表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
外れスキル『加工』は最強だった!スローライフ希望の元社畜、英雄に祭り上げられて困惑中  作者: 速水静香
第二章:フォレストワイバーン討伐

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/24

第八話:ダンジョン探索

 翌朝、ルーンヘブンの安宿の固いベッドで目を覚ました俺の気分は、どんよりとした曇り空のようだった。窓の外からは町の活気ある喧騒が聞こえてくるが、それすらも今の俺には耳障りな騒音でしかない。スローライフを送るために冒険者登録をしたまではまだ百歩譲っていいとしよう。だが、なぜ登録初日からBランクのエリート冒険者様とダンジョンに潜らなければならないのか。


「はあ……。ダンジョン探索か……」


 人生、ままならないにも程がある。前世では上司とノルマに追われ、今世では好奇心旺盛なエルフと魔物の群れに追われるのか。俺が望んでいるのは畑を耕し、リーナの作ったけれど、いずれも俺が教えた美味しい食事を食べ、縁側で茶をすするような、そんな穏やかな毎日なのだ。昨日あれだけ固辞したというのに、結局あの口の上手いエルフの冒険者のペースにまんまと乗せられてしまった。リーナのキラキラした期待の眼差しが最後のとどめだった。


「タカトさん、起きましたか? もうすぐ出発の時間ですよ」


 部屋のドアがこんこんと控えめにノックされ、リーナの声がした。俺は重い体をベッドから引きずり起こし、『ああ、今行く』と張りのない返事をした。

 宿の食堂で簡単な朝食を済ませる。昨日あれだけ美味しく感じた町のパンも、今朝はまるで砂を噛んでいるかのように味がしなかった。


「タカトさん、本当に大丈夫ですか……? なんだかお顔の具合があまり……。もしかして本当は行きたくないんじゃ……」


 俺の様子をリーナが不安そうにうかがっている。彼女の琥珀色の瞳は心配という表情で揺れていた。ぴょこんと立った耳も心なしか元気がない。この子にこんな顔をさせたかったわけじゃない。


「いや、大丈夫だって。ちょっと朝は苦手なだけだよ。昨日、町で少しはしゃぎすぎたかな」


 俺は無理に笑顔を作って、リーナの頭を軽く撫でた。


「それよりリーナこそ、一人で宿に残ってて大丈夫か? 何かあったらすぐにギルドに駆け込むんだぞ。金は少し多めに置いておくから、昼飯は何か美味いものでも食べるといい」

「はい! 私は大丈夫です! それよりもタカトさんこそ、本当に気をつけてくださいね! エリスさんはBランクのすごい冒険者さんですけど、タカトさんはもっともっとすごいですから!」


 何の根拠もない絶大な信頼。それが今は少しだけ重い。だが、同時にその真っ直ぐな信頼が、俺の沈んだ心に小さな灯りをともしてくれるようでもあった。

 俺はリーナに見送られながら、待ち合わせ場所である町の正門へと向かった。早朝の空気はひんやりとしていて気持ちがいい。だが、俺の心は晴れないままだった。

 門の前には、すでに彼女の姿があった。朝日を浴びて、その金色の髪がきらきらと輝いている。


「おはようございます、タカトさん。時間通りですね」


 エリスは昨日とは打って変わって、冒険者らしい機能的な旅装束に身を包んでいた。体にフィットした革鎧の上に質の良さそうなローブを羽織り、腰には美しい装飾が施された杖を提げている。うなじで一つに束ねたその姿は、まるで物語に出てくるエルフの戦士のように凛として美しかった。


「おはようございます、エリスさん。……それで、ダンジョンはここから遠いんですか?」


 俺はさっさと用事を済ませてしまいたいという気持ちを隠そうともせずに尋ねた。


「いえ、すぐそこです。この町が何のために作られたか、ご存じで?」


 エリスは意味深に微笑むと、町の外壁のすぐ脇にある小さな脇道へと歩き始めた。そこには地面へと続く、ぽっかりと口を開けた巨大な洞窟の入り口があった。


「この町ルーンヘブンは、『迷宮のダンジョン』を管理し攻略するために作られた拠点都市なのですよ」

「……へえ。それは、また物騒な話ですね」


 洞窟の入り口からはひんやりとした湿った空気が流れ出してきている。苔と土、そして何か得体の知れないものの匂いがした。スローライフとは対極にある、冒険の匂いだ。


「では、行きましょうか。私の『魔力タンク』さん?」


 エリスは悪戯っぽく片目をつぶって言った。その言葉に、俺はまた一つ深いため息をつくしかなかった。



 ダンジョンの中はじめじめとして薄暗かった。壁にはぼんやりと光る苔が自生しており、それが唯一の光源となっている。俺たちの足音だけが、静かな通路にこつこつと反響していた。


「このダンジョンは罠が多いことで有名です。足元にはくれぐれもご注意を」


 先頭を歩くエリスが背中越しに忠告してきた。彼女は杖の先端から淡い光を放ち、周囲を警戒しながら慎重に進んでいる。

 しばらく進むと、少しだけ開けた広場のような場所に出た。エリスがぴたりと足を止める。


「……止まってください。この先、何かあります」


 彼女の碧い瞳が真剣な光を帯びる。杖を構え、前方の一点をじっと見据えていた。


「おそらく、典型的な感圧式の罠。床の特定のパネルを踏むと壁から矢が飛んでくるタイプでしょう。私が魔法で罠の術式を探知し無力化しますので、そこで待っていてください」

「はあ……」


 面倒くさそうだな、と俺は思った。

 探知して解除して……。そんなちまちました作業に、どれだけ時間がかかるというのか。さっさとこんな場所からはおさらばしたいというのに。

 俺はエリスが何やら小声で詠唱を始めようとするのを手で制した。


「あ、あの、エリスさん」

「何ですか? 今、集中しているのですが」

「いや、その必要はないかな、と」

「……どういう意味です?」


 訝しげな顔で彼女が振り返る。

 俺は広場の床全体をぼんやりと眺めながら、スキルを発動させた。


 『この床に仕掛けられている全ての罠の機械的な構造を、『ただの石と鉄の塊』に加工する。バネも歯車も何もかも、機能を停止させろ』


 体内の魔力がほんの少しだけ揺れる。それは川からスプーン一杯の水をすくう程度の、ごくわずかな消費だった。


「もう大丈夫ですよ。全部、ただの石ころにしておきましたから」

「……は?」


 俺の言葉の意味が理解できないのか、エリスは間の抜けた声を上げた。


「何を言っているのですか? 罠はそこに確実に……」

「ですから、もうありませんって」


 俺はそう言うと、ずかずかと広場の真ん中まで歩いてみせた。そして、わざと怪しそうな床のパネルを何度か足でとんとんと踏んでみる。

 だが、もちろん何も起こらない。壁から矢が飛び出してくることも、床が抜け落ちることもない。


「…………」


 エリスはあんぐりと口を半開きにしたまま、目の前の光景を信じられないという顔で見つめていた。


「……あり得ない。私の探知魔法にはまだはっきりと罠の術式反応が……。いえ、違う。術式は生きている。それなのに物理的な起動装置の方が機能を停止している……? どういうこと……?」


 彼女はぶつぶつと何かを呟きながら、ためらいがちに広場へと足を踏み入れた。そして俺が踏んでいたパネルの横に膝をつき、その表面を指でそっと触れる。


「タカトさん。あなたは一体、何をしたのですか?」


 振り返った彼女の顔は困惑に染まっていた。研究者の探求心が常識ではあり得ない現象を前にして、完全に思考停止しているようだった。


「何って……。だから、そこの床を『加工』して、ただの石にしただけですけど」

「『加工』で……罠を解除したと……? そんな話、聞いたことがありません……」

「そうですか? まあ、俺のスキル、ちょっと燃費が悪くて普通の人とは違うのかもしれませんね」


 俺はへらりと笑ってごまかした。


 エリスはまだ納得がいかないという顔をしていたが、それ以上追及してくることはなかった。ただ、俺を見る目に先ほどよりも強い、探るような光が加わったのを俺は感じていた。


 その後も俺たちはダンジョンの奥へと進んでいった。

 道中、何度か同じような罠に遭遇したが、その全てを俺が一瞬で無力化していった。

 落とし穴の罠は底板を決して開かないように床と一体化させて『加工』する。壁が迫ってくる罠は壁を動かす機構そのものを巨大な鉄の塊へと『加工』して固めてしまう。

 エリスは最初こそ驚愕の声を上げていたが、やがて何も言わなくなった。ただ俺がスキルを使うたびに、その碧い瞳を大きく見開き、何かを必死に理解しようとしているようだった。



「……この気配。数が多いですね。気をつけてください」


 さらに下層へと続く巨大な空洞に出た時だった。

 エリスがこれまでで最も険しい表情で警告を発した。

 空洞の奥の暗闇から、無数の赤い光点がこちらに向かって急速に近づいてくる。


「グルルルル……」

「キシャアアア……!」


 獣の唸り声と甲高い鳴き声。

 やがて暗闇からぞろぞろとその姿を現したのは、ゴブリンや巨大なネズミの魔物、コボルトといった下級モンスターの大群だった。その数はざっと見て百は下らないだろう。


「……面倒なことになりましたね」


 エリスがちっと小さく舌打ちする。


「タカトさん! 私の後ろへ! 絶対に前に出ないでください!」


 彼女は俺を背後にかばうようにして一歩前に出た。そして杖を水平に構える。


「私の最大火力でこの群れを一掃します! 魔力を供給してください!」

「……え、あ、はい」


 言われた通り、俺はエリスの背中にそっと手のひらを触れさせた。そして自分の体内の莫大な魔力の一部を、彼女の体へと流し込み始める。


「……っ! これは……!」


 俺の魔力に触れた瞬間、エリスの体がびくりと大きく跳ねた。


「なんて膨大で純粋な魔力……! まるで濁流です……!」


 彼女の口から驚愕の声が漏れる。

 エリスの体から、ぶわりと凄まじい魔力のオーラが立ち上り始めた。杖の先端に急速に炎の力が収束していく。周囲の気温がぐんぐんと上昇していくのが肌で感じられた。


「さあ、塵も残さず消し炭になりなさい! 『フレア・テンペスト』!」


 エリスが高らかに叫ぶと、彼女の杖の先から灼熱の炎の嵐がほとばしり出た。


 ゴオオオオオオオッ!!


 炎の奔流は、押し寄せる魔物の群れを一瞬で飲み込んだ。


「ギャアアアアッ!?」

「ギギギ……!」


 魔物たちの断末魔の悲鳴が轟音の中にかき消されていく。

 数十秒後、炎の嵐が過ぎ去った後には黒く焼け焦げた地面と灰になった魔物の残骸だけが残されていた。


「……ふう。片付きましたね」


 エリスは額の汗を拭い、ほうと息をついた。


「すごい威力ですね……」

「あなたの、おかげです。これほどの規模の魔法を何の反動も消耗もなく撃てたのは、初めての経験です」


 彼女は興奮を隠しきれないといった様子で、自分の手のひらを見つめている。

 だが、俺は別のことを考えていた。

 面倒くさい。

 確かに彼女の魔法はすごい。だが、詠唱にも発動にも時間がかかる。もし今の魔物の数が倍だったら? 三倍だったら? あるいは魔法に耐性のある敵が混じっていたら?

 もっと手っ取り早く、安全に、そして静かに片付ける方法はないものか。

 俺の脳裏に、一つのとんでもないアイデアがひらめいた。


「……キシャアアア!」


 その時だった。

 俺たちが今なぎ払った群れのさらに奥。空洞の別の通路から、第二波、第三波と思われる新たな魔物の群れがぞろぞろと姿を現したのだ。その数は先ほどよりも明らかに多い。


「ちっ、まだいたのですか! ……ですが、問題ありません。今の私なら何度でも撃てます!」


 エリスが再び杖を構えようとする。

 俺はその肩をぽんと軽く叩いた。


「エリスさん。ちょっといいですか?」

「何です? 今は取り込み中……」

「ここは俺に任せてもらえませんか?」

「……は?」


 エリスが今度こそ本気で意味が分からないという顔で俺を見た。


「あなたに任せる? 何を言っているのですか。あなたのスキルは……」

「まあ、見ててくださいって」


 俺は彼女の前にすっと進み出た。

 そして押し寄せてくる数百の魔物の群れをまっすぐに見据えながら、ゆっくりと地面に手のひらをかざした。

 イメージするのは、ただ一つ。


 『無』。


 『この魔物の群れが立っている全ての地面を、その存在ごと『加工』して消し去る』


 俺の体から、先ほどエリスに供給したのとは比べ物にならないほどの莫大な魔力が奔流となって溢れ出した。

 それは大地そのものを、作り変えるためのエネルギー。

 直後、ダンジョン全体がぐらりと大きく揺れた。


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!!


 地鳴りというような生易しいものではない。

 世界が悲鳴を上げているかのような、すさまじい振動。


 そして目の前で信じられない光景が繰り広げられた。


 魔物の大群が立っていた、空洞の床。

 その広大な範囲の地面が何の前触れもなく、音も無く、ただすうっとその姿を消したのだ。


 まるで巨大な見えない消しゴムで、世界の一部がごしごしと消されてしまったかのように。


 後に残されたのは、ぽっかりと口を開けた巨大な奈落。

 底が見えない、どこまでも続く暗闇の垂直な崖。


「……え?」


 押し寄せてきていた数百の魔物たちは、自分たちの足場が突然消え失せたことに気づく暇もなかっただろう。

 彼らは重力に従って、ただまっすぐに巨大な奈落の底へと吸い込まれていった。

 悲鳴を上げる時間さえ与えられずに。


 しん、と。

 先ほどまでの魔物の雄叫びが嘘のように、空洞に完全な静寂が戻ってきた。

 俺たちの前には、ただ不気味なほどに巨大な人工的な崖が広がっているだけだった。


「…………」


 俺の後ろで、エリスが息を詰める気配がした。


「……さて、と。これで片付きましたかね」


 俺は何でもないことのようにズボンの埃をぱんぱんと手で払いながら、振り返った。


「さあ、行きましょ……」


 俺の言葉は途中で途切れた。


 そこに立っていたエリスの表情を見たからだ。

 彼女は杖を取り落としていた。

 美しいエルフの顔から血の気が完全に引いていた。

 大きく見開かれた碧い瞳。その奥に浮かんでいるのは、もはや驚愕や困惑といった生易しい感情ではなかった。


 それは、純粋な畏怖。

 まるで神か、あるいは悪魔か。何か人知を超えた理解不能な存在を目の前にしたかのような。


 そんな顔だった。


「……今のは……」


 彼女のわななく唇から、か細いかすれた声が漏れた。


「一体……何なのですか……?」


 彼女は俺に尋ねている。

 だが、その視線は俺を見ていなかった。俺のさらに奥にある何か得体の知れないものを見ているようだった。


「『加工』……ですって……? 冗談ではありません……! あれは……!」


 彼女はわなわなと体を小刻みに揺らし始めた。


「地形を変えた……? いえ、違う……! 無から有を生み出した……? それも違う……! あれはもっと根源的な……! 世界の理そのものを指先でつまんで書き換えるような……! そんな馬鹿な……! それはもはやスキルなどという矮小な概念ではない……! 神の御業……! 創造と破壊の権能……!」


 ぶつぶつと呟かれる言葉。

 それはもはや問いかけではなかった。

 一人の天才的な冒険者が、自分のこれまでの常識、知識、世界の全てを根底から覆され、そのあまりの衝撃に精神の均衡を失いかけた者の悲鳴だった。

 彼女はもう、俺のことを『便利な魔力タンク』としては見ていなかった。

 『興味深い研究サンプル』としても見ていなかった。

 得体の知れない、理解不能な、恐ろしい存在を見る目で俺を見ていた。


 まずい。


 心底まずいことをしてしまった。

 俺のささやかで慎ましいスローライフ計画が、がらがらと大きな音を立てて崩れ落ちていく。

 静寂に包まれたダンジョンの巨大な空洞で、俺はただ立ち尽くすことしかできなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ