健全なため息(※回数制限)」
白百合亭では、ため息が管理対象になった。
発端は、女将のこの一言だ。
「最近ね、ため息が多いのよ」
全員、視線を逸らした。
心当たりしかない。
張り紙が貼られる。
『本日より、ため息は一人三回まで(健全範囲)』
下に追記。
『※深さ・長さにより減算あり』
数値化するな。
朝食。
パンを前に、俺は慎重に呼吸していた。
(まだ使うな……ここは温存……)
若い女性客が、わざとらしく言う。
「はぁ……」
一回目。
リネットが即、メモを取る。
「確認しました」
「今の、カウントするんですか?」
「音が出たので」
厳しすぎる。
壁越し客がスープを飲み、目を細める。
「……ふぅ」
一回目。
中年客がすかさず言う。
「浅い。まだ余裕だな」
「何を競ってるんですか」
競技化するな。
問題は、ため息の種類だった。
女将が説明する。
「短いため息は健全。長いのは……」
間。
「含みが出る」
含むな。
「鼻息混じりは?」
「色気が乗る」
基準が感覚すぎる。
廊下。
俺とリネットがすれ違う。
距離、適正。
視線、一瞬。
その瞬間、同時に息を吐いた。
「……」
「……」
壁越し客が角から顔を出す。
「今の、同期してたわよね」
「偶然です!」
リネットが真面目に言う。
「同時ため息は一人二回分です」
「重すぎる罰!」
昼前。
俺はすでに二回消費していた。
残り一回。
慎重に、慎重に生きる。
だが。
若い女性客が、距離を詰めて囁く。
「……我慢してる顔、わかりやすいですね」
耐えきれず。
「……はぁ」
三回目。
リネットのペンが走る。
「上限到達です」
「もう出せないの!?」
「健全のため」
息を止めろと?
地獄はそこからだった。
ため息を出せないと、
呼吸が不自然になる。
胸が上下する。
視線が集まる。
「……逆に、今のほうが」
中年客が言う。
「なんか……」
女将が即。
「言わない」
圧で黙らせるな。
夕方。
壁越し客が、限界を迎えた。
「……はぁぁ……」
四回目。
全員、固まる。
女将が静かに言う。
「超過ね」
「どうなるの?」
「説明が入ります」
最悪のペナルティだ。
女将は宣言した。
「今のため息は、
疲労による自然反応で、
誰にも向けられていません」
一文が、長い。
「色気も、含みも、ありません」
逆に意識する。
壁越し客が顔を赤くする。
「……言われると」
「言わない」
女将、強い。
夜。
全員、疲弊していた。
ため息を我慢し、
我慢する姿を見られ、
見られていることを意識し
何も起きていないのに、消耗が激しい。
総括。
女将が言う。
「結論」
来た。
「ため息は、制限すると逆に色気が出る」
誰も否定できない。
「だから」
嫌な予感。
「明日からは回数制限、やめます」
安堵。
だが追記。
「代わりに、質を管理します」
質!?
翌朝の張り紙。
『ため息は自然に出しましょう』
追記。
『※ただし意味が乗った場合は説明します』
結局それだ。
廊下で、俺は思わず息を吐いた。
「……はぁ」
リネットが見る。
「今のは?」
「疲労です」
「健全ですね」
若い女性客が通りすがりに言う。
「……ちょっと、よかったです」
「何が!?」
女将の声が飛ぶ。
「説明いらない!」
全員、黙る。
白百合亭では、
ため息一つで空気が色づく。
健全を守るための管理が、
なぜか一番色気を生む
今日もまた、
俺だけが深く、静かに思った。
(次は、呼吸そのものが規制されそうだな)




