト寄り
・流し目:説明会案件
「角度測るな!!」
実地検証が始まる。
「アレン、前」
また俺。
若い女性客が立つ。
「自然に見て」
自然が一番難しい。
俺は正面を見る。
……硬い。
女将が言う。
「力入りすぎ」
少し視線を逸らす。
斜め。
「はい」
女将が指を立てる。
「今の、考えてる」
「考えてません!」
「考えてない人は正面を見る」
理不尽理論。
中年客が試す。
がっつり正面。
凝視。
長い。
女将、即。
「見すぎ」
「どうすればいいんだ!」
「自然に」
一番無理な指示。
昼。
全体的に、
視線が落ち着かなくなる。
正面を意識すると不自然。
逸らすと意味が増える。
結果
全員、微妙に宙を見る。
「……誰とも目が合わないな」
壁越し客が言う。
「逆に、距離を感じるわね」
女将、腕を組む。
「視線が合わないのも、含みが出るのよ」
詰み。
事件は、廊下で起きた。
俺とリネットがすれ違う。
視線が合う。
正面。
完璧。
……だが。
床の段差に気づき、
一瞬だけ、下を見る。
リネットも、同時に下を見る。
視線が同期。
壁越し客の声。
「……今、完全に意味あったわよね」
「足元確認です!!」
女将の声が飛ぶ。
「下向き同期は、説明案件」
足元、罪深すぎる。
夕方。
女将が総括する。
「結論」
来た。
「視線は、角度を意識した瞬間にエロくなる」
誰も否定できない。
「だから」
嫌な予感。
「角度は見ません」
安堵。
だが続く。
「“動き”だけ見ます」
結局見る。
夜。
若い女性客が、俺を見る。
正面。
にこり。
俺も正面。
にこり。
女将が即。
「今の笑顔、角度ゼロなのに意味が出てる」
「角度関係ないじゃないか!」
「視線はね」
女将は言う。
「最終的に、雰囲気に負けるの」
それを言っちゃ終わりだ。
張り紙が更新された。
『視線は自由です』
追記
『※角度より空気に注意』
抽象化が進んでいる。
白百合亭では、
見る角度ひとつで誤解が育つ。
正面でも、
斜めでも、
下を見ても
意識した時点で、もう負け。
俺は今日も思う。
(次は……“視線を戻す速さ”あたりが危ないな)




